宮本武蔵ってデカいから強かっただけじゃない?
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
五輪書で武道の理屈をいろいろ述べているけど、あの体格だからできたこと。
武蔵が当時の平均身長程度の武芸者だったら、どこかで斬られて死んでるだけだっただろうな。 現代的な銃火器が無い時代だし、基本デカい方が強いわな 現代で稀によくある、成功者が書いたビジネス書のようなものを例に取る。
「誰でもできる」を謳っていて実のところ、そいつにしかできない自慢話ばかり書いてある
・・・五輪書はそんなようなもの。 二刀流なんてそうだろうな
鉄の棒を片手で振り回すんだから
二天一流が発展しなかったのもそう
柳生兵庫があれば人に教えられるものじゃないと言ったとか 宮本武蔵っていう同姓同名が何人もいてやったことが混同されてる説あったな まぁ昔のことは大袈裟になりがち
佐々木小次郎との決闘も、実は何人か隠れていて複数で襲った説があるんだよな
関ヶ原では普通に戦ってたわけだし。負けたので逃げたし 大きくてイケメンで長い刀を振り回して強いモテモテの小次郎を
平均身長で汚くて臭くてむさい男の武蔵が二刀流で倒すのが物語の基本です
小さい若くて天才の吉岡とか、槍の宝蔵院流とか、変った鎖鎌使いが出て来るのが流れです
武蔵の強さは戦法にあるという感じでお願いします >>8
片手斬り自体はいろんな流派にあるし
受けも両手を使う十字受けとかあるんで一刀に比べて極端に腕力がいる訳ではない 武道観で勝つ事にこだわったのが武蔵
活人剣とか生ぬるい事言ってんだみたいな >>8
二天一流は熊本、福岡、江戸にまで広まってたらしい
幕末、明治で途絶えた 京八流に二刀流があったんだけど、武蔵が吉岡をぶっ潰したという事で、二刀流の開祖は武蔵という事になってるらしい
ホントかどうかは知らん 武蔵も小次郎も力が強かったってのはあるだろうな
小次郎はデカイ刀を速度を落とさず振り回されずに振り回すことができる力があって
武蔵は刀二つを有効に使える力があった
ある程度筋力が無いと使えない武器や技もある
なお、日本人の平均身長は志那畜邪教のせいで肉食が廃れて以降小型化し続けて江戸時代では男性で155cm
そんな中で武蔵は約182cmもあって木刀、なんなら素手で人を殺せる化け物とされている 五輪書から推測するに標準刀を好んだとすれば、肖像画のバランスを考えて、特別巨人ってわけでもないと思われる
禿だったのは間違いない 小倉碑文、五輪書、武州公伝、二天記、武州伝来記、兵法先 師伝記、武芸百人一首とか
武蔵の話は尾ひれの付いた創作話が多いらしくて、調べる気が云々 江戸時代の道場ブームを作ったのが武蔵だった
しらんけど 武蔵のイメージってほぼ、吉川英治の小説がベースになってるだろうけど
その吉川英治の武蔵は、熊本の方の資料、(二天記とか武公伝等々)を本にしてる上に
フィクションとしての創作もかなり入ってるからな
吉川の時代から既に何十年も経って、九州地方以外にも色々武蔵の資料が出てくる
ようになったから、今日では吉川作品のイメージとは違う実像に近い武蔵が色々判ってきているよね 武蔵が神道流創始にケチを付けたのが混乱の始まり
最初に神当流の有馬兵衛をブッ倒して、勝った奴が正義みたいな アレキサンダー・ベネットさんの本が発売したら教えて 連戦連勝が事実なら技術もそれなりにあっただろう
剣の場合はフィジカル能力だけで連戦連勝は難しい それなりに宮本武蔵は、平穏な道だけを歩いていたのではなかったのではないだろうかと
想像する。小説より、本当の宮本武蔵の歩んだ道は、もっと激しかったのではなかろうか。
宮本武蔵の頭の中は、生涯無敗なんて当然、サムライの道だと思っているだろう。
敗けること自体、頭の中に存在していない。それも刀の扱い方なんて教えてもらったわけでもないだろ。
師がいない。いるとすれば、小さい頃、あまりに暴れるので近所の坊さんが、
武蔵の足を縛って、木に吊るしたことくらいだろ。
この子供の時の体験が、イクサにおいての武蔵の爆発力につながったのだろう。あのまま坊主が、紐を解いてくれなければ、
血が全部、頭に行って、冥土に行っていたという恐怖心である。坊主が最強の師匠だろう。 お父さんの無二斎も強かったからね
遺伝なのか環境なのか、強い一家って”普通”の基準がぶっ壊れてることがある
速さとかパワーとか
脳のテンポが速い生活してるとか 武蔵も好きだけど無二斎も好き
十手の達人とか渋いじゃない >>6
武術の場合は”それしないと”できないんです。
これすればみんなできるではない。 >>6
武術の場合は”それしないと”できないんです。
これすればみんなできるではない。 >>31
無二斎どんな人なのかわかんない
出典求める >>1そんなの全部そう。いったらね。この人はこんなのが恵まれたからだ。っていう。 >>1そんなのいったら全部そう。この人はこんなのが恵まれたからだ。っていう。 >>1そんなのいったら全部そう。この人はこんなのが恵まれたからだっていうね。 >>1そんなのいったら全部そう。この人はこんなのが恵まれたからだっていうね。 五輪書に書かれてることって体格関係なくないですか。それに武蔵さんが体格板よるのは良くないって最後の方の巻で言ってますし。それがもし勘違いというのだったたら、何も知らないあなたがいう権利ないと思います。 素手の戦いなら身長や体重は関係あるけど
武器アリの戦乱の時代なら
身長や体重が大きい方が不利なのワカル? 若い頃の武蔵はもっぱら卑怯な戦法で勝っとる
本格的に術理や二刀を磨きだしたのは実戦を退いてから
>>36
十手術(左手に十手持って右手で打刀持つ)の使い手で武蔵の二刀流のヒントになってとか
武蔵は体格というか戦法で勝ってる事が多いんでどっちの主張も間違ってるかも 宮本武蔵が山賊から農家を守ったって話は本当?作り話だよな >>44
多分本当だけど守ったって言うより農民に罠の張り方や戦い方を教えて指揮をとったってのが真相っぽい 宮本武蔵って戦術家というか指揮官の素養もあったのか >>47
武人って言うより策士って側面の方が強いかもね
決闘では相手の真剣より僅かに長い木刀使ってリーチの差と取り回しの早さでアドバンテージ作ったり
逆に相手に長すぎる木刀使わせるようにしむけて相手が振り回されてる隙にボコったり
木の上に隠れて奇襲するとか浜辺での戦いではワザと木刀の先を水に漬けながら近づいて相手に木刀の長さを読み違えさせたりと
とにかく勝つためには何でもやってた御仁かと
実際の戦働きでは投石で脚を怪我して早々にリタイアしてるんでそこまでスペシャルな強さがあったかは甚だ疑問 >>48
宮本武蔵は豊前中津藩の負傷者リストにはいないとか
投石で立てないは手紙の自己申告でしかないし >>43
それは俺も思った。南方伝承のいわゆるサイ?あれが富理流の十手術、或いは二刀の元になっていて、武蔵の二刀流に
繋がっているのだとしたら、ちょっと面白いね >>49
今の感覚では信じがたいけど戦での負傷は名誉な事だったみたいでやたら自慢してるね
武蔵の振舞みてるとセルフプロデュースが優れてるというか初期のグレイシー一族と通じるものを感じる
>>50
二刀を使う事自体は秀吉の朝鮮出兵の時に朝鮮側の記録に日本兵がやってたって記録もあるから完全にオリジナルって訳でも無さそうね
まぁ武蔵のは父親の十手術の影響があるのはほぼ間違いないとは思うけど 朝鮮出兵どころか武蔵が生まれる前の影目録に描かれた打太刀にだって二刀がいるだろ…
剣豪話好きでもこういうことって知らないもんなの?
基本中の基本の話だと思うんだけど そそ二刀自体は武蔵の前の時代から普通に存在してるって事よ
それをさもオリジナルのように後世に残したのが武蔵ってだけで
そういうの含めてプロデュース力だなって思うわけ
しかも数々の決闘では二刀使ってないし 史実で二刀流を使ったのは油小路での服部武雄かな
大小二本で槍持ってる人らを十数人足止めするのはカッコ良すぎる 親父の無二斎は慶長の頃まで存命していて、巌流島の後も親父さんのところで武蔵がしばらく身を寄せていたという
資料もあるようだから、二刀流そのものの歴史はともかく、武蔵の剣技は彼の完全な経験だけによるものではなく
父親からも当理流を学んでいたのじゃないかと推察する
実際、円明流として尾張藩に伝えたものは、それなりに技術体系がしっかりしてたもののようだしね 当理流がめちゃくちゃ複雑で、こんなことやらなくても斬れるわって喧嘩したのかも 一般の人は片手で刀を振れないからね
武蔵の剣術は片手で振れってところから始まる 馬上剣術とか基本片手だぞ
二刀自体も武蔵以前からあるしいい加減その辺りの認識はしっかりしとこうや うっ、馬術剣術を調べようと本に手を掛けたけど、頭が拒絶した >>66
何か意味があって、たぶん船島で決闘したのかと
適当に決めたわけじゃないと思う だから木刀の長さを隠すための布石よ浜辺にしたのも遅れて行ったのも 遅れて行ったというのは何か信頼できる史料で確認できるの? 武蔵自身は実戦的な剣術を追い求めたのに、後世では虚像ばかりが話題になるという皮肉
武蔵の実像は今となってはどうだかなぁ 武蔵の実像は投石に負けた人ってくらいしかわからない >>71
実際は作戦能力とか木刀の戦略的な使い方とかが上手かったのね
ただ自身も五輪の書とか承認欲求の強いモノを後世に残してるんで武蔵本人が招いた事なのかもしれない
>>72
一応戦での負傷は名誉な事なので本人は自慢しとるね >>47昔の達人は個人の戦いも集団の戦いも同じことだと言ってます。柳生宗矩とかです。確か五輪書にも書かれてた気がします。 宮本武蔵って遺品から身長160cmくらいって言われてなかったっけ?
つまり、戦国時代末の平均身長だったと。 >>77
武州伝来記っていう伝記物が元ネタらしい。原本は無い 武蔵は武芸以外の教養もあるしサロンにも出入りしてたような人だから何事も生きる糧にしてそうだが
その武蔵が言う役に立たないことって何だろうな 文学、映画といろいろ創作物があるけど
一番好きなのは
夢枕獏「大帝の剣」の武蔵。 武蔵は身の当たり=体当たりの使い方や有効性に言及してる数少ない剣術家
他の人は大体隠してる場合が多い いやそれはそんな深い意味じゃない。単純に片手斬りの有用性を説明するのに体当たりを書いただけかと
剣道で吹っ飛ばされたことあるけど、大丈夫っていえば大丈夫だよ >>87
いやちゃんと致命傷与える方法を書いとるよ
その先は流石に隠してるけど 致命傷与えた後に隠す事って、なんや ・・・魂鎮魂の祈祷秘術とか? 世の五輪書は細川本ってのが元になってて、原本は消失してる
文字が古すぎて読めないのよ
俺もいろいろ読んでみた結果、岩波文庫で変わらねぇよみたいな結論に >>87
五輪書の「身のあたりと云事」のどこに片手切りの有用性の説明が関わってくるの?
具体的に本文の該当箇所確認させてほしい 全日本剣道選手権に二刀流で出場して、優勝出来たら教えてやるよ
お前に教えることはないみたいな >>93
本文見たけど身のあたりという云事のどこも片手斬りと関連してなくね? >>95
一回、体当たり喰らって死んで来い。わかるから 他人になったことがないから分からないけど
剣道で体当たり喰らっても竹刀から手を離せないで頭をガーンて打つどんくさい奴がいる
そういう奴に片手で両手でとか説明したって意味無いじゃん? キリスト教の奴は小野派一刀流でもやってればいいんだよ。いちいち絡むな 武蔵の話してるのに、俺がどうとか関係ないだろ。なんなんだろうねマジで
武蔵になったつもりでとか書いてあるけど もしかして、刀持って転んだ事とか経験無いのか?
どいつもこいつも黒田鉄山のマネばっかりしやがって >>90
身の当たり自体で大ダメージ与える事は可能なんだけど本当に恐ろしいのはそこからの追撃だからね
武器対武器でテイクダウン奪われて武器の間合いならほぼ詰むのは想像できると思うけど具体的な追撃方法までは語ってないとこね
流石にそこまでは教えたくなかったみたい ID:OjChHjfz0の話の通じなさが凄い
しかも都合が悪いの誤魔化してるのか不必要な連投してるし 李書文の八極拳の話すんの?宮本武蔵のスレで?FGOかよ 中国拳法にも靠撃っていう体当たりの技術あるんだけどあれは体当たりで終わってるのが温いんだよな
本当はそこからの追撃が必殺の一撃になるんだけど中拳の靠は打った後居着くからそれが出来ない >本当はそこからの追撃が必殺の一撃になるんだけど
これは具体的にどういった伝書類から確認できるの?
まさか現代人の想像ではないだろうし気になるな >>106
伝書では確認出来ないし多くは口伝
ただ剣術なら本来は禁忌とされる突き技や大振りの斬撃に繋げやすく小具足なら即組打ちに移行出来るって強みがあるよ
相手が倒れたなら脚切ったり陰部突いたりってのはある 武蔵関係ないけど、俺は足は斬るな、運ぶのが大変だからって誰かに聞いたぞ
足を斬る技は存在したらしいね。失伝してるけど >>108
江戸時代に発展した剣術はあんま脚斬らないけど戦国以前からある流派は普通に脚斬り有りますよ
戦場で相手殺す前提なら首級獲ればOKなので手足切り落とすとか普通にアリ
内腿の動脈斬って後は出血多量で動けなくなるまで時間稼ぐ戦い方とかもあったし 言われてみれば、武蔵はどこどこを斬れみたいなことを言ってないな 本来は甲冑兵法と素肌兵法の両方やってる人なんでどこをどういう風に斬るとかは非常に重要視してるハズなんだけどね
五輪の書で書かれてるのは平常心や拍子の取り方とかに終始してて泥臭い技術についてはあんま言及してないんだよね
そんな中身の当たりは書いてるんで意外だなと 二刀使って片手で振るけどあんまり変な振り方するな、戦い方があるよ、世の中のルールに従え
みたいなこと言ってるよな
最後はなんか暗号みたいな万理一空の教え その点藁斬り抜刀斎は一刀流でも藁を一刀両断に出来るし、身長も宮本武蔵と同じくらいじゃないか? 現代の宮本武蔵といっても過言ではない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています