武道に迷ったら日本の柔術に戻るべき
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やっぱり一番まともで、
競技に溺れず、知恵もついて、
身体のことや食事や生活のことまで健康を考えて、
生きることと結びついているのは、柔術なんだよね。
素手では急所攻撃もあり、投げや敷きもあり、
護身や逮捕があり、刀も手裏剣も縄もあり、
一部には情報術や毒薬製法もある。
それに、時代ごとの柔術がいくつもあって、
それぞれが面白いものになっている。
日本史にも詳しくなれる。
柔術が結局は一番楽しめる。 なにが柔道推進だよ
くさいきたない泥臭い柔道なんて若い子は絶対やんねーぞ!
コロナ社会の今こそ形稽古をアピールする無二のチャンスだろ!!
ここで形をアピールしないでいつすんだよ 押せ押せ踏ん張れの柔道なんてクソほど面白くないもの推進してどーすんだよ
伝統語るなら嘉納治五郎泣かせんな 柔道形やりたいよね
極の形や講道館護身術やを
ヨーロッパみたいに創作形もやりたい
三船久蔵の投技裏の形や固技裏の形も身に付けたい 形もそれはそれで自分語りでお終いになったりするからね
やっぱりスパーだよ でも剣道みたいに少年期にスパーで成年で形やるのはいいかもしれない
問題は柔道の練習内容があまり楽しくないことだな
フランスみたいに合理的な研究体系ができるといいな 勝負法の技は形メインになってるんだから、
当て身や武器術や肘以外の関節技や関節投げや
成年・現役引退以降、形重視の方でも充実させていけば良いんだよな 形を全体として、分解で練習して、そこに防具で約束を入れる、くらいかな。
スパーリングみたいのは相撲とか竹刀稽古くらいが限界かもしれないな。 戦時中の武徳会柔道審判規定では、範士教士の称号者は
一応全身の関節技解禁と当て身解禁でもやってたんだよな
当て身使用の際は防具着用か しないは竹刀じゃなくて撓がいいなー
どこに売ってんだろ 相撲が一番強くなりやすい
体重増やして筋トレし、廻し締めてマウスピース
で力籠るから喧嘩相手にはしたくないな 武器術の練習のように蹴当てをメニューにしてみるわ
蹴りだけ防具で当て合う >>441
独学で何かの試合で勝てたら認められるけどこの熟女は試合実績あるの?
無いなら痛いだけのオバサンだか 浅山系のひとが袋竹刀?で動画撮っているな
柔らかそうだから革なのかな
距離感やタイミングには良い稽古かな
面への当ては無いほうがむしろ良さそう なんだかんだ日本柔術ってボクシングやムエタイより歴史は浅いのか 古代のレスリングは拳込みだからね
どっちか死ぬまでという意味では古代相撲に近い 特定の流派ではなく剣術や体術そのものの歴史なら日本の武術ももっと遡れる
〇〇流の歴史っていうのはボクシングでいうなら特定のジムの歴史みたいなもの
500年600年続いてるジムがいくつもあると考えると凄さが分かるでしょ いや古代は中東に首切り用のサーベルや打撃用の鞭がある
歴史の古さで言いだしたらあそこらの文明には間に合わない 人間は道具と発達してきたから戦闘は基本的に武器だよ
その段階が安定してきたのちに力比べみたいなものが起きてくる
そこにはフェアっていう考えがある 現代みたいな調整はむずかしいもんね
体重を合わせても手脚のリーチとか言いだしたら視力とかいろいろ 闘いは不平等が当たり前
古今東西平等な争いなんてない 古流って頭の良い人と馬鹿と二種類集まってくるよね
後者にはあまり関わってほしくないかも そのへんは馬鹿でもまぁ使えるけど古流には不要だよ
扱えないよ 1人でも稽古者が欲しい古流でそんな甘いこと言ってられない まぁ言いたいことはわかる
バカを受け入れた柔道の末路を見ればね そんなことばかり言ってると○佐野先生みたいになるぞ 映像で残せる時代だからな
クオリティさえあればどうにか むしろ道場は言説をしないのでダメになっている
ペーパーを共有したほうが強い ペーパーを与えるとペーパーを読んで技を覚えた気になっちゃうからなぁ
補助教材としてあってもいいとは思う いや教授が徒弟に与えるんでなくペーパーを交換しあうもの
学会論文みたいなやりとり 整骨はなにも柔道と呼ばず柔術のままでよかったんだよな
柔道はオリンピック扱いでよかった 東京オリンピックまではみんなジュウジツと呼んでいたよ
だから中継中もアナウンサーはジュウドウと呼ぶけど視聴者側はジュウジツと言っていた 昔の方が柔道と柔術の呼び分けが曖昧で
柔術の調査に行ったら年寄り連中が柔道柔道
言ってて混乱したって話もある 初期は講道館柔道も柔術呼びで通っていて、
海外でも嘉納治五郎が柔道を説明するのにもジュージュツの言葉を使ってもいる
ラフカディオ・ハーンや夏目漱石や渋沢栄一みたいな嘉納治五郎に縁があった人らも、
講道館柔道のことを指して柔術とその著書内で言っている
次第に大日本武徳会で柔術部門が範士称号に柔道を使い、講道館柔道を共有流派に採用していき、
部門名自体が柔術部門から柔道部門に名称変更、
武徳会参加の柔術諸流派も称号取得して柔道家になっていく
(講道館)柔道がブランド化して、柔道って言葉が一種の流行り言葉になり、
地方の柔術流派も柔道の語を使うようになる
戦前戦中を経験した年寄りの方がその傾向があって、総合して柔道という言葉を使い、
柔術が柔道と自らを区別して、乱取り流派に対しての形流派を柔術としてアイデンティティを形作ったのは、
それより比較的若い世代なのかもね 呼び分けは「○○流」が重要で江戸時代から柔道柔術の表記はわりとブレてる 昔は県が国なんだから呼称がバラバラなのは当たり前だよね
柔、無手、体、和とか 出来るよ
子供指導中心のところでも指導者名目で大人同士で練習もしてるし
それに参加してズブの素人から参加している人もいる
手頃な中高生の練習相手もいたりで
それで黒帯取った人、身近に何人かいる N●Kウソつくんじゃねーよ
講道館は形は熱心にやってねーだろ 柔術というか古武術の型は2人でやるのが多いけど、空手みたいに1人でやる型はないのかな 空手は割りと近年沖縄から日本本土に入ってきたからな それよりも日本七大武道だっけ?それに少林寺拳法が入ってるのがどうにも納得ができない 日本武道館の武道協議会に参加したものだからね
柔道と剣道が中心になって二大武道、弓道加えて三道、相撲加えて志道、
それから空手、合気道、少林寺拳法が参加して、
薙刀が剣道から独立して入って、銃剣道が入って
九武道 少林寺拳法は経歴が胡散臭いというか実際の技術をみても中国武術の片鱗が見えないんだよなぁ
一応俺は中国武術やってる人間 >>524
アレはバックボーンが発酵流と呼ばれてるんじゃねえの? 九武道の>>523の3行目の空手、合気道、少林寺拳法は時代の比較的新しいものだな
空手は元々自由攻防の無かった唐手を柔道や剣道を参考に魔改造したもの
合気道は武田惣角の創作?
少林寺拳法は宗道臣が創作したもの?
大体戦後に普及 少林寺拳法は完全に宗道臣が創作したものだと思う
柔法は上でも出ていた八光流など宗道臣が幼い頃に習ったものでしょう
しかも初級レベルではないかと
剛法は完全に素人レベルが創作した動きにしかみえない
それくらいチグハグ
恐らく最初は柔法を教えていて
弟子から殴ったり蹴られたりされたらどうするのですか?と質問されてそれで突き蹴りは経験は無いが即興で作ったんじゃないかな 昭和柔術をかじったんでしょうね
それからカンフーの真似事をして寺を借りて団体化した
合掌しているけど仏教色もほとんど無い どの武術も最初は創作だからな
自分の流派を残したいならただ実力があるだけじゃなくて、哲学や指導力,効果的な稽古方法,真新しい宣伝文句などが必要になる
日本中に広めて何十万人も修行してる流派を起こしたんだからそのだけでもすごいよ >>530
時代の流れが良かった
当時大陸の拳法というだけで何やら大層なものという印象だし
日本で中国武術が全然知られてないのでそれをいいことに名称やコスプレを嵩山少林寺風にした
そしてその後のブルース・リー、ジャッキー・チェンによるカンフー映画ブーム
それで生徒が爆発的に増えた 北辰一刀流は幕末生まれだよね
『ギリギリ古流剣術』だね笑 カンフーモノが流行った時代は打撃系武術は華の時代でしたね
のちのアルティメットで夢壊れるまでは あれは柔道だっけか
やったらフルコンみたいになったけど >>524
宗道仁がバリバリ日本武術系だからな
幼少の剣術から陸軍中野学校の大東流、合気道、日中戦争で中国へ渡った時期に梅花拳の分派の羲和門拳を習い、打撃の要素は入ってんのかな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています