幼いころ早気だった本多利實は、ある時父利重から「竹林派は他人に継がせるからお前は弓をやめて学者にでもなれ」と告げられた。
諦めきれなかった本多利實は10日だけ猶予をもらい、その間に見事に早気を克服したという。

また仙台藩弓術指南役の家に生まれた遠藤時習も早気だったが、母から「そのような弓では先祖に顔向けできない。せめてその手で母を射殺し、自らも切腹して面目を立てるがいい」と言われ、とうとう母親を射ることになった。
この時、さすがの早気もなりを潜め、母を射殺すことなくそのまま雪荷派の極意に開眼したという。

ということで覚悟次第で早気を克服できるみたいだからお母さんに協力してもらおう!