>>542
元々日野といすゞが綺麗に分かれたのは乗合が昭和40年代後半、貸切は昭和50年代前半であって
昭和50年代末には貸切予備車として経年のいすゞ貸切車が群馬県内に配属された事もあり
そんなに長い間ではありません。
昭和40年代中盤には平地のかなりの範囲で日野といすゞは混用されていたようです。
ただ昭和40年代中盤と昭和50年代後半、そして平成初期に車種統一を考慮した大移動があった為
どの営業所はいすゞ指定、日野指定だという説になったのでしょう。

推測ですが近年の混用は営業的な補償もあるのでしょう。
都内に日野HRを入れた代わりに埼玉の日野を使用している営業所に
いすゞLV(新7Eノンステ銀サッシ)を入れたようなものです。
ノンステがATのブルリIIよりMTが選べたLVの方が都合も良かったでしょう。