某所で以下の投稿を見かけたんだが・・・本当なんかな?

韓国大理石壺の霊的価値

空手の達人である大山倍達館長は韓国の大理石壺について、「この壺をながめるたびに、素手を信じ、空手(くうて)をふるった若いころを思い出す。わが極真拳の『点を起とし、円を終とす。線はこれに付随するものなり』との開眼の感動がよみがえるのである。思うに、武の極地と美の極致とは、同一点からはじまるのではないだろうか。大理石の不動の重みと空間をつくりだす美しさから、魂が鎮められ、秘めた祈りが感じられる」と述べておられます。

韓国という国は実に不思議な国で、私も韓国に行くたびに心の故郷を求めるような心境になります。また、韓国の土地には多くの人々の渾身からの祈りが込められているように感じます。何度となく、他国からの侵略と迫害に耐え抜いてきた民族の心情が、真実の平和を求める祈りになって、至る所にしみついているように感じられます。そういう歴史環境からこそ、真実の救いの教えが出現するのかもしれません。統一教会は韓国で創立されていますが、韓国の長い長い歴史と統一教会の平和精神は一つにつながっているように思えます。
また、韓国で霊山と呼ばれるような場所とか多くの修行者が行脚した岩山から誕生した大理石の工芸品などを見ると、確かに大山館長がおっしゃる通り、その澄み切った美しさの中に秘められた祈りがひしひしと伝わってくるようです。

そう考えると韓国大理石壺は、もちろん美術工芸品としての高い価値があることは当然ですが、その上に更に「霊的価値」とも言うべきものが加わっているのではないかと私は考えています。
ずいぶん昔ですが、私は韓国の工芸品を扱う石材会社と取引していた人物(統一教会信者)を介して、韓国の高麗大理石壺を家に置くようになりました。我が家には高貴な床の間などはないのですが、静かに祈祷する場に韓国の壺を置いてあるだけで、何かその周辺の霊的空間が清められ、心が癒されるように私には感じられます。

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