宮城交通は昔から社会実験には積極的に対応してきている。
まだ市電があった時代、当時の仙台陸運局は
(1)系統整理による高頻度運行の実施
(2)市営と宮交との共通回数券、共通定期券の実施
(3)深夜・早朝バスの運行
を強力に指導したが、交通局は、
(1)には「将来の話であり現実的でない」、(2)には「趣旨は解るが内部事情から応じられない」、(3)には「労働組合の同意が得られまい」として全く消極的姿勢を貫いていた。
として全く消極的姿勢を貫いていた。(3)については宮交が市バスの肩代わりを行い、市バスエリアの北六・中江・鶴ヶ谷の各停留所に宮交のポールも林立していたのを記憶している市民も多いと思う。
マスコミの取材後、陸運局関係者が「公営バスにもかかわらず行政に協力しようとしない市側の態度は納得できない。事業意欲も乏しいようだ」と洩らしていたのが印象的だった。