概念の囲いにかこまれているとは一体何を意味するのか。
イエスが再臨して、すべての人間が生き返る。
これを、集団の中で一人、否定したとしても、
その中で、神の拳を鍛える概念が育たないのである。
いくら一人、否定したとしても、国自体がそういう考えを
していた場合、それでは、神の拳は育たない。
そういう概念の囲いにかこまれず、
自分の周囲の人間もほとんど、そういう否定している集団の中で
さらに自分もそう思うという意識の中でしか、
神の拳は育ってこない。
キリスト教の世界観では、どうしても、神の拳は育ってこない。
神の拳自体が、キリスト教の世界観の外側に属するものだからである。
そして、神の拳の世界観とは、
神の拳の世界観の囲いの中に属するものである。
その概念の囲いの中で、ケンシロウがさらにケンシロウとして育つのである。
キリストが降臨したら、すべての人間が生き返ると信じている目で、
相手の秘孔を見つけることができるのだろうか。その逆である。
西洋人は、キリストの大空からの降臨を目で見ることができるかもしれないが、
その目で、北斗神拳秘孔を見つける目線を育てることはできるのだろうか。