肥田式強健術06
江戸時代のとある町奉行がある罪人に対して「今回は見逃してあげるけど次はないからね」と釈放
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ある罪人は再犯で捕まったため処刑となる
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書類の不備で処刑が何故か何回も出来ない
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何かおかしいので町奉行が罪人と面接
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奉「何か処刑出来ないんだけど良いことした記憶ない?」
罪「んーそういえば昔投身自殺をしようした人に金をあげて助けたことあるわ盗んだ金だけど」
奉「それだわ、まぁこんだけ処刑スルーするとか何かに守られてるんだろうし悔い改めて再犯すんなよ」
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まさかの釈放
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罪人が助けた人と偶然再会をすると自宅で罪人が祀られてその後は助けた人の家族になったというだけのただの実話 悪魔教の元警察官、アントン・レヴィの説明を要約してみたい。
神も悪魔も、もしかして我々が教えられてきたものとは
全然違う物なのかもしれないぞ?
悪魔を信じる者は弱者を踏みにじってはならない。
盲目的に権威に従ったりそれで犠牲者を出してはならない。
悪魔とは人間の内に居る。
人間とは神から与えられた愛も知恵も活かし切れず
嘘に塗れただけの未熟で残酷な獣である
我々が信奉する者の本当の姿と出会いたければ
屠殺場や食肉解体場に見学に行って
人間が生きる為に日頃侵している罪を目撃したその足で町の教会へ行けば良い。
美しく飾られた聖なる場所に立ち祈りを捧げられる神の像。その隣に悪魔は常にいる。
大体要約すればこんな感じ。
だから悪魔を信仰しろって話ではなく全部を信じる必要もない。
だが、キリスト教に限らず、人間が目を背けて来たものや罪や罰、そして洗脳。
神や信仰、宗教とは何か? 正しく考え直してみる機会があっても良いって話。
仏教は食べる為に殺された動物達にも謝り成仏させるように祭るし
罪を侵した者にも救いを求めるから、そういった面ではもしかして
キリスト教に欠け落ちた部分を補完する何かがあるのかも知れない。 遺稿『宇宙倫理の書』から、連日深夜の探究に着手してから、一干夜に到達した心境を書いた、編者(肥田通夫氏)曰く、禅の真髄が語られている、というエッセイ「宇宙の旅へ」(公開サイトあり)と、「宇宙の最終目的」(入手困難の文献)を収録した。 Youtube見て知りましたが富田高久さん、体調悪いんですって?
一日も早いご回復をお祈り致しております
いつの日か再びご一緒に稽古できる日が来ますように! >>7
公開サイトとは?
探しても見つからなかったので、
検索のヒントでも宜しければ頼みます >>10
酒井さんのサイト久しぶりに見ましたが、宇宙倫理の書の内容ってまさにスピリチュアルですね
スピリチュアルの古典として有名なものに「ラー文書」があるのですが、それを連想しました
ラー文書によると、私たちが五感で感じているこの時空、五感世界は、「自分の意識」x「宇宙の意識」によって生じている「ディストーション」(ゆがみ)だというのです
ラー文書における「ディストーション」の解釈・解説はいろいろされておりますが、
自分の発している波動・波・周波数と、宇宙全体が発している波動・波・周波数とが干渉しあうと周期のズレが生じてそこに模様ができます モアレと言ってもよいです
もしくは波と波とがぶつかってできる合成波と解釈も可能です
つまり、自分イメージしたもの、思考や行動という「波」が宇宙の発する「波」とぶつかり、干渉しあった結果として「モアレ」ができ、その「モアレ」を五感に変換して解釈しているのがこの世界ということです 自分の意識と肉体、そして目の前にある現実世界(五感で感じる世界)、宇宙、そしてその背後にある見えない世界
これらはどういう法則で成り立っていてどういう関係性があるのか? そしてそれをわかった上でどう役立てていくのか?
それをいろんな角度から探求、解明していくのが科学であり、またスピリチュアルだったりするわけですが
スピリチュアル情報の場合は「じゃあその根拠は?」「それの裏付けとなる証拠は?」と問われると「あなたが信じるかどうかだ」などの意味不明な言い訳が返ってくることがほとんど
つまり裏付けがないものが多い。ようは「わからない」「確かめようがない」わけです
「ラー文書」は有名ですし、私は興味深く読みましたが、確かめようがない情報が多い
これらを理解し、役立てていくには、まずは自分で確かめていくしかない
自分を実験台にして追及していくしかない
この作業の一つがが心身鍛錬であり、その方法論の一つが正中心鍛錬かと
それを極めた肥田春充先生は>>10のような文章を残されたわけですが、この文章を完全に理解し、役立てていくには
当然ながらまず自分が鍛錬してその境地に近づく他ありません
まだまだ道は遠いです 宇宙倫理の書は一応科学的な根拠は書いてあるし
スピリチュアルはほとんどが波動だの選書んだの疑似科学だけど
宇宙倫理の書には疑似科学はないと思う
肥田春道も実際にやって見せたし
ここがスピやオカルトと一線を画すと思う 肥田先生の書いた文章とラー文書との共通点を解説すると長くなるので書きませんが
>>12に書いたのはラー文書の中で最もわ私が興味深く読んだ内容のエッセンスです
ようはこれはあらゆる宗教やスピリチュアルで語られるところの「自分の見ている世界は自分の宇宙であり、自分の意識の鑑」であることの別表現です
これは真実か?自分で確かめられるか?については自分の意識を変えてみて、それが周囲の世界にどう反映されるかを観察することでしか確かめられないでしょう
肥田式でマインドを殺し中心を極めてそこから世界を感ずれば(一体化するといってもよい)、それを感じることができるかもしれません
どちらにせよ、中心を極めなければどうしようもないわけですが、それに近づくだけでも効果を実感するように私は感じています
機会あればいつかまたどこかの道場でお会いしましょう 蛇足ですが一つだけ
肥田先生が根拠として挙げておられるアインシュタインの方程式は実は(一部)間違っているのは物理学の学者の間では有名な話のようです
残念ながら私も物理学を極めていないので確かめようがありませんが、アインシュタインの方程式を解説する各種動画において、解説者が最初に歯切れの悪い前提条件についてそれとなく解説してます。ようはその前提に成り立てばこの方程式は成立するが、その前提そのものに矛盾が抱合されているので、あの方程式は間違いなわけです
興味ある方はいくつか動画を見比べてみてください。
このように物理学の法則も研究が進めばそれは覆されてしまうわけで、私たちが当たり前に習った物理学も100年後には別の理論でまったく違うものとなっている可能性も多いにあります。
そのころには正中心についても詳細な研究成果が発表されているかもしれませんね >>17
スピリチュアルがいうところの波動というのは、ようは自分の意識状態であり、その意識によって選択した行動・思い・発言ということです
これらをエネルギーとか波動と称しているに過ぎず、どんな思い・行動・発言をしているかということを言っているだけ
強い思いを発して考え・行動し続けていけば、それがどんどん現実化されていき、最後は大きな形になるという当たり前の成功法則を言っているに過ぎません
ここで重要なのは、どうもこの強い思いの「強さ」というのは、頭から発しているわけではなく、むしろパワーの源泉である「正中心」から出ているのではないか?ということです
つまり正中心が鍛えられていけば、その人間の発するエネルギーは非常に強くなるので、現実化が早くなるということになります 考えそのものはマインドと呼ばれる頭から発せられ、感情的なものはハートから発せられるとされます
思い・考えが頭・脳から出ているのは誰でも実感しやすいかと思いますが、
その思いというエネルギーの強さは、むしろ正中心力の強さ、いわゆる丹田の強さに比例するようなのです
丹田からの発せられる強いエネルギーに方向性を与え行き先を決める調整役がマインド(頭)であり、ハート(心)ということです
これは解釈が分かれるところで、ハートに脳のような部分があるとの解釈もありますしいろいろです
ですがパワーの源泉は間違いなく正中心なのでしょう
それは修行しているここの皆さんが実感している通りかと スピリチュアルに携わる人たちを観察していて一番残念に感じるのは
彼らが思いを変えることによって現実を変えよう、ワクワクすることにエネルギーを投入して素晴らしい現実を引き付けようと頑張る
普段の思いの方向性を愛やワクワクするものへとシフトすることは、方向性としては良いとは思うのですが
残念ながら正中心・丹田を鍛えて(現実化する)自分のパワーを強くしよういう発想が全くもって欠落している
鍛えずに現在のままのパワーで何とかやりくりしようとしています
それでも思いの方向性を極力良いものを選択することによる効果はあるのでしょうし
そういう仲間とつながってワイワイやることで喜びも感じるでしょうが、
「強くなる」ことはまた別の話です イヤな現実や困った現実に直面した時に、
1)頭の良い人は、頭を使ってあれこれ考えて理屈・理詰めで問題解決しようと試みます(男性に多い)
2)感情で動く人は、思いの方向性だけを感情的に心地よいものへと切り替えて現実をよくしようと試みます(これがスピリチュアル。女性が多い)
3)自ら(の丹田・精神力)を鍛え、強くし、見事難局を乗り越えようと精進したり、勢いで突破しようとするのは体育会系・武道系の人達
肥田式は本来は3)の層によって支持される内容ですが
オカルト雑誌の月刊ムーで特集されて一時期ブームになったという不思議な過去がありますので
2)や1)の層も多いと思っています
2)や1)の層の方々が見事肥田式によって丹田を開花させることができたら、それに続く人にとっては貴重な参考事例になると期待しています >>18
>ようはこれはあらゆる宗教やスピリチュアルで語られるところの
>「自分の見ている世界は自分の宇宙であり、自分の意識の鑑」であることの別表現です
というか、自分の妄想や思い込みを通して見る
自分フィルターやバイアスを外せって事だよ
>これは真実か?自分で確かめられるか?
>については自分の意識を変えてみて、
>それが周囲の世界にどう反映されるかを観察することでしか確かめられないで
自分フィルターを外して非科学疑似科学を捨てて
客観的に確かめればそれで良いだけでは?
>>19
アインシュタインの相対性理論は間違ってるって訳じゃない
量子論と噛み合わない面があるだけで
どっちも正しい
こういうのは宇宙倫理の書でも書いてあったろ
ユークリッド幾何学も非ユークリッド幾何学も対立しないってさ
>>20
>強い思いを発して考え・行動し続けていけば、
>それがどんどん現実化されていき、
>最後は大きな形になるという当たり前の成功法則を言っているに過ぎません
それはない。非現実的
スピのいつもの誤魔化しだよ。