【公式】合気道関係総合スレ10【ワッチョイ】
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合気道関係の総合スレです
初心者から有段者まで、会派、流派問わず語りましょう
※このスレはコテハン禁止です (粘着も来ないで)
前々スレ
http://mao.5ch.net/test/read.cgi/budou/1543319120/
前スレ
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/budou/1549954077/
【公式】合気道関係総合スレ9【ワッチョイ】
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/budou/1572656612/
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvv:1000:512:: EXT was configured 合気道の稽古に参加するのは危険過ぎます。
新型コロナウイルスは飛沫によって感染しますが、合気道の本部指導員は、飛沫どころか自分の体液を手に取って、女性の顔に擦り付けます。
新型コロナウイルスに感染する危険度100パーセントなのです。
合気とは、相手の力を抜いてしまう大東流独特の技術であり、合気之術に掛かっては、如何なる武道と謂えども太刀打ち出来なくなります。
因みに、大東流合気柔術から派生した植芝盛平の合気道は、大東流合気柔術の偽物に過ぎず、
合気という名前を大東流から盗用しただけで合気の技術は全く無く、使い物にならないカタチだけの踊りに堕しています。
その為、素人を騙して金を取って指導する疚しさから公益財団法人合気会(合気道)本部指導員の気が狂い、
通りすがりの一般女性の顔に精液を擦り付けるわいせつ事件を複数回起こしています。
https://yuruneto.com/taieki/
https://mobile.twitter.com/aikiyawara/status/820824297493053441
https://ameblo.jp/ssrmondo/entry-12230795181.html
https://images.app.goo.gl/rCq7ojWBrf54xc3HA
http://kininarumatomesokuho.blog.jp/archives/9660912.html
その他にも、合気会所属の米国アクション俳優スティーブン・セガールが、
共演女優にレイプやセクハラを犯している事が明るみにされています。
https://www.afpbb.com/articles/amp/3149978
https://m.huffingtonpost.jp/amp/2018/03/20/steven-metoo_a_23390104/
インチキ変態武道の合気道に騙されないよう気を付けましょう。
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) 偽の合気の合気道には無い、
大東流合気柔術だけにある本物の合気之術
秘伝6月号 絶賛発売中
未曾有の「合氣之術」を伝える幸道会が語る“真実”
武田惣角と彼を支えた高弟たち
大東流“合氣之術”の系譜
“武田惣角の実見者”井上祐助最高顧問インタビュー、惣角を支えた高弟たちの輪、 惣角直伝・堀川幸道が伝えた武器体系、幸道会・佐川一門 交流の“真実”、etc.
http://webhiden.jp/magazine/
https://i.imgur.com/p8QVfFs.jpg 植芝盛平が武田惣角先生から大東流合気柔術を習っておきながら、合気の創始者を詐称した動かぬ証拠
https://www.aikidosa...hiba-kyoju-dairi.jpg 合気道は至誠の道を練磨する事です。至誠は本を忘れず自己を知り、自己大成への道であります。
(解説:合気道を修行する事は、あらゆる面で誠を以て当れるだけの心を練磨する事である、という事を強調されたものである。)
吉祥丸『合気道教範』282p この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。 大正11年(1922)に『大東流合気柔術』の教授代理を許されてから『合気道』になるまで、名称が『合気武術』『合気武道』などと変遷していますが、
すべて『神人合一の武道』を創り上げる過程での変更だと思います。
昭和8年出版の『武道練習』の中の道歌に『合気十』という言葉が見られるので、『神人合一の武道』を『合気道』とする構想はそれ以前からあったものと思われますが
出口王仁三郎師の示唆があったのかもしれません。 宗教的な解釈でいうと。
万物は神の分け御霊であって、その分けた理由はより良い世界を作るため。万物は相互に作用し進化してより良い存在にならんとする…てな働きがそもそもあって、その働きに力添えして支えることを合気という…てのが合気道開祖・植芝盛平の言だと思ったが。 >>760
合気道やってる人全員が力添えしたとしても
一体なんの役に立つのか 猿田しばきたいんだけど山口と福岡にしかいないの?
骨折りたい タイガーウッズが骨折したことにちなんで両足首折りてえなw
これが合気道秘伝のヒールホールドどすと言って100円投げて帰りたい >>761
企業によっては…つーか俺の知ってる企業は理念として社会貢献も揚げてる。
それを無駄だと思うなら君の言うとおりなんだろうな。君の中では。 この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
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大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。 中倉清「惣角先生は植芝先生に生活費を厳しく催促するのです。
たまたま送らなかった時に、惣角先生が北海道から出て来て、
言わなければ良かったんだろうけど『大阪朝日新聞で指導です』と私が言うと、
惣角先生はすぐに大阪に行き、植芝先生が逃げて帰って来たのです」『植芝盛平と合気道1』157p 確かに合気道や大東流の段位になんの意味があるのかと言われれば疑問なところはあるけどな。
特に大東流関係は柔道の紅白帯、赤帯まで真似して、自分達の単位は柔道や空手と互角に渡り合えるみたいな顔してるのは見ていてキツいと感じる。
けどまぁそれも個人の価値観だろう。
好きにすれば、って感じ。 級段位制があると、
教える側としては、誰がどの程度の事まで修得しているのかの目安になるから
稽古を進めやすい。
以前所属していた道場では3級以上は茶帯を締めることになっていたから
分かりやすかった。
大人数で稽古する時は、中級以上と以下で分けて稽古をしたこともあったしな。
もし無かったら、本人にとってハードルの高い事を教えようとしているのか
次の段階に移ってもいいのかがが分からない。
指導者の中には、「俺は審査のための稽古は嫌いだから教えない。」
って人もいたりする。
それだと才能のある極一部の人しか上達しないんだよね。
そして、そうやって教えられた人は指導には全く向かなくなる。
そんな人でも古参になると初心者と組んで稽古をすることもあるんだが
酷くて稽古になっていないことがよくある。 級はともかく、段はどうかね?
それに、正直ヘタな初段より上手い三級が居たりするからな。
三段・四段でも高齢になってから取った人のは段位のワリにあまり上手くない人が多いので、俺はあまり段位は信用してない。
級・段が稽古上のひとつの目安になるのはたしかだけど、上手さや強さの保証にはならない。 けど審査の時だけ技の練習をして、終わったら忘れる感じでしょ、みんな。 この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
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大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。 猿田さん762が試合の申し込みをしてらっしゃりますよ? ウチの道場は昔は上手い有段者が多いように感じたけど今は…
レベルが年々下がってる
審査見ててもこれで初段?ていうくらい うちもだ。
四級以上三級未満の実力で初段受けちまう人が多すぎた。
審査終わったら覚えた技を忘れちゃうような人ばっかりになったから
レベルダウンに歯止めがきかなかった。
指導者が、「審査技の稽古は嫌い」っていう風潮が長かったからな。
どんな技を教えればいいか分からん、覚えればいいか分からん、ってのばっかりだった。
今は、ある程度俺のやりたいように初心者の稽古を任せてくれるようになったので
初心者には級毎に次に受ける審査技のリストを作って渡して、
同じことを根気よく繰り替えし教えるようにしてる。
覚えの悪い人も一年に一級ずつ昇級していたんだが・・
コロナのせいで1年以上審査もマトモな稽古も出来なかった・・・・
春に漸く普通の稽古が再開出来そうだが、教えたこと忘れちまってるだろうなあ・・ >>777
俺は教える事は諦めた
下手な低有段者が段が上って嬉しくなったのか有級者や初心者捕まえて自己流を教えてる風景に飽き飽きして教えるの辞めた
せっかく教えて技を積み重ねて練り上げようとしているのにそれを崩されて然も間違った技や技法で塗り替えられていくの見てたら虚しくなった
そこの交通整理をすべき道場責任者が自分の技を教えるのに満足して全く仕事をしていない
次初段の一級がいるが酷い出来具合で気の毒に思う
合格したらまた我が物顔で入門者に説教しだす老害が増える事になるだろう この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。 >>778
俺は「皆、道に迷ってる」て感があってなあ。
昔居た道場では、六段から四段までがゴロゴロ居て、それぞれ技が違った。
体格の差、力の差、速さの差、工夫の差、性格の差とか諸々で変わってくるのだろう。
トップの先生はそれで良いという。
それぞれの良い点を学べば良い、と。
お互いに影響しあって向上しろ、て事だろうと思う。
その後、転勤とかで他の道場を巡ることになり、いろいろ見てきたが。同じ系統の道場でも、技にそれぞれの個性を見てきた。
道主に聞いてみても「一人一人の顔が違うように、技も一人一人違うのです。」とおっしゃる。
開祖の話を本で読んでも、合気道は発展していくもの、固定された動きではないと考えておられたようだ。
合気道の技に答えはひとつではなく、いろいろ迷って良いのではないか?と最近思うようになった。
他人の技に非合理があれば疑問を提示し、合理的と判断できるなら放っておいて良いのではなかろうか? この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。 藤平光一「私は植芝先生の合気道が完成したとは思いません。大体何を以て完成と言うのか?
リラックスを修得したのは大本時代でしょう。しかし完成等と言い出すと、神業とか瞬間移動したとか黄金仏になったとか、
碌な話にならない。リラックスだけでも立派な事ですよ」
『合気ニュース』109号16p >>781
出来れば支部内では統一してほしい。
少なくとも道場内では基本技を変えちゃいけないよ。
初心者へ教える内容は指導者間ですり合わせておかなくちゃ。
全国的に統一しようとすれば、今の時点では荒れる。
本部の技には求心力が無いからね。
下手すりゃ組織が更に分裂する。
最低でも、もっと大先生直弟子師範達の技を取り入れて、
合気剣の稽古ぐらい普通に容認しなくちゃ。 開祖の直弟子もずいぶん少なくなっているんだろうね。
菅原先生、遠藤先生あたりが最年少くらいか。 合気会って 実質、合気道組合だからな
組合に加盟してもらってる独立系の集まりみたいなものだから
それをフランチャイズみたいに統一するなんていったら、そりゃ反発するって
そもそも、統一してみんな同じ合気道やるようになったら、演武会なんてこれほど退屈な大会ねえぞ?w
ただでさえ、似たり寄ったりで大して面白くもないのに >>787
どこか他所の柔術だったみたいな
所もあるよね 伝統武術の道場だったところが戦後経営判断で合気道に看板かけ変えたようなところはあると聞いた。 基本的には規範合気道ていう本を出してるんだから植芝家の免状をいただく以上それに準じないと
段位が上がれば変化や応用はいいだろうけど基本技ですら怪しい教え方をする人が増えた
逆に本とか出さない方がいいかもね
背伸びしたがる下手な有段者が見様見真似で効かない技をドヤ顔で初心者に教えたりするから つか辞める人を恐れて審査基準が甘いよね。昔はバンバン落とされたというけど 規範合気道はあくまで参考程度にしかしていないな。
例えば、本部スタイルの逆半身一教表、
あの相手の表側に大きく転身して崩す技の動きでやってるところは
全体の何割程度だと思う??
俺の見聞きした限りでは、本部系以外は別の入り方でやってる。
側面に崩す入り方、足を直角に捌く入り方、転換から入るやり方、相手を前方下段に崩す入り方・・
俺が知ってるだけで6通りのパターンがある。
だから「規範」とか言っても、あくまでそれは数多の合気会合気道のなかの
「本部派」っていうスタイルの一つに過ぎない。 「規範合気道」て本なりDVDなりの存在自体が、本部として「これに合わせてね」て意思表示だろうけどなあ。
現時点でそれを強制すると分裂は避けられないので、参考に留めておくべきなんだろう。
本部派としては不満だろうが。
個性的な地方の古い師範たちも時間には勝てないから、いつかは亡くなるし。若い人は本部の無言のプレッシャーに勝てない人が多かろうから、将来的には本部のに統一されるかもね。
……白川六段みたいな独自色の強い人でも全日本の演武見る限りでは合気会の評価は高そうだな?
そこを考えたら、本部も必ずしも統一しなきゃいけないとは考えてないかもね。 この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/p_8u7ypDOPQ
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI
https://youtu.be/4rHuQiugSks
https://youtu.be/7d7yIfsT0rs 当て身の話は団体や組織、系統や立場で異なるようで、一概に言えないけど。
合気道で、空手やボクシングみたいな当てる競技は成り立たないだろうね。 どう考えても杖道か銃剣道か棒術だよ。半身だからね。
しかし長物の武器は持ち運びが禁じられているから素手で
合気柔術をするんだろうね 棒術やってる身からすると、合気道の半身は全く半身じゃないよ。
合気道は、武器ありきの構えではなく、徒手用に改変した構えじゃないのかな? 合気道は完全に正面向きでしょ
横向いたら合気道の技使えないしw 八光流柔術総本部所属選手がK-1の試合でムエタイのゴンナパーと試合するらしい この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。 「技の構えは心にあり、体の構えは六歩(半身)にあり」つー言葉が開祖の口伝としてあってだなあ………まあ、好き勝手な解釈が成り立ってる現状、そんなことはどーでもいいか。 猿さん>762で喧嘩売られてから沈黙してるけどどこ行ったの? 正面見たまま片足前に出してるのは正面構だぞ
半身ってのは腰骨と肩が横向き又は斜めになっている状態 開祖の「武道」て本で、構えてる開祖見てみ?
腰横向いてるから。
開祖が時代で変化したのか、状況により変わるのか、後の世代で変えたのかは知らん。 この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/p_8u7ypDOPQ
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI
https://youtu.be/4rHuQiugSks
https://youtu.be/7d7yIfsT0rs >>810
「気勢ヲ充実シ足ヲ六方ニ開キ半身入身合氣ノ姿勢ヲ以テ敵ニ対ス
・・中略・・
足ノ踏ミ方ニハ外六方、内六方及外巴、内巴アリ 練習ノ際二伝授ス」
とあるね。
半身にならず真正面を向くのは上でいうと足が「外巴」の形になった状態。
養神館はこの立ち方だよね。 小学生にもマトモに掛けられない指導者を見つけちゃったよ…。
ホントに合気道辞めたくなってきたなあ。 少年部で指導やってるけど小学生相手で身長差があるなら座技でやるとちょうど良いよ 小さい子には半身半立ちで技を掛けたりするけど、足の運びが分からなくなっちゃうから教え方が難しいね。
特に子供は手の動きばっかり見て足の動きは全然見てくれないし、
運動機能は頭部から下部にかけて発達する傾向があるから、しょうがないっていうのもあるけど、 この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/p_8u7ypDOPQ
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI
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https://youtu.be/7d7yIfsT0rs まあ、ご意見いろいろあるだろうけど。
武道の看板上げといて、いい大人が小学生も倒せない技法って…て思うね。俺は。 子供に限らず初心者にもある。
受けに面を打つ、突くといった意志がはっきりしてないと技もかけにくいだろう。 >>819
まず受けがやられ役の概念を捨てささないと無理
攻撃する方が自身の体位を崩すことなく確実に相手を打つではなく斬る、突っ込むではなく突くの動作ができるが人少ない 相手が逃げに徹すれば、ほとんど掛からないからなあ。
当て身や四教で攻めると稽古の意味が変わっちゃうし。 先生が向かってこなかったり
全身固めて動かないようなのは何も攻撃出来ないんだから
何もする必要無いと言っていたけど
そうもいかないよね 相手にボクシンググローブをつけてもらってある程度自由に動いてもらったら何も出来ずに殴られるレベル
相手の手をしっかり握れるとか相手がしっかり握ってくれるとかそう言った現実離れした前提条件の上に成り立つのが合気道 >>822
そうもいかないかどうかは本人が何をやりたいのか次第だと思うけど、相手の動きを待ってから動くのは、実際には危ないんだよね。
かといってこちらから動いて当て身とか急所を抑えることを起点にする(こういうやり方も養神館や岩間に伝わってはいる)と、普段の稽古と矛盾が生じるケースも。
当て身を主とすると拳法に近づくし。 護身のためと思って習っている女性がいるかもしれないけど女同士の喧嘩や揉み合いでもとても役立つと思えない
ローキック練習してる女に1発でやられる
あくまで道場という仮想空間で行われる演武なのでそこを理解した上で取り組むべし この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/p_8u7ypDOPQ
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI
https://youtu.be/4rHuQiugSks
https://youtu.be/7d7yIfsT0rs こういうのって、押し合い、へし合い、突きなどの地味な攻防の末に、一瞬の隙を見て技を掛けるもんなんじゃないの?
なんで技「だけ」で攻防しようと考えてるのかが分からん。 頭で考えているだけでなく実際にスパーして検証する事が重要ですよ
と言っても合気道でスパーはしないと思うので他の武道なり競技なりでスパーを経験すれば実際に使えそうかの判断もある程度客観的に見られます >>828
ほんとにね。
やらない奴ほど「やると力比べになる」とか小賢しいこと言って分かった顔してるけど、「取り敢えずやってみよう」という姿勢が一番大事だと思うんだけどな。
まぁやってみたら外野はなんやかんやグダグダと文句言ってくるだろうが、所詮はやる勇気のない者の戯言。 スパーでもなんでもやりたいやつはやればいいんじゃない?
やりたくないやつはやる必要ない
そんだけ スパーやったら、合気道弱いのばれちゃうやん
勘弁でんがな 合気道で常に日本人がリスペクトされるのは、有りもしない技術と貫禄や
つまりハッタリやねん
柔道みたいに試合が無いのはものごっついメリットでんがな ただスパーをやるといっても合気道しか知らない同士でスパーをしてもほぼ意味はないと思います。
戦い方を知らないので。
一度外の世界でスパーや試合のある競技を経験する事は視野を広げる事にもなるのでお勧めです。
個人的にはボクシングとレスリングを推します
やってみると奥深いし合気道への見方変わります。
あの先生偉そうな事言ってるけど実はたいした事ないなとか >>834
日本の合気道の先生、九分九厘が大した事無い結果になるでんがな! >>833
それが大きなメリットなのは分かるけどそんなんで実戦語ったり指導者がやたら大物ぶったりするのがちょっとね。
単なる演武のインストラクターなのに何を勘違いしてるのかと 大物ぶったり実戦がどうのとか言う奴は体感上四段前後に多い 実力無いのに偉そうにしている勘違い先生が多い世界です。
他の武術や格闘スポーツの経験無しに合気道に入ると無批判な信者になりやすく危険だなと
指導者もピンキリなのである程度見極める目を持ってから入門した方が結果として充実した武道ライフを送れるでしょう! >>834
私もボクシングはオススメです。
実戦の勘が〜等の話ではなく、身体の使い方が非常に参考になるからです。身体操作を見つめないと上達しない誤魔化しの効かないスポーツだと思うので 最初から合気道ってのはだめだすなあ。
合気道開祖だって、色々やった後に合気道だすからなあ。 初心者に向いてない
長く続けても強くならない
合気道なんてやらないで、他のスポーツや格闘技がおすすめよ しかしでんがな
合気道の稽古はサーキットトレーニングとして、30分ぶっ続けで、組み手、基本動作位やってみたらええんや
そんだけやりゃ体力もつくがな
殆どの道場は立ち話や、理論語る奴ばかりなのが現状や
お茶飲み同好会と勘違いしてる道場が多いから、合気道やる奴は体力も筋肉も無いんや
技も全開で抵抗、掛け合いをするんや
ボクシングジムなんて行かんでもええ
大概本気で抵抗したら、技なんて掛からん >>844
三つの理由で難しいんやないかな?
ひとつ:合気会はお茶のみでも構わんとのお知らせを出しとる
ふたつ:そういう稽古に付き合ってくれる人が道場に少ない、もしくは居らん
みっつ:本気で抵抗しあったら怪我人が出やすい なんでも良いよ、ただ年数だけ立派な高段者はイキらないでくれ
組手が無いから咎める手段が無いから鬱陶しい 雑魚の分際で講釈だけは立派なジジイと関わるのが時間の無駄だから
段だけとって満足してろやオナニージジイが 急にどうしたの?
そんな道場行かなきゃいいじゃん
バカはほっとけ
黙って信じられる道場行くだけ 信じれる道場には行ってるよ
けど半分以上雑魚爺が混じってるしそいつ等が担当指導員の日は行かないようにしてる
本当は毎日行きたいんだが雑魚爺マジで邪魔 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています