払いじゃなくブロックだった、だけど本土の人間が「受け」という名称に変えてしまったから〜〜ってさ

沖縄の人間はバカなのかな?

例えば戦前に本土の人間が型の動作を「受け」と命名したらさ

沖縄の人間:「はい、分かりました! 本土様の言うとおり、明日からさっそく沖縄でもブロックじゃなく払いとして教えます!」
って土下座して死ぬまで本来のブロックの意味を教えず、道場では本土の払うを尊重して教え続けたとか?

戦前本土に居た唐手の経験ある沖縄人の学生や社会人も、頭の中にチップか何か埋め込まれて
「コノドウサハ ブロックデハナク ハラウワザナノデアリマス」と皆一様に繰り返すだけで、ブロックとしての意味や使い道を黙ってたとか?

普通に考えたら、本土でなんて命名しようが沖縄の自分の道場で本当に昔からブロックとして教えていたのならそのままブロックとして教えるわ。

引き手の意味にしたって、本土の学生たちがどういう名前や意味をこじつけようが
本来の引き手の意味をそのまま教えるって。本当に本来の意味なんかがあればな。

本来の意味、つまり根本となるその「意味(技術)」がロクに対人稽古をしてこなくて育ってないから
引き手に対した意味ないし、払う動作は払って防御するなんていう見たまんまの解釈しか出来んというわけ。

じゃあ何で大した意味ないのに腰に手をひきつけるんだよ? となるけど
武術的には大した意味ないが、踊りとしてならそっちの方が見栄えいいからだよ。だからそうしてるだけ。

何度も言うけど、型の発端は武術をモチーフにした踊りだった可能性が非常に高い。
最初の時点で実際の戦いの技術なんか念頭にないのよ。念頭にあるのは、いかに戦ってるような勇ましさを演出できるかだ。