お供えの袋は署名入りのため、教会の人間には誰がいくらお供えしたのかは明白である。
そして金額が高いと「いい信者」で、
低いと「頑張っていない信者」となることは当然の帰結である。
天理教がヤクザやネズミ講と例えられるのは、
こういったピラミッドの上下システムにあることは間違いない。
天理教は別名「搾取の天理教」と昔から言われているのは
こういったシステムが原因であろう。
おつとめの歌の一節である「悪しきを払うて助けたまえ」を
「屋敷を払おうて田売りたまえ」と変換され、
屋敷や田んぼを売ってでも金を作ってお供えしろという
天理教を揶揄する言葉が昔からある。
しかし署名入りのお供えなど、こういったシステムが今も残っている以上、
現在も「搾取の天理教」に対して反論はできない。
「お供えは強制ではない」という天理教の人間がいたら、その教会の
お供え金システムに匿名性が保証されているかをきちんと確認した方がよいだろう。