「五、戦前までどこに伝承していた流儀か言及できない(系図がある場合、それは決まって武術の系図とは無関係)。」

いつ関東に来たのかという事は不明なのですが、伝系は残ってます。ただ焼けちゃったので若干の記憶違いもあるかもしれないのですが。

実はサイト作成当初は載せてたのですが、先代との約束があるので先代までの三代は掲載許可おりず、またそれ以外の所に記憶違いがあったら恥だから…という事で消去してしまいました。「伝系載せないと絶対怪しまれますよ」と進言は致しましたが、断固「漢の約束」という事で拒否でした

ぶっちゃけ苗字とか下の名前もひっそりとか、全部私が独断で、「苗字載せたんですけど、絶対苗字くらいなら大丈夫ですから!!約束は守れてますから大丈夫です。絶対!!」と超早口で話して有耶無耶にして通したものです。下の名前はもう見つけた人は目を潰して見なかった事にして下さい。

伝系に関しては困った話があり、はっきり思い出せない時に、撃剣叢談の内容を門人に貰ったため、まあ伝書に似た名前があったという記憶も相まって、本来の伝系には含まれていない名前をとりあえず書いたりしていた時期があった事です。(伝系をそもそも公表してないので門人向けの話ですが)

先代三代を抜いた伝系、その記憶間違い含めて記述しようかと思いましたが、それはブログでやるべきという程、長くなるのでやめます。

まあそんな所です。

そんな小刻みな嘘を天心先生がつき続けるとはとても思えない上に、それまで伝書の内容は、ブログに書いた通り、書付で記憶をたどって書いているのに、その事すら門人に言わず、内容に言及せず…というトラウマを抱えた演技…というのはなんの得もしないですいくらなんでも無理だと思います。

真夜中に電話が来て、「六代目と七代目はこうだったと思い出したんだよ!間違いかもしれないけどメモっといて!」とか、伝系だけでもそうですし、他にも伝書の細かい記載について、思い出し次第連絡が来るので、24時間体制で待ち受けているというか、待ちわびているのですが

というわけで、まあこと天心先生に関しては、御本人も「捏造なんて私莫迦だからできっこないよぉ〜(´・ω・`)」と仰るとおりに、ありえないと断言出来ます。いやそれでも証明には一切なりません。情況証拠?と言われればその通りですし。