ピロン内服液は一本飲んだだけで心臓がバクバクして危険だと評判だった。
そんなのを毎日飲んで徹夜してたコジはまさに命懸けで受験に備えていたと断言する!
この努力と根性は大人になってからの仕事っぷりにも活かされている。
福昌堂時代のコジは猛烈な仕事っぷりで社長が
「あんな無茶な働き方を続けていたら小島君は過労死するぞ!」
と心配するほどだった。
だが暴走機関車のような働き方が評価されたコジは20代の若さで編集長に就任という
偉業を成し遂げたのである。
それ以来
「努力は必ず報われる」
というのがコジの座右の銘になった。