いろいろな一刀流について語りましょう
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>>134
宗家は秩父、師範家はどこで活動しているの?
来年2月の武道館、溝口派出ます。 >>135
>来年2月の武道館、溝口派出ます。
下記の大会のことでしょうか?
日本古武道協会設立45周年記念 第47回日本古武道演武大会 溝口派ってなんなの 何か流儀の説明だけみるに
ほぼ失伝してるんだけど、一部の極意剣だけなんとなく復元して残してます
的なよく解らん流儀に見えるんだが 小野派と自称してるとこで、これ溝口派っぽくね?って一刀流があって
まさかなあと思ってたんだけど
偶然xで研究者のツイート見たら、可能性が無くもなさそうな話が出て来て
もし本当に溝口派だったら貴重な存在なんじゃないかと思い始めてる いやヨタ話にそんなに期待されても困る・・・
とっ散らかった話だけど、後でまとめて投下します がっかりさせても悪いので最初に言っとくと合気系()の話だから
興味ない人はスルー推奨です。
さてくだんの一刀流というのは、大東流山本派でやってる
武田惣角から山本角義に伝えられたとされる小野派一刀流と称する剣術。
いわゆる合気系の武術は伝系とか技術とかに曖昧なとこが多くて
悪い言い方をすればよそからのパクりや創作が多い。
俺もこれを小野派一刀流と言うのはちょっと無理があるんじゃないかと思ったが
横に抜けて首を斬る所作が多いところなど、むしろ溝口派っぽいと感じたので
https://youtu.be/IQ3FhCoZeJU?si=ZACi2mbFgm1xJock&t=69
そのあたりからパクって来たか創作かと思ってスルーしていた。
しかしxで武田惣角を研究してる池月映氏(https://twitter.com/ikezuki2)のポストを読んだところ
氏の調査が事実とすると武田惣角が溝口派一刀流を習っていた可能性がまんざら有り得ない話ではなく、
山本派の一刀流と称する剣術は、既知の溝口派とは別ルートで伝わった分派の可能性があるのでは?
と想像を逞しくしてしまったわけなんだ。
この池月氏が斯界でどの程度の評価を受けてる人かは知らないし
ちょっと日本語が独特で怪しいが
少なくとも会津で関係者の子孫に聞き取り調査をしてるようなので
一定の信頼性はあるかと思う。
https://twitter.com/thejimwatkins さて池月氏のポストによると、
武田惣角の身近には溝口派一刀流を納めた人物、納めていそうな人物がいたそうなんだ。
義弟の池上源次郎は目録を持っていたそうだし、
戊辰氏戦争後に惣角生家の隣に越してきて、惣角の武術の師になったという
御供番(藩主の警護役)300石取りの佐藤金右衛門は
職業柄明治になっても流派名を人には言わなかったが、武芸十八般の達人だったという。
(池月氏は神道精武流と推測している。また流派は不明だが居合は名人だったらしい)
ここから想像だが、身分や役職からいって
この佐藤金右衛門は溝口派を納めていた可能性は高いんじゃないだろうか?
金衛門が流派名を伝えずに惣角に溝口派の手ほどきをし、
その後、惣角は坂下の養気館に通い小野派一刀流を修行した。
惣角のなかで溝口派と小野派がちゃんぽんになり、それが山本氏に小野派として伝わった…
という仮説は成り立たないだろうか…?
もちろんこれは溝口派と山本派の剣が何となく似てないか?というフワッとした印象論と、
xの怪しげな研究者のポストを繋げて考えた説で、
信憑性は皆無なのであくまで話のネタとして受け取って欲しい。 お疲れ様でした
会津だしなあ、大東流だしなあ、と十分有り得る話と思います
ある流派を習った後に別の流派を習って合一し、しかし新たに一流を立てる迄するのは憚られるので、
看板は元々の流派を掲げる、というのはよくあることだと思います
(私が知ってる例として、広島の渋川流柔術は元々の渋川流に他流を混ぜてなお渋川流としていた(後に門弟が渋川一流と区別))
武田惣角が活躍したのは撃剣稽古が主流で形稽古がなおざりにされた頃でもありますし >>150
それに関しては俺も独自考察があります。
あくまでも独自考察だから差し引いて考えて欲しいのだが
個人的には溝口派だとは思ってない
では何か? 答えを先に言ってしまうと
武田惣角から山本角義に伝えられたとされる小野派一刀流と称する剣術は
特徴的に小野派一刀流に見えない。ならば何か?
武田惣角が伝承していたとされる剣術流派を他に考えるなら
榊原鍵吉の門に学んだとされる直心影流剣術か?
いやこれも他の先き薔薇系の道場との技術的差異が大きすぎる。
ならばそれは武田が桃井春蔵より学んだとされ
公には失伝したとされる鏡新明智流ではないか?と推測している。
特に一度刀を合した後に相手の動きを封じて、後に首を狙う技に
桃井が決して刀で人を斬ることを良しとせず
新徴組と志学館が江戸の街中で揉めた時に
対立と緊張の中で一人するすると動いき新徴組を説き伏せた様子と
大東流の合気多人数取りの理合いが重なる気はする。
桃井は大阪で浪花会を指揮していたが神戸に
支流ではあるが鏡新明智流の流れを受け継ぐ直猶心流も残っているし
警視流木太刀形、警視流立居合に鏡新明智流の技が1本ずつ残っているので
山本角義伝の剣術と技術比較してみると良いかと思います。
この警視流の技を見た時個人的には納得する感覚がありました。
以上、すべて個人的な憶測に基づくものなので
反論異論があればお願いします。大いに歓迎いたします。 うーん
>>149 が上げた無限神刀流と小野派は一見して違うなって私も思うけど
溝口派
https://youtu.be/VTKhfQwDc2Q?si=bOHpKgJM4BZFfZGT
と
警視流の十本目 位詰
https://youtu.be/rUSCPRK-utc?si=sXhmgQ5WIUiy3xEG
なら、まだ溝口派の方が似ていると感じるな
警視流が元の流派の形から随分と変わっているとか、それぞれの形に鏡心明智流のエッセンスが入っていて、形の全部を通して見れば見いだせるとかそういう理由があるかもしれないけど
一旦混ざってしまったものから、現存しない鏡心明智流を抽出する様な推測よりも、溝口派に似てるね!という方がすっきり飲み込めるなあ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています