【公式】合気道関係総合スレ10【ワッチョイ】
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
合気道関係の総合スレです
初心者から有段者まで、会派、流派問わず語りましょう
※このスレはコテハン禁止です (粘着も来ないで)
前々スレ
http://mao.5ch.net/test/read.cgi/budou/1543319120/
前スレ
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/budou/1549954077/
【公式】合気道関係総合スレ9【ワッチョイ】
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/budou/1572656612/
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvv:1000:512:: EXT was configured ワイは合気道の達人でんがな
会費でかなり儲かっとりますし、可愛いねぇちゃん会員は、飲み会での無料コンパニオンやで! >>505
そんな達人はんが他人の動画を引用だすかな。
いやはやなんとも、是非に及ばず。 >>501
条件反射みたいなものだからなあ。
インチキと言えばインチキだけど、条件次第なら掛かるのかもよ?
それが何の役に立つのか解らないけど。 >>508
> インチキと言えばインチキだけど、
手品のようなものをインチキという人がいてますのやろか?
魔法とか言うてるわけでなし。
普通に科学や技術とちゃいますのん。 この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
触れずに倒すインチキ武道
合気道の暴かれた現実
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI 合気道の出身で、岡本先生の大東流も学んでいた人。
ようしん館のわざと似てるのだろか?
https://m.youtube.com/watch?v=SGyqaJUun7g&list=PLpxJmkKVEUhFUaQ_lux4f3bGU59qdILiV >>511
セーガルの弟子に合気道学んで、大東流六方会の岡本先生に学んだ、て人ね。
養神館とは別物でしょ。
お互いに「一緒にすんな!」て感じでは? セガールの弟子に学ぶって・・・
俺には理解できないんだが、そんなにセガールの孫弟子って誇れるほどのものなのかな? >>516
>そんなにセガールの孫弟子って誇れるほどのものなのかな?
さあなあ。俺も知らんけど、本人的には自信あるみたいね。 セガールも生まれ持っての体格と
運動神経やセンスが優れてたイメージで
教わってなんか身につくんか? この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。 昔はともかく、今は身体動かすのメンドクサがってる気がする。
https://youtu.be/orc_KSuQFXY 元記事はこれなんだが…https://jp.sputniknews.com/life/201808305279709/
道場名の「天心」は大阪で稽古してた時の道場の名前じゃなかったっけ?
だから大阪にまだ天心道場があると思ったんだが。まあ、元奥さんの道場みたいだけど。
なんか元記事読んでると、彼オリジナルみたいな扱いに見える。 あ、ごめん。
大阪の天心道場ググったら、合気道やってる女性がセガールと結婚して天心道場て名にした、とあるわ。
突然セガールに去られた道場を残された元奥さんが、そのままの名前で支えてきたらしい。
http://www.aitenshin.com/smarts/index/12/
まあ、女癖悪そうだからなあ。 セガール氏が重婚してたのは、触れてもらいたくない。 重婚…。(^_^;)
あれ、極真空手作った人もそうだっけ?
外国人はそういうの平気なのかなあ?
おっと、スレ違いか。失礼しました。 この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。 セガールの映画を見て合気道始めたって人、昔は結構いたよね。
そういえば、スタンレー・プラニン氏が合気ニュースで、明らかにセガールとしか
思えない人のことを、批判していたなあ。 >>531
今、その記事が書いてあった合気ニュースがないからうろ覚えなんだが
合気道を使った暴力シーンを批判していたな・・・・
真面目に合気道を研究してきたプラニン氏からすれば
金儲けのために、刺激的な暴力演出の手段として合気道を使われることは
我慢ができなかったのじゃないだろうか?? >>524
セガールは元々気の研で習ってて
藤平光一が本武道場の名前に取っておいた天心館を勝手に名乗ったから
激怒して除籍されたと聞いたが だーかーらー
セガールは合気道の専門じゃなくてセガール拳だから
己の武術に合気道を組み込んだだけじゃんか セガールは初段は藤平さんのところで取った人だから
柔らかい合気道のこともよく知ってるはず。
他にない新鮮なアクションのために合気道を使うのは決して悪いことではないと思う。
映画を信じ込むそうとうナイーヴな人でない限り。 この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
触れずに倒すインチキ武道
合気道の暴かれた現実
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI 三千世界一度に開く尻の穴 艮のコロナ神の世になりたぞよ >>530
それは俺w
沈黙の戦艦の前のメジャーになる前の作品が超カッコ良かった >>511
その人、空手柔道等の競技試合の経験は一切ないみたいね
セガール映画に嵌って実戦とか言う前に、競技やっておくベきだったね 話は違うけど、塩田剛三先生のお孫さんの説明動画。
https://youtu.be/jB28Al20Cjw
気の流れの稽古では見ないやり方だと思うが、話的には悪くないと思うんだけど。どうよ? 井上鑑昭(盛平甥)「『いよいよ大東流をやるんだ、若さんもやってくれるか』と叔父が言うので浅草の家でやった。
『叔父さんちょっと待って。そこがちょっと固いんやないですか』『固いか』『力ばっかりじゃ仕様が無いやないか。
これをずーっと伸ばしたらどうですか』」『植芝盛平と合気道1』36p >>543
結局は一教入身の変形みたいにも見えるけど
当身を打撃と一緒に考えるとおかしくなるのかも。
https://youtu.be/32NRpOsFZls
これなんかもそうだけど、当身は相手の攻撃を待ってかける技じゃなくて自分から仕掛ける技という捉え方の方が良いのかな。
これが流れの技じゃないという事じゃなくて流れを起こす技と思えば良いんでない?
そう考えれば打撃であっても流れを作る為の打撃ってのもあるな。 この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
触れずに倒すインチキ武道
合気道の暴かれた現実
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI 藤平光一「戦前の植芝道場は『強く成りたい』と心から願う豪傑達の梁山泊だった。
一般の入門は認められず、大将・中将という高位の軍人が『うちの誰を頼む』と屈強の若者を次々送り込んで来た。
その中で道場主を務め、多くの信奉者を集めていた植芝先生は、紛れも無く本物だった」『氣の確立』79p 開祖の時代の当て身というのはパンチの事なのか、富気流みたいな掌を当てて押す技のことなのか。
どちらだろう?どちらもかな。 あの時代、ボクシング的なパンチは無かったんじゃないかな?
まあ、雑誌で読んだ話なんだけど。
正面打ちの練習を見てた開祖が、「今時そんなことをするものがおるか!今時はこうじゃ!」てジャブみたいな動きした…てな話を黒岩師範がしてたらしいから。対応すべき対象として研究はしてたかもね。 稽古の受けをとる上で必要な感受性であって、
これで人を倒せるというものではありません。 >>550
成る程、冨木先生が開祖に習っていたのは戦前ですからボクシング的な動きはあまり無く、黒岩先生が習っていた戦後にはボクシングが開祖の視野に入ってきた、というような感じで開祖の感覚が変わられたという事もあり得そうですね。そういえば黒岩先生はボクシング経験者だったそうですし。
スッキリしました。ありがとうございます。 >>550
その頃の開祖なら新しい技術や流行り物に対しても合気道という観点から様々な攻略を考えられてた事でしょうね
今は晩年の開祖の姿だけを追いかける人が増えすぎましたからそんな事をやっていたら怒られますわ だからといって開祖がボクサーに勝てると思うかぁ?w なわけねえって思うわ
本当か嘘か判らんような逸話にすがって、自分勝手な稽古に逃げるよりも
無理しないで伝えられてる技をマジメに稽古した方がいいと思うぞ この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
触れずに倒すインチキ武道
合気道の暴かれた現実
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI >>557
逸話なんか関係なしに合気道を研究しようって思わないの?
守離破とまでは言わなくとも型通りの稽古を万年やって満足? >>557
伝えられた技をマジメに稽古なんて当たり前だろ
ていうか伝えられた技自体曖昧なのが今の合気道
各道場や師範によって技が違うのが当たり前の現状で何をもって伝えられた技とするの? この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。 対ボクシング的な研究って話かね?
個人的な経験(柔道・剣道・合気道の段持ちで、フルコンとボクシング経験がある人と防具つけてのスパーリング)から言うと、お互いに殴り合う状況下では合気道の技は決まらなかったな。
ちなみに、俺が一方的に殴られてたわ。
合気道の稽古してる場所ではボクシング経験のある人は少ないし、逆にボクシングジムで合気道の動きするわけにはいかない。
なかなか研究すること自体が難しい。 強いヤツと戦ったから決まらなかっただけさ 自分より弱いヤツ見つけて戦えば
合気道の技も柔道の技も決まったさ 気にするな 自分より体格も筋力も下の相手には使えるよ
格下を怪我させずに制圧する技術と考えれば使えない事もない >>566
それが本当なら一般的に流布されている合気道に力は不要で女性や子供に向いてるという話は嘘と言うことになりますね
まぁ同じ組技の柔道やアマレスも技術が同等の人間同士なら体格に勝る側が有利ですから当たり前の話ではあるんですよね >>568
女子供向けにカルチャー教室化したという意味だからね
戦えると謳っている所は流石に無いでしょ
力がない上に合気道ではどうやっても戦えないよ
握力だけは鍛えられるけどw >>569
> 力がない上に合気道ではどうやっても戦えないよ
そのとおりです。
合気道では戦い方は教えません。 この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
触れずに倒すインチキ武道
合気道の暴かれた現実
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI 個人的には女子供にはお勧めできない
多くの道場は安全面に無頓着で無駄に怪我する事があるから
手首や腰を痛めやすい >>574
空手や柔道の道場と同様に、合気道道場もここ十数年でずいぶん変わって来ましたよ。 合気道と言えば由美かおるさん
名誉じゃない4段はすごい 合気道の段って通ってお金払えば誰でも取れるものなんじゃないですかね? 麻雀で言えば役覚えただけでしょ
それで凄いって言われる不思議な世界ですね え…?
型覚えるのはいいことだろみんなそこから始まるんじゃねーか
武道やったことないのん 老若男女が合気道をやったいて、
それぞれの段階があって、
それぞれの努力があるわけだけど、
それをわざわざ「なんなんでしょうねえ」って言うことこそなんなんでしょうねえって感じだ >>582
日本の詰め込み教育みたいな事言ってますね
>>583
型覚えたからってそれでどうするんですか? 麻雀で言えば四暗刻覚えました
あ、はいって感じですが
褒めて欲しい、他人の評価が欲しいって感じでやってらっしゃるのでしょうか?人それぞれなんでそんな価値観もありと思いますが >>584
覚えたら、ステップアップするもよし、磨きをかけるもよし、現状を維持するもよし、パートナーと形を楽しむも良し、覚えた達成感を味わうも良しですね とりあえず道場でやってる形くらいは覚えてほしいもんだすな。
でないとその先に行けないだすから。 >>覚えた達成感を味わう
そんな価値観もあるんですね
ただ殆どの人は算数や数学で言えばただ公式や定理覚えただけで意味なんてまるでわかってないような感じにみえるんですよねえ >>564
ごめん、言葉が足りなかったか。
一方的に殴られたのは俺の実力不足で、そこは気にしてない。
興味深かったのは、殴り合いの状況下でお互いの合気道技が決まらなかったこと。
思うに、殴るのに有効なやり方は両手を使いやすいように半身は浅く、正面を向き合う形に近づきやすく。合気道は逆に半身を前提にする技が現状は大半なので、両者は合わないか…と思った。 >>589
本当にね。
さらに拗らせると、街で暴漢に勝てるだとか柔道空手に勝てるとか意味不明なこと言い出すからね。 >>580
馬鹿なの?
型覚えたかどうかだけが昇級昇段の目安なんだよ
使える使えないとかはどーでもいいの 昇級昇段したから何なんです?合気会の指導者目指してる人は合気会の必要な段数があるでしょうけども 何故組織が段やら勲章やらナントカ賞やら与えるのか考えた事ありますか?
ナポレオンとか調べると面白いっすよ >>597
その通りです
まあ答え書きますけど昔は活躍した兵隊には金をあげてたんですけど金はいくらでもあるわけじゃないのでナポレオンは名誉をあげるって事を思いついたんですよ
やっすい紙切れ、布切れ一枚でガンガン体張って死ぬリスク背負ってくれるんで超絶コスパ良いシステムだったんです
今でもそれ真似してる組織どこにでもありますよね オレも昇段級に興味がないまま合気道の稽古をやってるので
昇段級できて嬉しかった、ってことは一回もないなあ。
ただ尊敬する師匠の前で演武する経験自体は良い修行だと思っている。 合気道の技は、もともと剣術に始まり、さらに徒手で武器を持つ相手を制するところから発している。
「合気は動く禅である」とも言われるように、稽古を行うのに一番大切なことは、丹田にエネルギーが満ち、心が透明であることが条件であろう。 多田宏 開祖はまともに剣術なんて学んでいないし、禅の修行もした事ない 別に俺だって黒帯欲しくて武道やってるわけじゃねーよ
でも黒帯貰えたらめっっっちゃ嬉しかったぞ
山頂を目指すのは当たり前だけど目指す途中に景色を眺めたり花を愛でたりしてもいいんじゃねーの ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています