【祝 山崎照朝本】フルコンの黎明期を語ろう 第3刷
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力石徹のモデルになった男 天才空手家 山崎照朝
https://www.tokyo-np.co.jp/article/41377/1/
フルコン界では自伝が多いなか、取材と文献をベースにした良質かつ真っ当な評伝(二次資料)が久々に出版されました。
これを祝してムエタイ挑戦、キックボクシング参戦、全日本大会開催など、大山道場と極真会館へ変遷していく時代をメインに語り合いましょう。
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前スレ
【祝 山崎照朝本】フルコンの黎明期を語ろう 第2刷
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/budou/1601093734/ 当時の四国支部は後に師範となる若き日の博昭・城光・石井・中元さんらがいたのか 同い年で同時期に入門してる石井和義と二宮城光の距離感が気にある
面識はありますと石井は言ってたが
どういう間柄だったんだろう
合宿の相撲で勝ったことがあると言ってたな
性格的にあまり相入れなさそうだが >>260
山崎先生は三浦師範・吉岡先生とよく組手をしていたが、芦原師範は組手をしなかったのか。 上京前に握力が78キロあって気が荒かった長谷川さんは勝昭さんをハイでKOしたり強かったがもつれあって転んで巻き込んで上になって突きを入れたら一本になるルールはすぐ変えられたしその後は指導者として山本健策は生んだがあまり極真の組織ではあまり存在感はなかった
芦原さんの本でも本部でデカい態度取ったのをシメて四国で鍛えたら優勝してその後の行方は知らないとか書かれてるし新極でもあまり尊重されず総極真全極真とこじんまりとしちゃってる >>264
花澤明も芦原英幸と組手をしなかったと証言している 「芦原は顔しか狙ってこない」と言ったインタビューもあると聞いたがあの本で山崎さんは芦原さんとの組手は勉強になって感謝・尊敬している明言してる >>264
石井和義師範が入門したのは1969年で、腹が弛んでいたと言っている
四国へ行ってからは自分の鍛錬より、指導がメインだった
それでも本部道場で長谷川師範をボコっているから、相手次第というのはあったのかもね
レス番飛んでいるけど、真樹さんが縮んだで悔しいのが来ているらしいなw 郷田さん曰く第一回全日本の時に誰が優勝するかという話になって、みんなは藤平さんを挙げて芦原さんを挙げた人はいなかったそうだが実際どのくらいの強さの位置付けだったんだろう
渡米した忠さんを慕って出稽古に来た伝統派を道場破りと思って叩きのめしたり気は荒かったようだが
1969年の全日本当時は25歳
四国での道場運営に追われてたとはいえ脂が乗ってた時期だと思うが審判や運営の人員だったようだ >>268
三浦美幸と吉岡幸男は180cmの身長があり、芦原英幸は門下生の前で不覚を取るかもしれないと避けたのかもね
佐藤勝昭が、城西大空手道部が本部道場にくると手加減せずに打ち込んでいたというから >>268 >>270
茂師範がUSカラテアドベンチャーで、山崎コリンズ戦を例にして、組手に絶対はないと述べているから、芦原師範が避けても不思議ではない。
勝昭師範は「山崎先輩はいい技が決まると褒めてくれるが、先輩によっては逆上する人もいた」と言っている。 第5回全日本の見たら今みたいに接近戦でどつき合うルール内の組手では勝てんけど空手とはああいうのを言うんだろう
極真が木村政彦みたいに総合・バーリトゥードに触れる機会がなかったのは幸か不幸か
金蹴りも目つきもなければ外人相手のバーリトゥードは不利かな >>267
「自分が強くなれたのは芦原と組手してたおかげ」だっけ
めちゃくちゃ影響受けてるんだな >>270-271
添野さんは支部長になっても大会に出ていたが、芦原さんは出ていないからね
もっとも晩年には長谷川さんと身長が変わらなかった強面ファッションの人は大会に出やしなかったが
酒とたばこの中毒だったから無理だけどさ >>271
組手に絶対はない
ほんとそう思う
>>275
泰彦師範はブランクがあっても第3回でたし、山崎先生も第5回はほとんど稽古していないのに出場した
鶴の一声に「押忍」と返事してね 茂は芦原師範の元・門下生である石井を
石井館長とよんでいたがそこに違和感は無かったのだろうか? USA大山と正道会館の合同興行なら、お互いをどう呼び合うか、社会人なら容易にわかりそうなもんだが
つかw
茂師範に師範をつけず、石井も呼び捨てで、芦原師範ですか
芦原信者は真樹信者同様、明らかやなあ >>278と>>243は同じ奴じゃね?
着眼点が異様だからw 言われてみればクリソツだね。
芦原にしろ真樹にしろスレを立てればいいのに、ここへ来るのは弾かれているの?
武道板で立てられないって相当な悪さをしない限り、有り得ないんだけどねw >>281
芦原会館スレや真樹道場スレという意味です。 山崎先生、勝昭・東両師範の対談特集は今月出版されてほしい。 二宮城光さんは自伝で芦原さんのことを終始館長と書いてる
極真芦原道場時代の時も
石井さんはどこでも芦原先生大山先生 今日、行われていた全日本選手権の型競技
競技のためにする型って何なんだろうね・・・ フルコンも寸止めもルールにそれぞれ課題があるにせよ、型を採点するのは違和感を覚える
フィギュアスケートや体操じゃないんだから >>278
会員数も知名度も正道と茂カラテではあまりに違いすぎる。
茂が石井館長を畏怖していたとしても不思議じゃない。 週末山梨県甲州市へ車中泊でワインと温泉を堪能してきたが、甲州市はワインの名産地なんだよね。
山崎照朝先生は甲州市出身なのに、なぜ北海道ワインの顧問をしているんだろうと、何気に思った。 ワイは真樹信者じゃないよ。長谷川と真樹にそんな年齢差はないだろ(゚ω゚)笑
長谷川だけ身長縮んでなかったら可笑しいだろw >>292-293
山崎先生の親族に北海道ワインの役員がいるからだと思う 沢村忠を飛ばせたという本に登場する極真空手家に芦原英幸は無いんだよね
空バカで梶原一騎が取り上げなければ、マイナーのままだったのかもな
梶原さんに自己PRする人がいたというけど、芦原さんも十分あり得るね
初期の全日本選手権の頃は太っていないし、イケメンではあった 肩組んでいる写真ではね
石井さんはこの頃、既に腹が弛んでいたと言っている >>296
大山道場とキックボクシングの章を先に読んだ
山崎照朝先生をはじめ、極真空手家が多く登場するね
野口修が中村忠師範をボクシングに勧誘したかったが、大山倍達館長と関係悪化により、実現せず
右翼活動家としての黒崎健時先生を記しているのもおもしろい (´・ω・`)思い出したんだけど真樹先生は「猪木ウィリーのとみたいないざというときはオレは鉛の板の入った靴を履いてる」と言ってた。
あれはシークレットシューズのことだったのかな(゚ω゚)笑 >>162
そうだよ小島さんに対して「匂いでわかんだよ!稽古してるやつは」
「やりこんでることは隠せねえよ!滲みでるからな」
「ルールがありゃ当然向こうだろうが注黒澤:なけりゃわかんねーぞこりゃ!」 >>296
真樹さんでさえ登場しているのにね
もっとも真樹さんは空手家ではなく作家という立ち位置だが
そのほうが適切ではあるけどね >>298
極真のムエタイ対戦やキックボクシング参戦を違う視点から執筆されているので、森合本と併せて読むといいかもね。
>>301
空手家としてみなければいいというのは同意。
兄のような劇作家ではないが、言葉はよく知っている。
私小説を盛りすぎるところが欠点だけどね。 >>302
真樹さんの文章って何か引き込まれるんだよね。
27人の侍とか大山倍達との日々とか何回も読んでる。 >>273
大山倍達が全盛期なら、柔道にも精通してて木村の証言だと他流を空手の技を嵌めるのも得意そうだからむしろ弟子たちより対応しそうではあるが
あのルールでグレイシーはさすがにしんどいかもな 初期の全日本は当てる伝統派で一発当てて倒すことを狙ってたが鍛えた人間の首から下は簡単に倒れないので接近して撃ち合うようになって三誠スタイルになった
あのルール手間はあれが勝つためのリアリズムだけどよく言われるのが顔面を殴ることを想定しない戦い方実戦性
ならグローブつけてキックボクシングにすればいいかといえばそうでもないみたいで難しいね >>302-303
山崎先生との決闘に限らず、茂・忠両師範、廣重師範とか、27人の侍は真樹さんが都合のいいように捏造している章があるからなあ 今アマプラで新・空手バカ一代とかいうの無料で見れるけどマキさん当時63歳にてはなかなかの動き
まだ冒頭しか見てないけど >>307
忠さんのことはマスから悪く書くように言われたのを暗に示してた本
忠さんにもバレて人間空手に当該箇所が引用されてた笑 真樹さんが残念なのは自分を空手家という立場で、私小説を執筆してきたことだよね
やはり三兄弟の中で背が低いというコンプレクッスがあったんだろうか
原作家で売れっ子の梶原一騎先生は真樹さんのようなヤクザファッションはしなかった 昔の全日本は間合いが広めで
デンデン太鼓じゃないから見ていてストレスが溜まらない
あと、もつれ合った時に
やれ押すな、やれ掴むな、というのが無くてアバウトなのが面白い
あからさまに投げてても審判が気にも留めてないあたりに
昔の極真の人間の格闘技に対する考え方がうかがえて興味深い >>303
柳川次郎との出会いは実際のところ、真樹日佐夫は媚び諂っていたと殺しの柳川で描かれている
>>307
大山泰彦、佐藤勝昭、盧山初雄、東谷巧にも捏造があった
>>309
問題はそこじゃないよ
ニューヨーク滞在中の態度が横柄だったと人間空手で暴露された
私小説「27人の侍」では全く違うように書かれている >>311
真樹先生がああいうなりだったのは当時のトップ屋という職業柄だったそうですよ。
現在でも大阪府警の刑事さんたちはそれ程やくざと変わりないファッションでしょう。。
梶原先生の奥さん、そして真樹先生の生徒さんによるととても優しい人
配慮の細やかな人だったそうです。
それでね、梶原先生の服装のセンスも現在からみると十分なヤクザファッションでしょう? >>313
マジすか!
ステーキ屋に行く前にカップラーメンを食べたのも嘘なのか!!(怒)
その他の人のことも、事実はどうだったのか書ける範囲で書いて頂けると嬉しいです。 >>314
梶原一騎夫人の篤子さんは「梶原と結婚前に真樹を紹介されたが、その時はトップ屋で、ファッションは日活風、声も普通だった」と証言している
真樹さんのファッションや声が変わったのは空バカ連載以降だよ まさに孤高の存在...『あしたのジョー』力石徹のモデルになった天才空手家の生き様
https://bookstand.webdoku.jp/news/2020/12/17/190000.html
真樹さんの盛りが多いばかりの私小説とは対照的な論評だな。 嘘をつき始めると、つき続ける連鎖に真樹さんは自らハマっていった
梶原さんは自分を空手家と称しなかっただけ、分をわきまえている 木村政彦が言ってることが事実なら空バカの内容もどこまで真実かはわからないけど
柔道五段と相撲を同時に相手して蹴り足一本で倒したなんて話など俺は信じられない
プロレスの興行なんだから元から芝居だったと見るのが常識的だろう >>319
木村政彦はプロレスの内幕は全部バラしてるんだから
それが八百長なら隠さないだろう 最初に向かい合ってた相手に攻撃すると思わせて、不意を衝いてもう別の一人を倒す
のど輪みたいに口元を押さえて柔道技を封じる
この辺りはなんかマスの競技者でない喧嘩慣れ具合を感じさせるエピソードだと思う 木村の言葉に信を置きすぎすぎじゃないかな
プロレスは貶める理由が木村にはあったけど後輩の大山に恨みはなかったはず
パワー空手っていうのは極真の雑誌でその記事だしね むしろ木村のそこだけ嘘扱いするって
何とかマスだけは貶めたいって考えすぎじゃないの? >>296
野口修が中村忠をボクシングに引き抜こうとしたが、大山倍達に拒否されて、白羽秀樹を見つけた。
大山と野口の関係が良好だったら、中村のNY行きは実現せず、山崎照朝も野口にスカウトされてたかもね。
タラレバですが。 >>325
大山館長と野口氏の蜜月が続いていたら、極真の歴史も変わっていたかもな
野口氏は当初、極真から選手が供給されることを当てにしていたから 山崎照朝と中村忠が日本キックボクシング協会の中心選手になっていたかもな。
二人の階級を分ければ、支障ないから。
白羽秀樹を沢村忠で売り出した野口修は芦原英幸もスカウトしていたかも。
大山倍達と野口がタッグを組んでいたら、梶原一騎が極真の中枢に入る余地はなかっただろう。
大山が武道精神と言い出したのも空バカ連載以降だしね。 当時の極真は試行錯誤していたからな
支部開設も海外が先だったし、大山倍達も先行きをあまり考えていなかったように見える
山田辰雄師範の日本拳法道のほうがこの時は一歩先に行っていたのでは? 山田辰雄先生は1968年に亡くなっている。
翌年開催された第1回全日本を山田先生が見たら、どう思っただろう? 三瓶さんが語る空手観ではなく、競技空手観なんだよな。
現代的ではあるが。 スポーツ教育的なんだよな三瓶は
言ってることが
実戦性とか武道性はどうでも良い感じ
ラグビー部出身だしとにかく中村に負けないことに全集中の選手人生だったから 山田辰雄は大山倍達の師匠である゙寧柱や山口剛玄と交流があったのか >>284、>>287-288
明日発売される
アマゾン弾かれるんで、直接目次を確認して 勝昭さんの方が年上だけど人格者で山ア先生のことを著書でもとても尊敬している >>334
昨日来なかったから、本屋に寄らなかった・・・。
明日買いに行くよ。
教えてくれてありがとう。 山崎先生は勝昭・東両師範からディナーに誘われたと書いていたが、ファイト&ライフが両師範に持ち込んだ座談会なのかな? >>273
それこそ、
極真黎明期vsグレイシーもし闘わば?なら面白かっただろーね
一撃離脱の打撃、組んで掴んでの打撃に対して
グレイシーはどう対応するのか!?
柔術タックルや引き込みを
空手はいかに撃墜するのか!? とかね、 そんなん柔術知らずにあのルールでやったら極真に限らずグレイシーのカモでしょ 梶原 → ハゲる前に死去
真樹 → 完全にバレバレのカツラ
三男 → ハゲを隠さず堂々と坊主
これだけでも3人の性格が表れてる気がする・・・。 >>338
東師範が力石本を読んで、久々に会いたいというのがきっかけだって。
旧交を温めるのがメインだから、雑誌向けの座談は少なめだった。
それでも館長と長谷川師範の組手を見た山崎先生の話とか、力石本に無いネタもあったよ。
構えだけで長谷川師範を追い詰めていく50過ぎの館長が凄かったそうな。 >>342
山崎先生と松友選手の試合のような展開だったのかな? >>343
そこまで具体的に語ってはいないけど、剛柔流を修行した大山館長だから間合いを詰めただろうね。
山崎先生は「真似したのは大山館長と石橋先生だけ」と言っているぐらいだし。
ファイト&ライフの最新号はアプリでも見れるから、座談会の内容はそこで閲覧してください。 山崎先生は「空手が悪という世間の印象を払拭したいから、ソフトな服装を心掛けていたのに、添野が厳ついから」と仰ってましたね 強面ファッションで強そうに見せている人たちとは大違いだな。 添野さんは任侠に憧れているからね
大山倍達より柳川次郎を崇拝しているような物言いだし >>347は>>345へのレス
アンカーをつけ忘れた 添野義二は任侠でなく武士道だよ。
新選組が好きなんだから。
柳川次郎を崇拝ではなく「いい眼をしている」と褒められたから。
大山倍達とはケンカ別れしているからそりゃ言うでしょ。
濃い付き合いをしているとケンカ別れした後は反動が大きいよ。 ちょっと逸れるんだが、柳川次郎は堅気になってから、かつての一部若者に愛想をつかされている
組解散や二代目選定で反対していた若者たちに
山口組に残った金田三俊とか、かつての親である柳川を呼び捨てにしていたぐらいだった
添野さんが大山倍達を悪く言うのもそういうことなのかもね 空手バカ一代で主役になるのは添野義二には気持ちが良かったし、道場経営も順調となった
芦原英幸はもっと美味しい思いをしていた 新選組に憧れてたならやっぱ武士道より任侠道じゃねえの
京の治安守りつつも商家から無理やり金借りたり内ゲバ繰り返したり戦後の愚連隊に近い そういうことばかりやってた芹沢一派は粛清されたけどね >>342-344
石橋先生が大山先生は組手で伝統派の動きを体現できたというから、剛柔流スタイルで長谷川師範を壁際まで追い詰めたのかもね。
長谷川さんも間合いがつかめず、技を出せずじまいになったのではないかと。
>>353
農民だった近藤や土方は徳川幕府末期に士分に取り立てれて感激しているんだけどね。
武士こそ内ゲバを繰り返してきた歴史があり、鎌倉幕府の得宗家、室町幕府の尊氏・忠義骨肉の争いなど、他にもいっぱいあるから、日本史をもう一度振り返ることをお勧めする。 新選組を戦後の愚連隊に近いと断じている時点で大層な歴史に浅い人だよ 愚連隊というのは何の思想性も持たず狼藉を働く無法者の集団だからむしろ逆だろうな
新選組ってのは武士道原理主義的な狂気の集団だ >>342-344
間合いを詰める戦術は剛柔流だね
>>346
真樹さんはその典型例w >>351
酒飲めないのに銀座でご相伴に預かっていたからねえ
一利一害の憂き目に遭うんだけどさ 大山道場の基本稽古体系は石橋先生が学んだ剛柔流がベースになっている。
>>358
真樹さんが本物なら外見を取り繕う必要はなかったよ。
>>359
添野師範はキックに出場していたから、知名度はあったはず。
戦績は今一つだったから、空バカで主役扱いは美味しかったろうね。
ムエタイへの挑戦は、もともと10日間のタイ遠征なのに、あそこまで大きな物語になったし。
帰国後はアメリカ遠征でチャールズ・マーチンを倒す快挙になっているから。 >>360
大山倍達は松濤館も学んでいたが、剛柔流の影響は大きい。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています