【祝 山崎照朝本】フルコンの黎明期を語ろう 第3刷
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
力石徹のモデルになった男 天才空手家 山崎照朝
https://www.tokyo-np.co.jp/article/41377/1/
フルコン界では自伝が多いなか、取材と文献をベースにした良質かつ真っ当な評伝(二次資料)が久々に出版されました。
これを祝してムエタイ挑戦、キックボクシング参戦、全日本大会開催など、大山道場と極真会館へ変遷していく時代をメインに語り合いましょう。
書き込む際は、必ず「sage」でお願いします。
「age」ての書き込みは、荒らしと判断します。
「sage」ていてもアンチ・荒らし・煽り・コピペ連投の類は、徹底放置でお願いします(専用ブラウザで透明あぼーんがお勧め)。
荒らしの相手をする人も荒らしです。
前スレ
【祝 山崎照朝本】フルコンの黎明期を語ろう 第2刷
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/budou/1601093734/ >>1-2
猛者たちの思いが伝わる本物の空手家の本物の一代記
https://www.bookbang.jp/review/article/646572
北海道大学柔道部を引退後、私は24歳で大学を中退して北海タイムス社という地方紙に身を置いた。
30年前のことである。
26歳時に中日新聞社へ移り名古屋本社中日スポーツ総局に配属された。
そのときトーチュウ(東京中日スポーツ総局)の記者に憧れの山崎照朝先生がいた。
名古屋に来たときに走っていって挨拶し、握手してもらった。
今回、その山崎照朝先生の評伝を書いたのは中日新聞社で山崎先生の謦咳に触れ続けてきた森合正範記者(現在東京新聞運動部)である。
身内が身内を書いた本なので最初はあまり期待せずに開いたのだが、驚天動地の面白さに徹夜で読み終えた。
山崎先生といえば空手は強いがハンサムで優しい細面の紳士というイメージがあった。
しかしこの本を読むと驚くような話が次々出てくる。
真樹日佐夫先生との電話で喧嘩を売り、家まで乗り込んできた梶原兄弟に一歩も引かない。
添野義二先生と揉めた大山倍達先生に「どっちに付く」と聞かれ「中立です」と答え「出ていけ!」と怒鳴られる。
そして筋を通さない先輩よりもヤクザに対して義を守る。
ページをめくるたびに私が知らなかった山崎先生の男ぶりや極真の様々なエピソードが抑制された筆で立ち上る。 >>1-3
極真関連の本は多くの元選手が書いており、私はそのほとんどに目を通している。
しかし今回この評伝で山崎先生から見た別角度の景色が拡がった。
その景色のなかで大山倍達先生や芦原英幸先生などの別の魅力を知った。
森合記者は誰に対しても太鼓持ちをしたりはしない。
山崎先生に対してもだ。
だからこそ、かつての猛者たちの深い思いがストレートに伝わってくる。
これは千年後の武道史に屹立する本物の空手家の本物の一代記である。
私は秋馬謙信という極真空手家を『北海タイムス物語』(新潮文庫)に書いた。
そのモデルになった先輩と毎夜ススキノで飲みながら「空手と柔道はどちらが強いか」を議論した。
第1回UFC開催(1993年)前でグレイシー柔術も見ぬ時代だ。
ある日「実際にやってみよう」ということになった。
昼、社の屋上で私がボクシングのサウスポースタイルに構えると、秋馬先輩は両手を前に出して後屈立ちになった。
「山崎照朝の前羽の構えだ」とすぐにわかった。結果、私は上段廻し蹴りを顔面に食らって倒された。
普段なら最後に敬称略と書く
。しかしとてもそんなことはできない。久しぶりに本を読んで泣いた。
重い前蹴りのようにズシンと腹にこたえる読書だった。 >>1
乙
>>6
負けたら死という考えだと、大会ではなく実質的な異種格闘技戦であったサマン戦なんだと思う。 そんな山崎氏を組手で子供扱いした芦原さんはやっぱり凄かったんだな 芦原さんの強さのピークは本部道場時代なんだよな
四国へ行ってからは指導が上手くなっても強さは落ちていた
本部道場では先輩後輩遠慮なく組手することでお互い切磋琢磨できたが、四国では道場生は大事なお客様でもあるからね
あの太り方をみれば、芦原さん自身の稽古は少なかったよ 還暦すぎた泰彦と茂が兄弟揃って
少女漫画に出てくるような
パッチリした瞳になったのには驚いた。 >>7
全日本チャンピオンとしての試合だからな。
>>9
あの体型だから空手家ではなく、中小企業の社長のほうがしっくりくる。 >>1
乙
稽古を怠るとどんな人でもダメだよねえ
その典型的な例が芦原さん・・・ 千葉在住ならコジではないと思うが、芦原英幸正伝をあげている時点で狂信的ではあるww
ここに居座る芦原信者も教祖の太鼓腹より大山兄弟の二重瞼が気になり、ネチネチとワンパターン投稿しているからなww そいつ石井和義本を持ち出して森合本をディスっているけど、写真が有無はスルーだし、森合さんのは評伝、石井さんのは自伝という違いを理解していない芦原信者でしょw
芦原信者はあちこちで迷惑をまき散らすクズ! 石井和義も芦原信者からすると天敵だからなww
月謝を払うお客様としてしか見られなかった教祖をいまだに信仰するオーバー60のジジイが芦原信者ww >>13>>15
石井本を持ち出して森合本にイチャモンをつけているから芦原信者丸出しだよね
本人はバレていないとでも思ってんだろうか?w 松永秀夫さんが「芦原さんと組手をすると感情的になるので稽古にならない」と言っていた
芦原信者もそういう類の人種でしょ 芦原信者は教祖を崇拝するあまり、他の極真関係者をサゲたりディスるよね。
それも牽強付会で。 >>9
大山館長に「沢村忠と戦え」と命令されたのは添野さんと芦原さんだったのに、芦原さんも対戦すればよかった
太っていなければ体格的にも近い 第2回大会の映像を見ると、添野さんの組手は空バカとは随分違っていたのを知れたのが収穫 ここがあの自分と違う考えの人間はすべて芦原信者に見える患者がいるスレか 山崎先生や添野師範が大山道場時代から培ってきた顔面金的を意識した最後の世代だろう
前手は顔面で後ろ手は金的を防御する構えになる 添野義二は大会や他格闘技に挑戦していたのは立派だよ
劇画で主役級の扱いをされて大いなる恩恵を受けた人よりね
マスでさえアメリカ遠征時にボクサーと異種格闘技戦をしたという証言が残っているのに マスは木村政彦がインタビューで語ってた全国クラスの柔道家とアマ力士を秒殺した話が壮絶
http://www.masoyama.net/?eid=37 大山倍達の実戦性は間違いないんだけど、西田幸夫や岸信行のように大会では結果を残せなくても評価されている空手家はいる
梶原一騎の劇画で美味しい思いをしたのに、礼を尽くさず離れていったのは人として不味いよなあ 木村に力士と柔道家二人を相手にできるか聞かれて
「やっていいけど、 危いですよ……」と返すマスすごいクールだな
年取ってから「チミぃ〜」と言ってる人と人と同じ人とは思えない >>26
マスはボクシングが基礎にあるので、実体は空手蹴りや反則技覚えたダーティーボクサーが、ピュアボクサーとたたかう構図だったんだろうな ボクシングの試合じゃないんだから全く問題ない
まして相手はヘビー級のボクサーなんだから 細くて吊り目のコンプレックスで韓国人は二重に整形するんだろうな。 大山さんと木村先生の若い頃は当時としては立派な四角に見える体格だったよね
梶原も大山さんの初対面の時はまるで巨大な筋肉の壁が現れたようだったと書いてた
真樹さんも初対面で握手する時を、差し出された常人の倍はあろうかと思われる分厚い手は意外と柔らかかったと記している 木村が川遊びしてるときに撮った全盛期の写真は現代で見ても異形な体型してる
ボディビルダーとかだといるだろうが 木村政彦や大山倍達は若木竹丸からウエイトトレーニングを教わったそうな。 >>30
あまり表に出ないけど昔の武術家ってボクシング経験あるんじゃないかって人が多いよね
少林寺拳法や日本拳法にもボクシングっぽい技術がある
琉球の空手家にもそれっぽいのがいる 剛柔流の千葉拳二郎という師範が興味深い逸話をフルコンで話していた
曹寧柱師範に剛柔流を教わっていたのは大山倍達だけでなく、柳川次郎もいたと
柳川さんが大山館長を尊敬していたのも空手では兄弟にかなわないというのもあったのかもね >>34
あの写真、木村はわざと肩をいからせてるよ
よく見たら木村の手の甲が正面を向いている
ああやると肩幅や広背筋がでかく見えるんだよ
これを指摘したのは俺がはじめてだと思うけど この本で大山倍達を再評価した人多数だろうね
山崎先生にすごく慕われててびっくりした >>32
あれは医療的な意味があるらしいよ
ただでさえ細い目なので年をとるとまぶたが
下がってきて視界が狭まるから二重にしてまぶたを
上に引き上げてるらしい
>>36
太氣の澤井先生もボクシングやってたし
当時も今も真剣に強くなりたい人にとって
ボクシングは避けて通れないのでしょうね
世界中であれほどの期間をかけて検証とUPデートを繰り返した
打撃格闘競技もそうは無いでしょう >>33
そのエピソードは貴重だよ。
なぜ大山氏の掌は柔らかいのか。
つまり力まずに掌をやわからく握って戦っていたんだろうね。脱力はスピードを発生させるからね。
まあ私のような素人には理解出来かねるが
一流の野球バッターは掌に豆ができるのは良くないという考えだからね。柔らかくバットを握って打つんだよね。空手も自分の掌をガチガチに握って打っても相手にはダメージがないのだろうね。
>>37
ヤクザの喧嘩は空手とは全く別物だと思うな。
卑怯もへったくれもない。殺すか殺されるかだからね。素手で勝てないなら銃で射殺するだけだよ >>40
ボクシングは素晴らしいのだが弊害もあるんだよね。
体重制だから筋肉や体重を落としてスピード特化になる。つまり動物的に弱くなった方が体重制では有利になるんだよね。そして組技がないから重心が高く筋肉
を鍛えない。
つまりスピードは鍛えられるけどパワーがなくなって
しまい結局はなんでもありでは弱くなると思うな。 大山が若い頃の空手なんて試合もないし喧嘩のための道具だよ
イコールではないけどやっとく意味はある
半グレが総合格闘技習うのと似てる >>42
その辺りは本人の目的次第かなって気もします
事実プロボクサーの人で ほとんどのプロは競技者として
ボクシングやってて喧嘩最強とかそんな事考えてないって
発言した人もいるし 実際余計なこと考えてたら試合で勝てないかも
>>43
特に喧嘩空手を標榜してた人だし
事実終戦直後の卑怯もへったくれも無い動乱期に
用心棒やってた人だから余計に対複数武器ありの乱闘を
想定して空手に取り組んでたでしょうね
大山道場以前に空手研究所を主催して潰したって
大山倍達の発言にありましたが それが
柳川組の鍛錬場だったって説もあった気がします。
つかそもそも空手って戦場や平時の護身を想定した
総合武術だし >>44
空手で銃や刃物に勝てるわけがないことぐらい
わからないといけないよ。大人にならなければいけないよ。
素手の喧嘩なんて子供の喧嘩なんだよ。
空手の技で銃や刃物を交わし叩き落とし勝つなんて漫画だよ。 忠さんはブチ切れて極真やめたけど山崎さんと勝昭さんは穏便に離れたって感じだな >>41
大山と柳川が親しくなるのにはそれなりの理由がある
大山は建青、柳川は朝連側としてこれらが抗争でぶつかったときに二人は出会った
そのころから大山の実力は在日では有名で、その後柳川が大山と共に曹寧柱から空手を指導されれば、柳川が大山に畏敬の念を抱くのは当たり前
だから二人は義兄弟になり終生続いた間柄なんだよ
全く別物とか、あんたの言っていることは論点がずれている >>24
道場内で背が高い人たちはそういう構えが多く、小柄な人たちは懐に入ろうと前後の動きを素早くしたが、金的蹴りがあるから、易々と入れなかったみたい >>41
柳川次郎が曹寧柱に空手を教わっていたということがあまり表に出ていないから新鮮味なわけで、実戦では関係ないという論法なら他の格闘技習得者にも該当する。
ハリウッド映画に感化されすぎ・・・。
銃撃戦が町中で起きたら、進駐していた米軍がつぶしにかかるのが戦後まもない日本だったんだよ。
>>25
上半身露わでリングに上がっていた添野義二より、芦原英幸に該当することやろ。
1969年時点で腹が弛んでいたと石井和義が証言している。 >>47
柳川が朝連?
柳川は南のはずだが?
さらに言うと柳川の話なんか読んでると
柳川は若い頃は生粋のヤクザで、そんな政治的な
運動してたようにはとても思えないけど >>33
最近は実力が疑問視されてきたけど、あの時代にしては抜けてたと思うし、フィジカルで大体の相手は圧殺てきるんだろうな >>50
柳川がヤクザになる前の話は、ヤクザ本には全く載っていないよ
大山倍達正伝や殺しの柳川に大山倍達との出会いが載っている
建青と朝連との抗争でヤクザになる前の柳川が、朝連の用心棒として雇われていたわけ
柳川は朝鮮半島から渡来して大阪に住みだした在日で、生粋のヤクザなわけないやんw >>50
柳川がヤクザの世界に入るのは朝鮮戦争勃発以降のはず
倍達と出会ったころは金で何でも請け負う無頼漢で、生粋のヤクザではない
だから朝連の用心棒を引き受けた
菅谷政雄の神戸国際ギャングにも一時期加担していたけど、すぐ離れたりとか
ちなみに半島の南出身だからといって、この頃は北を支持するのもいたし、逆もしかり
出身地でイデオロギーを判断しても当時は全く意味が無い 山崎先生と添野先生は本土剛柔流の感じが強いけどそれより上の世代も下の世代もそういう感じの人が少ない。
大山兄弟も芦原さんも強いと思うけど剛柔流感しないし。
石橋先生の影響を受けている、受けていないの違いなのかな。 倍達なんか曹寧柱の直弟子で眼をかけられてたっぽいのに不思議ね >>54
柳川次郎さんがヤクザになる前だから、終戦後すぐだろう。
建青vs朝連の戦闘で遭遇しているから。
>>56
泰彦師範は大山道場時代からフットワークを駆使して、後ろに回り込むスタイルだったが、茂師範の組手が変わったのは渡米後だね。
日本にいる頃は剛柔流的組手で、前手で距離を取り、相手が入ってくると掌底にして顔面を叩き、前足で金的蹴りを出していた。
芦原師範も騎馬立ちから横蹴りを出したりと、四国へ行く前とは異なる組手。
極真全体の組手スタイルが変化していくのはムエタイ遠征以降かと。 極真全日本はもし警察に止められなかったらラウェイルールになってたのだろうか
しかし拳で顔殴ると歯が刺さってそこが化膿するというリアルな話があるが >>58
大山道場は剛柔流や松濤館とか、いろいろな流派出身の集まりでもあるんだよね
柔道経験者とかもいた
いろいろな技が入り混じったことが今日の極真に繋がっていくわけだし
後ろ回し蹴りも第1回全日本で糸東流 翰武会の選手が使っていたから、極真でも普及した技
山崎先生の弟・照道さんは第二回で翰武会の金次憲の後ろ回し蹴りを喰らい敗北している 照朝さんに野心という欲望があれば第十回全日本の二宮城光に当たるまで連勝してたかもしれないな
後輩みんなが畏怖していたし盧山さんも山崎さんを認めていたし
でも第一回全日本は極真会のメンツはかかっていても大会自体にブランド価値やステータスはなかったんじゃないかな
二宮も選手に専念して極真から離れなければ第二回世界から第三回世界まで制した可能性がある
三浦さんも米国で指導員してなければ八巻的な山崎さんの二番手の数見的存在になってたかもしれない >>60
石橋先生と安田先生が組手スタイル違うように、いろいろな人が集まっていた。
ちなみに大山館長の組手は石橋先生によると、伝統派の動きを組手で体現した達人とのこと。 >>58
渡邊一久はムエタイ遠征から戻ってきた中村忠が構えや運足が変わったと言っているから、それぞれの転機があると思う
山崎照朝も回し蹴りの連打や肘膝はムエタイから会得したと言っている 刃牙の最大トーナメントで実況がローキックのことを近代兵器って言ってたけどどういう意味? 元々の空手にはローキックって技は無かったからじゃないかな
前蹴り横蹴り後ろ蹴りくらいしか無かったらしいし極真がタイ遠征してから持ち帰ってきた技術だし
大振りして交わされたりすると態勢崩しやすいのとストッピング効果もイマイチだから
競技じゃないと使い勝手悪い >>65
昔の空手には今のようなローキックが無かった。中国拳法にもなかった。
比較的新しい技という意味で近代兵器という言葉を使ったのだと思います。 >>66
> 大振りして交わされたりすると態勢崩しやすいのとストッピング効果もイマイチだから
それなら競技でも使い勝手悪くない? >>68
打撃限定競技(特に顔面無し)だと使いやすい
KO狙うより体力の削り技だね
ケンカの時はよけられたり全速で突っ込んでこられると
ちょっと危険 >>69
確かに総合でも長い間使い手いなかったな
途中からビスピンとかアンデウソンシウバとか出て来て普通の技術になったけど だから結局古式の武術ではローキックは削除されたのだろうね
ケンカなどではよほど練度が無いと使い勝手悪いし墓穴掘る事も多し
華麗な足技系は全部そうかも 忠さん達だったかムエタイとやった時にスネで足を蹴られてびっくりしたって言ってたな
藤平さんが足の指を突き指するから一層切ってしまおうかと言ったのはムエタイとやる前なのかな
中段や上段への背足回し蹴りもムエタイから取り入れたんだっけ? 投げありの状況下だと使えないと武術で敬遠されてた技術が殴り合い競技の中で発展して
結果殴りあり投げありの競技で使われるようになったというのも面白い話だな 総合は金的や肘は禁止でしょ。
どのような格闘技でもルールを設定する時点で、一定の制約が出てくる。
使える技術かそうでないかは、結局個々の技量ってことだな。
相手により技を変えるのも、格闘者の技能の一つ。 肘はPRIDEはダメだったけどUFCがありだからありのとこのが多いな
金的は当然なしだね 大道塾は体格差で金的ありとしているが、武道的にはいい試みだと思う
金的は当然なしという考えが競技的・現代的なんだろうね >>76
山崎照朝先生はそういう世相でも矜持を持っているんだよな。
葉隠をそのまま教えるのではなく、時代に合った修行を個々でしていくということかと。 >>76
武道的考えでいくならむしろ試合で金的はないほうが普通
試合で金的を使えないことを訝しむのは競技至上主義に毒されてるよ 出版を記念した山崎先生の出演するイベントはないんかね。本当に表舞台に出るのが嫌いなのか。一度お会いしたいのだか。森合さんが出るイベントはまだあるのかな? >>78
金的だけダメと断言しているきみのほうが競技に毒されているよ
武道は特定の技を反則にすることではない >>80
違う
たかが試合で一生ものの怪我を負っていては本末転倒だと言ってる
試合はあくまで鍛錬や試し合いのための場
武道は競技のためにあるのではない >>81
試合で制約している時点で武道ではなく競技なんだよ
武道を語るなら、五輪書や葉隠を読んでから言いなはれ 試し合いの場なら、武道ではなく競技でありスポーツだよ。
無理に武道精神を繋げることはない。
山崎照朝は「金的は技の一つ」、松井章圭は「武道だったらルールを作ってはいけない」とそれぞれ言っている。 >>82
葉隠の作者の師匠の柳生宗矩も息子十兵衛が書いた「月の抄」の中で鍛錬としての試合はいいけど大切なのは型。
試合は実戦じゃないから重視しすぎるのは上達の妨げになるし辞めろと言ってるね
試合はあくまで武道の鍛錬の一部しかないというのが日本の武道の考え方
試合で制約があるのを当たり前じゃない、大怪我のリスクがあっても実戦と同じようにすべし
というのは試合が目的化して以降の考え方だよ >>83
試合は体験学習の場みたいなもんなんだよね
黒崎健時先生は「真剣勝負で本当にやる気があれば、石を持った子供が一番怖い(アメリカなら銃を持った子供)。今の時代に真剣勝負はありえない」と話している
試合を経験することで精神的に強くなるけど、それは武道精神ではないし、試合を武道鍛錬の場だと思うことは勘違いが甚だしいと言わざるを得ない >>84
金的だけがダメで他の技なら安心なのか?
後頭部への打撃も危険だし、他にも危険な技はある
話を逸らすなw >>86
そこは程度問題で判断するしかない
嘉納治五郎が足関節や打撃を禁止して大外刈を認めてるのや
マスが顔面は禁止して即頭部への蹴りは認めたのと一緒
どっちも試合が目的化したけど
てかあなたが五輪書や葉隠の話をだしてきたから日本古来の武道の中のあり方についてちゃんと解説したのに
話そらしてると言われても… >>87
>>78からの流れだろ
金的だけがダメというのがおかしいと言っているだけだ >>85
同意。
競技空手であり、競技柔道。
総合格闘技も競技の一つ。
武道を身につけるものではない。 >>89に追加
今は武道を身につけるのは極めて難しい。
だから森合さんは山崎先生の武道探求を「時代錯誤の侍」と評したんだと思う。 >>89-90
武道は現代にそぐわないものが多いからね
礼儀が身について活発になればいいと思い、かつて息子を通わせたが、武道を覚えてほしいとは思わなかった >>87
.>そこは程度問題で判断するしかない
そんな曖昧な定義で判断するなよ・・・
>>90
優勝した山崎照朝に石橋雅史が「大会のための空手を教えたわけではない。武術としての空手を教えたんだ」と言ったけど、山崎先生にはこれを守り続けて修練を積んでいるんだろう 山崎先生は試合なら中村誠や三瓶啓二には勝てないけど、昔の本部道場の組手なら自信があると言い切っていたけど、この発言は武道と競技の違いをわかりやすく説明しているんじゃないかな 真樹は兄がいなければ、極真で力を持てなかった紛い者だよ 通信教育も真樹さんの食い扶持のために梶原さんがプロデュースしたものだからね。
ブームに便乗して、山崎先生や鈴木師範の手助けで実技道場までやりだし、独立後は真樹道場にした。
平岡正明さんのように文化人枠でいればよかったのに、道場経営に乗り出す節操のなさがもうね・・・。 >>93
三瓶さんの下突き連打は技として競技だよね
ちょっと前の二宮さんの下突きはレバーに利かせるものだったし、誠さんの左突きから膝蹴りに繋げるコンビも実戦で成立するものだったが、三瓶さんの胸を合わせて両腕を振る下突き連打は一気に競技へ進んだよなあ
三強時代で元へもどったが、拮抗すると笛30秒前にラッシュが普及した >>94-96
山崎先生にケンカを売られた真樹さんは内心ビビりまくりだよ
お兄さんのおかげでメディアを通しては強気な発言をしまくっていたが、実はカラカラの人だった 添野館長は梶原先生と仲良くすると真樹さんのヤキモチが酷かったと言っているんだよね。
山崎先生に敵愾心丸出しだった原因が真樹さんの嫉妬ならしっくりくるんだよな。 >>98
そういう内部情報があるんですか?
ただの想像ならレス返さなくていいですよ 真樹さんってなんでああ極真関係では評価が低くてキック界隈だとやたら尊敬されてるのかなあ?
評価が極端なんだよな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています