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【江戸しぐさ分流】天心流スレ29【裏口柳生?】

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0002名無しさん@一本勝ち
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2020/10/26(月) 19:13:43.20ID:ukdLnKsd0
【天心流兵法 捏造流派疑惑について】

元々、天心兵法の鍬海氏は以下のように伝系を主張していた。(2014年7月)

・国富忠左衛門→国富弥左衛門→国富弥五左衛門→国富五郎衛門→石井家三代→中村天心

そして、幕末に「国富五郎衛門」から石井家に伝承された時をもってはじめて関東へ伝わったとされる。

しかし、国際水月塾支部の現地調査により以下の事実が明らかにされ、「国富弥左衛門→国富弥五左衛門→国富五郎衛門」という伝系が創作・捏造の可能性が濃厚になった。(2017年7月)。

・幕末の国富家、さらに福本藩の士籍に「国富五郎衛門」という人物は存在しない。
・国富家は幕末まで代々「忠左衛門」しか名乗らない上、国富姓も福本藩にはその一件のみ。(=分家はなし)
・国富家の子孫の方が現在でも関西に在住している。

これに対して、突如、天心兵法は自分達が天心流の「江戸伝系」であることを主張し、上記の伝系の捏造疑惑は問題にあたらないと反論した(2017年8月)。

しかし、繰り返すが天心兵法の元来の主張では、関東にはじめて天心流が伝わったのは
幕末から明治にかけての石井家の代であり(天心流公式サイトリンク http://tenshinryu.net/about.html ) ※魚拓採取済み

つまり、「国富弥左衛門→国富弥五左衛門→国富五郎衛門」という幕末の国富家伝系は、史実の国富家系図と矛盾していることに変わりがないのである。

尚、国際水月塾支部の調査発表以前は、国富忠左衛門の名を代々が襲名していたことは明らかであったものの
幕末最後まで国富「忠左衛門」の名が受け継がれていたことは不明であり、
国際水月塾支部の調査によってはじめてその事実が判明した。

天心流兵法の発表は、その調査結果を受けているにもかかわらず、
新主張では、福本藩の国富忠左衛門家とは別の国富家の系統を発生させてしまっていることになる。
しかし、「五郎衛門」ら国富姓の人物及び、その別系統の存在の証拠は一切提示されていない。

以上により、天心兵法の主張する幕末期の福本藩の国富忠左衛門家の系譜に誤りがあること、
それに伴う捏造疑惑は深まる一方であり、いまだ解決をみていないものである。
0003名無しさん@一本勝ち
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2020/10/26(月) 19:15:33.23ID:ukdLnKsd0
【仮説】江戸柳生分流・天心流兵法を名乗る団体は、明治期以降創流の現代流派「天心一刀流」の系譜にあたる天心流であり、
「天心独明流」や「三日月藩・福本藩の天心流」とは全くの無関係であり、下記の同名異流の三流派はそれぞれ別物である。
1. 天心一刀流(天心独明流)
 東京国立博物館蔵「天心一刀流秘伝書」流祖は伊藤(伊東)一刀斎景久、天心独明流(一刀新流トモ云)の流祖は根来獨身斎重明と
 記載されているので、天心独明流は天心流兵法とは無関係であると考えられる。
また「四代目」中村天心の名とも繋がらない。

2. 天心流(福本藩、三日月藩)
 国際水月塾支部の調査によると、
・国富家は代々嫡男(宗家)しか「忠左衛門」を名乗れず、幕末最後まで「忠左衛門」の名を受け継いでいた。
・国富姓も福本藩にはその一件のみ(→分家はない)
・幕末の国富家や福本藩の士籍数千人を調べても「国富五郎衛門」の存在が確認できなかった。
 以上から、国富家の系譜を受け継ぐと主張しながら天心兵法の発表する
 国富忠左衛門(→国富弥左衛門→国富弥五左衛門→国富五郎衛門→)石井家という伝系の()内が創作・捏造の可能性が非常に高いと判明した。
3. 天心流兵法(元、石井家伝 天心一刀流)
 古剣法保存会という紙切れに記載されていた「浪中刀」という技法を有する、天心一刀流のこと。綿谷雪の武芸帳の流派名鑑に
 「天心一刀流第四代 中村天心 東京都三鷹市」と記載があるが、
現在の江戸柳生分流天心流兵法では中村天心は第九代となっており、
 鍬海前師家が「剣術に関しては『天心一刀流』を名乗る」と宣言したことから伝系について更なる疑惑が生じた。
0004名無しさん@一本勝ち
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2020/10/26(月) 19:15:41.86ID:ukdLnKsd0
【検証】天心兵法は江戸柳生及び、三日月・福本藩の天心流と縁もゆかりもないだけでなく、
歴史的に剣術流派であったはずの天心流が抜刀術を主とする体系に変質していたり、
川村景信氏や井上氏(三日月藩士の子孫)の所有する目録とは技や伝承内容が全く一致しないこと、
三日月藩・福本藩は討幕派なのに対して、天心流兵法は裏柳生を称し、葵御紋を使用する等、
数々の歴史的事実との矛盾を露呈しているため、
「伝系の正当性を証明できないのに、却って開き直って色々怪しい伝承を付け加えてる団体」
「真っ当な古流というには根拠がない怪し過ぎる団体」と指摘されている。
0005名無しさん@一本勝ち
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2020/10/26(月) 19:16:14.86ID:ukdLnKsd0
0004 名無しさん@一本勝ち 2020/09/27 11:56:42
【宝蔵院流詐称疑惑〜宝蔵院分流陰派(宝蔵院流中村派)に関して】

【江戸柳生分流?】天心流スレ10【浴想伝天心流】より
http://hayabusa6.2ch...gi/budou/1497706433/
※リンク切れ。スレ名でググれ

>宝蔵院の話しが出てきて思い出したけど、昔水道橋の尚武堂に中村氏の写真が飾ってあって、そこには宝蔵院流中村派って書いてあったんだが

>尚武堂使ってた人なら覚えてると思うんだけどね
>中村派とは珍しいと思って電話で問い合わせたら、天心氏いきなりきれてギャーギャー言い出して、電話切ってしばらくしたら折り返しがあって
>酩酊しててすいません
>て謝られたんだけど、当時からあそこはみたいな話しは聞いてたんで、やっぱりなと・・・

>尚武堂のおばちゃんに聞けば写真覚えてるんじゃないかな

→天心兵法関係者の調査により、大阪大学に所蔵されている国富忠左衛門筆の「天心流直鑓」の伝書が発見された。
しかし、天心兵法が伝承していると主張している槍術は
宝蔵院流初代胤栄との交流により柳生家に伝えられた「宝蔵院分流陰派」である。
また、かつては宝蔵院流「中村派」を名乗っていたとの指摘もある。

→宝蔵院流の十文字槍・薙刀術に対し、「直鑓」という矛盾と、
そもそも天心流の直鑓が伝えられていないこと(失伝?)

もっとも重要な点は、国富家の天心流に伝えられていたのは上記の伝書の通り、
「天心流直鑓」であるにもかかわらず、一体いつ何処で宝蔵院分流陰派と称する槍術が発生、入れ替わったのか、疑問が呈されている。
因みに、宝蔵院流関係の古伝書・史料には、宝蔵院分流陰派や中村(天心)派についての記載や実在を証明するものは一切存在していない。
0006名無しさん@一本勝ち
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2020/10/26(月) 19:16:57.57ID:ukdLnKsd0
【宝蔵院流詐称疑惑〜宝蔵院分流陰派(宝蔵院流中村派)に関してその弐】

公式ブログ 伝書について 2014/06/21 01:18
>当流に伝わる槍術(素槍、十文字槍)、薙刀術は「遠祖(柳生石舟斎師の事)と上泉伊勢守と槍術初代(覚禅坊 胤栄)の交流の中の
>短く、九尺の傳槍法の技法」と伝書に書かれていたもので、石舟斎師から宗矩公(伝書では「若」と記載)へ、
>そして宗矩公より時沢弥兵衛師へと伝わった技法です。

>これがまさしく宝蔵院流の伝法を受け継いだものと呼べるのかはわかりませんが、やはり新陰流、あるいは柳生家の新陰流という流儀の中、
>そして天心流兵法という流儀の中に含まれた以上、流儀の矩というものの影響は少なくないはずですし、
>そもそも分流と明記している事からも、その事は明瞭なのではないかと思っております。

>或いは天心流流祖時沢弥兵衛師が柳生宗矩公伝の槍術を宝蔵院流に仮託して名を付したのかもしれません。
>また伝書にはどうとでも書けるのですから、後世の仮託という事もあり得ない話ではありません。

>(ちなみにこの記事は一週間以上程前に下書きしてあったのですが、
>その直後に奇しくも2ちゃんねるでも「仮託」の文字を使ってその可能性を指摘する書き込みがあり、
>夢遊病で自分で書き込んだのかと思うほどでしたが、
>ともかく言葉を引用させて頂いたわけでは無い事を付記致します)
0007名無しさん@一本勝ち
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2020/10/26(月) 19:17:04.77ID:ukdLnKsd0
→柳生家の伝承や新陰流史にも一切記載がなく史料的根拠がないにもかかわらず、
柳生家に伝わった宝蔵院分流陰派槍術を称するため、柳生宗矩創作の居合と同様に捏造であると指摘されている。
(細かい指摘ではあるが、一般に使用される「支流」や「分派」ではなく、「分流」という用語や流名は天心流独自のものであり、
また流儀名に分派であることを冠する流儀は特異であるため、流儀捏造の証拠の一つとして考えられている。)

また、現存する柳生宗矩筆の柳生新陰流伝書「外の物ノ事」の記述には、
柳生石舟斎の門弟でもあった、伊岐遠江守真利の「伊岐流」の影響が色濃く認められることから、

柳生家に外の物として伝承されていた槍術は、天心兵法が主張するような宝蔵院分流陰派槍術でもなければ、
宝蔵院胤栄との交流から石舟斎へ伝えられた技術ではありえないことが指摘されている。
0008名無しさん@一本勝ち
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2020/10/26(月) 19:17:21.92ID:ukdLnKsd0
NEW!【天心一刀流 四代目 中村天心について】

「天心一刀流 第四代 中村天心 東京都三鷹市」(綿谷雪『武芸流派辞典』より)
>ちなみにこちらでは天心一刀流となってますが、これは剣(限定)での名称です。
>全体では天心流兵法、剣の時のみは天心一刀流を称するとの事。(※天心兵法前代表、鍬海氏発言)

・本来の国富家の天心流の剣術は「天心流(天心流剣術)」(当たり前。史料や現地調査から確定事項)
・そもそも、総合武術A流派のこれこれ一部の武器術はB流派と称します、というのは
尾張新陰流の居合が制剛流居合という場合と同じで、元々全く別流派の場合にそういうのであって、
天心一刀流剣術が、国富家の天心流剣術と無縁の別流派と主張していることも同じである。
・新陰流系統であるのに「一刀流」という大きな矛盾。
・江戸初期から幕末まで続いた剣術流派であるにもかかわらず「四代目」を数え称する点。

以上より、現在の天心流兵法には、
中村天心で四代目を数える「天心一刀流」なる剣術、柳生宗矩創案と主張する居合術、
同じく、柳生家に伝えられたと主張する宝蔵院分流陰派槍術が存在するのみで、

国富家の天心流剣術の伝承が確認できないことが指摘されている。
0009名無しさん@一本勝ち
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2020/10/26(月) 19:17:38.63ID:ukdLnKsd0
NEW!【伝系創作疑惑――中村天心「九世」について】

(参考)天心流兵法公式サイトより当該団体の主張する伝系図
https://tenshinryu.net/?page_id=15

「流祖時沢弥兵衛ー国富忠左衛門代々ー国富弥左衛門ー国富弥五左衛門ー国富五郎衛門ー石井家三代ー中村天心(天心兵法9世、天心一刀流4代目)」

国際水月塾支部の現地調査通り、正しくは、幕末まで「国富忠左衛門」が伝系を受け継いでいたことが確定事項であり、
「国富弥左衛門、国富弥五左衛門、国富五郎衛門」は創作伝系濃厚であることを前提として把握した上で、
初代時沢弥兵衛から数えて、中村天心が9世にあたることは「国富忠左衛門代々」を一代として勘定しない限りは不自然であり、
天心兵法立ち上げ時点で、国富忠左衛門の伝系が何代続いてるか不明であったことから、
「国富忠左衛門代々」という形でまとめ上げ、中村天心9世に繋げるべく伝系を創作し、
国富忠左衛門家の天心流伝系に継ぎ接ぎした作為の可能性が指摘されている。
0010名無しさん@一本勝ち
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2020/10/26(月) 19:18:23.56ID:ukdLnKsd0
>天心流兵法流祖 時沢弥兵衛は代々同名を継いだ事です。
>流祖が何代目の時沢弥兵衛なのかはわかりません(鍬海前師家発言)

と、自流の流祖のことにもかかわらず何代目かわからないなどと、後付けの苦しい言い訳で逃げている。

さらに、時沢弥兵衛、国富忠左衛門、さらには関東に天心流を伝えたといわれる石井恒エ門までも皆が皆、
三家ともが代々同名を継ぐ者で構成されたという、偶然にしてはあり得ない不自然な伝系のために、
史実記録との矛盾や時代的齟齬を誤魔化す作為があることが指摘されている。

※神君伊賀越えに随行したといわれる34名の中に時沢弥兵衛は当然含まれていない。
※国富家とは異なり、時沢家が代々同名を受け継いだことを証明する史料は一切発見されていない。
あくまで天心兵法独自の新主張である。
0011名無しさん@一本勝ち
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2020/10/26(月) 19:18:42.88ID:ukdLnKsd0
【天心流が公開している流派の成り立ちの変遷と矛盾について】

2011年12月15日の公式ブログより

>流祖時沢師は柳生宗矩公に新陰流を学び、後に分流を許されて独自の兵法を編み出し
>これを天心流と名付けて弘めたと云われています。

2014年7月30日の公式ブログでは

>時沢師は、宗矩公の工夫された二百数十の技法を整理して天心流を編み出したといわれています。
>ですから新陰流分流でありつつも、その技法は何より宗矩公の独自の新陰流なのです。

前者は、後に分流を許されて(時沢師が)独自の兵法を編み出した
後者は、宗矩公が工夫された二百数十の技法を(時沢師が)整理したのであって
天心流を編み出したのは実質宗矩であり、宗矩公独自の新陰流である、と

独自の工夫をした部分の主語が全く変えられており完全に矛盾をきたしている。

このように「江戸伝系」の新主張や、時沢家が代々同名を世襲するという新主張以外にも
その度に根拠を提示することもなく、一貫性なく、都合により自説を改変していることがわかる。
0012名無しさん@一本勝ち
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2020/10/26(月) 19:18:59.63ID:ukdLnKsd0
【天心流が公開している流派の成り立ちの変遷と矛盾について 其の二】

2012年4月27日の公式ブログより
>もっとも林崎以外にも居合の語を用いる流派は御座いますし、
>当流遠祖であります柳生宗矩公も伝書の中で「居相」と漢字は異なりますが用いております。

2014年7月30日の公式ブログより
>伝書には遠祖を宗矩公ではなく柳生石舟斎としていたようなのです。
>宗矩公はどちらかというと真祖とでも表現すべき存在といえます

2012年の段階では、宗矩公を遠祖と言っていたにもかかわらず、
2014年には、石舟斎が遠祖になっており、宗矩公は真祖に変わっている。

僅か二年の間に設定が改変され、遠祖を宗矩から父親である石舟斎=宗厳に繰り上げ、
天心流の系譜に遠祖=石舟斎、真祖=宗矩公と、柳生家の高名な人物を取り込むことで江戸柳生分流設定を強化したと考えられる。
0013名無しさん@一本勝ち
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2020/10/26(月) 19:19:21.99ID:ukdLnKsd0
重要!【天心兵法「さそりの尾返し」論争まとめ】

○ 天心流兵法さんのサソリの尾返しって言う技ってさ、いつ頃の時代の命名なんだろね…
○ サソリの記載されてる本調べたら1712年くらいには珍しい渡来生物として本に記載されてるらしいよ…
宗矩さん随分長生きですね
○ 現代に生きる僕らはサソリの尻尾がどの様に動くか知っているけどさ、絵しか見た事が無い人が、その動きを象徴する様なネーミングするかしら…
凄い想像力だよね。
○ 動物シリーズなら、燕や猿などはその動きを象徴した技ではあるよね。
ただ、虎や龍を冠した名の技ってさ、その動きからとった技名ではないよね。
○ まだ蛇はわかるよ。でも、サソリの絵だけ見たって、それがどの位脅威なのかも解らないじゃん。
それを技名に使おうというのは、現代人の発想ではないかね。 
○ 江戸時代に編纂されたロシア語・日本語の辞書でサソリに当たる語がなかったから
すこるぴち
という訳語になったという記録があるんだが・・・
そもそも和漢三才図絵なんて一部の知識人しか読んでなかっただろ。
○ ゴンザ少年だって龍や虎は知っててもサソリは知らないという事だよ。
つまりサソリは江戸時代の人間には一般的でない言葉だった。
市井の少年はサソリのその存在すら知らなかったという事がわかれば十分。
○ 天心流の形って、またはこうとも言う、みたいに名前がいくつかあるのも後付けっぽいよな。
サソリの尾返しもツッコまれてるから、きっとまた別名ができるぞ。
○ 嘘に嘘の上塗りで、全然何も考えずに発表したものは覆せないから泥沼になってるね。
○ サソリを基盤にしたかったみたいだけど日本にいるムカデにしとけばまだ良かったな。

→天心兵法の型名称のひとつ「蠍の尾返」について、「さそり」が江戸期には一般的な単語ではなかったため、
捏造創作の重要な証拠の一つとして挙げられている。
また、このほかにも各型名に諱名(いなみな)を付す天心兵法独自の慣習の不自然さも指摘されている。
例)技法は柵太刀(しがらみだち)。隠字刀法の名称で、諱名(いなみな)は「袈裟乱」「四方切」を冠する
立合抜刀術勢法の七本目になります……内輪の呼び名であり、外には隠字刀法という隠し名を用います云々
0014名無しさん@一本勝ち
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2020/10/26(月) 19:19:38.80ID:ukdLnKsd0
【天心流のパクリ&類似他流技法一覧】
・黒に近いグレー(ネット界隈で著名な流派多し)
駒川改心流  :両肘完全伸展の輪の太刀(回剣素振り)
民弥流    :切附(天元貫) 、浮身(浮腰)、抜刀から刀を右脇に掻い込む観念太刀の動作
香取神道流  :血振るい、逆手納刀、手の内、笹隠れ体剣の構、逆抜きの太刀(柄下虎落太刀)、槍の突き方、「立合抜刀術」という呼称、真の構(柄落胸刀)
タイ捨流   :逆握(振り回す血振るい)、上段(天心流が残心時によくやる上段の構)、右肩構え
新陰流    :月影、くねり打ち、抜刀(崩し)を勝手に天心流風にアレンジ

・以下、ただの近似、疑惑レベル
円心流    :納刀の所作
夢想神伝流  :残心時の柄頭の握り、英信流との業名の違い(隠し名の設定)
八光流/中澤流:座捕り左方式(柔術)
弧刀影裡流  :椿三十郎の元ネタである逆抜き(刀尖睨抜)
馬庭念流   :無構
水鴎流    :立波(殿中刀法鞘ノ中)
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