高校剣道を熱く語る197【諫早 八尋美咲】
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安倍晋三が「謝罪の言葉」を口にするのを目にした戦時性暴力被害者は只の一人もいません。正しくは「安倍晋三がお詫びするって言ってたよ」と外務大臣が喋っただけです。よって当然それに納得しない被害者がいたというのが事実です。
その後安倍晋三はいけしゃあしゃあと「性奴隷といった事実はない」「軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述は見当たらなかった」などという発言を繰り返し、
直接の謝罪も手紙も「そんなつもりは毛頭ない」と言い放ちました。当然反発する被害者がいました。それが事実です。
「合意」したのに「平和の像」が設置されたのではなく、それは「合意」前に(というかとうの昔に)設置されていました。日本政府は「合意」交渉の中で難癖をつけてその撤去を要求していました。
なぜそれが「難癖(ウィーン条約違反)」かお分かりですよね。日本は条約にかすりもしない場所に設置されている「像」に関しても「合意」後もひたすら圧力をかけ、撤去させようとしてきました。今回の美術展はその流れの一環に過ぎません。
反発する被害者の存在に対して日本はどのような態度を取るべきだったでしょうか。加害国として「合意を受け入れない被害者は頑なだ」というスタンスは正義に適ったものと言えるでしょうか。
果たして国連は「合意」後も再三再四「被害者中心のアプローチを」と勧告し続けてきたのです。
現政府が鬼の首を取ったように振りかざす「合意は合意」論についても繰り返し述べてきましたが、改めて。日本は合意文書に一言も書いていないことを理由に「ストックホルム合意」を反故にしましたし、
平壌宣言の際の約束を無視したことを自分の手柄と言いふらして総理の座に就いたのが安倍晋三です。
最後に。これも何度も述べてきたことですが、「加害の記憶を後世に伝える」ことは安倍政権が踏襲するとした河野談話の重要な一部です。「平和の像」の展示は論理的に言って日本政府にとって望ましいものでしかありえず、
寧ろ自ら作るべきものである筈です。
まずは自分でした約束を守れという話ですね。 私が佐々木俊尚を批判するきっかけになったのは、彼が「弱者憑依」と言い出したからです。直接の当事者でない人が社会的弱者やマイノリティに味方することを、彼はそう呼んで批難しました。
佐々木俊尚の「弱者憑依」は一見、偽善に対する批判として正当に聴こえるかもしれません。しかし、人は当事者でなくても弱者や少数者の側に立つことがなければ、身体障害者も被差別部落も少数者ゆえに決して救われることがありません。
佐々木俊尚は知っているかな。「ナチスが共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった。私は共産主義者ではなかったから。彼らが労組を攻撃したとき、私は声をあげなかった 私は組合員ではなかったから。
そして、彼らが私を攻撃したとき 私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった」
黒人はアメリカの人口の12%しかいません。多数決の選挙だけでは決して黒人の人権は守られません。そこでキング牧師は黒人の窮状を訴えて、多数派である白人が黒人の人権を守ろうと考えるようになりました。しかし、それも佐々木俊尚に言わせれば、「弱者憑依」になってしまうのです。
佐々木俊尚にならうと、ゲイでない人がゲイの側に立ち、黒人でない人が黒人の側に立ち、身体障害者でない人が身体障害者の側に立つことはみんな「弱者憑依」として否定されてしまいます。それは多数派独裁です。
民主主義とは多数決のことではない、というのはそういう意味なのです。
少数者を踏みにじるのは民主主義であるはずがない。だから、私は佐々木俊尚を中立的な穏健派だとは思いません。彼の「弱者憑依」という言葉は多数派の専横を意味するファシストの言葉だと思います。 自分の歯を磨いた歯ブラシを女性党職員に渡し、受け取るかどうかで「忠誠度」を見ていたと言われる自由民主党幹事長の茂木敏充。
まず行為自体がキモいし、それ以上に、権力を振り翳して「自分は何をしても許される」と思い込んでいる点が醜悪。
「権力に溺れると腐り果てる」事がよく判りますね 祖父や父親から「地盤、看板、カバン」という「最強の既得権益」を受け継いだ自民党の2世,3世議員たちが、
「岩盤規制の突破」とか「既得権益の打破」などとどの口で言う。君たち自身が「生ける既得権益」そのものじゃねえか。
自民党が情実政治、縁故主義に走るのは、多くの国会議員が2世3世議員であり、自分自身が世襲という既得権益にどっぷりとひたり、その恩恵を受けてきたからだ。
この縁故主義こそが能力ある者の進出を妨げ、社会の停滞と閉塞感をもたらしてきた。森友・加計に露呈した安倍の腐敗は日本社会の腐敗そのもの
この腐敗の隠蔽のために、「日の丸」を掲げ「愛国者」を自称し、歴史の改竄にまい進する。
全国各地の経営者の二代目三代目や、自民党の若手活動家などで構成される日本青年会議所(JC)のツイッター・アカウント「宇予くん」の書き散らしたものを見れば、この腐り切った構造が目の当たりになる。
彼らは口を開けば「能力主義」を叫び、「自己責任」を強調する。しかし彼らに能力などはなく、親から引き継いだ事業と財産があるだけである。
また、彼らは責任など取ったことはなく、様々な不運と不幸あるいは政策的失敗ゆえに困窮状態にある者に対する公助を拒否するためにのみ自己責任を主張する。 「日本政府はなぜ、パンデミック防止に失敗したのか」の回答は簡単である。「衛生学の基本を踏み外した対策をとったから」だ。では衛生学の基本とは何か。「疑わしき人を検査し罹患と確定し、患者を隔離する」ということである。
海堂尊先生の言葉が正し過ぎる。 「殿様の草履を懐であたためたことが出世につながった」みたいな話が異様に好きな人たちがいて、そういう連中にとってビジネスマンの有能さっていうのは、つまるところ「えらい人のゾウリをフトコロであたため得る能力」なわけだよ。いやな国だなあ。つくづく。 河瀬監督関連のツイートを見てて、リーフェンシュタールは自分はプロパガンダ映画を撮ったつもりはない、自分の表現したい芸術があって、技術も意欲もあるのにお金だけがなかった、それにお金を出してくれたのがナチスだったのだといった弁明をした、という話を学生がまとめていたのを思い出した。 NHK「五輪反対デモに参加しているという男性が、お金を貰って動員されている事を打ち明けました」
↓
NHK「実はこの男性が五輪反対デモに参加していた事実を確認していません」
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NHK「担当が思い込みで不確かな字幕を付けました」
公共放送とは思えないお粗末さだな。 「東京五輪反対デモは日当を貰ってやってる」と公共放送が流し、疑問が向けられると「不確かだった」で済ませられるんだったらヤッたもんがちの社会ってことだな。「政権が反対派を貶める演出で日当を渡していた」ってデマすら許されることになるけど、日当発言は事実と擁護してる人らどうすんだろ。 ネトウヨや冷笑系がよくやる手口で、相手の主張に悪意ある歪曲を加えて悪者にする行為だが、結局は悪意ある歪曲で終わる。
相手の主張を真剣に読み取らないから、議論は不成立。授業をきちんと聞かず、ふざける子供と一緒。
そして2ch初期のノリを引きずって何も変われない人間になる。 いずれブログか何かでまとめます
このことはみんなに知らせないといけない 普通は早稲田や慶應が滑り止めでしょう
九大のレベルも本当に低いな 八尋さんや藤本くんは、相手の言ってることがおかしいと思っても相手が誤ってると思わない方がいいです。あなた方の判断が誤ってるパターンがあるので。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています