世界最強の男
時間という把握不可能なエネルギー物質が、
我々の世界に現象化したものが、拳の先の力である。
拳の先の力が、我々の世界の中に表れた時間の文(もん)である。
想念の世界に存在しているものは、その想念を降す。
北斗の神界に存在している神拳の技は、その神拳の技を我々の世界に降す。 いろいろとあるのだけど、
まあ、ベルトも一つの威嚇することができる。
囲まれた場合、自分のベルトをはずして、
ベルトの両端をもち、ベルトを引っ張ると、バシッと音がする。
その音だけで、目の前の集団は、一瞬で理解する。
わかると思うけど、ベルトの両端を引っ張る音だけで、相手は理解する。
次の段階として、ベルトの片方の力を抜いて、垂らす。
そして、伸びたベルト一本の端を持ちながら、叩く。例えば、机とか、柱とか、地面。
その音だけで、さらにビビル。つまり、拳をいちいち突き出さなくても、
ベルトのしなる音だけで、その響きだけで、相手はイメージができてしまうのである。
やばい場合は、ベルトが頬(ほほ)に当たれば、確実に肉片は飛び散ることがイメージできてしまう。
競馬の騎手が、尻を叩いているが、あれって、人間がやられると、肉片が飛ぶし、紫色に変色する。
北斗神拳の使い手が、その拳にベルトを持てば、神速ベルトになり、さらに進化、変化を遂げて行く。
一例である。わかると思うけど、柔らかいゴムの方で、相手を叩く。
そら鉄の部分は、手に持つ側である。一瞬で、ベルトの先を、思った箇所に当てる技術がある。
つまりボクサーでも一撃である。そのベルトの速度は、目に見えない。 ラオウもトキも
北斗七星こそ北斗神拳だと、北斗七星を固定してかんがえているのかもしれない。
北斗七星はS∽北斗七星なのである。
ある意味で、トキ、ラオウこそ北斗神拳の純粋北斗伝承者なのかもしれない。
北斗七星を固定しているからである。
しかし北斗はS∽渦回転している。
逆北斗S∽渦回転も同時にしているのである。反転回転している北斗神拳も存在している。
その場合、1→2→3→4→5→6→7と同時に7→6→5→4→3→2→1
と増数、減数の北斗の術を同時に使っている。
北斗七星は、同時に北斗八星であり、同時に北斗九星であり、備時に、北斗一星の拳でもあるのである。
ケンシロウ以外は、輪廻型北斗が使えないのは、この観念にあるのかもしれない。
これは七の拳だと受けたのが、実は逆七の数字の拳を受けていたのである。
ケンシロウは、ラオウの正七神拳の突きを、ケンシロウは渦逆七拳受けで受けていた。
つまり、ブランコの揺れが、最大位置に来た途端、流れが反転するように、
ケンシロウの七拳が、最大位置に来た途端に、反転七拳に変わるように秘孔を 打っているのである。ブランコが力が反転する瞬間、力はゼロ量である。
そこを突くゼロと突かれるゼロの点において秘孔を目指す。
しかしケンシロウが突いた腕を急いで引き戻す腕の流れは、実は、逆七ではなく、
正七の拳なのである。引いているのではなく、突いている。突いているのではなく、引く渦逆渦なのである。
相手は秘孔を突かれ、その後の時間は正時間の流れのため痛みを感じない。
しかしケンシロウの突きは、逆七秘孔なので、逆渦時間の流れのため、痛みを感じない後の痛み化とする。
それにおいて、完全破壊の拳化が可能となった。12の反対は6なので6の拳。
7の反対は、1なので1時の拳である。5の拳は、11時の拳となる。11時の拳を受けたと思った時は、
それは5時の時空間の拳である。ケンシロウの北斗は、渦S∽北斗なのだろう。 西坂祐瑞の「内臓洗練法」がいいのかもしれない。
西坂師は身体の反応に注意して行なった。
その結果、漠然と身体の各部に軟酥のエッセンスが滲みこむ様を
イメージするよりも、各内臓を上から順に、その部位と形を
はっきりとイメージしたほうが効果が上がることを発見したのである。
この近代解剖学的な軟酥法に、彼は内臓洗練法と名づけた。
つぎに、西坂は、こころの座である識心から身体各部にイメージを送ると、
それがあたかも波動が伝播するように伝わることから、その波動を識波と呼んだのである。
順序を立てて識波の外科的手術を試みた。
刃物を強くイメージ波動が肺尖から下部に向け肺臓を貫くように閃送した。
イメージ上の刃物が鋭く激しく肺を切り刻むように観念するとともに、内臓洗練法も適時実行した。
息を吸うと同時に識心を集中、息を吐く動作に移る瞬間、イイッという思いで集中しsた識心の
波動を勢いよく患部の中心に瞬間的に貫通させる。
識心の波動(識波)を鋭い刃物であるとイメージし、その刃物が患部を貫くさまを同時にイメージする。
イメージの刃物の選択は経験によるが、イメージのメスで切り裂き、イメージのミシン針でぬい、イメージのノミで貫くなど。
刃物の先端を下に向けること。
ただし、関節炎、傷、肺疾患などは観念のみ行ない安静を守ること。
西坂式北斗秘孔をすればいいのかもしれない。
つまり、秘孔をついた後、イメージのミシン針で傷口を縫ってあげるところまでイメージをしてあげなければ
ならない。これが西坂式みたいである。 ☷
☳
北斗神拳伝承者とは、一陽来復の武技なのだろう。
☷+☳ 最後に、秘孔をつく。 ☷
☳
火の始めとしての、拳をつく。
火気復活としての、右ふとももにけり。
火気再生として、にぎりをやや柔らかくする。
火気発生として、秘孔をつく。
火の法則を巧みに操って祭り(武技)をする。
火気再生を促し、火気の再生を祈る北斗神拳。
神界では、人間は呼吸するのだろうか。
ある器官について説明してみたい。喉頭と気管を取り上げてみる。
私たちは気管で絶えず空気を吸ったり、吐いたりしている。
このような活動を人間はしている。
空気は絶えず喉頭をとおって、外からなかに入ってくる。
神界の中に存在する達人は、体の中に入ってくる空気は、
いつも神的なものと結びつく。
神界で生活する人間の呼吸は、今日の体に適した形態をうしないます。
そうして、達人は神界的なものすべてを、より高次の、神化された形態へと
変化させる力を有する。肉体的な喉頭がなくなったあと、
空気を吸わなくて、神界を歩くのである。
神界での生活では、人間は、呼吸をしているようで、呼吸をしなくても生活ができるのである。
北斗神拳の一子相伝者は、呼吸をしなくても北斗神拳を使うことが地上でできるのではないかと
考える。ラオウは、息をしているが、ケンシロウは呼吸をしているようで、実は、
神界的喉頭をもっているため、息を吸ったり、吐いたりしなくても、強烈な秘孔を打つことができる。
火の始めとしての、拳つく。 宮本武蔵は、お茶漬けを食べながら、
そのハシで、飛んでいる虫をはさんだと言っている。
これは、どういうことなのだろうか。
このような練習を、武蔵はしていないはずである。
練習をしていないが、自然に出来るのだろう。
ものすごい精密で、スピードあるということなのだろう。
お茶漬けの米一粒一粒をハシでよそいながら山をつくる。
普通は、米をかき集めながら、一気に山をハシの上につくるのだが、
武蔵は、茶碗の中の米が、移動していると想定し、一粒一粒を一瞬ではさみながら、山にしながら、
そのご飯を口元に運ぶ。山から口にするのではなく、一粒から山にして、口に入れているみたいだ。
これを北斗神拳で考えると、敵に囲まれても、
一粒、一粒大事にしていく感じなのかもしれない。 神拳とは、
人の悟(さとり)をうる、
水に月のやどるがごとし。月ぬれず、水やぶれず。
北斗神拳で秘孔をつくとは、
自分のあり方を視つめるということである。
自分のあり方を視つめるというのは、
自分をわすれることである。
自分をわすれるというのは、自分の本来のあり方が、
実は意識以前の存在だということを知るためである。
そのときはじめて北斗神拳は生きてくる。
すなわち、神拳と名づけるゆえんである。
打つ、突く、踏み込む、こうした感覚的な確実性から、いろいろな意識の段階を経て、
絶対知の最も高い段階に至るまでの精神の展開、あるいは発展過程、これが北斗神拳である。