少林寺スレ05
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
>>383
他武道は蹲踞や十字が構えなんて言ったか? >>383
話の流れでは合掌礼が構えと言ってたから
実生活でいつ使うか聞いてみたんだが そもそも手を合わせるのって仏様に向かって拝むもので生きてる人間様に向かってやるものなの?
宗教よく知らんけど >>377
水差すようで悪いけどあれは中逹也効果で少林寺のオッサン連中は見向きもされてないだろ
とうの少林寺公式のほうのチャンネルのほうは全然再生数伸びないのだから
正直井上さんの応用とやらも少林寺しか知らないおじさんには素晴らしいものに見えるのだろうけど
内容はと言うともはやフルコンでは古典扱いの芦原空手三部作に載ってる技を無理やり少林寺の動きに当てはめたのもので
時代錯誤も甚だしい >>375
そりゃ法形を満足に出来ないのに
その考えが間違い。 時代に取り残され不完全で不合理を含む、井上先生達の応用というデモンストレーションでようやく存在感だせるものを十分だとか不十分だとか言うこと自体非合理。
基本から組み替えてようやく、ようやく存在意義出来るのに。
よく言われる、白蓮スタイル、柔法だけ残して剛法一新がいいという意見が出るのもそういうこと。 そもそも大袈裟な突きを大袈裟に受けて素晴らしいという価値観が大間違い。受けなくていいのよ、相手の突きの軌道上に腕や肘置くだけで相手の拳を痛めたり出来るんだから。受けても最小限、そのちからを 受けても最小限。その力を生み出すのが伝統基本や、伝統形、ワンインチパンチ的に受けに使えば、チョンで捌ける。
練りと実戦を同じ型でやることがおかしい、練りなら伝統形で、実戦受け返しは別個に作った方がやる側の意識も明白になる。同じ形で両方しようとするからどっちつかずの中途半端なになる。
実戦寄りで形不要的な始まりだった正道や大道塾も、ベテランは、形やりだした。
伝統形はだいじなのよ。浅い意識で捨てていいものでは無い。
少林寺改革するとしたら、法形は実戦に振って原理とか言わない。
順突き逆突きも実戦スタイルにして、予備動作や大袈裟動作を排除する。習った突きや受けがすぐ乱取り手で使えるようにシステムかえる。
そして、原理練るために、伝統基本や伝統形あるいは練るためのそれらを開発することだね。
大袈裟にした演劇動作を小さくするんではなく、練り上げられた合理的基本で小さな動きで捌ける体の使い方磨くべき。 でも、歴史や組織のこと考えたらそれも難しいだろう。
だから、法形は元々非合理で時代に取り残されたんたから、さらっと流して作法ていどにして、それの応用として、実戦的な受け返しを数かけたらいい。
サイドステップして十字受け蹴りとか、払い受け蹴りを肘受け蹴りとしてやるとか。
まあ、十字受けも、肘受けや外受け、ダブルブロックでいいと思うけどね、 >>375
そりゃ法形を満足に出来ないのに
そういう言い訳で実戦応用は本部と東京センターと、DVDの中だけにするの?
まあアレも実戦的と言うより演武的だよね。
こう言うのこそ実戦応用。
小さな動きで効果大、鈍臭くてもやれる。
https://youtu.be/9E9Lf1hNGT4 サイドステップとかダブルブロックとかそういう枝葉の問題じゃないんだよな
問題は幹にあるのだから
剛法の多くは一発来たところを受けて一発返すという単調なもので外観だけ見ると
伝統派空手の自由組手でもよく見られるオーソドックスなものがほとんど
ところが少林寺の場合何でそれが現実の攻防で適用不可能になっているかというと
不自然な重心移動が多すぎるからだよ
カウンター戦法に特化するなら合気道や伝統派空手みたいに重心は常に一定でないといけない
ところが少林寺は受けのたびに不自然な重心移動が入るでしょ?
カーフキックだろうが何だろうが何取り入れようが幹がおかしいのだから
その基本が変わらない限り使えないものとなる >>360
>法形はそのまま使うもんじゃない。応用必須。
そのままじゃ使えないのと、そのままじゃなければ使えるのはイコールじゃないのよお爺ちゃん
>>351
>どこの団体も同じなんだよ。枝葉か特徴が違うだけで根本は大差ない
同じじゃないよ
日拳や合気道は自衛隊に採用されてるけど、少林寺は採用されてない
伝統空手は五輪に採用されたけど、少林寺は採用されてない
はい論破 逆に言うと剛法の法形も振り身、反り身、何てせずに体軸を常に真ん中に保ち
受けと攻めを一挙道で行う伝統派空手のような動き
中国武術でいうところの立身中正や交差法を意識すれば大部分は現実でもある程度は使える
問題は幹なのだからあれもこれもと流行りもののおもちゃを欲しがる子供みたいに他流技を取り入れた
ところで使えない技が追加されていくだけで何の意味もない >>393
全てその通り
ここまでしっかり述べてる人にやっと会えたわ
枝葉の問題じゃなくて幹なんだよね
不自然な重心移動に更に輪をかけるように不自然な手足の運用
全て葉っぱだけをみてそれで完結させてる技ばかり
ここまで述べても少林寺しかやってなくて
そのまま爺になって頭が固くなった人間には理解できないから
一つの例としてあげると
内受突きという身法を身につけようとする
そうすると前手、後手による身法を学ぶ
その身法でお互い攻防をし質を高めていく
反撃技は取り敢えずは考えなくていい
まずは相手の単発の攻撃に対して身法を身につける
逆突き、順突きは関係ない
そうしたらお互い自由に動いた中でその身法を身につける
どっちが攻めとかは決めない練習なんだからお互い突き合い受け合う
それをやっていくうちに次は内受けだけだと間に合わない局面が出てくる
そのような段階になったら次は外受けを教える
手技が十分練られてきたら最後に蹴りも入れていく
そんな感じでやっていくと自身のバランスを崩さず歩法や身法を行うことがいかに大事か
そういうことが分かってるくる 中国武術でも日本武術でも練習の表現は違えど多くはこのような目的で行っている
少林寺は枝葉だけをみて、その枝葉が全て独立したもので簡潔している
例えばさ
これは私個人の考えで違うだろうけど
払受蹴り、これも後に学ぶすくい投げのための練習技と思えば意味も出てくる
これはあくまで俺が強引に繋げた考えだけど
公式には違うしみんな違う技としてやってるだろ?
こんな意見を出すと、今度はこれが正しいと言い始める少林寺拳士が現れそうだが
そういう根本的な幹があってそれのために構築された練習体系ではないんだよね少林寺拳法は なかなか良スレだな。
ほぼOBと現役主体と思われる(他流はほぽ少林寺に興味なし)書きこみ群を、悪口取るか改善点ととるか、
それによって少林寺の未来がきまる。 ここで書いてる人のほとんどが少林寺の経験もある他流に移った人ばかりだよ
だから少林寺のことも知ってる 他流に学び取り入れる姿勢は大事だね。
それと、なぜ少林寺の上中の基本がダメなのかも解る。
五分ぐらいから。
https://youtu.be/UxCd22SCfEI >>398
いくらダメなとこを指摘しても、「応用すればどのようにもできる」「今やってないがやればできる」とマジで思ってる相手が人の意見で変わったり、何か行動を起こす訳ないでしょ
やればできると言うが、誰一人できてないしできる素地もないことを揶揄するのがこのスレの愉しみ方だと思ってるがw >>401
いつも疑問なんだが
やれば出来る
応用次第
と言う割りに自分で検証しないというね
実際に自分で試しトライアンドエラーを繰り返した結果の意見なら
書き込み内容もぐっと変わって説得力も出てくるが
それが一切ないという
法形という踊りだけで満足してるから仕方ないんだけどね
しかし飽きないのかね 何かをできることになるのが目的じゃなくて、虚飾であっても心の安住の場所を失いたくないんだよ
検証したら失うじゃんw
自分をだまし続けられればいいんだけで、人にわかってもらう必要もない
必要はないが、自信を失いたくないので持論を書き続ける
会話は成り立たないよ
武道にしろ宗教にしろ、ファッションだから意識は低い
求めているものが違う 人がしょうゆやとんこつ頼んでる中で、味噌ラーメン頼めば権威になびいてなくてカッコいいとか、いい歳して思ってる人達だよ?
日中も5chで独り言書いてるし、社会経験もまともにないんだろ
窓際公務員か、安定した家業を継いだかニートか、いずれにしても同じ価値観で会話はできないと思うわ 錬心舘の顔の前でバッテンしてから十字を切るのは顔面ガードと教えていた
採用云々言ってるのがいるけど少林寺だって麻取や県警で採用だよ腕十字とか
でもどこそこに採用や五輪に採用とか関係無いがな。採用されてなくても有効な武道格闘技なんていくらでもある 防御の時に重心は動いて当たり前。
そりゃ浅い攻撃なら捌けても、深く来られると重心変化で捌かざるを得ない
法形で色んな重心や構えがあるのは色んな戦術を学ぶため。
しかし前屈の構えと後屈の構えを一緒に練習してはいけない、どちらか一方に決めて固めてやれと本部も言っている
それが広まってないというが井上先生が出て来てからあの応用の講習会も400人だか参加してるし確実に広がってきてる 中国武術だのジークンドーだのよそ見ばかりだな。そりゃね研究は大切だけど振り回されてばかりなら流派の存続意義なんてない
よそにはよそのやり方、うちにはうちのやり方で当たり前 出来てる人や強い人間がいるんだから信じて行う事が大事
すぐ動画出せと馬鹿はいうが、井上先生だって黒帯ワールドが無かったら今も知る人ぞ知るだったわけでな。 >>405
たしかに自分を殺しにくる他国軍人やテロリスト相手の職業には採用されなくとも、おしくらまんじゅう要員の日頃の軽運動には採用されてるね
そのあたりが流派ごとの違いだよ
>>408
文脈からすると、その人によって何かの証明ができたつもりなのかなw
もったいつけて出したはいいが、身内以外から何の評判にもなってないんだから、出来てる人や強い人間がいないことの証明になっただけと思ったんだが違ったか?
>>402
>やれば出来る
>応用次第
>と言う割りに自分で検証しないというね
武道格闘技は体育系だから、思いついたことができるようになるのが仕事
武オタ格オタは文化系だから、思いついたことをもっともらしく話してマウント取るのが仕事
ヤラセなしで実現可能であるか否かは重要でない
何ならヤラセを本気と思い込みセンスすらある なんかなぁ
もうちょっと賢くならないといけないと思うけど
年齢考えたら無理かぁ…
そらくらい酷いけど
とにかく必死なのだけは伝わる アンカー忘れたけどID:DI6iCYF00への話ね >>407
よそにはよそのやり方、うちにはうちのやり方
それが、基本レベルで間違ってるけど、それが分かって無いみたいだから他流にを具体例としてあげて改善のさんこうにしてるんだけど。 基本が間違ってても応用で何とかできるからセーフ
ただし応用は未確認w そもそも他武道や格闘技と目的が違うのによそ見ばかりするのがな
なら自分の好きな中国武術かジークンドーかしらんがそれやればいいやん 応用てそんな大層なもんでもないけどな。そりゃ井上先生みたく理に適った応用は出来ないにしろ。
平たく言うと創意工夫みたいなもんだから。乱捕りさせりゃ子供でも多少の工夫はするわけで >顔面ガードと教えていた
>決めて固めてやれと本部も言っている
出たよ、「○○と言っていた」「○○と書いている」
言っていたから正しいと言いたいのかな
好きな事言ったり書くのは小学生低学年でもできるんだが
>そもそも他武道や格闘技と目的が違うのによそ見ばかりするのがな
都合の悪い時は他流もそれは同じと引き合いに出すよなお前
あと、少林寺をマンセーするときも聞きかじった情報で引き合いに出す >>415
創意工夫ね…
人には軸となるものを教えないと創意工夫もできないよ
法形が使えない使えるという話は取り敢えず置いといて
このような約束組手は結果として表現されたものであって大事なのはここじゃないんだよ
ボクサーなんていくらでも内受け突きやってるぜ? >>408
出来てる人や強い人間がいるんだから信じて行う事が大事
強いかどうかは、他流と戦って証明しろとまでは言わない。
でも、あればあくまで約束組み手であって演武。
その時点では出来るとは言わない。
他流の一流と戦ってそう捌けるか?というはなし。
あの技術自体はおもしろいけどコンビネーションや
フェイント有りの中で一流相手にたいしては、ちょっと足を上げる程度の受けが現実的であり、身体能力の低い少林寺拳士にああいう派手な技は教えるべき技では無い。
だって、約束組み手ですら使えこなせる人すくないから。
教えるべき大様は大袈裟な動きで見栄えよく捌く技ではなく、小さな動作で鈍臭い人間でもフェイントやコンビネーションに対応できる応用技。
というか、むしろそれを法形にすべき。
そして、演武の奉納の時だけ派手にやればいい。
演武競技はは不要。
その代わりに、乱取り交流する方が、競わない護身術の精神に則っている。 >>414
なら自分の好きな中国武術かジークンドーかしらんがそれやればいいやん
好きなのは少林寺だったけど、自分は演劇拳法ではなく、錯覚では無い強さを求めたために、結果としては格闘技+本当の古武術と言うことに落ち着いた。
少林寺も運営によってはそういう技術に変革出来たろうが、その気が無いのだから仕方がない。
ダンサーに喧嘩売るなと言う言葉があるように、やらないよりは強くなれると思うけど、俺はそのレベルでは満足出来なかった。
急所を狙うとか、剛柔一体とかコンセプトは好きだった。教えも、宗教にのめり込まない俺としてはあの程度、道徳レベルでちょうどよかった。 流水蹴りは捌くときレの字のままでは不安定、軸足を外に向ける事。
たったこれだけで腰の入った蹴り返しに繋がる。すると高め一字の両手も余裕を持って備えれるようになる。 門下生同様道場にも個性ありすぎでね。乱捕り派、思想が好きな所、演武に力入れてる所など。
バランス大事というけど言うほど簡単じゃない、どれかに偏ってくるからね 宗道臣の面白いのは多才さだと思う。それぞれの面に惹かれたそれぞれの直弟子たち
だから直弟子にも各々個性があって面白い。
逆技のスペシャリスト、法話のスペシャリスト、整法のスペシャリスト、、
まあバランスよく修めたという意味ではやっぱ若先生という印象受けるね でも組織運営や広め方とか大物達との付き合い方とか、ああいうスケールのでかさを引き継げた人はいるのかな
時代が違うと言えばそれまでだがちょっといないと思いますよ >>406
400人w
おまえ参加してないのになんでわかんだ?
参加者=広まったにはならないが? >>408
動画もなく、又聞きで信じ込むバカがいる >>406
>防御の時に重心は動いて当たり前。
>そりゃ浅い攻撃なら捌けても、深く来られると重心変化で捌かざるを得ない
まずこれが間違いな
受けるたびに重心が移動するのは少林寺以外には見られない特徴
そもそもちゃんと受けれていたら反身や振り身する必要がないわけでこれは明らかに過剰動作 >>420
>すると高め一字の両手も余裕を持って備えれるようになる。
寸劇の相方相手に余裕持って備えられてよかったね >>422
結局、こうやって論点そらして不安を打ち消すしか無い。
悲しいけど、これが少林寺の現実なんだよね。
だから止めた。
パヨクオバソンの、偏ったねつ造由来の中韓に謝れ発言ありがたく拝聴したくないしね。 >>422
よそに一目置かれるスペシャリストかどうかが問題なんだよ
そうじゃないなら、ヤンキーがうちのチームは凄いと内輪で言ってるのと変わらん >>420
その話もそもそも前提がおかしいんだが
何をどう説明しようが理解できないから
それをいうと根本的にぶった切ることになるし
あえて(ここ強調)おたくの思考レベルに合わせて話すけど
ちゃんと答えろよ?
>ったこれだけで腰の入った蹴り返しに繋がる。
何故そうなのか
きちんと理論的な話で説明してくれます?
いつもその”何故”が説明ないんだけど 腰の入ったと言うのは物理的生理学的にどういうことか?
それによって物理的生理学的にどういう効果が得られるのか?
と言うことの定義と説明からだよね。 レの字のままかわして蹴ると不安定
後ろ足を外に開くと安定。何故なら蹴り足側の腰が相手を向きやすくなるから。
もっと平たくいうと身体が横向きになる。
だから直蹴でなく廻蹴や足刀で解説してる本もある 相手が突いてくると分かった上で蹴るわけだから
別に前に重心を移動させてぶつければいいだろうが
それはさて置き
腰を入れた蹴りとはどういうことなのかい?
前蹴りが基本なんだろ?
ならその基本で説明してくれ そもそも逆蹴りは腰を残してコンパクトに蹴るが順蹴りは腰を入れて蹴る
つまり後ろ膝を開き身体が横向きになると、蹴り足側の腰が前に出て腰が入れやすく蹴りが伸びる(強い蹴返し)
これは文字よりもやってみるとよく分かる レの字立ちのままの後流水は窮屈かつ不安定。かわせても強い蹴り返しがしにくい。それは腰を再度入れないといけないから >>434
>>435
おまえが考える技術でしかないな
おまえ本当視野が狭いな 若い頃そうは思わなかったけど、大学時代に久しぶりに柔道部員と柔道やるときつかった。
その頃はすでに打撃の筋肉になってたから。
総合は両方のきんにく 若い頃そうは思わなかったけど、大学時代に久しぶりに柔道部員と柔道やるときつかった。
その頃はすでに打撃の筋肉になってたから。
総合は両方の筋肉鍛えられるね。
これ見て思いだした。
https://youtu.be/KZz6MJOu1J0 >>434
腰を入れるという表現は科学的では無いが、多分蹴り足サイドの骨盤を前に出すと言うことだろう。
本来中国ではそれ股であって腰は腰椎なんだけどまあそれはいい。
それ前に出したら距離はやや遠く蹴れるけど、「腰を入れる」から強い蹴り、入れないから弱い蹴りと単純なものでも無い。
軸足の角度は反撃の種類で変わる。
金的、蹴り上げなら、むしろ軸足開かない。
彼の言ってるのは足刀で反撃の時。
廻し蹴りは蹴り方によっては開くことによりむしろ威力は減る。後ろ足を少しつま先中心に内向きになるようにしながら擦り上げる廻し蹴りもある。
カーフキックとかにはいい。
そして、大事なのは腰を入れる入れないより、軸足の膝の使い方や蹴り足の引きつけ方や、体幹の使い方。 こう言うことは、演武競技どれだけやっても分からない。 >>420
最近はどう教えているのかなと、夕方「剛法の秘密」買ってきた、82-83ページ。
確かに軸足開いてる。
でもこの蹴り、蹴り上げというよりは軌道的にはムエタイのストッピングに近い。
だから、押す蹴りになってる。更に言えば、軸足が膝を曲げただけの棒立ちになってるので相手のボディ強ければ当てたら蹴った方が転ぶ。
そもそも、蹴り足だけで蹴ってる。
そもそも、過剰に避けようとして腰が折れた流水なので、確かに足蹴りになる。 過剰に避けるのは乱取り経験不足による見切りの悪さだよね。
流水は使えないと言われてる理由はここだろう。
相手が狙うのは自分の頭、なら頭がその位置にいないだけで十分。相手が下手で狙いが広がるるのなら、そこは手で受ける。
そうしないと反撃が遅れる。
ギリギリで見切れば、命名するとしたる流水突きというカウンターも可能となる。
朝倉海が堀口KOした突きと似たような理合いね。
本見たら、剛法はどれもパンチ避ける体捌きが過剰。
ボクシングジムで習ってこいって感じ。
俺も昔はこれを是としてたんだな。(-_-;)
蹴りに限らず、重心打ち込む概念が少ないように思えるのは、演武ばかりでヘビーバック打ち込む経験が少ないんだろうな。
そう言うと大きくて錬って小さく使うと言うんだろうけど、演武大会でも昇段審査でも大きい大きい。
運用法試合では確かに小さくなるけど、千鳥足とか蟹足とか使わない居着いた攻防。
そらでも、動きは小さくなるから、剛法法形の手順
覚えたら、あとは運用法的に練習すべきだな。
錬るのは単独基本、あとは、パンチやキックに模した太い棒のようなものを突き出した装備を道場において受けを練る。
おれは、スクワットのバーベルでダッキング練習したり、テニスボールぶら下げて避ける練習したりスタンディングのパンチボールしたりしてる。 本ペラペラめくったら、どれも過剰に避けてる。
それでは使えません。
おまけに受け手が大きくて体から離れるので基本通りやろうとする人ほど反応が遅れ、腕力で受けがちにたる。 >>432
>>434
腰を入れるというのは体的にどういう状態か分かってなくてその表現を使って練習してるのか? >>432
前にぶつける運動エネルギーなのに軸足は横に向けるのね
たぶん相手が打ってこようと入ってきた時に
こちらも飛び込んで相手の腕を遮るようなしながら前に蹴り込んだ方が効果的かと
しかも相手の攻撃の軌道は関係ないから汎用性もある
何にせよ、この攻撃、最初から分かった上での定型的な動作なので
そこでレの字がどうのなんて意味がない
インパクト前から体が開いてるのもどうかと思うし体が横に回転させた向きなのに蹴り足は前に進む
あ、これが振り子突きと同じ原理なのね
よく知らんけどw かわすだけならレの字のまま軸足に体重乗せたら良い。そうする事で間合が広がる。間合をとりたいならそれで良い。
しかし即反撃ならそれは遅すぎる。かわして、腰入れて、では2動作になる
かわしたときに腰が入ってるから1動作で蹴れる 身体の作りとして流水で横に避けるのだから軸足を横に向けるのが無理がない
流水なしの単なる待蹴りなら軸足は前に向いててもいい 相手の突き蹴りを見切る時にフルコンでも軸足に体重掛ける方法がある。少し沈み気味にやると距離が作れるから。
見切りとしては良いのだが蹴りで即反撃するのなら向かない。
何故なら軸足に体重掛けて躱すと言う事は、
若干だが腰も含め身体が後ろに移動しているから再度、腰を入れないと蹴りが届きづらいので遅くなる 流水蹴りと待蹴りの軸足が混同されやすいのはどちらも運歩なしの蹴り反撃だから。
流水は当然かわしという動作が入る。
レの字のまま流水すると蹴る時に届かないとか浅いという事が起こる
軸足に乗ってかわすのには違いないが、
そのまま体勢のまま蹴り返すには弱いし遅い、だから再度腰をいれねばならなくなる。そうすると2動作なので蹴りは当たらないか勢いで後ろに飛ばされる 剛法は防御体勢=反撃体勢
でなければならんと昔から言われている。防御のための防御ではなくいつでも即反撃つまりカウンター出来る体勢にしておく
論より証拠でレの字で流水したまま蹴ってみると分かる、弱いから。 下受蹴は流水蹴りとは真逆。腰を入れない。つまり逆蹴りでコンパクトに極める
何故腰を入れないか?
何故軸足を外ではなく相手に向けるのか?
それは近間だから。近間で即反撃するのに腰を入れてては遅すぎるし
軸足外に向けては廻蹴りのようになってしまう もちろん乱捕りでは逆突きに対して軸足外に向けながらの回し蹴りが有効な時もある
でもそれは下受蹴というよりもはや流水蹴りだ
それぞれの技のテーマ(目的)を混同してはいけない
下受蹴のテーマは近間、突き間合いでの蹴り反撃
流水蹴のテーマは運歩より体捌き重視 腰を入れての直蹴イメージの強いフルコンでさえ近間になると腰を残した直蹴りを上手く使う選手もいる
もちろん効かすのでなく後ろにぶっ飛ばすのが目的なら腰を入れつつ押すように蹴るのも手だけどね >>441
そのページで蹴ってる人は蹴り強いよ。
本よりも動画で胴ありの演武や講習会やってるから見てみるといい 新井さんや石井さんや川島先生の息子にしてもそうだけど軸足に重心残したまま蹴ってるな
形稽古だと都合がいいポジションで止まってくれるからいいけど
現実の攻防だと相手はかなりの勢いを持って突っ込んでくるので
こういう蹴り方すると効かないばかりか転倒することになる >>454
少林寺の中ではね。
あのパンパンうるさい防具なら過剰な音が出るしその割に威力も低下できない、演武用防具。
同じウエイトやらない系で比べると、システマや剛体術に比べたら。
動画は突きが多いけど、蹴りも同じ。
https://youtu.be/7-iku76zxbs
https://youtu.be/Rcg8B-Gi--c
https://youtu.be/7SuPOmUXS2Q
https://youtu.be/h2V41QzeKAI
こう言うのが本当の基本。法形を正当化する理論ではなく、こう言う理論こそ構築すべきだった。
大東流の表面を導入して合気もどきするより、基本を重視すべきだな。
https://youtu.be/7zRDRislibc >>455
おまけに格闘家らは鍛えてるから、あんな足打ち蹴りでは無理だよ。 大東流から導入するにしても、表面上の技ではなく、一部の弟子にしか教えなかった四股や振り棒こそ導入すべきだった。
ここまで書いてふと思った。
山崎先生が大東流佐川道場通っても「そんなに大東流好きなら大東流にいけ」とは言わないんだね。
これも、ダブルスタンダード。 >>456
違う違う蹴った時パンパン鳴ってない鈍い音。しっかり蹴ってるで
ただ防具なしや単独でやると軸足に重心残さざるを得ない。これは空手でもどこでも同じ。重心前に入れると体が泳いでしまうから 言ってた人いたよ別派活動すんなと面と向かって。やっぱありゃ好き嫌い分かれるわ >>459
目立つところじゃキックやムエタイは全然違うな
おまえの世界の狭さを自白してるだけ 基本的に少林寺の打撃はどれも軽い
急所を狙うだのの理屈はあるにしても、打撃自体は非常に軽いし遅い
少林寺信者はいい点しか受け入れないから、無理矢理本部を持ち上げたり、人によると抽象論に逃げる
おまえの打撃は軽いんだよ >>455
子供の頃でもいいから実際に人と殴り合った経験があるなら分かるけど
前に詰めて止まって打ってジッとしてまた離れて
なんて動きなんてしない
当たり前だけど 格闘家も古流の武術を学んだり合気道を学んだりする人も増えてきてるが
少林寺を学んでるという人なんて一人もいない
学ぶべきところが一つもないからじゃないのかな?
プロ格闘家の平直行も柳生心眼流に移ったり
アマチュアでも数見肇は小林流空手を学んで武術空手の追求したり
プロのキックボクサーが合気道を学んだり
少林寺以外の古流武術系に学びに行く人が多くなったが少林寺を学ぶという人を聞いたことがない
こういう現実を少林寺拳士はどうみてるのかな? よそ見するのは自分が一生懸命じゃないから。ちゃんとやってたらよそ見してる暇ないよ >>466
じゃあ、他流を見てるおまえは一生懸命じゃないのがバレたな >>466
そればっかりやって、結局演劇だったことに気づくぅりいなら、他を知って、納得して何かをやるほうがあいね。
演劇を求めるのも悪くは無い。
漫画家の島本和彦は、大学時代に強さではなくアクションとしての空手を習いに行ってた。
80年代だから極真全盛期。
「ダンス空手?俺はそれを求めてるんだ」とのこと。 並行修行は、薬の飲み合わせみたいなのがあるから慎重に。でも、他を見るのを拒否する先生は後ろ暗いことがあるんだろう。
自信があれば、他を見るのをむしろ薦めるし、他やりたいのならどうぞ、状態。
おれがもし最高の流派を立ち上げたとして、他に行く人いたとしたら、「見る目がないやつはしかたがないアホ」状態だね。 他を知ることにより、自流の立ち位置や技術の特性の理解が、深まる。 武術の型稽古や対人練習は理論が先にあってその理論を体現化することを目的に練習体系がカリキュラムされてるが
少林寺の練習は本当にただの振り付け集と言われても仕方ない練習体系
全てがバラバラでしかもその一つ一つの技術も首を傾げるものが多い
試しにスパーで相手が上・中とパンチを打ってきても少林寺の人は上受け下受けの受けなんて決してしないよ
というかできない
何故できないのか?
その技術そのものがおかしなものか、そもそもの練習カリキュラムがシステム的でないのか
少林寺の場合その2つとも該当してる可能性が高い
仮に昔流行った一般人対象の護身術講習会で教えている状況に応じた護身技をいくつか習って
そればかり練習したとする
その人はスパーで戦えるようになれるか?というのと同じこと
それでもそれがシンプルなものだったら動けるだろうけど
そもそも土台を練ってないから動けないんだよね、運動神経の良い奴やセンスのある奴以外は
これを20年30年40年とやってた人はまぁこれは個人の価値観だけど気の毒に思ってしまう >>471
そういう根本を枝葉と思ってる連中には響かないんじゃないかな
応用すればどうとでもなる理論で片づけるなら、囲碁将棋も応用すりゃK1チャンプになれるw >>469
他流に行った時は、まず技の前に、システムも頭に入れておきましょう 騙されないように
会員番号 個人の出席状況 他流の師範だけではなく、他流の本部ともやり取りしましょう。 試合の世界は切磋琢磨と言えば聞こえはいいが実際は贔屓や虐めなど陰湿な面とは切っても切れない関係
そりゃそうだやる限りは勝ちたいのが心理
どんな手を使ってでも…となりやすいのが競技の行き着く果て、弊害である >>474
おまえは粗探ししかしないくせに
少林寺の悪い点は絶対認めない まあ武道に限らんがな。仕事でも競争を煽るような職種はトラブルが多い
そりゃ見てるぶんにはかっこいいし成り上がったりすると話としても美しく世間も認めてくれる
しかしその成功は様々な犠牲の上に成り立ってるものが少なくないし、そういう成功は砂上の楼閣で長続きしない >>476
おまえのは、酸っぱい葡萄理論でしかない
やりもしないくせに口だけ そもそも勝つと言うことは同時に敗者を作ること
試合でも商売でもウィンウィンとか相手に感謝されるとかは理想だが実際はそこまで出来てない人のほうが多い
あの野郎とかどんな手を使ってでも勝つと人の汚い部分を助長しかねないのが競争の世界
もちろんそこに価値観を感じるのもその人の価値観に帰するから自由にやればいいが
勝ち負けでなく助け合いを教える事は崇高 そもそも競技や競争で優勝を重ねた成功者が後の人生で普通人以下な事をしでかす例も多い
それは己の勝利だけを考えてきたから。間違っても相手を立てたりする余裕は無い
もちろんそんな事にならない素晴らしい人もいるがそれは少数
実際は己の幸せだけを求める世界と言われても仕方ない 世の中がどれだけ変わっても変わらない事そして変えてはいけない大切な事は相手を思いやる事
人は一人では生きていけない
であるなら、自分と共に周囲の人間の事くらい大切にしてあげようじゃないか ニュースでもパワハラ根絶とか言い出している
中高生の部活動も盆正月以外にも土日も休ませようとか
練習は何時間までとか変わってきた
世間も専門バカを作る愚かさを分かってきたのかもしれない
しかし勝者こそ正義の価値観やシステムを変えないことには
いくら表面だけ弄っても結局変わりはしない >>479
少林寺の悪いところを集めたような思考してるな
イメージだけで競技の粗探し >>481
専門バカとは別の次元の話だよ
おまえは少林寺信者 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています