【拳聖】再考・拳道会&中村日出夫【空手十段】2
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>>256
なんで現代の段位制度と同じだと思ってるのあなたは?
>>257
武専では柔道もやっていたというより、剣術と柔術しか武専に専攻は無いんだよ
中村さんは柔術専攻らしい
空手は柔術専攻の中の補足科目だよ
早い話がオマケ講座
沖縄空手家が本土での宣伝がてら教えていただけ 誰でも自由に書き込める5chならではだが、戦前の制度や出来事に対して現代の制度や常識を当てはめて否定する奴が定期でに出てきて笑うわ
戦前はあらゆる武道は武徳会が統括していたが、終戦直後にGHQにより武徳会は解体され、戦前は武徳会傘下の一道場だった講道館は米軍人に習わせるなどGHQに取り入って「体育教育」として早々と活動再開し、いつの間にか柔道唯一の統括団体に成り上がっていた
武専出身者の中でも講道館に移籍した人は大学指導者や地区連盟幹部になったり恵まれたが、その他の道場の人は散々な人生を送った人もいる
木村政彦に圧勝した阿部謙四郎とかその典型だろ 講道館は武徳会の柔術部門だったのを後になって柔道部門に改め武道専門学校でも柔道に一本化しているんだよ
んで、空手は柔道部門の傘下な >>259
具体的に何を否定しているのかわからないが戦前の制度や常識から考えても現代の制度や常識から考えても
この人物はおかしなことばかりなんだよなw 肥田春充もかなり胡散臭い人物だけど3大学4学科に同時入学したことになってる
中村日出夫は旧制高校と武道専門学校に同時に入学とされてる
戦前はそういうのが普通だったのか? >>258
『柔道新聞』1959年2月20日号
金光弥一兵衛(かなみつ・やいちべえ)の
談話によると
武徳会は講道館とは別に
段位を十段まで発行していたそうです。
1923年の時点では
まだ五段までしか出せなかった武徳会ですが
勢力を伸ばすと共に
段位に関してほぼ独立を遂げ
上記
トンデモな高段位まで
勝手に出すようなっちゃったみたい (;・∀・)
いつ十段まで出すようになったのか
記事には書かれてませんでしたが
1942年に東京に本部が移る前でしょうから
19年で五段位進む人がいた事になります。
初段を16歳で取る例は珍しくないんで
35歳で六段も珍しくなかった計算に。
終戦時32歳の中村先生が
その時点で武徳会六段だったと考えるのに
然程不自然は無いでしょうね。
特にナカノの教官ともなると
それは高段位も贈られるでしょう。
武専も中村先生のいた時が史上最強でしたし。 >>266
『近代柔道』1985年12月号
道上先生の談話によると
武専で薫陶を受けた中には
常勤の教師以外に
高等商業学校ご出身のかたもいたそうです。
高等商業学校は
高等専門学校と並び
高専柔道の花形でした。
お名前は挙げてませんが
高商ご出身という
当時はエリートでありながら
柔道の指導でヨーロッパを回られた
風変わりなかたに学んだそうです。
高商の凄腕で
ヨーロッパにお名前が残ってる・・(´・ω・)・・
そんな方
私お一人しか知らないです・・(・ω・`)・・
個人的にはとても興味深いお話ですけど
スレの趣旨からは逸れるんで
やめときます (´・ω・`)
でも中村先生の関連をあれこれ辿ると
二十世紀武術史
一大絵巻の研究になって
面白いですね o( ’∀ ’)o 定期的に「京帝大卒という超エリートが土建業なんなやる訳ない。嘘つき」とか現代の価値観を押し付ける書き込みあるが呆れるわ
そういう人は以下の立花隆さんの取材記事を読んでほしいね
東大生が体験した「8月15日」
立花 隆
https://books.bunshun.jp/articles/-/3737
京大と並ぶ超超エリートの東大工学部は兵器開発、医学部に至っては毒ガス開発を行っていたんだと
後に東大名誉教授になる黒田善雄さんは東大医学部卒業後に仕事が無くて日雇い工員の仕事していたと証言されてる >>269
お前が「ホントに京大卒なら官庁か大企業に入ってる」「法曹界入ると思うけど」とか色々書いてた低脳現代人か?
立花隆当人が東大卒だしでっち上げ嘘レポは書かんわな
東大名誉教授になる黒田善雄さんは戦争で実質1年半しか大学で勉強できず基礎理論も学べなかったと証言されてる
卒業論文にも困り卒業式後に卒業証書を貰えた為に卒業写真にも乗って無いんだと
「本当は東大に入ってない奴」「学歴詐称」「他人に成りすましてる」「不登校の落第生」と言うんだろ >>268
>>270
良いサイトのご紹介
有難う御座います。
勉強になります。
学力の最高峰
東大医学部(理科三類
通称「理三」)ご卒業のかたですら
日雇いに身をやつすなんて・・(´;ω;)・・
「そういう時代だった」
それしか云いようが無いですね・・(;ω;`)・・ 京大を卒業したのは戦前なんだろ?w
身元がはっきりしていて戦後に大学を卒業した日本人といつ日本に来たのかわからない
上に入学した形跡が全くない外国人を何で同列に扱うんだ?w >>272
個人に限らず
戦前の人物は
戦後の人物に比べ
不明な点が多いのは仕方ないでしょう。
寧ろ中村先生は
外国人でありながら
「らしきお名前が名簿にある」という点で
わりと身元のハッキリした部類かと。
名簿にスレ序盤(>>42まで)の推理を合わせれば
それはじゅうぶん
「形跡」と称べるものに
なってんじゃないでしょうか (´・ω・) >>273
「個人に限らず戦前の人物は」って意味がわからないけど「らしき名前がある」という程度で学歴の証明になるわけがないw >>274
たとえば
ここでしばらく前に
佐川廣氏が素晴らしい学歴を有す
との意見が出て
じゃあ名簿なり卒業証書を示せますかと
問い掛けたら
不可能でした。
これはなにも
佐川氏個人に限った話じゃなく
昔の人物は殆ど誰でも
証拠品の面では不明になりがちです。
殆どのかたが
足跡の資料が無い中
らしきお名前の載った名簿という
実際の品が出てきたのは
珍しいほうじゃないかと。 ファミリーネームが変わるのは変だが下の名前を節目に変えるのは現代でも伝統文化界ではある話 >>274
しかも、その「らしき名前」の人物の国籍は中華だってんだからねw
どう考えても別人じゃん
名前も国籍も違うのに、なんで同一人物だと曲解できるのかw よくわからない昔の話だから適当な名前を探して似たような名前を見つけたから証拠にしてしまうというのは
歴史の捏造を繰り返す朝鮮人の思考回路そのまんま。 >>277
中村先生は中国東北部ご出身らしいですよ。 出生は全羅南・北道だが幼い時期を過ごした平壌の生まれとされる場合が多い
幼少期に中国東北部の寺に預けられて育ったらしいからコレが要因かな
戦前の無効の戸籍制度については知らんがお寺の養子かな >>62にあるけど、
幼少期に預けられてた寺が中国だとは
どこにも書いてないよ。
何で事実を自分の都合の良いように
ねじ曲げて解釈しようとする奴ばかりなのかな >>285
その人が書いているのが全てではないだろ
その人が書いてるのはweb秘伝の達人紹介記事を引用したんだと思うよ >>286
だと思うよもなにも
web秘伝からだとはっきり書いてあるじゃねえかw
web秘伝に載ってるって事は一応拳道会も認めてるって事だろうけど、
これが全てじゃないってんなら他の根拠を示せよw 例の垂木切り
厳密に検証したらからくり分かるかも知らんがそれは死者と伝説の拳聖の虚構を暴くことになるからなあ
もし本当だとして人の頸椎にあの手刀を当てたらどうなるんだろう 倍達もそうだが本当に弱かったら誰も弟子入りしていない
空手の町道場なら幾らでも有るが実戦空手家で知らない人はいないし全国的に高名だろう
高名なのは総連の最高幹部だからだけじゃないと思うよ >>289
弟子の強さをみれば師匠の強さがわかる
ことわざにもたしかあった ガタイ見ても強そうだしな
ただ垂木切りは絶対インチキだけど >>292
そう、強さと垂木斬りの真偽は別に考えないといけない
考えたらごく当然のことだけど武オタってやつは
こういう了見を持つことが出来ないんだよ
ただ、盧山さん以外は誰も組手をやってないと言ってるので
組手の強さも未知数だね
石山さんは誰も組手をやってないと中村氏本人の前で
証言してるのにのになんで盧山さんだけやったのか?
ここが疑問 玄満が八巻建志と判定まで行ったからタフネスさはあるな
鍛えてるわ 遠目からの逆づきに八巻反応できてなかったからな
顔面ありなら遠目からのスピードの速さでの出入りで
勝敗は違ったかもしれん >>283
>>286
高成寺の所在が書かれてる資料
あったんですね Σ(・ω・`)
『拳道伝説』には
叔父様が中国国境附近に暮らしてた
とは書かれてますが
お寺の場所は書かれてなかったです。
版によっては
書かれてるのかも知れませんね・・(´・ω・)・・
中国東北部ご出身という記述も
同資料には見られませんが
>>282リンク先の情報提供者は
雑誌でご覧になったんですかね・・(・ω・`)・・
なお同資料
(くどいようですが『拳道伝説』)は
叔父様に師事したのは3〜4歳
お寺に入ったのは「そのあと」(4〜8歳)
となってて
『web秘伝』はそれとは若干ちがい
「寺で叔父に師事」となってます。
う〜ん (´・ω・)
後者はちょっと要約し過ぎて
誤解を招く記述になってるのかも・・(・ω・`)・・ >>297
『拳道伝説』では
中村先生の談話として
「名人は1200km/h。
私は800km/hです」
とあります。 そのずっと後のインタビューで1200と答えてる、あんたのは古い情報 >>299
前スレから書かせて頂いてるとおり
それは『秘伝』2000年10月号
漫画家の板垣氏のインタヴューの時
ですよね?
「中村先生によると
1200km/hあれば―――(略)」
という書き方でしたっけ。
何度も出てるじゃないですか。
もちろん
中村先生が変節された可能性はありますが
どちらかと云えば
一次資料(『拳道伝説』)からの引用を
著しく要約し
誤解を招く表現になった
という印象を私は受けます。
そのへんは
「叔父に師事したあと寺に入った」が
「寺で叔父に師事した」になってしまったのと
事情が同じじゃないでしょうか。 中村英夫は高岡日出夫がメチャ評価してたよな
達人中の達人と >>300
「叔父に師事したあと寺に入った」が
「寺で叔父に師事した」になってしまった
まただよ。
自分の勝手な推測をさも事実のように書くなよ。 3〜4歳で師事ねえ、、、
3〜4歳で、師事というほどの事を習うのが可能だろうか、、、 同じ豊島区に住みながら大山倍達と絡んだ形跡がないのはお互いめんどくさくなると思ったからかな
しかし極真の若いのがちょっかいかけに行ったりしなかったのかな
中村誠は国士舘とかの空手部をシメてたとか言ってたが >>300
インタビューのなかで中村氏本人が何度も念押しして1200と言ってるんだが
拳道伝説から10年以上時間が経過してるので800から1200になったのは
別におかしなことではないだろう
当然、最新情報である後者1200が優越することは言うまでもないこと
印象ってのはあんたの勝手な印象 >>305
う〜ん (´・ω・)
『拳道伝説』には
1.1200km/h出ると何が起きるか
2.誰が1200km/hなのか
3.中村先生は何km/hなのか
以上三点が書かれてます。
でも
『秘伝』2000年10月号には
1.1200km/h出ると何が起きるか
この一点しか
書かれてないです・・(・ω・`)・・
「2と3が省かれたって事は
中村先生が新たに2に昇格したんだろ」
こう考えるのは
ちょっと論理に飛躍が無いですか・・(´・ω・)・・
どうにせよ
書かれてない事は決めつけず
「こういう可能性がある」に
留めたほうがいんじゃないかと・・(・ω・`)・・
私の推理も
全部そういうつもりです (´・ω・) >>308
捏造乙、ちゃんと自覚したうえで中村さんは自分の拳速について語ってる >>309
2と3
特に2は
書かれてませんが・・(´・ω・)・・ >>282
その「本」というのは力道山に空手チョップを指導している証拠写真を堂々と掲載してた本だな。
他にも垂木を折る時のスピードは時速1200キロとかガンを焼いて直したとか書かれてるが
都合のいいところだけをソースにするのか?w 老後は一人じゃ階段も昇れなかったみたいね。若いころ体を酷使し過ぎたツケか。 >>311
その本が出た頃って
まだ朝鮮人だってことをおおっぴらにしてなかったんじゃ?
だから満州出身の日本人ってことにしたんだろうな あの本って回収になったんだっけ?
単なる絶版?
信者は、他人の写真をを自分ですと堂々と著書に載せた事実を認識してほうがいいと思うよ
「それと本人の空手の偉業とは別」と思える人はいいけど
俺は、ああいう事やる方は信用できない
有りえないよ、俺がもし本出して他人の写真を自分ですと言うなんて >>314
華僑の柔道家
蔡長庚(さい・ちょうこう)が
力道山氏と撮ったお写真ですね。
『拳道伝説』を出した
福昌堂(ふくしょうどう)さまは
中国武術の専門出版社です。
なので
中国武術家でもあった蔡先生の
あのお写真が
編集部に紛れてた可能性はあります。
良心的に解釈すれば
ひょっとして
以下の事態が起きたのかも知れません。
福昌堂: 中村先生
これは先生のお写真ですか?
中村先生: 出直して来なさい!
福昌堂: (こ
恐え〜(汗)
でもこれってきっと
先生なりのOKサインなんだな)
福昌堂: (えい。
写真載っけて
製本完了 (・∀・) ・・・・ と) そんなアホな話が世間で通用しますか、コロナ禍にキャバクラいった政治家くらい幼稚な言い訳やな 身も蓋も無い事を云えば
著者の山平重樹(やまだいら・しげき)氏に
伺ってみないと
事実はどうだったのか判りません。
https://shigeki-yamadaira.com/
大東流の佐川先生に関しても
似たような騒動がありました。
お弟子さんの高橋賢(たかはし・まさる)氏が
ご本人(佐川先生)に
事実確認せずに本を書き
同じ福昌堂さまから出版されたあと
記述に間違いが判明。
気の毒に
絶版
回収となりました。
・山平氏が書いて
福昌堂さまから出版
間違いが判明し絶版回収
・高橋氏が書いて
福昌堂さまから出版
間違いが判明し絶版回収
この二つの事件に共通するのは
福昌堂さまなんですよね・・・・
これが何を意味するのか
それともしないのか (;・∀・) 中村日出夫をむりやり擁護したいからって
福昌堂に罪をきせるのは良くないですよ
ちょっと理屈が苦しすぎw
大体中村日出夫は写真の件以外にも
喉頭癌を火箸で焼いて治したとか拳速800キロ?1200キロ?とか
大ボラ吹きまくってるんだから擁護のしようがない 天龍が滑舌よく聞こえるレベルの悪声だったけど、あれは何が原因だったの? 確かにガンなんてそんな稚拙な手術が通用するわけない。もしやったとしたらそのような気になっているだけ 中村先生の源流は何流なん?
武専で何流の空手を学んでたの? >>325
空手に流派無しの無流派主義で〇〇流とかは名乗らない主義らしい
糸東流を立ち上げる前の摩文仁賢和らしいよ
当時実戦最強と目されていた本部朝基が武専に来た際に教えて欲しいと願い出たが教えてくれなかったらしい
自分の手は明かさない本部朝基はそういう男だったみたい
空手教えずじゃあ何しに本土へ来たんだと思うが 同じ豊島区に本部道場あったのに大山さんが全く言及しなかったのはなぜ
周りもどう思ってるか聞かなかったよね >>327
一部、平安とか型の名称があるが内容が違う
沖縄空手を元に組手や実戦の経験から創作した型と思われ >>328
単なる年功序列かもしれないがマスは力道山みたく中村先生をお兄さんと呼んでいたらしいよ
半島出身者に稀な武専出身の武道エリートだからマスに空手の型を教えた事もあったらしいよ 沖縄空手家には流派創始の型を忠実に守る無修正主義と他武道の経験や実戦経験を踏まえてアレンジする進歩主義がいるからな 形 経歴 戦歴 学歴 など全部 修正主義の極め マス大山 拉致の専門家で本国から勲章もらった空手の先生だっけ? >>336
実戦空手だけじゃないか
やはり終戦直後に直接打撃制の空手全日本大会を開催した韓武館の影響も強いのかな
マス大山もこの大会出身だよな >>338
違う
フルコンタクトだが顔面寸止め有り
捌きや掴み投げ有り 8:53あたりから小島一志が「アレは達人でも何でもない」「北の極めて危険な仕事に携わる団体の長」とかボロクソ言ってて失礼
https://youtu.be/z9TENQIsdIg 「達人でも何でも無い」「白帯クラスの先生」とか極めて失礼
若い生徒想いの人格者で素晴らしい方
チビデブで組手激弱の半グレ小島がどうこう言う権利ない 拳道会の試合ルールを詳細に書いているページありませんか?
特に反則規定を細かく知りたい
以下、関係者らしき某ブログに書いてある一部を抜粋
拳道会の組手試合ルールは
手技による顔面攻撃は寸止め、それ以外は直接打撃。
急所部位に正確な攻撃が当たると、有効
5秒未満のダウン、又は上段蹴りが決まれば、技あり
5秒以上のダウンで、一本
という、ポイント&ノックアウトルールです。 >>47
ちゃんと中村先生は武専時代に宮城先生に習ったと言っておられますよ。 >>48
祝嶺先生が8歳で空手を始められた1933年当時、中村先生は20歳で既に武専の指導員。
祝嶺先生には習ってはおられません。 >>47
ちゃんと中村先生は武専時代に宮城先生に習ったと言っておられますよ。 >>344
そうなんですね
詳しい方だと思いお尋ねしますが、中村先生が祝嶺正献と交流があった話を聞いた事はありませんか?
拳道会の稽古の中にも玄制流と共通した動きもあると聞きますが >>344
言い訳がましく恐縮ですが
>>48を書いたのも私ですが、乱文を書いた事を反省します
武専では糸東流を起こす前の摩文仁賢和に習い、その後玄制流の祝嶺正献にも習ったのも衆知の事実
の意味でした 小島一志chで中村先生について語ってますが、誤った情報が多過ぎかと
(極真関係者間でも嘘話ばかりとの評価の人ですが)
8:44〜
・パイガーヌン(半硬軟)呼ばれていた那覇手
→パイガーヌン拳法は上地流では?
那覇手はルールーコウの白鶴拳説が有力
パイガーヌン=古流拳法の意もあると聞く
16:14〜
・武徳会は戦後GHQに解散されており武専出身は嘘
→中村先生が武専で学んでいたのは戦前の話
終戦時に中村先生は既に30代
小島一志ch 中村日出夫大山倍達
https://youtu.be/Tw659N8ZUnE 陸軍中野学校関係者の中には陸軍中野学校に関わっていた期間の経歴がすべて抹消されている人がいる
陸軍中野学校関係者の固い約束「中野は語らず」だそうだから
菅沼光弘著
『ヤクザと妓生が作った大韓民国』 大日本武徳会武道専門学校指導員名目で出向していたのかもしれないが、京都の武徳殿で指導をしていた訳ではなく、本当にやっていたのは陸軍中野学校二俣分校の武道指導員
京都帝国大学在籍期間は陸軍中野学校指導員時代と丸被り
1933年 - 京都帝国大学法学部に入学し、同年、武道専門学校の空手指導員にも就任 >>348
拉致実行部隊ではない
拉致実行部隊に空手(武術としての戦闘術)を指南していた事は否定できない >>354
小島一志は昇段試験落されたから怨んでるだけ
小島は劇的に弱いチビデブで極真空手黒帯の器では無い
小島自体が嘘ばかりで新極真会からも芦原会館からも関係を否定されているクズ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています