昔の大阪市営バスを語るスレ
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本スレで立ててみないかとの話が持ち上がったので、試しに立ててみました。
昔懐かしい大阪市バスを語るスレです。
関連スレ
大阪市バスを語ろう【27[上新庄駅北口]守口車庫】
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/bus/1294846067/ (ス)大運止は最後の最後までお手製行先だったね
方向幕を用意せず定期運行は当時の大阪市らしくない
大阪市営バスの後ろのステッカー式の広告昔はどんなのがありましたか?
今は
中津 豊○商店 キン○ソース キム○ギャラリーなど
守口 豊○商店 キン○ソース キム○ギャラリー も○えん ○斗 フレック○動物病院など
井高野 豊○商店 キム○ギャラリー など
東成 豊○商店 キム○ギャラリー 田○屋 など
位しか思いつきません。
質問です。
88系統沿線に住む者ですが3、40年前に88大阪駅前、107天満橋、92野田阪神前行きに混じって極少数、小型バス(中央に折り戸)が「巡回」って看板(ゾーンバスのリスマークと同じ感じ)を掲げて走っていました。
もう一点、当時の九条車庫(境川)から同じ路線バスを走る定期運用バスより明らかに前世代の古い車両で朝8時前位から2〜3台連なって川口方面に向かって走るバスを何度か見かけました。
もちろん時刻表にも掲載されていないのに行き先幕(うる覚えで「×××?丁目」だったような・・・)も掲げていました。
以上、どのような経路、行き先で走っていたのでしょうか?
ご存じの方、ご教授下さいませ。
書いていて少し思い出しました。
「×××?丁目」の××は確か「中津」だった様な・・・
よろしくお願いします。 大東市の30年ほど前の住宅地図に、阪奈道路上のバス停
に、近鉄バス・大阪市バス諸福バス停と案内されています。
おそらく、住道駅前か寺川から現在の36系統がでていたのでしょうが、
そのときの行き先や運行形態などご存知ではありませんか?
25年位前の我が家の古い地図に、歌島橋BT−加島−神崎橋と言うルートの
支線94と言う系統があるんだが、これっていつ廃止になったんだ?
今から考えると歌島から神崎橋へ向かう路線って需要があったのかと思うがw >>127
支線94号はJR東西線開通時に廃止だったと…
幹線38号との連結系統になっていたと思います。 >>127
歌島橋BTが出来る前は、112系統・野田阪神前〜歌島橋〜加島〜豊中インターチェンジを結ぶ伊丹線だった。
郊外線扱いだったから、加島までは市内運賃だが、加島以遠は加算運賃。
その後70年代後半に野田阪神前〜歌島橋〜加島〜神崎橋に経路変更されて幹線112系統。そして歌島橋BT完成と共に幹線38系統と支線94系統に分断。
元を辿れば、大阪市交通局では珍しい郊外線の成れの果て。 うーん。なぜ聞いてもない事(時代)に答えるんだろう。
珍しいといっても7つばかりもあるし。 >>126
136号系統
大阪駅前ー住道駅前間の事ですね。
交通局が保存しているゼブラ車の経路図には載っています。
なので廃止になったのは昭和40年代後半、昭和50年前後かな。 >>130
そういう事を言い始めると
こういうスレは成立しなくなる。
興味なければ読み飛ばせばよろし。 やはり車内回数券自販機のストックはないのだろうね
もしあればゼブラ車に設置してこっちも見てみたい
色は、一昔前に大阪市パッカー車みたいな色だったと思う >>131
ご回答ありがとうございます。
136系統ですか・・・。
やっぱり大東市内でも、大阪市バスと近鉄バスの競合があったんですね。
近鉄バスが梅田天満橋に乗入れできる事と引き換えに、市バスが市外に
乗入れさせることで、均衡をたもっていたんでしょうね。
>>123
巡回はそのまんま区内巡回バスだと思います。昭和50年前半に10系統
くらいあったようです。境川あたりでは旧69号なんば-大国町-三軒家-
九条南二丁目でしょう。
「××○丁目行きはわかりません。九条車庫前発着で時刻表未掲載と
いえば「-大正橋-鶴町4丁目」が有名ですが、川口方面で、中津○丁
目となれば??? 中津への回送営業? 2002年の赤バス導入改正でBANされた恵美須町経由のなんばー天王寺線ですが、
実際どのくらいのダイヤで、どの程度の需要があったんでしょうか?
昔の路線図みてて、「あったら天王寺から電気街直通で来て便利そうなのになぁ」と思ったんですが。 >>137
52系統、晩年は1時間に1〜2本だったと思います。
日曜の正午前後に乗ったときは、難波の場外馬券(当時)に行く
おっちゃんが1〜2人、恵比寿町で降りるいかにもでんでんタウ
ン目当ての人1人にお年寄り数名くらいが乗ってました。
蛇足:
旧100号の「あべの-なんば」はもろ日本橋電気街経由で、高
島屋の東側を通ってなんばへ。こっちの方が早いし需要ありそ
うなのに、早くにあぼーんしてたようで。 恵比須町通るのは87、1h1〜2本
100はなんば〜長居車庫、1h2本
南街会館前のバス停懐かしす
>>139
52じゃなく、87でしたね。間違いました。失礼。
赤手拭稲荷前まで大回りしているのが当時?でしたが、
旧特87のあみだ池筋経由-大阪駅前行きの短縮後に特が
取れて、同時に旧87なんばー天神橋筋6丁目廃止により、
87になったようで。 またまた間違い。お許しを。
気になって特87調べたら、大阪駅まで行かずに堂島大橋でした。
折り返しはどこを通っていたのかな? >>136
回答有り難うございました。
そう言えば九条南二丁目行きって見かけた様な気がします。
なんば始発だったんですね。
>中津への回送営業
当時、九条には既に在籍していなかった「いすゞBU車」が使用されていて
地域では珍しい車両だったため記憶に残っています。
しかし「いすゞBU車」による中津の88運用等もなかった様に思います。
行き先幕も回送幕じゃなく、停留所でも一応客扱いのドア開閉をしているみたいでした。
でも、実際は時刻表に記載が無いため乗る乗客も無く(運転手も恐らく乗る客なんていないだろう態度で・・・)中央車線寄りに一時停止程度の通過扱
いで走り去っていました。
でも、車内はつねに6割程度の乗車率でした。
友人は「幽霊バス」って名付けてた位かなり怪しいバスでした。
今考えると市バス関係者の通勤用だったのか・・・
余談ですが当時、通学で88や107に乗ってましたが背丈が異様に低く座席がボックスタイプ、車番がぞろ目。
皆「ラッキーバス」とか「お見合いバス」って呼んでました。
>>134
>一昔前に大阪市パッカー車みたいな色
これがどういう色か分かりませんけれど、
単純に水色でしたよ。
側面、縦に赤文字で「自動回数券売機」と書いてありました。 >「自動回数券売機」
なつかしいなぁ。
たしか200円くらいで切手シートみたいなのが出てきたね。 「しずかに」マークをコピーしたものが平野区役所東行に張られているが
そんなに古いモノではないので、本局にマークの原本が消滅せず未だあるってこと
>>145
何で平野区役所前だけ掲げてあるんだろうね>「しずかに」 昔は堺筋にたくさん市バスが走ってましたな。
電気街がら直接家の前に帰れてそう。 >>144
私が覚えていてもっとも古いのは、5円回数券。
ググってみたらそのものずばりのブログ記事を見つけました。
ttp://fuzzyphoto.blog120.fc2.com/blog-entry-930.html
…なつかしい。
確かに5円券x21枚=105円分を100円で。
後に10円券x21枚=210円分を200円で販売していましたね。 車内回数券券売機はよく覚えてます。ちなみに近鉄バスは運席うしろにありましたね。
市バスが多区間運賃(市郊外へ行く系統)は整理券方式だったと思うのですが、整理券持ってる方いませんか?
ぐるぐる回る運賃表の記憶があるんだけど、整理券の記憶がないもんで。
市バスでは整理券と呼ばずに整理票と呼んでいました。
整理票搭載車は多区間運賃専用の運用でしたがたまに均一運賃運用に入る事もありました。
発券機、幕式の運賃表、料金箱にはサボ式の運賃案内がありました。
逆に均一運賃車が多区間運賃に入る事もありその時は信用乗車でした。
運賃が完全均一運賃になった際、発券機と運賃表は外されましたが
運転席のダイヤル式発券機コントローラーや
後扉の戸袋ガラス内側に貼られた乗車時は整理票を取るようにと書かれた
案内シールは廃車まで残ったままでした。 >運転席のダイヤル式発券機コントローラー
75年式が最期くらいかな
廃車までダイヤル残ってた車輌いたなぁ 更新時に撤去しそうな感じだが
(住)U20ですが ほんま懐かしいですね。
S53年車(大阪の3000番台)まで運賃表は付いてましたね。
整理券発行機はその後、前扉横へ移動し、乗り継ぎ引換券発行機に使い回しされてました。黄色の発行機ではなく、かなぶん色でした。
>かなぶん色
おっしゃる通りの妙な色合いでしたな
堺東へ行くときお世話になりました そういえば、かなぶん色と黄色のゾーンバス乗継券発行機が混在していた時期あったね
区域(操車別)スタンプだったかな 最初は黄色の奴はなくて流用かどうかはわかんないけど
(数的には流用じゃないのも含むことになるのかな)も
全部カナブン色な気がする
市バスの営業路線で最短なのは旧支線7出戸バスターミナル〜出戸
バスターミナルでしたでしょうか? >>158
ありがとうございます。
付けたしですが、入出庫系統を除いてということで。
そういう意味ではコスモスクエア近辺や相川駅のあの路線、
旧38の歌島−野田阪神なども候補かな。 境川〜辰巳橋〜弁天町BTとか
その廃止後、境川〜市岡元町〜弁天町BTとかいうのも 弁天町BT〜弁天ふ頭の区間便が一番短かったようです。
こういうのは入りませんか?
弁天ふ頭は廃墟になってしまってるからなー
年末や盆に四国、九州への帰省客でごったがえしてたあの頃が懐かしい
>>162
区間便込みなら一番短かったのかな。
>>160の東淀川駅〜新大阪駅東口のが短かい感じもするけど実際のところどっちなんだろう。
区間便を除く、全区間で言えば>>161の境川関連の系統とか、
支43福町〜佃六なんかも短い部類かな。ゾーンバスの開始時は湯里六〜住道矢田とかあったけど
ゾーンバスで幹線と支線に分ける意義はそれ相応にあれど、あまり短すぎると却って非効率で
結局は廃止されてる運命にあるな。 今もある 3B 出戸BT〜川辺 も大概短いんでない?
既存路線で言えば、
2(出戸ターミナル→長吉車庫)とか、
95(上新庄→豊里団地)とか、
82(西九条→高見1丁目)
あたりも短いね。
過去の路線だと、
新深江経由時代の67(今里駅→新深江→東深江)とか、
統合前の17(コスモスクエア駅→見本市会場東口→コスモスクエア東)
その派生系統の17A(コスモスクエア駅→ポートタウン東駅)
あたりも短距離系統に入るね。
東淀川駅〜新大阪駅東口は確かに恐らく一番短いですが、
最終一便程度だけではなかったかな?
弁天-弁天ふ頭も除くともやはり支7みたいです。
ちなみに41Dは東淀川駅〜淡路5の朝夕便じゃなかったかな。
現存かつまともな路線では、95が短いんだけど、復路の場合だけなんだよね。
3Bは、約2キロですね。 海遊館〜駐車場のピストンとか
天保山操車で、乗務指示も一般路線と同じように出ていた。
内部的には認められた?1つの系統だったんだな。 手元の資料をみていると、今はじめて存在を知ったんだけど、
地下鉄長居−矢田西通り1丁目(現・長居公園南口)というのが
あったようで、かなり短い筈。
あと存在はしらないけど、新森から緑循環だけの系統がありませんでしたか? 地下鉄長居〜南長居というのもあったな。
24号が住之江から長居へ来て、折り返しがてら南長居をループしてるのかと思いきや
地下鉄長居発着も存在する点で、単なる折り返しついでのループでも無いのか、と。 新森七丁目東→緑一丁目は?
新森七丁目東から新森操車または古市車庫に回送する際の区間営業
時刻表には緑一丁目止表示
緑一丁目交差点西側に専用のおりばと方向幕も存在した
90年の鶴見緑地線開通大改正で新森七丁目東が終日ループ運転になったため消滅 ↑いかがとは何が? 最強とかの例え意味不明だし
最短路線の話なら、そうじゃないのは明らかじゃないですか。 数少ない行き先をわざわざ見に行ったおもひで。
支1乙六反西口
幹3地下鉄西田辺
特54鷹合三
大阪城ループていつまで走ってたのかな。大阪城公園に乗り入れていたんですよね? 逆に長い路線はどこだ?
昔は特93井高野車庫前〜福町だったが‥‥‥‥。
一時期臨時運行されていた【Loop】だっけ?、大阪駅前から市内各所を回り大阪駅前へ戻る循環バスも長かった気がするんだが。 >>176
「るーぽ」だよね。
西工のツーステ、バケットシートではないハイバックシートの車両が充てられていた。
細かな経路は忘れてしまったが大阪駅前からなんば、フェスティバルゲート、
あべの橋、大阪城を経てまた大阪駅前に戻っていたように覚えている。
運転台の後ろにLCDによる次停留所の案内装置が特別に設置されていた。
当然停留所で接続する地下鉄の駅名と駅ナンバリング表示もあった。
車内放送は一般路線の声の主とは違う特別仕様、ただし後部のドアから流れる声、
及び「発車します」「つぎとまります」は一般路線と同一。
バス⇔地下鉄、バス⇔バスの乗り継ぎも一般路線バスと同じく適用されていた。
62号系統が大阪駅前まで延びる以前に大阪駅前→あべの橋を利用してみたが、
観光路線ゆえに所要時間はすさまじく、あべの橋まで90分以上を要したように覚えてる。
るーぽ運行終了後、そのバスはラッピングがはがされて再び一般路線に就いたが、
何故かLCDは取り外されなかった。
1年だけ導入されたバケットタイプではないハイバックシートももうお別れか・・・。 >>176
現行の路線だとこんな感じ
62 大阪駅前−住吉車庫 約12.1km
86 上新庄駅前−布施駅前 約12km
3 地下鉄住之江公園−出戸BT 約12.2km
35 守口車庫前−杭全 約10.9km
23 上本町六−出戸BT 約10.6km
(距離はGoogleMapによる概算、多少の誤差含む) だから、93号系統だってば。14`超えてるんだから。
すいません。
いまは十三を直進するようになったので
正確には14`未満かもしれません。古いデータなので。
いずれにしても現行では一番ですね。赤バスを除くと。 >>180
現行トップは統合された62だと何処かで見たぞ。
次点が93,86あたりだろうか。
「最長乗り継ぎ」なら、この2つの乗り継ぎがトップで間違いないだろうけど。 >>181いえ、62号は12`程度ですので。
処かのその情報は102号と旧62号を単純に合計されたのかもしれません。
102号は上六→(大阪駅)→上六で計算されていた時期もあるので、
それを元に単純に足すとおかしくなりますので。 >>100
オソレスになって御免
尼崎が大阪の電気バス(角張った車体)購入したのは、昭和24-25年頃だと
記憶します。
帆布張りの硬いシートでスプリングも硬かったですが、出屋敷‐武庫之荘の
路線で乗車しました。塚口行や出屋敷‐鶴町にも運行していました。メーカーや
輌数などは覚えていません。
24年にはいすゞのデイゼルが入って来たので使用は短期間だったです。
>>183
失礼ですが>>183さん、あなたのご年齢は・・・?w >>177
そうですそうです。
なんか専用の時刻表入り路線図パンフレットまでありました。
しかし一回全区間乗ったが、あれは疲れました。
確かAPECか何かの国際イベントに便乗しての運行だった気がします。
【るーぽ】運用終わった後は、あべの北操車で時々見かけて、あべの発路線の運用に入っていた気がします。 >>178
上新庄〜布施は、37井高野〜大阪駅とだいたい同じ距離。
意外や意外、イメージほどは長くない。守口車庫〜杭全とも大きくは変わらないからな。
鶴町関連の路線も、大正区内に入ってからが結構遠くて、総距離の数字が大きい。
感覚的なレベルで言えば、閑散時間帯でも起点〜終点が30分以上掛かる路線が長く感じるのかな。 >>186
86は登場したとき、幹86と支27の合体で
上新庄と布施という繋がりの薄い地域が直結されたので、あたかも長大路線が誕生したかのように言われたので
未だにこういう長い路線を語る際に名を連ねるけど、
10キロを超えれば長大と言える市バスの中では長いと言えるが、かといって
1位2位の順位を挙げるときに特段、名を出すほどの長い系統でもないんだよな。
かつてからある系統で、86くらいの長さの路線は、他にも幾つかあったりで。
大阪駅から市境近辺へ行く路線は86と似たり寄ったりの距離があったり。 梅田から市の果てまでって言うと、
36(門真南),59(ヨットハーバー),97(神崎橋)、37(井高野)、かつての79(北港2)あたりか。
まぁ、36や59は平気で1時間とかかかる時もあるもんね・・・ 62号は長いというが、実は15号よりも短いんですよ。 白黒って?
現存では最長93だし最短は95の復路だよ。
すでに出ている系統に関してはデータはあるよ。
ただ、どの時代の話をしてるのか。時代によってはそれ以外に系統があったのか
最短はどこまで(出入庫や臨時便に近かったものとか)入れるか、
往路・復路の違いをどう判断するのかの問題だけ。 この>>190の図中の数字って百メートル単位で良いのかな?
だとすると、34って、7.6キロもあるのね。意外とあるね >>191
そのデータソースを出さないから問題な訳だが >>176
OCAT 〜 関西空港
のようなものは除いて、って話でよいね。
交通局の歴史を遡って、関空のリムジンを除く最長路線はどこだろう?
やっぱりあべの橋〜豊中だろうか。 俺は詳しくは分らんが、なんか89以外で堺のほうまで行ったこともあるって聞いたぜ?
それとかも結構長いんじゃない? 時間があったので調べて見ました。
111豊中−大阪駅で約11`なので、あべの橋まで営業していた時代の
が最長だと思います。因みに循環系統を入れると旧15の加美−平野区役
所−加美の約28`。
短い路線は臨62地下鉄長居−矢田西通一丁目約1.1`、次いで
弁天ふ頭−弁天町駅約1.4`。(循環系統である支線7は約1.7`
中間点の東出戸までと見る場合は1`未満にはなるけれど)
弁天ふ頭−弁天町駅より弁天ふ頭−弁天町BTのほうが短いよ。
復路に至っては、地下鉄長居−矢田西通一丁目よりも40m短い。 >>190
あの図は定期の距離計算用で、必ずしもルートどおり辿られてない場合もあるから
厳密にいうと実際のキョリ程とは異なる(短めになる)。
まあ目安にはなるけど。 4枚折戸バス動画
ttp://www.youtube.com/watch?v=xzJ97cPCrlg 同一停留所扱い関連の停留所間0距離扱いもあるし
道路制約による迂経路やその往復差とか反映されてないからね。 俺の頃は力強く見てた回送車の大阪市営バス見てます。 力強い定期券のヤツは大阪市営バスの乗車券持ってる俺です。
昔ごろ37系統大阪駅前〜井高野車庫前行きに乗っています。 時間があったので調べてみました。
昔ごろ111系統大阪駅前〜豊中行きに乗っています。
昔の頃旧15系統加美〜平野区役所前〜加美行き(循環系統)に乗っています。
昔ごろ臨62系統地下鉄長居〜矢田西通1丁目行きに乗っています。 俺の頃は今89系統地下鉄住之江公園〜堺駅西口行きに乗っています。
堺市へ乗り入れて行ったこともあるって聞いたぜ?
それとかも結構長いんじゃない? >>200
車種以外は今と何ら変わらない風景だけどあと数年でここも激変するな >車種以外は今と何ら変わらない って
すでに路線そのものが廃止になってて
そこをバスが走ることがないんですけどね。
高架になることしか頭にないようだけど。 中央大通りの港高校付近にバス停があった記憶があるがどんな路線だったんだろう? 今は無き定期観光バス路線 1008号系統 ガーデンGコース
66`が最長 ルートはOMM−大阪城−市内巡行−万博記念公園 画像みる限り、東淀川区の何処か。
支線41のバスの前に、もう一台バスあったから。阪急崇禅寺駅付近かと事情知らずに勝手に想像。
多分外れてるやろけど。 >>209
支105 境川〜辰巳橋〜波除〜弁天町BT
という短距離系統があったようで。
それ以前には
特53 大阪駅〜堂島大橋〜川口一〜弁天町駅〜弁天ふ頭〜港晴北〜天保山
というのも存在したようだな。 今でこそ、弁天町以東の中央大通を走るバスは無くなったけど
地下鉄並走を嫌う方針の大阪市営にあって随分長い間、中央大通を走るバスは存続されたようだね。
88なんかも、みなと通経由で若干地下鉄と離れてるけど並走みたいなもんだし。
中央線が都心直結した時点で、減便とかの措置はあったのかな?
で結局36などが歩んだように、無理矢理な地下鉄誘導が不評で、結局は元に戻るという経緯とか? >>218
港区の場合、バスよりも以前に路面電車の存続で紛糾があったみたいだね。
中央線が都心直通するも、地下鉄だと割高になると。
88はその路面電車の代替的な含みもあったようだ。さすがに路面電車廃止後40年ほど
経ってるので、今はもう代替路線というような認識は局内にも無いだろうけど
地下鉄の開通に伴い、路面電車は順次廃止されていくわけだけど
港区の路線は大阪市で最も早く開業した路線ながら、
地下鉄にとって代わられ最も早く、廃止されてしまった。
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