武道に迷ったら日本の柔術に戻るべき
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やっぱり一番まともで、
競技に溺れず、知恵もついて、
身体のことや食事や生活のことまで健康を考えて、
生きることと結びついているのは、柔術なんだよね。
素手では急所攻撃もあり、投げや敷きもあり、
護身や逮捕があり、刀も手裏剣も縄もあり、
一部には情報術や毒薬製法もある。
それに、時代ごとの柔術がいくつもあって、
それぞれが面白いものになっている。
日本史にも詳しくなれる。
柔術が結局は一番楽しめる。 いろいろあるんだが、亡くなっていってるよ
消滅しそうなのも多いから危うい >>5
竹内流、真楊流、起倒流、大東流、関口流、渋川流、不遷流、なんかが有名かな 捏造とか創作とか復元とかはないの?
なんか剣術とか結構あるみたいだけど 新興モノはたくさんあるよ
でも、さして何もなく終わっていくね
有名な流派ですら終わりがちなのに新興なんてのは難しい
剣術もそのままでは生きづらいから役者業界にからんでたり むしろ、その柔術を進化発展させた柔道をやれば良かろう
柔道こそが日本武道の総本山
剣道はロリコンや体罰教師を輩出するからダメだね
女子にノーパンしゃぶしゃぶならぬノーパン袴プレイをさせているようではイカンよ 柔道は競技のせいで歪になっているからね
あと、扱うことがあまりに狭い
柔術なら敵をかわす歩き方まであるんだから 柔道も体育としては悪くはないんだけど…
あまりに競技性スポーツに傾倒してしまってるね
嘉納治五郎が見たら泣くぞ 競技がレスリングぽくなって途中から嘉納自身も嫌になっていたらしいね
格闘としては強くはなったんだけどね
柔術は競技にはできないよ 戦前の一部の古流みたいに
組み合いの習熟度上げるのに柔道取り入れるスタイルとかは割と好きだけど昭和で殆ど消えてるな ホンマは柔道より相撲の方が良いんだけどな。ルーツがそこだから。 いや、相撲は格闘見世物から始まっているからそうはいえない
柔術は時代時代に必要な処世の技術理論であったわけで 相撲は言い換えれば格闘であって古代にも中世にもあった
それらに完全な繋がりは無い
柔術は刀剣の発達、山間部の部落、国々の合戦くらいにつど体系化してきたもの
山伏もあれば武家もあり農民もある
のちには身分すら消え去る ・古流柔術習えるとこが身近にない
・入門までが門前土下座や血判とか難解
・必要備品の費用
・入門費用や月謝など 都内だとまだ人数がとれるけど交通費がかさんできついとか
あとは場所のこととか
柔術はスポーツとちがって子供無しなので普及しにくい 柔術は廃れ柔道が栄えた
柔道もやがては「やわらぎ道」に取って代わられることになるだろい >>29
応用武術は多人数に教えるにはどうあっても不向きだから
母数の多いスポーツ武道にはならんよ 情報ならYou Tubeに吐いて捨てるほどあるし
最低2人いないと身につかんのはどうにもならん 高木流柔術も見学したいけどあそこ認めてないからな。神戸と赤穂以外、東京はどこでやってんのか分からん。 いま柔術の会をひらいているならオープンにやっていくべきだな
今までのように内内にやろうとすれば人数で途絶えてしまう 古流柔術ってどんな練習してるんですか?
乱取り稽古の有無、その詳細など教えてほしいです ざくっと言うと場所に集まって稽古着きて馴らしながら型をやる
部分的に取り上げてやったりしながら、全体の稽古量をえる(せっかく来ているので)
乱取りの体系が残っているところでは少しやる(多くはやれない)
終わったら飲みたい人は飲むみたいなかんじか 簡化古武道としてはあってるけど
どこでもある割に実用レベルの先生が滅多にいない健康体操なのが難点 クセというか合気道を物差しに古流を見るように
なるからやらない方がいいかも では新たに「たわらぎ道」を爆誕・発足させてはどうだろうか? 少子化に伴い若い衆が少ないのも問題。いっその事、兵庫県の明石市に古武道の道場移転すればいいんじゃね? >>49
そのへん日本有数の暴力団の事務所だらけ
潜伏場所にどーぞって意味 くだらないねそんなもの
馬鹿だから話ができないだけだ >>54
お前こそがその「話ができない馬鹿」そのものだろ 柔術の話ができない人間が寄りついてきてるんだろ
経験もないど素人はうざいからこのスレくるなよ とりあえず話戻そう。
会の活動自体はネットでやるのも悪くない。
各地で稽古した映像を見せ合ってやるだけでもじゅうぶん研究になるかと思う。
ネットでは文章を行き来しやすいので、稽古への精密な省察ができると思う。 >>58
柔道野村がキッズイベントでそれに近いのやってる
上で出したけど組技は一人稽古主体だと厳しいんだよ なるほど。
組みの稽古はどうにか二人集まってほしいが、
二人すら安定して場所集まるのは難しいからな。
江戸時代でも俵を加工して投げの自主トレをしたらしい。 前提条件が柔道2段以上くらいは必要になるし
人間以外相手にプロレス出来る人ってハードル高いぞ
対人型をバラして脳内で覚えるのは未経験者じゃほぼ無理 型の終始をエアーでやるのは難しい。
二人は最低集まらんと無理があるだろうな。
すると、局所的なエリアで稽古したことを映像にしてシェアというのが、
現実的にできる古武道の将来像なのかもしれんな。 実際に技をかけられてどこがどう痛いか分からないと覚えられないのでは? >>60
ゴメン、ムカついたから戻ってきてちょくちょく口出すことにしたわ。 致命的なのは古武道の一般的知名度がほぼないw 柔術?BJJ?が関の山。MMAでも路上でも何でもいいから強さと有効性をアピールできんと弟子増える気しない。弱い奴の言う事なんて誰も聞かない。 古武道はカンフーと同じくくりで捉えてる。ロマン枠。 >>71
柔術関係ないじゃんって一瞬思ったけど、確かあれ柔道から省かれた柔術の当て身を復活させる事を目指して作られたんだっけ?
実際の技術は空手とかボクシングを研究して体系化していったらしいけど 柔術のように姿勢を操作するために効果的に当身を使うことを体系化したいのだが、
当身でポイントを与える試合などをしてしまうとダメージの応酬になって終わり。
もっとこの時代にできることはあるはず。 >>74
ならないだろ
伝統派空手とかポイント制だけどダメージの応酬になんて全くなってない
日本拳法もポイント制で、投げも認められてるから一切打撃を使わないで勝つ選手すらいる
でなけりゃ体重無差別で試合なんてやれやしないよ
そもそも稽古段階で防具無しの寸止めで技を引き出す空乱撃と、防具をつけて実際に当て合う実乱撃と分けて稽古するくらいに、単なる潰し合いに終わることなく技を磨くことに心を砕いている
偏見で試合してる武道に的外れなケチをつける暇があるなら、それが積み上げた歴史と技術に敬意を払って学ぶ事が「この時代だからできること」じゃねえのか >>73
元々空手流派でフルコンタクトでやり合えるのを目的にしてた 当てであれ投げであれ、勝つというのがかかってくると体系が変わってくる。
どうにか本来の柔術のかたちを再現できるような練習なり試合なりを考えてみたい。 経絡図までは柔術に伝わっているんだが、単なる当てに用いて失敗している。
組み技というか手技として按摩を武術に使うのは、拙いだろうか。
しかし一定の効果はあるはずなんだが。 >>78
変わってくると言ったって、実際何がどう変わるかなんて全く認識してないんだろ
誰かに聞いた、どこかで読んだことを鵜呑みにして後は想像で言ってるだけ
だから>>74みたいな的外れな批判をする事になる
試合を絶対にやるべきとは言わんが、適当な理由で駄目出しされる謂われもないよ 日本拳法の稽古って真夏日とかどうなんだろ
かなりの厚着だと思うんだが… 当身は敵の動きを封じて制御するためのテクニックで、
柔術では単体で当身使うことは無い。ということはレス者なら勿論知っているはずだが。 その想定の当身なら試合用の判定なんてできないのわかりそうなもんだけど >>87
それ現存してる流派だけで江戸時代中期辺りまでは必ずしもそうでもないし
心眼流の人とか怒るんじゃね 試合は出来るか判らないが練習体系はどうにか作れるんでないかと思っているんだ。
柔道ももともとは柔術の練習体系であったものを整備したのが講道館なのだから。 >>90
柔道は天神真楊流と起倒流比較して
安全に乱取り出来る技抽出してんだぞ
他流からの追加も相当精査してるし
当身入ると大道塾や禅道会スタイルになるから古流を形残して活かすのは難しくなる
一本勝ちの極め技を古流技にするしかないけど
複雑なモーションの技は判断も難しくなるし掛けれなくなる まぁそういう講釈はそちら会で展げてもらって。
している話があるからね。 それは甘え過ぎのお前だろ
フワフワしたことばかり言って全部丸投げしやがって
切腹して恥を削ぐくらいテメーのケツ拭やバカタレが お前が自分自身で荒らしてる自覚ないのかよ
最悪だなwww 結局逆と当身が不可分な時点で型か約束組手のようなもので練習するしかないのでは? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています