奈良交通 【24 | 奈良学園】 [無断転載禁止]©2ch.net
レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。
ぜひ、天理教には、報道されなくてもネットワーク、
フットワークを生かして支援を継続して頂きたいと思います。
どこで災害があってもすぐに支援体制を構築でき
(例えばですが、本部に対策本部、教務支庁に各自治体との折衝や情報交換、
大教会に支援物資集積、連絡は各上級へ…というようなことを決めておくとか)
継続性に関われるとしたら、素晴らしい社会のネットワークシステムだと思います。 なぜ、本部や大教会に言うと面倒になるのか、そこのところ、
もう一つ詳しく解説して頂きたかったです。
金を、本部や大教会以外に、必要以上に落として来ることを、心配してるのか、
それとも、上を通さずに勝手にやることを、上が気に食わないのか、
もうちょっと、詳しい事知りたかったです。的確な批判をする為に。 もうええって天理教は〜
どいつもこいつもしょうむないって〜 皆にやさしい天理教の思考力低下
来月には衆院選が控えている。
ただでさえ師走はせわしないが、日本国中がバタバタした年末になる。
私は政治的な発言はあまり好きではないし専門家でもない。
そのためできるだけ政治的な発言をすることを控えている。
ただ、どうしても今の時期に天理教と政治に関して考えることからは逃げられない。
天理教はどのように政治を考えているのかということである。 天理教にも政治は存在する。
私の知る限り、組織の内部にある権力闘争や理の親に対する承認欲求競争などは
実際に見てきた。
しかし、政治的動きではなくリアルな政治との付き合い方や投票行動を天理教として
どのように考えるかは天理教の今後を考えるうえで検討に値すると考える。 例えば某学界では、宗教団体と政治の距離に関してたびたびネガティブな意味で
注目をあびている。私は某学界については詳しくない。
しかし選挙のたびに職場のスタッフに某学界と関連の強い特定の政党に投票するように
依頼されたことがある人は少なくないのではないかと思う。
そう考えたときに、天理教から政治活動を強制されたり、依頼されたことはない。
これに関しては、天理教の社会的信用に対する一定の評価ができると思う。 しかし非常に狭い経験からの発言で申し訳ないが、
天理教は政治に関して無関心すぎるのではないかと私は思う。
無関心というのは、各々の天理教人が政治に対して無関心と言っているのではない。
天理教という組織が、政治に対して距離を置きすぎていたり、
一定の方向性をまとめようとしない傾向が強い。
つまり組織として政治に無関心すぎるのではないかと思う。
私は、これまでに天理教が政治に介入しない姿勢を支持してきた。
しかし政治や今後の日本に関して天理教人と話をしても、
天理教人から聞けるのは“天理教らしさ”ではなく、
テレビからの情報を鵜呑みにした実態のない言葉遊びでしかない。 宗教団体が政治的オピニオンを持つという距離感やバランス感覚は、
非常に難しいことは承知している。
しかし、少なくとも「陽気ぐらし」を掲げて活動している天理教が、
弱者を貶めるような政策に声をあげないのは、
「陽気ぐらしなんて口先だけで、やる気がない」
と思われても仕方ないのではないだろうか。
例えば、民主党政権になって生活保護の国家予算に占める割合は増加の一途を
たどっている。
そして自民党や維新の会は、
次期衆院選のマニフェストで生活保護の削減を検討している
(現在マニフェスト作成中のため未確定)との情報もある。
生活保護は憲法に保障されている「健康的で文化的な最低限度の生活」(憲法25条)
のためのものである。
これが削減されることは弱者の生活が厳しくなるということである。 押し付けるつもりはないが、天理教人には
「生活保護の削減をしない場合、増大する社会保障財源はどこから持ってくるのか」
という包括的議論まで求めない。それは政治家の仕事である。
しかし「生活保護を削減したら、生活できない人が増え、
高齢者の自殺が増えるかもしれないから反対だ」
くらい組織として声を上げてもいいのではないだろうか。
これでさえも共産的でNGだろうか。
原発に関しても、過去に紹介したように天理教以外の各宗教団体は伝統宗教、
新興宗教問わずに、脱(反)原発の意見を組織として表明しているところが多い。
私は宗教組織として一つの事柄に意見表明するリスクを危惧したが、
逆に言えば組織として意見表明できるほどの組織力や統率力があるとも言える。
中には組織は脱原発の表明をしたが、個人では原発を賛成している人もいると思う。
しかし、意見表明をすることで議論が生まれ、問題意識を共有して発展していけると私は思う。 天理教のシンクタンクである「天理やまと文化会議」がある。
ここでは専門家たちが時事トピックに関して議論しているとある。
出席したことのある天理教人の何人かに話を聞くと、そこでは議論というよりも、
専門家を招いて「はい、大変勉強になりました」という
議論とは名ばかりの学部生の講義程度しかないようだ。
天理時報10/28号の「視点」ではiPS細胞の生命倫理に関して
「天理やまと文化会議では、このiPS細胞と生命倫理問題に関して、
すでに2007年12月から計12回の討議を重ねてきている」 http://doyusha.jp/doyu/top/?page_id=14223
とあるが、「5年間で12回だけ?それだけで超難問を議論したと言い切れるの?
じゃあ結論はどうなの?議事録を公開してよ」
という疑問を持った人は少なくないだろう。
結論はやはり「この革新的な技術進歩によって生命が資源化、道具化、商業化される
可能性がより現実味を帯びてくるだけに、
iPS細胞が内包する倫理的問題を教理面からも掘り下げていく必要性が増している」
と「12回も議論して、まだ掘り下げてないんかい」とツッコミたくなる結論である。 社会的問題に関して、今の天理教は「何も主張しなければ批判されることはない」と
いう姿勢に私は感じられる。それは、社会構成員として無責任ではなかろうか。
それでは社会にとって天理教の存在意義はない。
各地で頑張っている天理教人や教会は天理教の名を冠する必要はなく
NPOやボランティアサークルで十分となってしまう。
組織として社会に対して問題提起やAdvocateしないということは、
社会的組織として責任を放棄していると思われても反論できない。
また問題提起をしないことは、天理教構成員の思考する機会を奪っていることに
繋がる。
「事なかれ主義」と聞いて天理教が一番最初に脳裏に浮かんできた私の意見である。 天理教人の政治オンチは教内でも同じです。
大教会長のいうとおり右へならえの風見鶏。ハイハイの理でおとなしくしたがう。
こんな状態だから現実の政治問題でも教理の言葉で説明できないのです。
改革は内からできていないとこの先まったく期待できません。
大教会長一家の世襲制を廃止して、大教会長は分教会長の中から選挙で選ぶぐらいにしないと、天理教は世の中からどんどんおくれてしまいます。
私は天理教の封建制度は大嫌いです。 天理教信者の家庭に生まれ育ちましたが、最近は信仰に対し、うんざりしてます。
親に無理やり押しつけられ、
何をするにも教理を押し通されて育ってきた私は本当に不幸だと思っております。
無宗派の家庭に生まれていればこんな苦痛はないのにと思っております。
私は共産主義的な思想ではありませんが、『宗教は麻薬』だと思います。
天理教信者だけでなく、あらゆる宗教の家庭で育ってきた方々の中には、
私のような被害者がかなり存在すると思います。
宗教は撲滅してほしいと思いますし、
願わくば全ての宗教法人に企業と同様に課税してほしいです。 末端の天理教で生まれましたが、現在は信仰しておりません。
信仰しない自由と権利があることの認識を、信仰者は学ぶべきです。
無知、無教養な方が多くて、話す気にもなれず、相手にしていません。
天理教にも課税があり、お供えに領収書があれば、訴えることもできるであろうが、
泣き寝入りです。
かろうじて天理教を離れたことだけが、幸いです。
今も苦しんでいる方がいらっしゃるでしょう。
脅しや脅迫で、私のように精神を病んだ方もいるでしょう。
天理教被害者の会が消されました。
心の慰めにしております。 天理教「こどもおぢばがえり」に行ってきた
こどもおぢばがえりの最終日に参加してきた。今回は子供は同行せず、大人だけ。
天理駅に到着して、天理本通り(商店街)を通る。
子供が多くて賑わっていると思ったが、意外に人が少なくて、商店街も閑散とした様子。
駅から天理教本部のある神殿に徒歩で向かう。参道のようなもの。
http://tenrikyosyakaigakulabo.com/wp-content/uploads/2014/08/DSC03217.jpg これが天理教少年会のメインキャラクター「ピッキー」(右)。
ミッキーマウスがネズミだとすると、ピッキーはたぶん黄色の鳥が原型。
左はピッキーの相方の女の子のキャラクター。名前は分からない。
http://tenrikyosyakaigakulabo.com/wp-content/uploads/2014/08/DSC03220.jpg 天理本通りは全長1kmくらいでとても長い。途中には信号機が2カ所ある。
]長いのでお店に入ってしまうと、どっちから来たか分からなくなってしまう。
http://tenrikyosyakaigakulabo.com/wp-content/uploads/2014/08/DSC03219.jpg 商店街を駅から神殿に向かうに連れて、お土産を買う子供たちが多くなってきた。
だんだんとイベント(お祭り)のような雰囲気がでてきた。
よく目につくのが「カレーファイブ」というキャラクター。
天理教が現在最も力を入れている物販の一つのようだ。
宗教団体の物販がカレー?という疑問点はさておき、見るからに甘そう。
(今回は試食せず)
http://tenrikyosyakaigakulabo.com/wp-content/uploads/2014/08/DSC03222.jpg やっと神殿に到着。すでに汗だく。イベント中とは思えないほど人が少ない。
写真には写ってはいないが、中学生のボランティア達
(少年ひのきしん隊:天理教版ボーイスカウト)がタダで冷たいお茶をサービスして
くれる。熱中症が
叫ばれている以前からこのサービスがあるのは天理教のホスピタリティ精神である。
http://tenrikyosyakaigakulabo.com/wp-content/uploads/2014/08/DSC03223.jpg 子供はイベント会場にいるため、神殿付近に子供は少ない。
大人だけで子供のイベントに参加するのは気がひけるが、
天理教本部のスタッフに聞くと神殿から一番近くは
「アタックワールド」という会場があるから行ってみてはと説明を受けて向かう。
http://tenrikyosyakaigakulabo.com/wp-content/uploads/2014/08/DSC03224.jpg 神宮イオン線(橿原神宮前駅〜イオンモール橿原系統)の運行について―平成30年4月8日(日)のみ―
http://www.narakotsu.co.jp/news/news_0848.html >>865
ティッカーには「天理都祁線・洞川線・下市天川線の運行についてお知らせがあります。」
https://navi.narakotsu.co.jp/
とあるにもかかわらず、下市天川線に関する情報が無い件はともかく、
view-source:http://www.narakotsu.co.jp/news02.php
「東大寺大仏殿・国立博物館」と「東大寺大仏殿・春日大社前」の停留所が、昔「大仏前」だったんだよな? 今年も終わります。悲しいけど晴れやかな年越し。
前にアップした記事が一ヶ月前。
まことに申し訳ない。
師走だから世間と同様に私も人並みに忙しい。
忙しいと言っても大したほどではない。
仕事柄、年度末の方が忙しい。 私が先週、先々週と忙しかったのは冠婚葬祭が突然2件入ったからである。
冠婚葬祭といっても葬なんだけど。
一つは私の組織の元トップが鬼籍に入られた。
昨春、社長を退任されたので隠居されたのかと思っていたが
会長職についておられたようだ。知らなかった。
会長すみません。 会社では、年明けに社葬を行うということになった。
元々は5日に仕事初めであったのだが、急遽5日は休みになり
6日からの開始となる。
私の同僚などは「こんな年末に亡くなられて大変だよ」と言っていたが
私はこれも会長の愛情であると思う。
もし仕事納め前であれば、会長の葬儀によって年末の業務能力は低下するであろうし
(仕事納めが伸びたかもしれない)
もう少し遅ければ年度末の決算業務に支障をきたしたであろう。
ちょうど年末年始という社会的休戦状態に突入したときに亡くなられた。
これ以上のタイミングであったと思う。おかげで仕事始めが延長された。 こんなことを言っては天理教の方に罵声を浴びせられそうだが、
「出直し」のタイミングというのはかなり人間的事情が優先されるのではないかと思う。
これを「たいしょくてんのみこと」やシンクロニシティと言って概念化してしまうと
「その人」性を埋没してしまうのでこの場合私はしない。
天理教の方に私が懐疑的になる点も同様である。まぁこれは後々。 今回の会長の逝去だけでなく、これまで私が経験した中で
惜しまれる方というのは亡くなるタイミングが非常によい。
もちろん、亡くなってよいことはない。
しかし事後的に「亡くなるのはあの時しかなかった」という時に亡くなられる。
このタイミングの良さは、故人のタイミングではなく
故人を取り巻く人にとってタイミングがよいのである。
そういった意味では故人から周囲への最後の感謝なのだと思う。
死ぬ瞬間まで周りに感謝していく人ほど周りに迷惑をかけずに亡くなっていくのだと思う。 よく「葬儀の参列者の数は、その故人を慕っていた人の数」というような
言説が聞かれることが多い。
しかしこれは本質的ではない。
故人が慕われていたかというのは、故人の思い出がいつまでも忘却されないことだろう。
反対に「嫌な人間」も忘れられない可能性は高い。
しかしそういった方は葬儀の参列者は多くてもタイミングは悪い。
最後まで「嫌な人間」としての腐臭をまき散らして亡くなられる。
もちろん故人への思いはいつまでも「嫌な物」として記憶される。 私もかつて嫌々参列した葬儀くらいはある。嫌々ではなくても業務命令や
役職などで社会的参列なんて嫌ほどある。
そんな葬儀は悲しくも何とも思わない。
酒を呑み交わしたことも、嫌味を言い合ったこともない、知り合いでもないんだから。
そして例外なく、慕われ惜しまれつつ亡くなる方というのは周囲に感謝できる方である。
亡くなった会長も同様である。そして私の祖父も。
最期まで、その感謝する気持ちを閻魔様や親神様が叡智界で受け取ったのと思う。 このタイミングの良さは、故人から私たちへの最期のプレゼントなのだろうと思う。
また神様から故人へのプレゼントであってほしいとも思う。
私のMourning workは長い年月を必要とするようだ。
また惜しい人を亡くしてしまった。 天理教はネット工作のお告げでも出してんのか?
いつまでバス板みたいなところで続けるつもりなんだ… 「集会」の原則は満場一致って・・・?
先週届いた天理時報の一面は「集会」について。
この集会であるが、私は初耳である。
天理時報のトップ一面を飾るくらいだから、
天理教人にとっては周知された会合なのだろう。
それは、会の主旨が天理時報に明確に書いていない点からも窺える。
天理教人にとっては「知ってて当然」のことであるが、
天理教人以外には理解しようと努めても分からない。
「集会ってなんのための会合なんだろう?なんでこんなに直線的なネーミングなんだ?」
という疑問を抱えたまま記事を読むが分からない。
70周年目を記念しているのだから天理教の運営に関して重要な役割を担っていることは
間違いないようだ。
私のように天理教のことをよく知らない人も天理時報を読んでいるのに説明してほしい。 この記事に関して、私は脳裏に2つのことを想起した。
1つ目はこの「集会」の持つ機能である。
全国から任命された天理教人が天理教の何かを決定しているのだろうが、
それはどの水準で機能しているのかという問いである。
前回俎上に挙げた「かなめ会」について、「かなめ会」で議論されたことであっても
教区や支部では議論ないという話を聞いた。
事情教会の整理というとても重要案件であってもである。
極端なことを言えば「集会」で話し合われていることはすでに上層において
「決定済み事項」なのかもしれない。
記事の中の「教庁側と集会員の談じ合い」という文言からは、
集会は表統領の管轄の諮問機関であるのだろうから、
教義哲学ではなく組織機能に関わることを談じ合っているなのだろう。
そもそも「かなめ会」でも事情教会の整理という件は議論されたは聞いていない。
表統領からの報告と私は聞いている。
だとしたら、天理教の組織機能を本当に議論されている場は、
非常に限られた人間であるということだろう。
それは真柱であろうか、表統領だろうか。
民主主義の体面をとっているが、実体はどうなのだろうか。
それよりも、まずは疑ってかかるという私の悪い癖だろうか。 2つ目は1つ目と大きく関わるのだが、天理教人の「談じ合い」という方法論である。
天理教人は談じ合いが好きである。
談じ合いは会議とほぼ同義であるが、異なるのはその意思決定プロセスに関して
「満場一致じゃなきゃいけないよね」という空気が漂うことである。
それは「みんなで決めたから、みんなで頑張らないといけないよね」
という民主主義的な感じのことである。
そして個人的経験として私は天理教人の談じ合いに関してトラウマがある。
昔、定期的に天理教人の会議に出席を求められたことがある。
私は実務的な専門家アドバイザーとして参加した。
そこでは夕方から始まり、時には日付が変わるまで会議をした。
様々な議題が議論された。
しかし結論はすでに決まっていることが多いか、
議長の意向のまま議決になることが多かった。
時には激しく議論が対決されることがあったが、そういう時に限って議長の
「神様はこう言っているのだ」という恣意的な教義の引用が披露され、
我々は口を奪われて、その引用のまま一気に議決される。
もちろん議長が信仰的に一番エライ人である。
そういうことが繰り返される中で私は「こんな会議、意味ないじゃん」と倦怠し
会議には参加しなくなった。
その時はまだ私も若かったな・・・。 私が一番嫌悪するのは、民主主義でも独裁でもなく、
民主主義の名を利用した独裁である。そう北朝鮮みたいな。
そういった意味でも「集会」において多数の参加者から満場一致という決定を得る
プロセスが非常に気になるのである。
これは天理教だから気になるのではなく、
もし多数の参加者を満場一致で議決にできるのであれば是非その方法論を教えてほしい。
数年前に企業ではコーチングという言葉がもてはやされた。
コーチングとは企業で人間をコーチ(育てる)するということである。
そのコーチングの成果は主に「会議の方法」に民主主義が導入されたことが
大きいと聞いた。
つまりコーチングが導入される前は会社の意思決定は「エライ人」によって
行なわれてきた。
しかしコーチングの導入によって、会議の議決は無記名発言や無記名投票、
ステイクホルダーの除去が当然となり、
その結果「若い人がやりがいと責任を持つようになった」と聞いたことがある。
会議の場において上司や自分を評価する者がいれば、
円滑や自由な発言はできないのは誰もが経験したことであろう。 それを「最近の若者は主体性がない・・・」と括ってしまっているようでは
外部企業評価は「成長の見込みがない」となるだろう。
閑話休題。信仰的上位にいる人(エライ人)が、
満場一致と言っていることを私は信じることができない。
それは信仰的下位の人間が言うことに信頼性がある。
震災の原因論に関して天理教では「高山の傲慢」(上にいる人間の傲慢)という
言い方が一部の偉い天理教人から聞こえた。
しかしその言葉が天理教の高山からしか聞こえて来ないのと同じ理路である。
もちろん天理教は政治ではないのだから、独裁であっても構わない。
独裁という強いリーダーシップの政治手法が国家を支えていることは
世界を見れば一目瞭然である。
どうしても独裁=悪いというイメージがあるが、
それだけでは民主主義が良いという説明にはならない。
民主主義にも欠点は多くある。
ということで、天理教の談じ合いに関して私は非常に懐疑的な見方をしている。 集会に関しては公式HPにも70周年の記事があり、
集会の説明もあったのでだいたいどんな会なのか想像できるんじゃないかと思います。
http://www.tenrikyo.or.jp/jpn/?p=4072 ここにも書いてありましたが、
「集会はあくまでも談じ合いの理を生かす会合で、
国々所々の教会の代表意見を持ち寄って、
それから教会の行動を協議することが集会の意味である」
とあるように“談じ合い”が大切なことだと天理教ではよく言われています。
意思決定において談じ合いというのは効率も悪く、
なかなか決まらないこともあると思います。その点、議論して意見が
出尽くしたところで多数決で決める方が効率もよく民主的でいいと思います。 しかし多数決では「6:4」の割合になった場合、4割の人が反対しているわけで、
いくら民主的に決まったとはいえ全体の半分近くが納得いかないことになります。
私自身は談じ合いというのは、何かことをするにあたって心を一つにする過程であり、
なぜ賛成なのか反対なのか、どうしてそう考えるのか、
どうしてこれではいけないのかなど、
よく話し合って皆の心を一つにそろえることが大事だと思っています。
結論も出ず、お互いに理解もできず、
上記の多数決のように半分近くに意見も割れている状態などは、
まだ談じ合いが進んでいるとは思えません。
心を合わせ一致団結してできる状態になっていないのに多数決で押し切って
無理に進めては、いい結果は出ないと思います。
私自身は談じ合って結論も出ず、皆の心が一つになって、
ことにあたれないと判断したら、「継続審議」か若しくは「旬が来ていない」と
判断してやめると思います。“談じ合い”とは天理教用語というよりは、
人が生きていく上で必要なことなのではないかと思います。 ありがとうございます。
公式HPを見ました。集会は教庁の定例会議とどう違うのでしょうか。
やはり機能が理解できません。
想像できるでしょ?と言われるのであれば、
形骸化した出来レースと自己満足しか想像できません。
私は会議に絶対的上司がいれば、反対意見を持っていても言えません。
守るべきものがある方ならそうせざるを得ないでしょう。 分かりやすく説明していだき感謝します。
理念としては大変分かりやすいのですが、
「心を一つに合わせる」という意味の行動的解釈を説明していただけると
よりクリアになると思われます。
話し合いで結論が出ないから多数決となるのは功利主義の手順としては
当然ではないでしょうか。
多数決を行なうということは、
少数派は切り捨てられるというのを同意書名したことになります。
それを「心を一つに」や「旬がきていない」と輪郭をぼやけさせて
上から目線で判断をすることこそ、強者の思うままに議決をコントロールする
傲慢ではないでしょうか。
「心が一つになった」「旬が来た」と強者が判断することに信頼性は保証されません。
私はそのような恩着せがましい言葉に、まさしく民主主義を冒涜され疲労したのです。 いつもご丁寧な返信をありがとうございます。
数日前からちょっと調べたいことがあって「天理教集会史 第二巻」を読んでおりました。
そこに集会の歴史や名称が変わってまた戻ったことについても書いてありました。
二代真柱のお言葉には「集会は談じ合いの理を生かす会合で、
その主な内容は本部の運営に衆知を集めること」とあります。
教庁の定例会議がどのようなものかは知りませんが、
集会のメンバーは全国各地の教区から推薦された47人の集会員で構成され、
そこに表統領をはじめ本部の先生方もいて話を進めている会のようですね。
この本を読むと全国の集会員から、かなりつっこんだ質問もあり、
それに関する部署長も呼ばれ回答したりすることもたくさんあるようです。
ある若い教庁勤務者に聞いた話ですが、
表統領もかなり緊張して発言もかなり慎重だと聞きました。
全国の分教会長や教区長をされている方もいるわけで、過去の代表質問、
懇談事項を見ると教庁予算について、本部の運営、布教についてなど
様々なことを話し合ってきたようです。
集会員から本部役員に厳しい質問も来るようです。 私自身は「会議」と名のつくものは苦手で、
できれば出たくないものだと思っております。
話す内容によっては急ぎのことや白黒つけなければならないこともあると思いますが、
時間的リミットまでは談じ合うようにします。
「談じ合う」というのは私の中では心を一つにしていく過程のことで、
罵り合うことでも批判することでもなく「本質を皆で究めていく」ことじゃないかと
考えています。
クリティカルな視線も大事ですし、人の意見をよく聞くことも大事だと思っています。
自分の考えと違う人にはなぜそう考えるのか、
どんな事情があるのかなど詳しく聞くべきだと思っています。
外交でもそうですが、仲よく円満にというより、最初から合意などはなく、
話し合って妥協点を探っていくこともあると思います。
ただ、その妥協点を探るにしてもお互いが納得できるように「談じ合う」ことが
大切な気がします。そして「談じ合える雰囲気」を作ることも大事だと思っています。
権力のある者が一方的に流れを作り、
勝手に「心が一つになった」「旬が来た」というのは私の中では論外です。
形骸化した会議体はなくすべきで、名前は「会議」でも絶対的な強者が司会で、
意見を言っても仕方がないものなら「報告会」と名前を変えるべきです。
(字数制限いっぱい?) 現状分析はできないと思います。
その一端を申しますと、集会員は教区の代表という立場であっても、
教区管内の教会が自主的に選出するのではなく、
教区長の推薦によって立派な神殿のある分教会長が決まるのです。
集会員を推薦する教区長は、
本部の表統領が真柱の認証を得て決めることになっています。
ということは、選挙によって決定されるシステムは一切ないので、
集会員が上に都合の悪い発言をしたり批判したりすれば、二度と推薦されなくなり、
上に都合の良い集会員だけが残って、
突っ込んだ議論はせずに満場一致で決まるというわけです。
法律で運営されるのが民主主義ですが。教団の場合、民主的に選出された集会員が、
原典を基準として議論すれば間違いはないはずです。とりあえず以上です。 全国に、賢い共産党議員もいるのに、佐々木君は
8期もやってる割には視点のずれたこと言う輩やの。 >>895
なにかばらされると都合が悪いの?天理教信者さん。 >>898
安心しろ、俺もいる。
「東本大教会」の法被着て天理市内循環のバスに乗ってる男がいたらそれは俺だw 4月から柳生スクール水越神社線が午後の片道のみになってるけど、朝はどうしてるの?
奈良交通じゃないスクールバスがあるの? (みちのものがたり)
日本最長路線バスの道 奈良県〜和歌山県 神経すり減らし山中167キロ
2018年4月7日03時30分
奈良交通の運転手、吉川晶弘さん(57)がゆっくりアクセルを踏み込む。
午前9時15分、始発の大和八木停留所(奈良)を、日本一の長距離路線バスが出発した。
*
このバス目当ての乗客はすぐわかります。出発の前から何枚も写真を撮っていますから。
でも、全区間を通しで乗る人はめったにいません。
https://www.asahi.com/articles/DA3S13437575.html >>902
片道はバスで、片道は親がクルマで送迎。北海道などで良くある。でもその場合は片道定期を売るけど奈良交通はどうしてるの? >>903
天理教はお賽銭箱が大量に置いてあるらしいね(笑) なんで長谷寺駅から長谷寺まで徒歩15分が440円するんだよwww
桜井〜長谷寺か、長谷寺の拝観料混みならわからんでもないが。
しかもバスが25分てあんな短距離てなぜ?渋滞してるから? とりあえずそれは桜井浄水場経由らしいが、なんであんなに大回りなんだ?
走行距離だけなら値段は妥当だろうけど…裏側に車窓がよいところでもあるから? >>906
分教会でも三箱あるねw
奈良交通の運賃箱も「賽銭箱」に名称変えたらいいのにww >>911
奈良交通から天理交通を分社化して、天理教に出資してもらって、賽銭箱を置けば良い。 流石金にがめつい天理教
集金協会の異名は伊達ではない
最近不景気でみんな脱会しまくってるけどな >>912
制服も「天理交通」と書いてある黒ハッピにするのか?w
で、車内広告スペースは天理教系列の企業(めいらく)や学校の広告(天大・天理看護学校・修徳学園)や真柱の顔写真で埋め尽くすようにして >>914
車内清掃、車体洗車、バス停周辺の清掃は、ひのきしんで。 奈良交通の不採算路線はお供えとひのきしんで運営されてます 代走で 中間解放だと退勤から出勤まで 8時間あいてなくてもよいって 考えられない
睡眠時間は短いから 眠くなるはず!
眠い眠い! レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。