【祝 山崎照朝本】フルコンの黎明期を語ろう 第3刷
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力石徹のモデルになった男 天才空手家 山崎照朝
https://www.tokyo-np.co.jp/article/41377/1/
フルコン界では自伝が多いなか、取材と文献をベースにした良質かつ真っ当な評伝(二次資料)が久々に出版されました。
これを祝してムエタイ挑戦、キックボクシング参戦、全日本大会開催など、大山道場と極真会館へ変遷していく時代をメインに語り合いましょう。
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前スレ
【祝 山崎照朝本】フルコンの黎明期を語ろう 第2刷
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/budou/1601093734/ >>9
大山館長に「沢村忠と戦え」と命令されたのは添野さんと芦原さんだったのに、芦原さんも対戦すればよかった
太っていなければ体格的にも近い 第2回大会の映像を見ると、添野さんの組手は空バカとは随分違っていたのを知れたのが収穫 ここがあの自分と違う考えの人間はすべて芦原信者に見える患者がいるスレか 山崎先生や添野師範が大山道場時代から培ってきた顔面金的を意識した最後の世代だろう
前手は顔面で後ろ手は金的を防御する構えになる 添野義二は大会や他格闘技に挑戦していたのは立派だよ
劇画で主役級の扱いをされて大いなる恩恵を受けた人よりね
マスでさえアメリカ遠征時にボクサーと異種格闘技戦をしたという証言が残っているのに マスは木村政彦がインタビューで語ってた全国クラスの柔道家とアマ力士を秒殺した話が壮絶
http://www.masoyama.net/?eid=37 大山倍達の実戦性は間違いないんだけど、西田幸夫や岸信行のように大会では結果を残せなくても評価されている空手家はいる
梶原一騎の劇画で美味しい思いをしたのに、礼を尽くさず離れていったのは人として不味いよなあ 木村に力士と柔道家二人を相手にできるか聞かれて
「やっていいけど、 危いですよ……」と返すマスすごいクールだな
年取ってから「チミぃ〜」と言ってる人と人と同じ人とは思えない >>26
マスはボクシングが基礎にあるので、実体は空手蹴りや反則技覚えたダーティーボクサーが、ピュアボクサーとたたかう構図だったんだろうな ボクシングの試合じゃないんだから全く問題ない
まして相手はヘビー級のボクサーなんだから 細くて吊り目のコンプレックスで韓国人は二重に整形するんだろうな。 大山さんと木村先生の若い頃は当時としては立派な四角に見える体格だったよね
梶原も大山さんの初対面の時はまるで巨大な筋肉の壁が現れたようだったと書いてた
真樹さんも初対面で握手する時を、差し出された常人の倍はあろうかと思われる分厚い手は意外と柔らかかったと記している 木村が川遊びしてるときに撮った全盛期の写真は現代で見ても異形な体型してる
ボディビルダーとかだといるだろうが 木村政彦や大山倍達は若木竹丸からウエイトトレーニングを教わったそうな。 >>30
あまり表に出ないけど昔の武術家ってボクシング経験あるんじゃないかって人が多いよね
少林寺拳法や日本拳法にもボクシングっぽい技術がある
琉球の空手家にもそれっぽいのがいる 剛柔流の千葉拳二郎という師範が興味深い逸話をフルコンで話していた
曹寧柱師範に剛柔流を教わっていたのは大山倍達だけでなく、柳川次郎もいたと
柳川さんが大山館長を尊敬していたのも空手では兄弟にかなわないというのもあったのかもね >>34
あの写真、木村はわざと肩をいからせてるよ
よく見たら木村の手の甲が正面を向いている
ああやると肩幅や広背筋がでかく見えるんだよ
これを指摘したのは俺がはじめてだと思うけど この本で大山倍達を再評価した人多数だろうね
山崎先生にすごく慕われててびっくりした >>32
あれは医療的な意味があるらしいよ
ただでさえ細い目なので年をとるとまぶたが
下がってきて視界が狭まるから二重にしてまぶたを
上に引き上げてるらしい
>>36
太氣の澤井先生もボクシングやってたし
当時も今も真剣に強くなりたい人にとって
ボクシングは避けて通れないのでしょうね
世界中であれほどの期間をかけて検証とUPデートを繰り返した
打撃格闘競技もそうは無いでしょう >>33
そのエピソードは貴重だよ。
なぜ大山氏の掌は柔らかいのか。
つまり力まずに掌をやわからく握って戦っていたんだろうね。脱力はスピードを発生させるからね。
まあ私のような素人には理解出来かねるが
一流の野球バッターは掌に豆ができるのは良くないという考えだからね。柔らかくバットを握って打つんだよね。空手も自分の掌をガチガチに握って打っても相手にはダメージがないのだろうね。
>>37
ヤクザの喧嘩は空手とは全く別物だと思うな。
卑怯もへったくれもない。殺すか殺されるかだからね。素手で勝てないなら銃で射殺するだけだよ >>40
ボクシングは素晴らしいのだが弊害もあるんだよね。
体重制だから筋肉や体重を落としてスピード特化になる。つまり動物的に弱くなった方が体重制では有利になるんだよね。そして組技がないから重心が高く筋肉
を鍛えない。
つまりスピードは鍛えられるけどパワーがなくなって
しまい結局はなんでもありでは弱くなると思うな。 大山が若い頃の空手なんて試合もないし喧嘩のための道具だよ
イコールではないけどやっとく意味はある
半グレが総合格闘技習うのと似てる >>42
その辺りは本人の目的次第かなって気もします
事実プロボクサーの人で ほとんどのプロは競技者として
ボクシングやってて喧嘩最強とかそんな事考えてないって
発言した人もいるし 実際余計なこと考えてたら試合で勝てないかも
>>43
特に喧嘩空手を標榜してた人だし
事実終戦直後の卑怯もへったくれも無い動乱期に
用心棒やってた人だから余計に対複数武器ありの乱闘を
想定して空手に取り組んでたでしょうね
大山道場以前に空手研究所を主催して潰したって
大山倍達の発言にありましたが それが
柳川組の鍛錬場だったって説もあった気がします。
つかそもそも空手って戦場や平時の護身を想定した
総合武術だし >>44
空手で銃や刃物に勝てるわけがないことぐらい
わからないといけないよ。大人にならなければいけないよ。
素手の喧嘩なんて子供の喧嘩なんだよ。
空手の技で銃や刃物を交わし叩き落とし勝つなんて漫画だよ。 忠さんはブチ切れて極真やめたけど山崎さんと勝昭さんは穏便に離れたって感じだな >>41
大山と柳川が親しくなるのにはそれなりの理由がある
大山は建青、柳川は朝連側としてこれらが抗争でぶつかったときに二人は出会った
そのころから大山の実力は在日では有名で、その後柳川が大山と共に曹寧柱から空手を指導されれば、柳川が大山に畏敬の念を抱くのは当たり前
だから二人は義兄弟になり終生続いた間柄なんだよ
全く別物とか、あんたの言っていることは論点がずれている >>24
道場内で背が高い人たちはそういう構えが多く、小柄な人たちは懐に入ろうと前後の動きを素早くしたが、金的蹴りがあるから、易々と入れなかったみたい >>41
柳川次郎が曹寧柱に空手を教わっていたということがあまり表に出ていないから新鮮味なわけで、実戦では関係ないという論法なら他の格闘技習得者にも該当する。
ハリウッド映画に感化されすぎ・・・。
銃撃戦が町中で起きたら、進駐していた米軍がつぶしにかかるのが戦後まもない日本だったんだよ。
>>25
上半身露わでリングに上がっていた添野義二より、芦原英幸に該当することやろ。
1969年時点で腹が弛んでいたと石井和義が証言している。 >>47
柳川が朝連?
柳川は南のはずだが?
さらに言うと柳川の話なんか読んでると
柳川は若い頃は生粋のヤクザで、そんな政治的な
運動してたようにはとても思えないけど >>33
最近は実力が疑問視されてきたけど、あの時代にしては抜けてたと思うし、フィジカルで大体の相手は圧殺てきるんだろうな >>50
柳川がヤクザになる前の話は、ヤクザ本には全く載っていないよ
大山倍達正伝や殺しの柳川に大山倍達との出会いが載っている
建青と朝連との抗争でヤクザになる前の柳川が、朝連の用心棒として雇われていたわけ
柳川は朝鮮半島から渡来して大阪に住みだした在日で、生粋のヤクザなわけないやんw >>50
柳川がヤクザの世界に入るのは朝鮮戦争勃発以降のはず
倍達と出会ったころは金で何でも請け負う無頼漢で、生粋のヤクザではない
だから朝連の用心棒を引き受けた
菅谷政雄の神戸国際ギャングにも一時期加担していたけど、すぐ離れたりとか
ちなみに半島の南出身だからといって、この頃は北を支持するのもいたし、逆もしかり
出身地でイデオロギーを判断しても当時は全く意味が無い 山崎先生と添野先生は本土剛柔流の感じが強いけどそれより上の世代も下の世代もそういう感じの人が少ない。
大山兄弟も芦原さんも強いと思うけど剛柔流感しないし。
石橋先生の影響を受けている、受けていないの違いなのかな。 倍達なんか曹寧柱の直弟子で眼をかけられてたっぽいのに不思議ね >>54
柳川次郎さんがヤクザになる前だから、終戦後すぐだろう。
建青vs朝連の戦闘で遭遇しているから。
>>56
泰彦師範は大山道場時代からフットワークを駆使して、後ろに回り込むスタイルだったが、茂師範の組手が変わったのは渡米後だね。
日本にいる頃は剛柔流的組手で、前手で距離を取り、相手が入ってくると掌底にして顔面を叩き、前足で金的蹴りを出していた。
芦原師範も騎馬立ちから横蹴りを出したりと、四国へ行く前とは異なる組手。
極真全体の組手スタイルが変化していくのはムエタイ遠征以降かと。 極真全日本はもし警察に止められなかったらラウェイルールになってたのだろうか
しかし拳で顔殴ると歯が刺さってそこが化膿するというリアルな話があるが >>58
大山道場は剛柔流や松濤館とか、いろいろな流派出身の集まりでもあるんだよね
柔道経験者とかもいた
いろいろな技が入り混じったことが今日の極真に繋がっていくわけだし
後ろ回し蹴りも第1回全日本で糸東流 翰武会の選手が使っていたから、極真でも普及した技
山崎先生の弟・照道さんは第二回で翰武会の金次憲の後ろ回し蹴りを喰らい敗北している 照朝さんに野心という欲望があれば第十回全日本の二宮城光に当たるまで連勝してたかもしれないな
後輩みんなが畏怖していたし盧山さんも山崎さんを認めていたし
でも第一回全日本は極真会のメンツはかかっていても大会自体にブランド価値やステータスはなかったんじゃないかな
二宮も選手に専念して極真から離れなければ第二回世界から第三回世界まで制した可能性がある
三浦さんも米国で指導員してなければ八巻的な山崎さんの二番手の数見的存在になってたかもしれない >>60
石橋先生と安田先生が組手スタイル違うように、いろいろな人が集まっていた。
ちなみに大山館長の組手は石橋先生によると、伝統派の動きを組手で体現した達人とのこと。 >>58
渡邊一久はムエタイ遠征から戻ってきた中村忠が構えや運足が変わったと言っているから、それぞれの転機があると思う
山崎照朝も回し蹴りの連打や肘膝はムエタイから会得したと言っている 刃牙の最大トーナメントで実況がローキックのことを近代兵器って言ってたけどどういう意味? 元々の空手にはローキックって技は無かったからじゃないかな
前蹴り横蹴り後ろ蹴りくらいしか無かったらしいし極真がタイ遠征してから持ち帰ってきた技術だし
大振りして交わされたりすると態勢崩しやすいのとストッピング効果もイマイチだから
競技じゃないと使い勝手悪い >>65
昔の空手には今のようなローキックが無かった。中国拳法にもなかった。
比較的新しい技という意味で近代兵器という言葉を使ったのだと思います。 >>66
> 大振りして交わされたりすると態勢崩しやすいのとストッピング効果もイマイチだから
それなら競技でも使い勝手悪くない? >>68
打撃限定競技(特に顔面無し)だと使いやすい
KO狙うより体力の削り技だね
ケンカの時はよけられたり全速で突っ込んでこられると
ちょっと危険 >>69
確かに総合でも長い間使い手いなかったな
途中からビスピンとかアンデウソンシウバとか出て来て普通の技術になったけど だから結局古式の武術ではローキックは削除されたのだろうね
ケンカなどではよほど練度が無いと使い勝手悪いし墓穴掘る事も多し
華麗な足技系は全部そうかも 忠さん達だったかムエタイとやった時にスネで足を蹴られてびっくりしたって言ってたな
藤平さんが足の指を突き指するから一層切ってしまおうかと言ったのはムエタイとやる前なのかな
中段や上段への背足回し蹴りもムエタイから取り入れたんだっけ? 投げありの状況下だと使えないと武術で敬遠されてた技術が殴り合い競技の中で発展して
結果殴りあり投げありの競技で使われるようになったというのも面白い話だな 総合は金的や肘は禁止でしょ。
どのような格闘技でもルールを設定する時点で、一定の制約が出てくる。
使える技術かそうでないかは、結局個々の技量ってことだな。
相手により技を変えるのも、格闘者の技能の一つ。 肘はPRIDEはダメだったけどUFCがありだからありのとこのが多いな
金的は当然なしだね 大道塾は体格差で金的ありとしているが、武道的にはいい試みだと思う
金的は当然なしという考えが競技的・現代的なんだろうね >>76
山崎照朝先生はそういう世相でも矜持を持っているんだよな。
葉隠をそのまま教えるのではなく、時代に合った修行を個々でしていくということかと。 >>76
武道的考えでいくならむしろ試合で金的はないほうが普通
試合で金的を使えないことを訝しむのは競技至上主義に毒されてるよ 出版を記念した山崎先生の出演するイベントはないんかね。本当に表舞台に出るのが嫌いなのか。一度お会いしたいのだか。森合さんが出るイベントはまだあるのかな? >>78
金的だけダメと断言しているきみのほうが競技に毒されているよ
武道は特定の技を反則にすることではない >>80
違う
たかが試合で一生ものの怪我を負っていては本末転倒だと言ってる
試合はあくまで鍛錬や試し合いのための場
武道は競技のためにあるのではない >>81
試合で制約している時点で武道ではなく競技なんだよ
武道を語るなら、五輪書や葉隠を読んでから言いなはれ 試し合いの場なら、武道ではなく競技でありスポーツだよ。
無理に武道精神を繋げることはない。
山崎照朝は「金的は技の一つ」、松井章圭は「武道だったらルールを作ってはいけない」とそれぞれ言っている。 >>82
葉隠の作者の師匠の柳生宗矩も息子十兵衛が書いた「月の抄」の中で鍛錬としての試合はいいけど大切なのは型。
試合は実戦じゃないから重視しすぎるのは上達の妨げになるし辞めろと言ってるね
試合はあくまで武道の鍛錬の一部しかないというのが日本の武道の考え方
試合で制約があるのを当たり前じゃない、大怪我のリスクがあっても実戦と同じようにすべし
というのは試合が目的化して以降の考え方だよ >>83
試合は体験学習の場みたいなもんなんだよね
黒崎健時先生は「真剣勝負で本当にやる気があれば、石を持った子供が一番怖い(アメリカなら銃を持った子供)。今の時代に真剣勝負はありえない」と話している
試合を経験することで精神的に強くなるけど、それは武道精神ではないし、試合を武道鍛錬の場だと思うことは勘違いが甚だしいと言わざるを得ない >>84
金的だけがダメで他の技なら安心なのか?
後頭部への打撃も危険だし、他にも危険な技はある
話を逸らすなw >>86
そこは程度問題で判断するしかない
嘉納治五郎が足関節や打撃を禁止して大外刈を認めてるのや
マスが顔面は禁止して即頭部への蹴りは認めたのと一緒
どっちも試合が目的化したけど
てかあなたが五輪書や葉隠の話をだしてきたから日本古来の武道の中のあり方についてちゃんと解説したのに
話そらしてると言われても… >>87
>>78からの流れだろ
金的だけがダメというのがおかしいと言っているだけだ >>85
同意。
競技空手であり、競技柔道。
総合格闘技も競技の一つ。
武道を身につけるものではない。 >>89に追加
今は武道を身につけるのは極めて難しい。
だから森合さんは山崎先生の武道探求を「時代錯誤の侍」と評したんだと思う。 >>89-90
武道は現代にそぐわないものが多いからね
礼儀が身について活発になればいいと思い、かつて息子を通わせたが、武道を覚えてほしいとは思わなかった >>87
.>そこは程度問題で判断するしかない
そんな曖昧な定義で判断するなよ・・・
>>90
優勝した山崎照朝に石橋雅史が「大会のための空手を教えたわけではない。武術としての空手を教えたんだ」と言ったけど、山崎先生にはこれを守り続けて修練を積んでいるんだろう 山崎先生は試合なら中村誠や三瓶啓二には勝てないけど、昔の本部道場の組手なら自信があると言い切っていたけど、この発言は武道と競技の違いをわかりやすく説明しているんじゃないかな 真樹は兄がいなければ、極真で力を持てなかった紛い者だよ 通信教育も真樹さんの食い扶持のために梶原さんがプロデュースしたものだからね。
ブームに便乗して、山崎先生や鈴木師範の手助けで実技道場までやりだし、独立後は真樹道場にした。
平岡正明さんのように文化人枠でいればよかったのに、道場経営に乗り出す節操のなさがもうね・・・。 >>93
三瓶さんの下突き連打は技として競技だよね
ちょっと前の二宮さんの下突きはレバーに利かせるものだったし、誠さんの左突きから膝蹴りに繋げるコンビも実戦で成立するものだったが、三瓶さんの胸を合わせて両腕を振る下突き連打は一気に競技へ進んだよなあ
三強時代で元へもどったが、拮抗すると笛30秒前にラッシュが普及した >>94-96
山崎先生にケンカを売られた真樹さんは内心ビビりまくりだよ
お兄さんのおかげでメディアを通しては強気な発言をしまくっていたが、実はカラカラの人だった 添野館長は梶原先生と仲良くすると真樹さんのヤキモチが酷かったと言っているんだよね。
山崎先生に敵愾心丸出しだった原因が真樹さんの嫉妬ならしっくりくるんだよな。 >>98
そういう内部情報があるんですか?
ただの想像ならレス返さなくていいですよ 真樹さんってなんでああ極真関係では評価が低くてキック界隈だとやたら尊敬されてるのかなあ?
評価が極端なんだよな 極真の試合は黎明期のを動画漁って観るのが面白い
昔のは密着してドコドコやってる場面があんまなくて
間合い広めで攻防に見応えがある
くっつくと平気で投げ打ったりして審判も別にそれに注意もしないし
総合的に闘ってる感じがする >>100
そんなムキになるなって
山崎先生にケンカを売られ、お兄ちゃんについてきてもらった真樹さんだぞ
ビビってなければ、その場で格闘になっていたよ
>>101
キックボクサーでもない真樹さんをキック界隈も尊敬すらしてないから
>>102
ヤクザがに顔が利くなら大山館長に頼んで柳川次郎を頼るなって
真樹さんは外見で誤魔化す見掛け倒し 15年前、品川のパンパシフィックでエレベーターを待っていた時に真樹さんと遭遇した。
髪型、サングラス、マフラーですぐわかったけど、随分と小柄だった。
一緒にいたおれの妻がビックリしていたが、真樹さんが宴会場のフロアで降りた後、人となりを説明した。
真樹さんはパンプスを履く162の妻より背が低かったな。 >>98
梶原一騎の空バカで極真の知名度、国内での知名度は一気に広がった
その威光を笠にしていたのが真樹さん
芦原師範でさえ「梶原先生の機嫌を損ねないでくれ」と遠慮していたのに山崎先生は軽口をたたいた真樹さんをシバこうとした
男気あるよな >>101
極真で評価が低いのは空手家でないのに空手家を自称していたから
キックボクシングでは関係者に尊敬されているのではなく来賓でしょ
極真が分裂したときも三瓶派は真樹さんを大会に招待していた サンジャポに出演していた真樹さん
節操がないと思ったw >>106
高木薫師範が黒メガネの弟と真樹さんを著書で紹介していたが、胡散臭いと思っていたんだろうね >>104
それをちゃんとした根拠と思えるのは芦原信者だけだぞ 真樹さんはブロック割りを失敗して猪木に爆笑され、空手家を名乗る立場でないでしょ。
大山倍達が上段蹴りができないと揶揄していたが、そういう真樹さんの上段蹴りを見たことが無い! >>110
週末だけに出没るから、これから君を週末くんと呼んであげるよw >>112
言ってる意味がわからんが。芦原信者は病気なのか?頭の。 >>107
いやそれが25年前にキックの選手やってた友達が
キックじゃ真樹さん尊敬されてるって言ってた
主催興行やってるからプロモーターとしてなのかな でも、真樹さんはあの年齢まで真面目に稽古していたのは尊敬に値しないかい?
死ぬ直前まで、新入りを稽古初日に準備運動から真樹さんが、それこそ手取足取り
丁寧に教えていたんだぜ?
道場を他人任せにして有望な門下生だけに目をかけていたんじゃないし。
真樹さんの性格は破天荒だったかもしれないけれど、最期まで稽古に励んでいたことに対しては
俺は立派だと思うね。 真樹の本に書いてたけど
真樹が山崎に喧嘩を売られて決闘することになってたんだけど
真樹が梶原にその話をしたら 「俺が見届け人になってやる」 と勝手についてきたと。
約束の場所に行ったら山崎がやる気満々で待っていたが、
梶原の姿を見るとみるみる戦意喪失していったと。
で、始めると梶原が山崎の後ろに回って、真樹と挟み撃ちにしようという気がみえみえだったんで
真樹ももうやめちゃったとのこと。 >>105
マスと肩組んでる写真ではマスより高かったがマスも低かったのかな
梶原さんもマスより身長高かった >>115
そこは俺も同意
>>117
流石に真樹さん170cm以下って事は無いと思うよ
写真見ても小さくないし
マス大山も174(公称)だったけど正直170あるのか疑問 長嶋一茂が小学生の頃母親に付き添われて極真の見学に行ったら
真樹さんが組手で数人をボコボコにしたのを見てビビったと言ってた >>116
山崎照朝vs真樹日佐夫
・真樹本では真樹さんのみの筆で、裏付けが全くない
・力石本には目撃した梶原一騎の秘書を取材した森合さんによる執筆
どちらに信憑性があるか、よーく考えてみ
>>117-118
真樹のメディア最後の取材で長谷川一幸と対談しているんだが、長谷川さんと真樹さんの背丈は同じだったよ
要は真樹の身長が縮んだということだな
つか大山倍達と肩を組んでというが、その時マスの身長が縮んでいたら真樹の身長ももともと高くないということ
梶原三兄弟で一番小柄なのは真樹さんだしね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています