銃のイロハを掲載 銃器のコラム
「大藪春彦さんと私 」 コーヒーブレイク

大藪さんとお会いになった人ならすぐにお解りになるのだが、大藪さんの書かれる小説の主人公と大藪さんは、ちょうど正反対の人物になるのではないだろうか?
まあ、射撃はそこそこ撃たれていたが、それ以外は小説の主人公、伊達邦彦とは真反対のイメージで考えられると良いと思う。(略)
大藪さんは早稲田大学を卒業されたわけではないのであるが、後年早稲田大学の射撃部監督をされた、これにはKさん等、早稲田大学のOBの方たちは少なからず不満を持たれていたようである、大藪さんを早稲田大学の監督にしたのはまた別の思惑のある人達の動きだった様に思える。大藪さんも、早稲田大学射撃部監督と言う名前を、御自分への値打ち付けに使われたのかも知れない。
大藪さんはアラスカ、モンゴル、南アフリカのハンテング紀行を、雑誌として出版されているが、これも小学館が頭から尻尾まで一切丸抱えで面倒を見た経緯があり、我々の間ではハンテングとしての評価はあまり高くない。(略)

私が最後に大藪さんの仕事をさせて頂いたのは銃身交換であった。
それは大藪さんの別荘の在った軽井沢の射撃場で、ライフルスコープの照準調整をするボアーサイターのアーバーを銃身の中に入れたまま弾を撃ったので銃身が膨らんだので交換してももらいたいと言う依頼であった。大藪さんに話を聞いたら、弾を入れて撃ったのに反動もないし音もしないのでボルトを開いたら"シュッ"と音がしてガスが抜けたそうである。
はっきり言ってアーバーを銃身に入れたまま撃つという事はシューターとしては完全なケアーレスミステークである。
この時はもう大藪さんも射撃に関しては駄目かなと思わざるを得なかった。また朝霞射撃場では隣の的に誤射してそのまま気づかず撃ち続けたと言う逸話も残っている。
これ以降大藪さんが朝霞射撃場で射撃されることはなかった。