小島一志先生名言集
「『金閣寺』以降の三島由紀夫先生の苦悩にいち早く気付いたのが先生の親友であった僕の父の繁雄です。父は三島先生に初心に戻ってもらう為に先生と同じく早熟の天才、『アンファンテリブル』と呼ばれた作家、トルーマン・カポーティを日本に呼び、二人を引き合わせています。
二人の間でどのような話がなされたのか…それは僕たちには分かりません。ですがカポーティが三島先生を「面白い方であった反面、大変傷つきやすい人であった。」と評した言葉が伝わっているように、カポーティも自身と似た傾向を持つ三島先生の危うさに気づいていたのでしょう。
ですが結局、その後の三島先生の迷走からの暴走、そして破滅を止める事は誰にも出来ませんでした。
一方のカポーティもその後、三島先生と同様に作品のスタイルを変遷させていきましたが、カポーティには三島先生がもち得なかった自己への相対化が極めて上手い人であったので自身の原点である『遠い声 遠い部屋』の文章を見失う事がありませんでした。
しかし結局はカポーティも薬物やアルコールに溺れて破滅し、三島先生の自決から約14年を経た84年に亡くなることになります。
カポーティはルポルタージュ文学である『冷血』を執筆した際に犯人を評して「同じ家で生まれた。一方は裏口から、もう一方は表玄関から出た」という言葉を残していますが、彼の中には「同じ家に生まれた者」として三島由紀夫の存在も念頭にあった事は間違いないと僕は確信しています。」