【免許皆伝?】佐川伝・大東流合気武術
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佐川 幸義(さがわ ゆきよし、1902年(明治35年)7月3日 - 1998年(平成10年)3月24日)は、日本の武術家。大東流合気柔術・中興の祖といわれる武田惣角の直弟子のひとり。
参考資料
「謎の拳法を求めて」松田隆智
「秘伝日本柔術」松田隆智
「透明な力」木村達雄
「合気修得への道」木村達雄
「大東流合気の真実」高橋賢
「孤塁の名人」津本陽
佐川伝・大東流合気武術及び、武術家 佐川幸義に関して考証するスレッドです。 この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/p_8u7ypDOPQ
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI
https://youtu.be/4rHuQiugSks
https://youtu.be/7d7yIfsT0rs この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。 インチキ道場の破門弟子がやたら発狂してますね
免許偽造の追及はかなり堪えるようです マルチポストでスレを流すなよ
宗範に教えて頂いた誇りある直系の代表師範がやることかね
盛平の武田家援助は凄いな。トータル金額、現在価値でいうとおいくらなんだろ 免許皆伝より高グレードの免状、本当に惣角許可?
何故金庫に?何故発表が惣角死後で息子さんらから?
証拠の巻物の写真は、奥の大事なところも映すべきだった
久琢磨のように本人、惣角、免状入れて記念写真も撮っておいたら完璧 武田時宗先生の証言では、植芝盛平から特別の援助をして貰った事は無いそうだけどね。 ふるさと納税で、“合気のふるさと”を作ろう!
佐川道場跡地の「合気公園」建設 寄付のお願い
第3期 目標金額 100万円
10月31日まで
https://www.furusato-tax.jp/gcf/1801 昭和12年頃に約40年ぶりの新巻物 3本目「秘奥義之事」が
ver1 「以上84ヶ条 上中下」 まで
ver2 久&堀川「解釈総伝477」と「大東流二刀秘伝」技法の追加記載有り
があるみたいだから皆伝の巻物も2バージョンあったんじゃねの?
ver1 堀川&佐川
ver2 久 5ちゃんでもブレイキングダウン・Breaking down!!
タガイ vs ど素人
2022年08月27日(土) 15時00分~16時00分
http://imgur.com/7t1C3cE.png 盛岡道場の初段師範のコピペポストはスルーしましょう。 武田惣角以前の合気の達人て誰だろう。
清和天皇の系譜、新羅三郎が開祖とは、
箔付の後付け伝説のような気がする。 >>230
>>215の下段のリンクは偽物なのでしょうか?
惣角が植芝に援助の令状書いてるようですけど これが本物ならば惣角は文盲ではないな。
金策援助御礼の代筆頼むなんて武士として
超カッコ悪い。
このくらいの手紙は書けるぐらい学はあったんだと
むしろ感心した。 これが偽物なら惣角や大東流の権威を貶めるための怪文書だな。
さて、真実は? >>236
植芝家の方からなんかの本が雑誌で出してたかと
植芝さんは空襲で自宅も道場も燃えてないからね
戦前のがちゃんと残ってんだよ
証拠書類等ちゃんと保存してるの別に惣角や佐川先生だけじゃないのよ この礼状がホンモノとすると
武田時宗さんが惣角さんを庇ってウソついてるんだな。 武術好きで。惣角の武術に惚れ込んで、教えて貰うため
元北海道開拓団の名士でありながら
家族まとめて生活の面倒見ちゃう
父親の生き死に沙汰で王仁三郎に帰依しボディガードになる。
なお、信仰を縋ったのに父親は病魔に勝てず
どんだけ純粋なんだろう。 >>242
ただし、スピ説教が超長いけどな
https://youtu.be/lxpXa1AJE7o
植芝さんの内弟子も一様に辟易してた発言してるしなw 当時の高弟やいまの師範、学生が技は別腹で大本教スピにはハマらないのが面白い
大本帰依者でなくても塩田やトウヘイさんのような高段者はおるし >>241
その礼状が本物か偽物か分からないけど、佐川幸義先生のお父さんも、
自宅の敷地に道場兼住居を建てて武田惣角先生の家族を住まわせていたのだし、
堀川幸道先生のお父さんも経営する旅館に武田惣角先生を住まわせて習っていたんだよ。
その礼状に就いて不審な点があるとすれば、日付だけで年号などが一切書かれていない点だね。
まあ、武田惣角先生の手紙は全て代筆だったそうだけどね。
流石に武田惣角先生が無学文盲と言うことはないだろうね。全く文字が読めなかったら、
弟子に英名録に署名捺印させたり、免状を代筆させたりしていてもごまかされてしまうからね。 惣角さんは現代の基準からはフーテン、ハチャメチャな人種だな
今の世で道場開いてもあっという間に行状がSNSで炎上して
大成しない
初期英明録の金持ちボンボンは育ちが良過ぎて、そういう人につい入れ込んでしまうのだろう
ハチャメチャな橋本代表師範も明治時代に生まれてたら惣角さん的人生を
送れたかもだが、現実現在残念なことに。 盛平さんの直伝稽古はたった実技10分で
眠くなるスピ説法1時間のメニューだったらしいな 当時で東京にある大学卒の親が金持ちの弟子ばかりで神道、宗教の話など聞かなくてどこ吹く風。
キリスト教信者弟子もいたようだが、キリスト教と関係ない話なのでまったく聞かない。 武術の達人で自分の師匠だから言って、一人の弟子がそこまで面倒見るって
現代の感覚じゃ理解に苦しむが、
当時は、普通のことだったのでしょうか?
でも、
天然理心流や北辰一刀流の
師範が弟子の家に居候なんて
聞いた事ないので
道場持たない武田惣角さんだけが
特別なのかな。
植芝も佐川さんもよくそこまで財力あったな。
エリート金持ちの久琢磨家には居候したのかな。 時宗氏は、「惣角は決して無茶なお金は取ってないと」言ってるけど北海道にあった植芝の家を
惣角に明け渡してるんだよね
謝礼録に寄れば確かに講習代自体は10日で5円、10円かもしれないけどお礼だとか車代だとか
色んな名目でお金は貰ってたはず
うちに滞在てもらうときは、3食付きで風呂は朝から晩まで沸かし、外にごちそうに連れて
行ったり何やかやで月に500円は払ってた、なんて佐川本にも書いてある。 >>202
あと、印鑑のことを考えれば皆伝免状がなぜ表に出せないか、その理由は
自ずと浮かび上がってくると思うよ
↑皆伝の免状が元々存在しないから表に出せないのだって見解なら、なぜ総伝の免状はちゃんと印が押された状態で存在しているのかという話になりますけど、宗清さんのところにあった印を佐川さんはどうやって押したのでしょう?
惣角の死後に総伝の免状を佐川さんが自分で作ったのならそのときに皆伝の免状も一緒に作らなかった理由は何?
『総伝の免状をちゃんと武田惣角から貰った』
『武田惣角の死後に総伝の免状を佐川が自分で作った』
どっちにしても総伝の免状だけあって皆伝の免状がないのは変ですけど真相はどうなんでしょう? >>251
たしかに、皆伝の免状がでてこない理由はわからない
それは現代の観点からみて明らかな不備があるから、という事なのかもしれない
何れにせよ、出せない理由は様々考え得るが、それが正統であるなら
でてこない理由は何もないと俺は思ってる
佐川が無断で押した、等と言うつもりはないけど
正統総伝の件は、宗清氏も時宗氏も承知したうえで通知している訳だから
3者が協力すれば可能っちゃ可能 惣角さんは現代の基準からはフーテン、ハチャメチャな人種だな
今の世で道場開いてもあっという間に行状がSNSで炎上して
大成しない
初期英明録の金持ちボンボンは育ちが良過ぎて、そういう人につい入れ込んでしまうのだろう
ハチャメチャな橋本代表師範も明治時代に生まれてたら惣角さん的人生を
送れたかもだが、現実現在残念なことに。 >>249
大阪では四天王寺の定宿に泊まってタクシーで
曽根崎の久琢磨の社宅内の朝日武道道場に来られてそうですよ
もちろん大阪朝日の社費です
警察署や久人脈の上級富裕層に大阪神戸で講習もしてた模様
大阪でも惣角テンプレの 銭湯 犬殺 覗き見発狂 飲食トラブル 喧嘩沙汰等が
てんこ盛りで大阪ライフも満喫されてたようですよw 故人の意思なんてわかるはずもないが
惣角没後にご子息と佐川さんが宗家就任のために
色々作ったのでしょうか 大阪の定宿では自炊して桶でウナギ飼ってた毎日喰ってたり
諸所キテレツぶりに宿から久先生に度々連絡あったらしいですw >>252
佐川が無断で押した、等と言うつもりはないけど
正統総伝の件は、宗清氏も時宗氏も承知したうえで通知している訳だから
3者が協力すれば可能っちゃ可能
皆伝の免状も↑そのやり方なら簡単に作れたはずなのになぜ無いのかって話で、その理由がわからないんですよね
総伝の免状は惣角の死後に作られた!!って結論に持っていきたいのかもしれませんけど証拠は無いんですよね?惣角の生前に作られた証拠もないですけど >>258
だから、なにか不備があったんじゃないの?それか時宗氏が皆伝免状には
判を押さなかったということかもしれない
完璧に体裁が整った久の免状が先にあるわけだしね
何にせよ、ちゃんとした現物が存在するのに何故頑なに金庫の奥へ閉まって
あんな通知書を二度も本に載せてるのか 自慢しいが伝統の佐門の佐川さんが
久琢磨の完璧な免許皆伝の証拠より
いまいちパンチのかける証拠しか出せないって妙だ
もし持ってたら金庫にしまっとかなくて
対ライバル分派への牽制ようにドヤ顔で見せびらかすタイプと思う >>259
皆伝の「免状」は授与するその場で作成したらしいから
戦災で燃えて見本もなく完コピ出来なったんで作らなったんじゃないの
総伝免状が写ってる三者の写真も久先生が活動再開した後に
朝日筋の弟子に依頼して大阪朝日のアーカイブから出てきたんやないの?
久先生はs18に朝日辞めてs34まで大東流も朝日も関わりないし 武田時宗さんは死後に一刀流以外の剣術の詳しい解説が発見されて習わないと絶対ここまで書き残せないという判断がされてたけど、教えた人には黙っていたんだね。
惣角も何を習ったか正確に言っていない。
大東流研究家が試合主体の一刀流を学んだって言ってたけど、型をほとんどやらない試合の一刀流って一体何なんだw。 戦災で惣角直筆?の免状が失われたなら
その旨公表すれば良かったかも >>260
『秘伝日本柔術』で皆伝は久と佐であると書かせた翌年に、大東館はそれを否定
するかのような発表を会報でしているわけ
だから、時宗氏が存命中の間は通知状すらも公開しづらかったんじゃないかね
>>261
或いは、豪華な金箔免状を作成するのも難しかったのかもしれない
(まぁ正統総伝は普通の様式だけど…)繰り返しになるが出せない理由だけは「?」
皆伝の巻や通知状を度々公開するなどしてそこに強い拘りがあったことは
疑いようがないと思うので、ただ何となく出さないとか味噌汁が溢れた
なんてことではないはず >>264
もし久家の皆伝免状の文字が認識出来る例の写真が残っていたとしても
かくかくジカジカの流派&宗家の権威付けの事情で
宗家委託する佐川さんに惣角允可の捏造皆伝免状を、、
と時宗先生が貸してくれとは久先生には言えないし
お願いもしてないでしょいくら何でも失礼だし あと、正統総伝の免状に「皆伝の事」の記載がないのも不可解
伝授された全ての巻き物は最新の免状に列挙して残らず記載するのが慣例であり
当然、久の免状もその原則に則って解釈総伝の事477箇条→皆伝の事88箇条の順に
記述されてるのだが、これが正統総伝では解釈総伝→正統総伝となってて
何故か皆伝を飛ばしてる
本によると、正統総伝は最高の伝位ということ、その前年に皆伝の印可を受けてる
ということになってるのに、それが何処にも書かれてないのは一体どういうことなのか 惣角存命中に、皆伝允可されたという確実な証拠は
佐川さんは持ってない、公表もしてない
久琢磨は、うごかぬ証拠を公表済み
この差はでかい! >>258
結論に持っていきたいというよりも、それが現物をだせない理由じゃないの?って推測
もし仮に、死んだ人間の判がそこに突いてあったとしたら犯罪になるわな
でも関係者が全て居なくなった後なら、ね 久琢磨から皆伝受けた鶴さんは合気道レーベルや杖道で教本出しちゃったし
正統大東流伝承者を名乗るには厳しい
久琢磨も商売上?合気道家の顔をしてたので
時宗さん的には武田家の忠誠度が高い佐川さんしか宗家適任がおらんかった
植芝は造反前は佐川さんと同じぐらい武田家を金銭的にフォローしてたが
スピに走り、独立して合気道開祖名乗るのは言語道断 久琢磨、久琢磨と宣伝ご苦労様だけど、免許皆伝の久琢磨師範の技がこんなヨボヨボじゃあ、ガッカリな人が殆どだったんじゃないかな?
脳卒中の後とは言えねwww
https://youtu.be/hMidk7IwDt8 盛岡産 朝鮮草生やしキタ━━━━(゚∀゚)━━━━!! 佐川さん以外に正統相伝取った人はいない、
佐川さん没後は、正統相伝は誰のものになったの 近藤先生の皆伝巻物の巻末部分の宛 日付け允可
https://i.imgur.com/HwK9MFs.jpg
佐門はここの部分を写真でみせないとな ↑写真で免状を見せびらかすなら
一番のキモの部分だよね。
前段の何箇条云々や清和天皇の系譜云々よりは、
俺の方が先に正式に允可された
年月日、惣角さんの正式印、署名、自分本名
公表できない理由があったのか? 印章の入ってない巻き物なんてそれこそ誰にでも作れる訳だからな
まして巻いた状態のままの状態の画像なんてね ここにいる奴らは印の押された免状を証拠も無しに後からつくった物だと決めつける連中だから
印と日付の入った皆伝の免状と巻物が出てきたところで絶対認めるわけないよな 裁判所じゃないんだから見てるひとが好きに評価すりゃいい
・皆伝を印可された翌、昭和14年8月に御信用の手をやっている
・正統総伝免状に皆伝ノ事88箇条が入ってない
とりあえず文書に書かれてある疑問点はこの辺だな 著書のなかで佐川は、「免状なんて紙切れだ大事なのはこの身体(が獲得した技)だ」
と語っている割には、そこに異様な執着があるように感じられた
なかでも、いっとき宗家を任されたということは強く主張している
いっぽうで近藤氏は最初から宗家は時宗氏が継いだかのように書いてて無かったこと
のようにスルー 佐川さんと木村さんと橋本さんは
性格的に通じるものがあるな。 >>279
金箔の免状って凄い!
これに筆で墨付けて書くとき、誤字しそうで
自分ならめちゃ緊張するだろうな。 >>278
佐門的には武田惣角伝の究極の免状って佐川先生が授かった正統相伝なのかな
他の高弟が授かった免許皆伝とは格が違うという認識でオケ? >>283
時宗氏によるs29年の見解でも最高の伝位だと読める
(皆伝は48箇条となってるが) 大東流免状は、目録→奥義→皆伝
頭に入れるタイトルは久のものが皆伝で正統総伝は奥義
こちらは皆伝よりも格上という建付けにはなってない 正統相伝だけがイレギュラーで他の弟子が貰ってない
オンリーワン。でも他の弟子の免許皆伝の方が技数多いのは
おかしい。
惣角ご子息が佐川さんに宗家に上げるために創設した下駄を履かせる
免状かも。父親が他の弟子にあげた皆伝の控えがなく
免許皆伝以上に技数を自然に盛ることが出来なかった
タイトルは盛るのに成功したのだが 最高級免状に、技目録の種類やその技数や増やすことはあっても
減らすことは考えにくい。流派の技に対しては全て伝授で全知全能ってのが
宗家なんでしょう。
それより下級の免状の技が網羅されてなきゃ宗家が同門の高弟が駆使する
先代に習ってない技で敗れる可能性がある。これはまずい 修行にかけられる時間は有限なので
技目録や技数がめちゃくちゃ多い
と言っても一個一個の技を伝授するのは時間がかかり
一個一個の技の完成度は薄くなりそう
階梯ごとに動きのレベルが段違いになる基本原理は同じなので
問題ないとか、量質転換で師匠に色んな技をとおす事で
全てのレベルが底上げされるとかそういう教授システムなのかな でも、RPGでもレベルが上がれば上がるほど使える技は増えるもんだよな
ゲームでそのシステムが採用されてるのは人間社会でも受け入れやすい常識だから >>285
佐川さんは
昭和7年教授代理
昭和14年8月から9月御信用之手84ヶ條
(この2つは怪しい免状と違ってちゃんとした記録が残っている)
植芝盛平さんも教授代理になった後で御信用之手をやってるらしいけど何故だろうか? 宗家は大東流正統を受け継いで後世に伝える
役割りがあるからな。
佐川さんは御子息の時宗さんには
それに資すると認定された。
佐川さん以降、大東流で佐川さんなみの
カリスマっておらんのがざんねん、
橋本代表師範は別ベクトルで武板名物であるが 橋本代表師範の佐門愛は本物なので
彼が満場一致で宗家になったら
古武道界が沸き立つのになー。 盛岡のH初伝初段師範のお話はここではやめていただけませんか?
場が荒れるだけなので。 つか十川忠衛さんも54歳なのに熱心やなw
半年前にも20日間の直伝講習受けてるし
惣角の直伝は痛くて悲鳴ばかりで何が何だかわからんって評なのに
知られてない末席の教授代理だけど 十河さん金持ちの地主旦那なんだろうけど
5年後には農地改革・預金封鎖・財産税で没落したんだろうね でかい免除貰っても試合になれば国会議員から主婦に戻ったメダリスト、やわらちゃんこと旧姓田村亮子さんに勝つのは難しいだろう。
他は去年か一昨年あたりだったか、柔道の古賀道場開いていて癌で亡くなった古賀さんなどにも。 想像の中ではいつもオキニの弟子を投げるように、相手が谷だろうが古賀だろうが絶対彼らは負けない。ルールがある試合なんてレベルが低くて、こちらの反則技が使えないとか、仰り、結局この手の疑問、挑発には、付き合わない。試合やらなきゃ
実力は神秘のベールに包まれたままでいられる。
元は同じ武田の弟子でも合気をとったとか、
あいつはとれてないとか、お互い褒めあって貶しあってと、争いは好まない平和で幸せな人達だ。 >>291
回数さえ重ねさえすれば誰でも上の巻き物がもらえる、という仕組みでは
或いは無かったのかも
「久が皆伝の巻を貰うのに5千円払った、という噂があった。当時では家が3軒立つほどの
大金である」なんて佐川は本に書かせてる
勿論これは嫌味で言ってるんだろうけど、同時に巻き物を貰うには其れだけの奉公が
必要であったと言う意味にも受け取れるな ガンで若くして死ぬなんて弱いからだ。
谷にしても古賀にしても、柔道の限られたルールでは強いかも知れないが、それ以外ではただのチビだよ。
俺のフック一発で死んじゃうよwwwwww 柔道の全日本クラスは過酷な稽古からしのぎを削って勝ち残ってきたのしかいないから趣味の研究古武道で対応するのはね…。 >>291
明治32年~昭和11年頃の40年弱の期間
巻物は秘伝目録と秘伝奥義しかなかったから
10日間稽古5回の5ヶ条まで+数回の直伝講習(直伝10日間150円)で
「秘伝奥義之事」の巻物を貰えて=御信用の手を伝授済
これで伝位としては教授代理の資格を得れるって仕組み
但し講習会を催す人集めが出来る人に教授代理を与えてんだと
佐川さんは自認してるけど人集めが苦手で惣角からもそう思われてたしい 布施を弾んでセミナー受けまくれば
サークルのステージが上がるって、いまでもよくあるお話に近い世界かも、
堀辺さんやホエサンのように回数こなせば。
ある程度は対外的にカッコがつく目録はいただけるのだな。
飽きさせないように、階段の段数は、多い方が
経営的には、いいのだろうな。
多くの段級武道も
実力バツグンでも出席回数で縛り
一発試験でそく黒帯なんて許さない。 https://i.imgur.com/yEIP9P0.jpg
https://i.imgur.com/3jBrUzQ.jpg
明治32年 最古の「秘伝奥義之事」の巻物
元々40年位は御信用の手は2本目のこの巻物に内包されてて
独立した伝位の技法群じゃなかった 何れにせよ資料だけを見れば、佐川の免状はs14年の総伝まで入れても秘伝奥義まで
ということになってる >>299続き
巻き物1本5千円の後に「大事なのは技であって免状は単なる紙切れに過ぎない」
「いい加減なことを書いてるから私は見てもいない」などと遠回しな皮肉を言ってて
とても自分も同じ皆伝の巻を貰ってるので愉快だという調子ではない 武田惣角さんみたいな達人目指して、
大金やご奉仕かけたのに、
念願の巻物をゲットしたら
賢者モードになられたのだろうか、
難関大学に猛勉強合格したときが
喜びのピークでキャンパスライフは、
ちと萎えてるガリ勉学生的なかんじか? 凡人も達人もいつかは老いて病気になって
無になってしまうのは虚しい
墓に入るまでの暇つぶしを楽しんで出来ればいいし、日本武道の精髄中の精髄をつかみ未来に伝えることは意義深いことだ。
護身術としては高級すぎるし修得できるひとは
一握りしかいないのに、自分は必ず、合気をつかむ、人生にロマンを求めたのだな。 柔道はプロのストライカーやMMAに当たったらそりゃそうですが。
佐門は実際どこまでやれるのか未知数ですね。
惣角さんの正統成分を一番高品質で受け継いでるんでしょ
試合に出ない、道場破りを数多破った武勇伝は佐門サイドのみ
いつまで経っても未知数でしょうけどね 空手家に即効免許皆伝をあげちゃった某氏と
k先生の著書の白帯でも空手強豪を子供扱い
両事象は、ちょっと理解に苦しむんですよね プライド高い人が多いという印象
他流の批判は無駄な挑戦を呼び寄せるので
外に出さなきゃいいのに 根っから武術好きの競技格闘技者が
若手相手の乱取り試合で勝てなくなったとき
型武道に道を求めることが多い
元師範も倍達の弟子でフルコンがキツくなったので
合気道を併修しようとしたら、合気の魅力に取り憑かれたらしい
盛平の長話には閉口したらしい
壮年だったがフルコン時代の貯金か。威力と動きがやばかった
フルコン時代はパイセンに強要されてる拳法道場に肝試しで道場破りに行ったらしくて
合気道師範になってからもたまにクレームがつくらしい
恐らく自由攻防でもそこそこのやつには遅れをとらなかっただろう
ルールありの自由攻防を体験しそこそこやった人は上手く合気とフュージョンするんかな
最初から合気純粋培養じゃ自由攻防童貞なので合気で自由攻防は厳しいカモだけど
超天才はいるかもな >>287
惣角ご子息が佐川さんに宗家に上げるために創設した下駄を履かせる
免状かも。父親が他の弟子にあげた皆伝の控えがなく
免許皆伝以上に技数を自然に盛ることが出来なかった
タイトルは盛るのに成功したのだが
それだと佐川が皆伝の巻物(写真では巻頭の印は写っていて巻末の印と日付は写っていない)を持っていた理由の説明がつかない
皆伝の巻物を持ってるんだから惣角の死後に免状を書いたのなら『八十八ヶ條』も書けたはずだけどなぜか解釈総伝→正統総伝で皆伝は省略 当人の技術や師匠からの信頼とかは当然大事としても
家元制度は究極には集金システムだからな。
一代で作り上げた流派ゆえにお茶やお花の家元ほど組織がしっかりしておらず、
見よう見まねの家元システムで免状配ったり役職増やしたりしてたんだろう。
免状に記載された内容だけで客観的に歴史考証ができるほど厳密じゃないと思う。 ふるさと納税で、“合気のふるさと”を作ろう!
佐川道場跡地の「合気公園」建設 寄付のお願い
第3期 目標金額 100万円
10月31日まで
https://www.furusato-tax.jp/gcf/1801 月刊秘伝2022年9月号
8月12日発売
大東流合気武術総本部 宗範
佐川幸義先生特集
https://webhiden.jp/mag/202209/ 天下無双 正伝大東流合気武術総本部 宗範 佐川幸義先生 顕彰
佐川幸義先生・合気写真集
大東流合気佐門会 編
どう出版 売り切れ御礼!
https://www.dou-shuppan.com/books/sagawa-pb/ 惣角師開催の講習会ってどんな感じなのか
どっかの道場か体育館を借りて、朝から晩まで、
講習会参加者に痛いと評判の技をかけまくるんかな
かけたあとは参加者同士で技を再現させるも。当然掛からないんで
こうやるんだ!弟子に技を掛けるんかな。
これで技をモノにして、何元とか、初伝、中伝、奥伝とか
免許を貰うのもすごい当時の弟子は熱心なんだな。
リピーターになるのは金とヒマがありこの武術に惚れ込んだ人だけで
さらに免許皆伝なんてのはセンスの塊なんだろうな
惣角のすごいのは生徒の到達度が違うので
英名録で到達度を管理してたが、久しぶりに来た人にも
適切に技の続きを教える能力はあったところだな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています