武道に迷ったら日本の柔術に戻るべき
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
やっぱり一番まともで、
競技に溺れず、知恵もついて、
身体のことや食事や生活のことまで健康を考えて、
生きることと結びついているのは、柔術なんだよね。
素手では急所攻撃もあり、投げや敷きもあり、
護身や逮捕があり、刀も手裏剣も縄もあり、
一部には情報術や毒薬製法もある。
それに、時代ごとの柔術がいくつもあって、
それぞれが面白いものになっている。
日本史にも詳しくなれる。
柔術が結局は一番楽しめる。 柔道当身調べてたら面白いな
外人のも部分だけだし地方とかで丸ごと残してる町道場とかないのかね 両眼突の指の形って出来なくないですか…?!
オレの指が固いのかな、、
https://i.imgur.com/pynFUik.jpg >>419
形は出来るけど普通の貫手より難解だな
使い方もいまいわからん
真っ直ぐ差し込むには使いづらいし
中指軸にして縦から1/4回転させながらねじこむのかコレ
薬指の分ける稼働は貫手の練習か楽器やってたら出来ると思うよ その添付をみるかぎり、柔道も空手技を参考にしてるね。
柔術の当身は正拳を多用せず、蹴りも回さない、肘も正面へは使わない。
古流の柔術にはもっと素直な当身が多かった。 唐手の影響は、精力善用国民体育の攻防式の単独動作の当て身技にはある
極の形や柔の形の当て身技に関しては古流から引き継いでる グレイシー(前田期)に伝わった形のものは古流からのものが多いかな。
ヒクソンは「拳を多用しないように」とレッスンしているのと、
ホイスはUFCで頭部顔面へは平突き、背に肘、腹に拳と使い分けている。 そもそも前田光世が渡米した時期には唐手はまだ本土上陸していない
前田光世が渡米したのが1904年明治37年
唐手の本土上陸(船越の体育展覧会・講道館披露)が1922年大正11年 相対形のばあい、先手のほうの表現を空手風にアレンジしたかもしれない。
そうした当身対策の意図として柔道が練られた経緯もあっておかしくはないね。
当時の柔術家らにも空手の技術は脅威的に見えたらしい。 >>417の続編っぽい、
https://i.imgur.com/hdTCPal.jpg
↑の本も買ったけど、バリエーション増えてて良い感じ
形の技のアレンジで、組んだ状態での技の説明が増えてる
頭当ても押さえてる
たとえ海外でも柔道の当て身の研究進んでるのは頼もしいな 古流を何かやった人の研究なら参考になりそうだけど… 頭突きの重要性はむしろ空手より柔道のほうが説いているね
こういうのは現代の格闘技からも忘れ去られそう 柔術の当身はカウンターとか崩しみたいな技術で全体の動きの一部だね
単独でやるものではないよ >>427の本だと極の形などから持ってきた技を基にしていてそんな感じだね
>>417の方は単独技的
ページ数の違いもあるだろうけど 柔術の流派によって時代が違うから当身もとうぜん時代が異なる
東北には刀差しが少なかった影響なのか当身主体の柔術も多い
敷きや寝になるような技術は少ないが外部が雪深いのもあるだろう
城のあったような地方では座敷を元にして敷き技が発達する
すると当身といえど蹴りや頭突きなどは起こりにくい
関口流はお座敷芸にまでなったといわれる 田舎なら田舎で畳の代わりのもの作って練習してたし
交流もあったから地方によっての差はそんなにないと思う 決定的に違う
丘陵地では馬や水泳は起きない、跳躍を歩行に使う
山中では刀でなく短刀になり、平地は槍や弓、市街地で下げ、
南方の舟を使うエリアは縄や網、裸の術が発達する
城の有無、農耕具の有無、食糧資源まで影響する
そういうことを考えなくては土地の柔術を理解できないだろう 決定的に違うなら武者修行で乱取り試合なんてできないし
最大公約数の柔道にとって変わられたりしない 試合抜きでも参勤交代や国替え、仕官のおかげで江戸で流行りの柔術は地方にも広まってて、影響を受けてないところの方が珍しい なにが柔道推進だよ
くさいきたない泥臭い柔道なんて若い子は絶対やんねーぞ!
コロナ社会の今こそ形稽古をアピールする無二のチャンスだろ!!
ここで形をアピールしないでいつすんだよ 押せ押せ踏ん張れの柔道なんてクソほど面白くないもの推進してどーすんだよ
伝統語るなら嘉納治五郎泣かせんな 柔道形やりたいよね
極の形や講道館護身術やを
ヨーロッパみたいに創作形もやりたい
三船久蔵の投技裏の形や固技裏の形も身に付けたい 形もそれはそれで自分語りでお終いになったりするからね
やっぱりスパーだよ でも剣道みたいに少年期にスパーで成年で形やるのはいいかもしれない
問題は柔道の練習内容があまり楽しくないことだな
フランスみたいに合理的な研究体系ができるといいな 勝負法の技は形メインになってるんだから、
当て身や武器術や肘以外の関節技や関節投げや
成年・現役引退以降、形重視の方でも充実させていけば良いんだよな 形を全体として、分解で練習して、そこに防具で約束を入れる、くらいかな。
スパーリングみたいのは相撲とか竹刀稽古くらいが限界かもしれないな。 戦時中の武徳会柔道審判規定では、範士教士の称号者は
一応全身の関節技解禁と当て身解禁でもやってたんだよな
当て身使用の際は防具着用か しないは竹刀じゃなくて撓がいいなー
どこに売ってんだろ 相撲が一番強くなりやすい
体重増やして筋トレし、廻し締めてマウスピース
で力籠るから喧嘩相手にはしたくないな 武器術の練習のように蹴当てをメニューにしてみるわ
蹴りだけ防具で当て合う >>441
独学で何かの試合で勝てたら認められるけどこの熟女は試合実績あるの?
無いなら痛いだけのオバサンだか 浅山系のひとが袋竹刀?で動画撮っているな
柔らかそうだから革なのかな
距離感やタイミングには良い稽古かな
面への当ては無いほうがむしろ良さそう なんだかんだ日本柔術ってボクシングやムエタイより歴史は浅いのか 古代のレスリングは拳込みだからね
どっちか死ぬまでという意味では古代相撲に近い 特定の流派ではなく剣術や体術そのものの歴史なら日本の武術ももっと遡れる
〇〇流の歴史っていうのはボクシングでいうなら特定のジムの歴史みたいなもの
500年600年続いてるジムがいくつもあると考えると凄さが分かるでしょ いや古代は中東に首切り用のサーベルや打撃用の鞭がある
歴史の古さで言いだしたらあそこらの文明には間に合わない 人間は道具と発達してきたから戦闘は基本的に武器だよ
その段階が安定してきたのちに力比べみたいなものが起きてくる
そこにはフェアっていう考えがある 現代みたいな調整はむずかしいもんね
体重を合わせても手脚のリーチとか言いだしたら視力とかいろいろ 闘いは不平等が当たり前
古今東西平等な争いなんてない 古流って頭の良い人と馬鹿と二種類集まってくるよね
後者にはあまり関わってほしくないかも そのへんは馬鹿でもまぁ使えるけど古流には不要だよ
扱えないよ 1人でも稽古者が欲しい古流でそんな甘いこと言ってられない まぁ言いたいことはわかる
バカを受け入れた柔道の末路を見ればね そんなことばかり言ってると○佐野先生みたいになるぞ 映像で残せる時代だからな
クオリティさえあればどうにか むしろ道場は言説をしないのでダメになっている
ペーパーを共有したほうが強い ペーパーを与えるとペーパーを読んで技を覚えた気になっちゃうからなぁ
補助教材としてあってもいいとは思う いや教授が徒弟に与えるんでなくペーパーを交換しあうもの
学会論文みたいなやりとり 整骨はなにも柔道と呼ばず柔術のままでよかったんだよな
柔道はオリンピック扱いでよかった 東京オリンピックまではみんなジュウジツと呼んでいたよ
だから中継中もアナウンサーはジュウドウと呼ぶけど視聴者側はジュウジツと言っていた 昔の方が柔道と柔術の呼び分けが曖昧で
柔術の調査に行ったら年寄り連中が柔道柔道
言ってて混乱したって話もある 初期は講道館柔道も柔術呼びで通っていて、
海外でも嘉納治五郎が柔道を説明するのにもジュージュツの言葉を使ってもいる
ラフカディオ・ハーンや夏目漱石や渋沢栄一みたいな嘉納治五郎に縁があった人らも、
講道館柔道のことを指して柔術とその著書内で言っている
次第に大日本武徳会で柔術部門が範士称号に柔道を使い、講道館柔道を共有流派に採用していき、
部門名自体が柔術部門から柔道部門に名称変更、
武徳会参加の柔術諸流派も称号取得して柔道家になっていく
(講道館)柔道がブランド化して、柔道って言葉が一種の流行り言葉になり、
地方の柔術流派も柔道の語を使うようになる
戦前戦中を経験した年寄りの方がその傾向があって、総合して柔道という言葉を使い、
柔術が柔道と自らを区別して、乱取り流派に対しての形流派を柔術としてアイデンティティを形作ったのは、
それより比較的若い世代なのかもね 呼び分けは「○○流」が重要で江戸時代から柔道柔術の表記はわりとブレてる 昔は県が国なんだから呼称がバラバラなのは当たり前だよね
柔、無手、体、和とか 出来るよ
子供指導中心のところでも指導者名目で大人同士で練習もしてるし
それに参加してズブの素人から参加している人もいる
手頃な中高生の練習相手もいたりで
それで黒帯取った人、身近に何人かいる N●Kウソつくんじゃねーよ
講道館は形は熱心にやってねーだろ 柔術というか古武術の型は2人でやるのが多いけど、空手みたいに1人でやる型はないのかな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています