さて池月氏のポストによると、
武田惣角の身近には溝口派一刀流を納めた人物、納めていそうな人物がいたそうなんだ。
義弟の池上源次郎は目録を持っていたそうだし、

戊辰氏戦争後に惣角生家の隣に越してきて、惣角の武術の師になったという
御供番(藩主の警護役)300石取りの佐藤金右衛門は
職業柄明治になっても流派名を人には言わなかったが、武芸十八般の達人だったという。
(池月氏は神道精武流と推測している。また流派は不明だが居合は名人だったらしい)

ここから想像だが、身分や役職からいって
この佐藤金右衛門は溝口派を納めていた可能性は高いんじゃないだろうか?
金衛門が流派名を伝えずに惣角に溝口派の手ほどきをし、
その後、惣角は坂下の養気館に通い小野派一刀流を修行した。
惣角のなかで溝口派と小野派がちゃんぽんになり、それが山本氏に小野派として伝わった…
という仮説は成り立たないだろうか…?

もちろんこれは溝口派と山本派の剣が何となく似てないか?というフワッとした印象論と、
xの怪しげな研究者のポストを繋げて考えた説で、
信憑性は皆無なのであくまで話のネタとして受け取って欲しい。