弓道総合スレ 四十二立目
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>>100m走で金メダルとって、フルマラソンで
煽る気はないんだ。
純粋に種目として捉えてるんだから、やっぱり素直だと思う。きっと良い選手だったのだろうな。
良い従業員が来るといいね、応援してるよ >>592
暖かいところで午後の紅茶ホットを手にもってぼーっとし続けたい
>>593
良い従業員が来るといいねwww応援してるよwwwwwwッウェヒ
これあおってないの?!? >>594
煽ってるんなら本当にプライドに関わるような競争をしたことが無い人なんだろうし
煽ってないなら会話が下手なんだと思う。そんくらいだな。
いい時期でオリンピックやってるわけだがああいうの見て感じることがない人なのかもな。
ちなみにぼーとってのはそういう和んだ話じゃねーぞw
勉強できない学生生活→部活も3軍→仲間は微妙な同レベル→就職は採用してれる介護系
理由は将来市場が大きいとか聞いたから→腰をやって2年で退職→腰やってるので激安事務職→
→友人は同レベルなので全員疎遠→恋愛もダメもしくは相手も同レベル→仕事もスキルが付かない
→40才→50才→55で早期退職→再就職できない→年金もまだでない→生活保護→年金がでる
→生活保護10年で既に焼け石に水→さらに生活苦へ→70才→80才→低レベル介護施設
みたいな。
途中なにかに努力してるとその部分だけでも自信をもっていられるだけど
それが普段からの ハリ になってその人ってものを構成するんだよ。
70才の生活保護のお客さんがいるが、頭真っ白になってから除染作業に福島行ったよ。
返ってきて二度とやりたくないって言ってたけど、薄暗い早朝にコンクリート蓋剥がして
自販機の前の側溝から小銭拾ってたらしい。
弓道とは一切関係ないけどなwwwwww 射即人生とかも昔はうさんくさい言葉だと思ってたけど、
年取ると何となく分かるよな。
精神論だけじゃなく、自己管理とか目標達成プロセスとか、
その辺含めたマネジメントスキル的なことだと理解している。
まぁこれも弓道に限った話では全然ないんだけど。 めっちゃウキウキしたレスきて楽しそうで良かったのだ
>>596
だな、四本目抜くやつはスケベ 『人生はリベンジマッチ』
↑
名曲、ユーチューヴ検索 >>598
素直に聞きに行ったら「2chで宣伝すんなカス」とか低評価とかついてたんだが
騙されたのだ
そういえば高校の選抜終わってるな(遅)と思って見に行ったら
ゆーすとの配信動画は試合後30日で削除になってるし
もうなんなの、寝るわ 自分は猿腕ではないと思うんだけど、会で弓手肘がこんな感じで下がって、
矢と肩―肘―手首が平行四辺形みたいになってしまう。
ttps://www.youtube.com/watch?v=lCKLGMK_3No&t=40s
こんな風に直角三角形になるように引きたいんだが、肩や肘の入れ方がおかしいのかな?
ttps://www.youtube.com/watch?v=EbfIetoi_Do
徒手やゴム弓ではそこそこまっすぐしている。 鉄砲やね
肘が縦になるように肩を入れりゃいいんじゃね? ちょっと考えればわかるけど、四辺形と鋭角な
三角の要素は高さ。口割りから肩の高さ。
首が長く撫で肩であるとこれが高く見える。
狙いが高いとさらに四角く見えてくる。
痩せ型の女子だと多い感じになる。 体型的な原因以外だと
肩が下方向へ落ちて顎が上。
あとは弓の受け方がわるい >>600
左の腕の形は自分の思い通りになるものではないと思うがどう
弦で腕を打つとかでなければ、無理のないようにそのまま引くのがいいと思うが >>600
最近まったく同じことを悩んでる
平行四辺形になると離れの時に弓手の肘〜拳を肩〜肘のラインまで切り下た離れになってしまう
ゴム弓なら肘がまっすぐになって離れで弓手が動かないのに
ブレない弓手にするには肘はまっすぐのほうがいいよね? あんま関係ないと思うがな。
体形の場合無理して外見を作ろうなら当然「普通の体形の人が行う作用とは違うことをする」
わけなのでそれこそ正しい動きではなくなのはあたりまえでしょ。 肘が横っていうのは肘の内側が正面向いてる状態?
肘はしっかり入れるものと思っていたので下に向くくらいに入れちゃってた
最近になって、そのせいで肘がくの字に曲がるんじゃないかと思って、上腕を外旋させて肘の内側を上に向ける引き方に変えてみた
引き方変えてみてゴム弓だとなんとなくいい感じなんだけど実際に弓を引くとなるとなかなかうまくいかなくて、また悩んでるところです どの程度のレベルの人の話なんだろう?
そこってそんなに意識することに意味あるのかな。 俺の射は頬付け高いから平行四辺形状じゃないと具合良くないな >>602-603
ありがとう。とても参考になりました。弱い弓で鏡見ながら試してみます。 >>608
会で弓手が弓に負けてるなら大三から矢の方向にもっと押しながらおろしてくると肘が伸びやすくなるんでない >>600
そもそも弓の力の使い方が全然違うから単純に比較できないわ
發の後の弓の動きを考えた方が早いと言うか、弓の質が上がると思うよ 漢文の教本に当たる本に書いてあるやつやったよな、たしか 教本一冊も持ってないな。中学の時に初段受けたときにちらっと見た程度 >>614
使う人は普通に使ってるけどどこから来たのか謎な言葉だよな
ニュアンスはよくわかるけど
大和流の十二品(射法八節的なもの)では離れを発と表現してるからこのあたりが由来なんだろうか
日置流では使わない言葉だと聞いた わざわざハツって言うと恣意的に起こすようなニュアンスを感じる >>620
日置の教科書?ってのはみたことはないけど日置では聞かないね。
>>621の言う通り「離れは離れるのであって離すわけじゃない」ってのは
正面と同じだと思うよ。 >>615
3巻で安沢藩士が「無発の発」って言ってた気がするけど、他にはあるっけ? 平成28年度の八段審査論文の課題が「無発の発について述べよ」だったな。
ソースは、月刊『弓道』2017年4月号(模範解答3件)。 >>622
そうなんだ
日置って「外から見た自然の離れはあっても、内的にはヤゴロにおける積極的な決断の結果として離れがある」的な感じだと思ってた
あんまり深入りすると荒れるからあれだけどね
まあなんにしても流行元がよくわからない得体のしれなさが「発」にはあるよね
「無発の発」の「発」は大射道教で一般的に離れの言い換えとして使ってたかというと違う気もするし >>627
意識せずにヤゴロに離れることでひずみがない、
みたいなこと言われてたな。
ヤゴロを作るわけじゃなくて、整ったところがヤゴロ。
もちろん練習にいっては意識しつつで
やって習熟するのは当然ですか。 無発の発って言葉自体が発単体に対する否定的な感覚から生まれてるように見える 気持ち悪い奴ばっか湧いてんなぁ、マトモに中り出してから考えろよ >>632は何も考えずにあたるようになった天才だそうです。
バカとなんとかは紙一重とはよくいったもんだ。すごいね! 無発の発にしてもなんにしても8〜9割中ててはじめて議論できると思うわ
ただそれだけ中たっても中たりの議論しかできないなら貧しいとは思うな
精神的なものや理屈ばかり言うゴミどもはどうでもいいが、中たりしかなくても同じように貧しい そんなこというとまた過疎スレ化が止まらなくなるから貧しくいこうや >>634
ホントこれ
弓のゆの字も分かってない高校生が脱力ガーっていつまで経っても進歩しないのと同じにしか感じられない え、オレは大体4射3中アベレージ、20射16中以上くらいの人が話てるとおもってた・・・ >>638
的中の伴わない講釈を垂れるよりは徒手の1つでもしてた方がマシって気付いたんでしょう?
いい事じゃない ただまあ相談事持ち込む人はどの程度のレベルかかかねーとわからんよ。
初めて一か月のやつに伸び詰めの話してもしゃーないわけだし。 参〜四段の人に伸び詰め聞いたら
話は知っているけれど自分の体で感じていない
全然違う箇所を必死こいて伸ばしている
っていうのに出くわす率が高い俺 今の段位審査って昔よりかなり楽なんでしょ?
高位はそうでもないんだろうけど3段くらいは俺でも一発で受かったし。
むかーしむかしだけど中学で初段受けたときは地域上位学校でも
1軍確定組以外はバシバシ落ちてたわ。 >>643
地方でレベル格差があるから、自分の地域の審査だけでは判断できない。 >>644
そうなんだね。ちなみに町内2中学で200人近い部員がいた地域だ。
まあ楽な部活だから入るやつおおかったんだけどw >>645
30年以上前のオレんとこの地区は厨房で初段は無理目だったな。
高校生でも二段くらいまでだったわ。
でも学科試験は無指定は教本持ち込み可だったw 発の話は、スカイプやってたころのメンバーの誰だったかはよく使ってた気がする
から自分的にはあんまり違和感がない言葉だが、改めて発という言葉の初出を問われると少し面白かった
射学正宗でぐぐっても、ろくに解説の検索結果出てこなくてびびったわ
Google先生ボケて来たんじゃねーのか
かわりに原文全部が検索で出てくるのもどうかと思ったがw >>646
明治近代化の中で弓術・弓道の生き残りのための礎を築いたという意味では間違いなく偉大
技量の面などはそう簡単に語れるものではないし、過去の偉人の実績を知っていれば語ること自体畏れ多い >>647
そんくらいだよね。初段受かると内申にかけて評価される感じだった。
初段は中3ラストチャレンジで一発勝負みたいなかんじだったな。
高校から日置だったから段審一回も行ってない。 生き残りという面ではたしかに凄いな
柔道の嘉納治五郎に始まり道化したのは、滑稽だが効果が高かったよな
おかげでGHQから生き延びれた
あれ?ってことは偉かったのは嘉納治五郎か >>648
射学正宗の五法の軽法が離れに相当するけど、「發」として概念化してるのかな
古典漢籍中国語の素養がないのであれだが、ざっと読んで間違いなく矢を「發」するという表現はあった >>651
GHQの武道禁制を脱したのは大射道教を中心とした弓道の倫理性、精神性強調の流れと、日弓連立ち上げメンバーが主張した弓道と西洋的諸価値の親近性が大きいんじゃないかな
教本一巻で謎に西洋由来の価値規範と日本弓道の関係が説かれている背景にはそういう事情があると思う
もちろんそれらの源流と言える位置に本多利實翁はいるわけで、嘉納治五郎的な武術の道化の流れを嘉納治五郎と別個に切り拓いたんだと思うけど、相互の先後関係や影響はよく知らないから誰か知ってる人教えてください 戦後数年にそんな深いところまで感がてるはずないでしょ。
武道は神棚を備える組織で戦うすべを教えてる集団。
天皇陛下を政治から切り離す方向で支持団体みたいなものがあるなら
解体するのは当然至極の話。 >>652
発って中国のそのへん関係だったかな?と思って書いたが、射学正宗の詳細の話は忘れてしまっている
スカイプの人の誰だったかが使う発の由来も忘れたけど、
このスレで言われている発を出す=離れのきっかけを出すみたいな意味だと思ってる
別の考えだと「気を発する」のが発みたいな話があったけど、これってデビ板の真尻さんだっけ?
吉田能安範士が「発気用意」でそういう話をしてた文章はどこかにあったよ
というとりとめない話 >>654
そのとおりだね
そうであったがために、敗戦翌年に武徳会改組即解散→旧全弓連立ち上げ即解散という流れを辿ったわけで
そうした経緯の中で、弓道の存続を危ぶんだ当時の指導者たちは、弓道を国体を構成する部分から、民主的、西洋的な諸原理に親和的なものへと捉え直し、作り直さざるを得なかったんだと思う
その格闘の痕跡と結実が弓道教本1巻の本文なんだという話 >>646>>649
どうなんだろな、大流行になるくらい本当にすごいもんだったのか、
的前で正面打ち起こしという目新しいものが流行する時代性だったのか?
ただ、生で見たら説得力があるようなものではあったのだろうとは想像してるよ
同じ流れでとらえていいか分からんが、流行という意味での本多老師の正面打ち起こしとか、一部で投弓術になったとしても阿波範士とか
戦後だと、鈴木三成範士はそりゃすげえ射だと言われたって話と、
あとは岡崎範士で大離れが流行なのかなと思ってるが、
地域に大家がいれば流行に左右もされないとは思う >>654
昔のインテリ層は今の俺らが想像するよりずっと賢く真面目かわからんけどな
これって、国の文化が他国から消されるか生き残るかの瀬戸際の話だと思うが >>657
正面打起し自体はそれほど目新しかったわけでもないと言うし、その喧伝の仕方(近代的で合理的な射法)とか、東京帝大師範になって国家の重要人物となる弟子筋を築いたりとかが決定的なことなんだろうとは思うな
もっとも技術面でも関口源太が江戸の実力者の一人として言及してたり、流派弓術を修めた弟子たちが集っていたりすることからかなりの水準であることは窺えるね
詳細知りたければ生弓会の本多利實伝(4500円)を買うしかない 本多先生の偉いところは東大で教えたこと
赤門の出身者で文部省を動かしてたんだもの >>659
買っても読まなそう、さらっと検索はしてみるありがとう
関口範士の挙げてたまあまあまともに弓を引けると言えそうな連中のなかに
浦上範士の名前がなくてウーンと思った記憶があるようなないような、
その頃は東京に来る前だったか?
正面流行らしたのは本当に余計なことしてくれたという思いが今は強いわw
まあ昔の出来事だから別にいいんだけと >>659
見てきた
申し込みがめんどくさいのだ
シャイな僕にも注文しやすいようにポチれば届くようにしてほしいのだが
まあそんな奴は読まなくてよいということだろだな 斜面系は徒弓、正面系は武者弓で当然当時の格は武者弓の方が上。
ポーンに成りたいのかナイトになりたいかみたいなもので。
武家社会が終焉して武士がやってたことに農民が憧れるっていう流れで
正面の方が人気が高く、同時に礼射があるため「教えることがある」ので
それがそのまま上下関係、組織運営にも適してたんじゃねーの?
個々人の有力射手の努力を否定はしないけど時代の後押しを
考えずに功績の評価だけでは寂しいきもする。 >>663
そのへんは知らんが
堂前を修めてる射手の方がやってない射手よりは格上だと勝手に思ってるが
正面打ち起こしはそもそも騎射用なのでは?
よつかげも正面打ち起こしも
「もともと的前用じゃないけど慣れてるからこれでやるわw」
ということでやる人がいた、という認識程度で、引き方の格なんてものは不勉強でしらん >>664
堂前に関してはまず堂がないといけないわけで
北海道在住の人が堂射に価値観を見出せるとは思えないな。
立派だと思うけど、なにかベクトルが違う気がする。
堂じゃなくて遠的って話ならわかるけど。
>騎射用
そうだよ。武士=騎射。馬や弓、槍、刀なんかと一緒で仕事の一つだから。
そういう意味でいえば慣れてるからこっちでやるとかそういうのはないし
礼射についても武士の教養であるからそういうのはない。
時代が過ぎて武士しかやってはいけないということが無くなったので
平民でも礼者をやってる。位が上の人がやっていることが流行ったような感じ。 >>666
wwwww
これ設置しちゃったら移動は厳しいだろw >>666
音で集中できないとか集中力低過ぎるとも言える
ただ、これは酷いわ >>663
四民平等からの騎射風打起しの流行はありそうだね
武徳会の段位持ちだけが使えた紫のカケ紐が戦後広く流行した話とちょっと似てる
ただ礼射の話はどうなんだろうね
日置流にも「体配」(射礼に相当)はあるわけだし、小笠原にも斜面打起しはある
作法を教えることを組織運営にいかしていたとは思うけど >>665
江戸末期の北海道とか考慮する意味あるんかw
当時の北海道が流行の発信地になるわけなし
矢数やら速度やら精度やらで堂前最高なのでは
遠的て射流し?それなら何で分かるのかもよくわからないのだが
>騎射用の話
じゃあなんで的前でよつがけやら正面打ち起こしが今普通にあるのよ?って話
>時代が過ぎて〜
賭弓って武士だけじゃなく、昔から町民や農民もやるんじゃないのけ
別に弓は近的程度の射的なら武士専用でもないんじゃねということを言いたい
堂射のけいこは農民はさすがにやらんだろうと妄想するが
どっかのサイトで、農民が参加してたような弓の祭りだか、そういう文化みたいなのがあると見たが
ぼくは日本史を勉強してないから歴史認識違うところあれば教えてほしい >>669
紫紐は小笠原流だと思ってたが、武徳会もそうなの? >>669
古いことまでわからないけど教わった中では体配は体配でそれ以上ではないね。
座った形は戦場ではこうなるからこうするように、こうやった方がよく動く、そういう
積み重ねが体配や八節だから。
こっちもあやふやだが礼射ってのは要は神前みたいなものだから
その所作にはこうやると失礼にあたるからやらない、こうした方がいいってやつ。
解りやすくいえば浅野内匠頭が吉良上野介に教えを願ったように
「無礼」や「恥」を極端に嫌う武家社会で「礼」ってのは飯のタネだったんじゃねーかな。
いまでは日本弓道連盟の教本のように統一感があるが
当時は寺社仏閣流儀流派ごとに細かいことだったろう。
それが実技の一部と紐づけされて秘伝とかそいうことになる。
その秘伝が飯のタネになる。 >>670
格の話は現代の話だとおもってるからさw
堂射っていつからあるの?
有ったとしても最初は上方の人の手芸であって
全員がやりたいと思うものじゃなかったんじゃないかなぁってね。
>騎射の話
そりゃおまえかっこいいからに決まってるじゃん。
みんな好き好んでレベルの低いところに教わろうなんて思わないでしょ。
羽生君が教えるスケート教室と、織田君が教えるスケート教室だったら
そりゃおまえ羽生君に教わりたいだろう。もしかしたら織田君のスケート
理論の方が完璧で指導者として素質があるかもしれないけどさ。
>時代がすぎて
なんで賭け弓がでてきなのかわからんが、農民が剣道を習いに道場へ
行くなんてのは近代近くになってからの話で武家の子が習う道場へ
平民が通うなんてことはすくなかっただろ。
それが出来るようになった時に弓道で教えてもらいと平民が選んだ
のが正面であり礼射であり小笠原?だったんじゃねーの。
祭りで弓を引くのは神事に近いものだろうけどそれは別に
武士に習わなくてもその場限り打てればいいんだからどうでもいいでしょ。 なげーから分ける。
弓道の系譜みたいなもんは剣道の系譜にかなり似ているはず。
弓道だから特別ってことはない。
剣道は弓道よりもかなり多くの人がやっていたはずでその分資料もあるし
江戸時代から維新まで弓道よりも嗜みとして中央にあった競技だから。
漫画で恐縮だがバカボンドなんかにもでるけど、棒っ切れふり回して強い農民でも
武士の集団からの流れの道場には入れない。入れてもらえないんだよ。
金ももちろんだろうが「平民ごときが剣の極意を学ぶなどあってはならん」ってこと。
それはどうやっても弓道にもあったはずで、それが撤廃されるような時代が維新。
その時に「解禁」となって広く門戸を開けて練習生を集めた流派今の主流。
そう考えるのが普通だと思うよ。
そんで人気のあった「羽生スクール」が正面だったことじゃねーかな。 いや維新ってことはないか、江戸末期くらいにはもうだいぶゆるかっただろうし。 堂射は基本江戸時代の流行りで各藩の代表が挑戦できる程度の限られたものだったような
そもそも堂射やるのにとんでもない費用かかったらしいし 堂射は江戸時代の花形
そこで名を馳せたのが竹林派であり、そもそも竹林派は御三家の内、二家の流派でもありブランドは強力
維新後に平民が「武家的なもの」への関心というミーハーな理由で正面打起しを好んだとして、小笠原流ももちろん対象だったろうけれど、尾州竹林派から出た本田門下の射術を選んでも全く不自然ではないな >>672
平民が侍のやっていたことに憧れたって話じゃなかったっけ?
有職故実が飯の種になったのは事実で、小笠原家はそういう大名だったわけだけど、多くの平民がそのレベルの礼法を求めていたんだろうか
多くは武家的な作法への漠然とした憧れで、それは例えば日置流の体配でも十分満足いくものだったという推測も成り立つと思うよ
明治〜昭和〜戦後までの本多流(と後続する大射道教等)の隆盛を考えると、小笠原流的なものへの平民の憧憬はあったろうけど、それだけを強調するのも違うと思う 江戸時代の花形といやあ
ググる前に聞いちゃうけど
江戸の印西当流ってどこいったん?
そもそもなんで江戸の印西が徳川から切られたん?
勘違いかな?柳生新陰流とごっちゃになってるかな >>671
ごめん、考えてみたらはっきりとしたソースはなかった
デビさんとこの過去ログとかウェブの書き込みで確認できるだけだからはっきりとしたソースはないっす 将軍家日置当流の顛末とか気になるなあ
調べてみようかな >>673
現代で堂前がりっとやってるやついるのかよw
そもそも現存してるのか
羽生君織田君の例えで、何か話がそちらと噛み合わない気が増した
>>680
こちらこそすまん、こちらが知ってるのは小笠原流の話だけだったもので、つい いろいろと役に立つ稼ぐことができるホームページ
時間がある方はみてもいいかもしれません
グーグル検索⇒『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』
SKCOW >>678
いやだから日置は確かに日置当流ってなるんだけどやっぱり徒弓だからね。
歩兵が歩兵の弓術を戦争でもないのに学びたがるのか?って思うよ。
現在弓道を極めている諸兄らの話だから仕方ないのかなと思うけど
俺はもっとかなり適当だった思うんだよねw
将軍3代くらいまでは実用・戦場の技として働きに必要だったわけだけど
そのあとは剣術と一緒でそれが出世に繋がるのは「当代随一」にならんと
評価が上がらないって状態だったろうし。
あっちの作法がかっこいい、こっちの道場は名門だ。
自分の子息をブランディングするために、名門幼稚舎に入園させるような。 全然関係ないけど、本多流の本の紹介をしてもらったから、最近よんだ本をお返しに書くね
「日置流雪荷派の弓 弓道回顧録(税別1600円)」が今売られているのだが、
戦前から台湾に住んでた武徳会の範士の方の書いた文章をまとめたもので、個人的には面白かった
「武射系統だから、平時の足踏みは二足が正しいはず」とか、
そういうことは別にどうでもいいんだなと、得心がいくような気分にはさせられた
あとまだ読んでないけど岡崎範士が無争論という本を出してたことに気づいたので、
一回売り切れると確保がめんどくさいからとりあえずぽちった
張替範士の遺稿集も出てたが普通の本屋だとあらかた売り切れてるかもしれんが
ツイッターでご家族の方にコンタクト取ればまだ入手できるかも >>685
情報をありがとう。
俺も読んでみようかな。 >>685
ありがとう
いろいろポチった
あと松尾先生監修の大和流の本とかも出てるんだね
手に入れ損ねるとこだった
審正館の本は都内北の方の弓具店でも売ってた
どうでもいいけど審正館のHPみたら割りと生なましい除名報告があってビックリした >>687
書籍を探してたら除籍が見つかった、ってやかましいわwww
審正館の本が何か分からんけど、前にも除名の話がスレに出てきてたが、
これ関係者か除名相手を嫌う誰かの差し金だろw
京都人性格悪い説が捗ってしまう みんなしゃがくせいそうなんか読んでんの?漢文学者かよ >>689
審正館じゃなくて即心館だったw
いや笑いごとじゃないけど酔っ払って間違えて余計なこと書き込んじまったわ >>690
金さえ出せば現代弓道講座の一巻に抄訳があるよ
読んで上手くなるとか中るようになるかとかとは全く別な話だけどな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています