1月27日の投稿

セカンドキャリア、デュアルキャリア、日本のスポーツの在り方を根本的に変えなければ無理である。

多くのアスリートは死ぬ気で競技力を追求しているが、柔軟性が乏しく明晰ではない頭脳の持ち主になるために「エリート」としてスクスク育っているので、
たとえ日本一の栄冠を手にするような優秀な選手になったとしても、ほとんどの企業からは「それがどうした?」しか思われない。

私は学校の成績がクラスで1番でなければアーチェリーを教えないと言われて育ち、高校生の時は学年で1番になった。
それでも指導者先生からは褒めてもらえなかった。高3の模擬試験で偏差値75になっても褒めてもらえなかった。
そんなのは私にとってのスタートラインでしかないと言われた。
スポーツバカにだけは絶対になるなよと言われてアーチェリーに取り組み、全国大会で入賞したり、全国高校ランキングで2番になったりした。

学校の勉強なんて、机の上で教科書開いて、先生が黒板に説明してくれて、ノートに書いていろいろ覚える。
書店では教科書の参考書まで売られているというバカ丁寧ぶりである。
わからないことがあれば調べればいいし、先生に聞いても教えてもらえる。
教科書くらい丸暗記すればいい。実に簡単なことである。座っているだけで、全部できることである。誰にでもできる。

社会人として民間企業に入ったら、その企業の戦力として活躍できなければならない。
会社は学校ではないのだ。何から何まで教えてもらえると思ったら大間違いである。
社内でも社外でも常に実力を試され、要求されるのは結果のみである。
学校で教えてもらえていた事すらままならなかったスポーツバカでは、いきなり能力の開花を突きつけても無理である。

スポーツバカに限って「やればできる」などと思いこんでいる。
では人生賭けて命を燃やして取り組んできたスポーツを引退という形で取り上げられた時、一体何ができる人間になっているのだ。
同じ年齢のサラリーマンよりも優れていることが、いくつあるというのだ。

利益を上げている企業から見ると、社会人としてのスキルが低いスポーツバカは、人材ではなく人災でしかない。
なのでどの企業もスポーツバカを採用したがらないのは明々白々である。

アスリートとしての活動を本気で行うのは大いに結構なことだ。
スポーツを続けていて生きていくことができる環境にあることは、それはそれは幸せなことだからだ。
しかしアスリートとしての活動ができなくなった後の人生をどう生きていくかを明確にして、脳ミソが若いうちに多様なスキルを身に付けておかなければならない。
そうでなければ、トップレベルのアスリートとして生きてきたことで、人生の幸せを逃してしまったのではないかと後悔する残念な結果が待っているのだ。

セカンドキャリア、デュアルキャリア、まず無理である。
スポーツバカの指導者がスポーツバカを量産している状態を続けながら、トンビがタカを産むとでも言うのか。
「蛙の子は蛙」状態が現状である。必要なのはキャリアの体制づくりではない。

どんな分野でも通用する賢いアスリートを育成するために、どのような指導者を育成するかに尽きる。