【太気拳】なんでも相談室 part6【意拳】
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語ろう!
情報交換しよう!
part1で出た結論。
組手をしない会派は駄目。
どんな理屈を捏ね繰り回しても、
所詮は張子の虎。
駄目! 絶対!
新たに太気 意拳でどんな効果が出て 他武道や組手にどう応用できたかの体験談
や考察も語りましょう 結局、安倍自民党は今週中の予算委集中審議を拒否し逃げました。野党が審議拒否すれば執拗に非難する癖に、電通とパソナ関連のトンネル会社が大金を中抜きし、
丸投げしていた件が発覚したらコレです。市民の為に動くのではなく全てが我が身大事の保身です。こんな連中に、これ以上任せてはいけません。 「「大学院生への支援を考えてほしい」と山中教授が訴えると、安倍首相は「将来の課題」と述べるにとどまった」これで科学技術立国だからなあ。
|「コロナで耐えきれない」研究も仕事も…窮地の大学院生 >>175
>>177
申し訳ないですが
武術散手の動画って勧められるのはほぼほぼ無いのですよね〜〜
やっぱり格闘技と目的が違いすぎて特にB壇の本質
は元々は台湾SPに教授してる性質上古式の武術(殺人技)
何ですよね(今は表向きはそうゆうのは無くなりつつあります)
なので普通の格闘技や推手のような待つクセをつけるな的な教えで
(相手の出方を待つな・潰せというのはそうゆう事)
3秒以内に相手を行動不能か後頭部地面に激突させて始末せよ
的なのが目標
だから格闘技と戦っても当然向こうのルールでは勝てない
30秒から1分やったら絶対負ける
システマみたいなものですね
ただそうゆうのを活用するためには若い頃の散手的な稽古か
豊富な喧嘩の経験は不可欠と思ってます 持続化給付金事業を発端にトンネル会社を通じて税金を中抜きしていると発覚した電通。何と自民党のみならず安倍晋三氏の選挙区支部にダイレクトに献金していると発覚したようで、
ここまで酷いのかと思うと絶句してしまう。もう実態としては公金横領ではないか。 ただB檀は 元々は才能ある人や他流で若くして名を成した方が劉大師に弟子入りして
劉大師も今更基本稽古から教えたりせず 自分の武術から個々に必要なエッセンスを抽出・教授して
たりなので
B檀特有のカリキュラムなんてのもないし(弟子たちが作った武術協同組合って感じかも)
世界各地に広がった個々の先生によって教え方も得意拳法もバラバラなので私の知らない所で散手やってるかもです 祖父や父親から「地盤、看板、カバン」という「最強の既得権益」を受け継いだ自民党の2世,3世議員たちが、
「岩盤規制の突破」とか「既得権益の打破」などとどの口で言う。君たち自身が「生ける既得権益」そのものじゃねえか。
自民党が情実政治、縁故主義に走るのは、多くの国会議員が2世3世議員であり、自分自身が世襲という既得権益にどっぷりとひたり、その恩恵を受けてきたからだ。
この縁故主義こそが能力ある者の進出を妨げ、社会の停滞と閉塞感をもたらしてきた。森友・加計に露呈した安倍の腐敗は日本社会の腐敗そのもの
この腐敗の隠蔽のために、「日の丸」を掲げ「愛国者」を自称し、歴史の改竄にまい進する。
全国各地の経営者の二代目三代目や、自民党の若手活動家などで構成される日本青年会議所(JC)のツイッター・アカウント「宇予くん」の書き散らしたものを見れば、この腐り切った構造が目の当たりになる。
彼らは口を開けば「能力主義」を叫び、「自己責任」を強調する。しかし彼らに能力などはなく、親から引き継いだ事業と財産があるだけである。
また、彼らは責任など取ったことはなく、様々な不運と不幸あるいは政策的失敗ゆえに困窮状態にある者に対する公助を拒否するためにのみ自己責任を主張する。 安倍晋三が「謝罪の言葉」を口にするのを目にした戦時性暴力被害者は只の一人もいません。正しくは「安倍晋三がお詫びするって言ってたよ」と外務大臣が喋っただけです。よって当然それに納得しない被害者がいたというのが事実です。
その後安倍晋三はいけしゃあしゃあと「性奴隷といった事実はない」「軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述は見当たらなかった」などという発言を繰り返し、
直接の謝罪も手紙も「そんなつもりは毛頭ない」と言い放ちました。当然反発する被害者がいました。それが事実です。
「合意」したのに「平和の像」が設置されたのではなく、それは「合意」前に(というかとうの昔に)設置されていました。日本政府は「合意」交渉の中で難癖をつけてその撤去を要求していました。
なぜそれが「難癖(ウィーン条約違反)」かお分かりですよね。日本は条約にかすりもしない場所に設置されている「像」に関しても「合意」後もひたすら圧力をかけ、撤去させようとしてきました。今回の美術展はその流れの一環に過ぎません。
反発する被害者の存在に対して日本はどのような態度を取るべきだったでしょうか。加害国として「合意を受け入れない被害者は頑なだ」というスタンスは正義に適ったものと言えるでしょうか。
果たして国連は「合意」後も再三再四「被害者中心のアプローチを」と勧告し続けてきたのです。
現政府が鬼の首を取ったように振りかざす「合意は合意」論についても繰り返し述べてきましたが、改めて。日本は合意文書に一言も書いていないことを理由に「ストックホルム合意」を反故にしましたし、
平壌宣言の際の約束を無視したことを自分の手柄と言いふらして総理の座に就いたのが安倍晋三です。
最後に。これも何度も述べてきたことですが、「加害の記憶を後世に伝える」ことは安倍政権が踏襲するとした河野談話の重要な一部です。「平和の像」の展示は論理的に言って日本政府にとって望ましいものでしかありえず、
寧ろ自ら作るべきものである筈です。
まずは自分でした約束を守れという話ですね。 >>180、182
なるほど、
ヨーイドンの素手のタイマン用ではないってことですね。
昔、S塾の稽古場の近くのSS会館で、
コマンドサンボを齧っていたこともあるんですが、
あれも試合やスパーはジャケット総合になりますが、
試合では使えない相手を捕獲したり相手から離脱したりする技でも、
実戦のある状況では使える、
逆にこちらの方が使えると思いました(要は奇襲、不意打ちですので)。
逮捕術もやってる現役警察官や元警察官とも組手したことがありますが、
彼らも組手、試合と現場は全然違うもんだからって言ってましたね。
でもやはり、コマンドサンボにしても逮捕術にしても、
武道や格闘技の組手、乱取り、スパーもできない人が、
いきなり実戦で使うのは厳しいですもんねw
ところで「潰す」ということですが、
具体的にはどんなやり方のことですか?
それと、3秒以内に相手を行動不能にする、
後頭部を地面に激突させて始末する、とのことですが、
話せる範囲で結構ですので、
やり方を教えてもらえたらありがたいです。 >>180、182
そういえば、昔一緒に練習したB壇の方も、
あなたと同じことを言っていたと思います。
ただ、彼は組手やスパーは実戦とは別物なので必要ないとは言っていました。
でも、わざわざ意拳習うぐらいなので、内心必要だと思っていたと思いますw
それと遊びでナイフスパー、
鞄VSナイフスパー(敬天愛人みたいですがw)をしたら、
私や武道、格闘技経験者より上手かった記憶がありますw 「日本人でよかった」という言葉は、自分が日本生まれの日本人であること以外に誇れる要素、自信を持てる要素が見当たらない人には、魅力的に響く。
孤立や孤独から解放され、立派な集団の一員だという「絆」意識が生まれる。これだけを切り取れば、一見問題がない。「これの何が悪いのか」と居直れる。
国家や民族への帰属意識を過剰に抱くことの危険性は、歴史を段階的な「流れ」と捉える思考習慣がなければ理解できない。
戦後のドイツは、単に「ホロコーストをした」「戦争をした」という結果だけでなく、そこに至るまでの段階的な「流れ」を反省の材料としてきたが、日本はそうした作業を怠ってきた。
「戦争をした」こと、軍国主義が支配したこと、滅私奉公型の「愛国心」が国を暴走させたこと等の「結果」は反省したが、そこに至るまでの段階的な「流れ」、
1930年代の日本国民の思考形態の段階的変化についての批判的な検証を徹底的にしなかった。それでまた同様の思考形態の段階的変化が起きている。 大阪維新が苦手なのは、ずばり行政そのものなのではないか。住民がいて、生活をし、必要なものを取りそろえ、健康的で文化的で知的な生活水準を維持し、病気になれば安心して医療を受けられ、年を取れば福祉がある。
そういう住民という実体のあるものを相手にした日常的な行政のことだ。
新型コロナウイルスの感染で、思いのほか、維新のダメなところが露呈してしまった感がある。ウイルスはそんな維新に忖度はしないし、感染して症状が出れば、対処しなければならない。誤魔化しがきかない。
重症化して手遅れになれば死人が出る。そういう実体あるものへの対応が苦手なのだ。
情報を出さないでおこうとしたり、誤魔化そうとしても、出るものは出る(クラスター発生も市民からの情報で判明するし、病院での異常事態も関係者が告発すれば出てしまう)。
こういう実体あるものに向き合って、それらがごく普通に生きていける行政を提供するのはルーティンの安定的な繰り返し。
大阪維新は、これまで「都構想」、カジノ、万博、そういう大きなプロジェクトを掲げて、「成長戦略」と自分たちが一体であることを住民にイメージさせた。
行政を地道に担う公務員を敵に回して既得権保有者扱いにして風穴を開け、そこに民間資本を導入する。改革の旗振りをイメージさせた。
海外からやってきた観光客たちは、大阪の町を「世界最大の娯楽場、こんなに楽しい町は他にはない」と言った(大阪市内で不動産をやっている友人からの話)。
派手好きの大阪人はこんなに楽しい町を作ってくれる維新を褒めないわけがない。しかし、果たして住む町としてはどうなのだろう?
派手な町、楽しい町の住民でも伝染病にかかるし病院も必要だ。食っていけなければ、それらの電飾は何の役にも立たない(科学的根拠のない「大阪モデル」の基準を満たせば、電飾で知らせるという方法を思いついたのは維新らしかった)。
維新の首長が自称行政家ではなく政治家なのは偶然ではないだろう。 >>185
組手と試合は違う 試合と実戦も違うと言ったのは
太氣の某先生だったかな?
潰すは単純に始まる直前の不意打ちであるのですが
自分は王向斉先生が澤井先生にキメた
澤井先生のジャブを全身協調の動きで押し込んで
澤井先生の拳が自分の顔面にぶち当たったという逸話を参考に
その位のつもりで飛び込んで反撃できないようにして発力すると
考えてます、前記した脇の下を攻めるのもその延長線上で
松田隆智氏も晩年は年齢的にフットワークも使えないので
意拳を参考に推手で潰しながら発勁を打つ戦法を
メインに考えてたと著書に書いてました。
>3秒以内に相手を行動不能にする、
後頭部を地面に激突させて始末する
例えばこの動画の21秒目は太極拳の起式で
膝裏へのタックルですね (本当はこの直前に沈垂勁を
●関節に前からかましてからの膝裏狙いですが)
https://streamable.com/73a571
太極拳は起式(第一動作)から使い勝手のいい殺人可能な
技で、知れば知るほど本当はえげつないのがわかります
こうゆう技は林悦道先生の喧嘩術に詳しく載ってます
アレはかなり太極拳と八卦掌の裏用法と同様のものが
書いてありますね 「反日」という言葉はとても便利です。この言葉を濫用する人は、敵味方で世界を単純化しがちなこと、
立場の異なる相手について考える想像力に欠けること、批判精神がなく事大主義に陥りやすいこと、つまり知的な誠実さをおよそ欠いていることが一目でわかるからです。
「反日」を濫用する人はしばしば、日本について批判をする人にその言葉を投げかけ、「日本人なら日本を好きなのは当然」などと言います。それが愚かなのは、
日本を心配してより良くしたいという苦言が存在することを想像できないということももちろんありますが、さらに根本的問題があると考えます。
それは、日本を「好き」「嫌い」という、ごく単純化した感情でしか、対象を捉えられていないということです。
「日本」という、空間的にも時間的にも複雑で多様な存在は、「好き」「嫌い」などという感情で簡単に把握できるような安直な対象ではありません。
「好き」「嫌い」で「日本」を語れ、それで「親日」「反日」に世界を分けられるという、あまりにも単純化した認識は、「日本」という対象をきわめて安直に扱い、その深みを考えていないことを意味します。
つまり、これほど「日本」を軽く扱ってバカにしたことはないのです。
ことに日本に生まれ育つという運命を負わされた人間にとって、「日本」という存在は圧倒的なもので、それをどう捉え向き合うのかは極めて大きな問題です。
巨大な存在に打ちのめされないよう自己を保つのは大変です。「好き」「嫌い」なんて言って済ませられるようなことじゃないんです。
捉えきれないほど巨大な存在である「日本」(他の国でも同じですが)を、「好き」「嫌い」と言える立場と思っていること自体が、むしろ自分を何様だと思っているのか、神様のつもりなのかと、私は不思議でなりません。
そのような言葉遣い自体が、「日本」を実は軽んじている証なのです。
だから、「反日」を濫用する人が大事に思っているのは実は「日本」ではないのです。他人に「反日」と投げつけることで自分たちがエライと思おうとしている、好きなのは自分だけなのです。
自分が好きなこと自体はむしろ大事ですから、どうか他の手段でそれを実現してほしいと思うばかりです。 >>78
>そう言えば
>先日の香港意拳のlive教室は皆さん見たかな
>https://youtu.be/9-ZbZTJNKT0
スルーしちゃっててすまん。汗
その香港の人達、昔北京で会ったことあるぞ、多分。
香港拳学研究会だろ、
一緒に練習したと思う、記憶が曖昧だけど。
ちなみに俺が言ってた香港って、
許氏意拳の許先生のこと。
姚系習うなら、やはり北京が良いかな、俺は。
機会が有れば、フランスやドイツ、ロシアにも行って
あっちのデカい人達ともまた稽古してみたいけど。
デカい人達とやるのは、良い稽古になったんで。 >>186
スパーやって無いと絶対に実用は不可だと思います
(まあ一部例外な技は無くは無いですが殴られることに
ある程度慣れないとパニック起こして使えない)
まあ私は
『本来中国拳法などというものは存在しない、あるのは素手と武器術が混在の中国武術だ』
というスタンスで 中国人は喧嘩を素手でやるのは中学生まで脅しは最低でも刺すか切るのが
常識なので 対武器って絶対に武術で切り離せないと思ってます。
唯一素手想定メインで存在するのは
古式武術の時代が終わって徒手格闘に特化した『意拳』以降で
意拳こそ純粋な意味で中国拳法だと思ってます。 このかんカジノに無言を貫いてきた大阪府と市が、ついに延期公表。
2025万博の事業費2千億円のうち地下鉄延伸7百億円超を、カジノ業者に期待し、万博カジノセット論を展開してきた。
これが崩壊した。
外資依存型「自治体経営モデル」の終えんです。
とりつくろっても「カジノ業者が半年後に計画書を出す」わけではないのは明らか。
コロナで事業見通しがなくなって出さないだけ。
業者はバカじゃない。
もともと矛盾だらけで実現不可能だった万博IRセット構想。
早く切り替えないと傷は深くなる一方。ツケは府民に。
英断のときですよ吉村知事。
これまで大阪府と市でコレクションのごとくかき集めた、IR推進局、万博推進局、副首都推進局の屈強な職員数百名が、
舵を切り替えて、府民・市民の給付金や生活保護申請、医療・介護の補助などにつけば、とんでもないマンパワーが発揮できます。
現場の問題、色々解決できます。
これぞ大阪モデルや。
都構想は、IR万博を起爆剤とした広域自治体経営モデルの構想なので、これも絶望的ですね。
かわりに、必要な事業である医療や介護、少人数学級のための巨額の政府支出・公共投資を実現できるようにすれば、景気は良くなります。
必要なのは舵を切る英断ですね。 >153
当時、K川さんのとこに太気の人が来て初対面でひどい挑発をしたんですよ。
伝統派の人をなめてたみたいでね。
それで形意の技法をぶちこまれて前のめりに
倒れて終わりです。
太気の人が懐深い形で構えて、お前技やってみろって言ってね。
太気は用法が無いに等しいから瞬間は不利です。
元々は千葉のG流という空手の段持ちが集まって沢井さんに習って組手では空手の地力で強かっただけで、
中国武術を練習して強くなったとはいいがたいですね。 安倍晋三が「謝罪の言葉」を口にするのを目にした戦時性暴力被害者は只の一人もいません。正しくは「安倍晋三がお詫びするって言ってたよ」と外務大臣が喋っただけです。よって当然それに納得しない被害者がいたというのが事実です。
その後安倍晋三はいけしゃあしゃあと「性奴隷といった事実はない」「軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述は見当たらなかった」などという発言を繰り返し、
直接の謝罪も手紙も「そんなつもりは毛頭ない」と言い放ちました。当然反発する被害者がいました。それが事実です。
「合意」したのに「平和の像」が設置されたのではなく、それは「合意」前に(というかとうの昔に)設置されていました。日本政府は「合意」交渉の中で難癖をつけてその撤去を要求していました。
なぜそれが「難癖(ウィーン条約違反)」かお分かりですよね。日本は条約にかすりもしない場所に設置されている「像」に関しても「合意」後もひたすら圧力をかけ、撤去させようとしてきました。今回の美術展はその流れの一環に過ぎません。
反発する被害者の存在に対して日本はどのような態度を取るべきだったでしょうか。加害国として「合意を受け入れない被害者は頑なだ」というスタンスは正義に適ったものと言えるでしょうか。
果たして国連は「合意」後も再三再四「被害者中心のアプローチを」と勧告し続けてきたのです。
現政府が鬼の首を取ったように振りかざす「合意は合意」論についても繰り返し述べてきましたが、改めて。日本は合意文書に一言も書いていないことを理由に「ストックホルム合意」を反故にしましたし、
平壌宣言の際の約束を無視したことを自分の手柄と言いふらして総理の座に就いたのが安倍晋三です。
最後に。これも何度も述べてきたことですが、「加害の記憶を後世に伝える」ことは安倍政権が踏襲するとした河野談話の重要な一部です。「平和の像」の展示は論理的に言って日本政府にとって望ましいものでしかありえず、
寧ろ自ら作るべきものである筈です。
まずは自分でした約束を守れという話ですね。 >>189
動画ありがとうございます。
確かにロシアとは違うエグさですね。汗
まあ、わかってない総合オタクとかが絡んできそうな動画ではありますが、
相手が複数だったり、刃物持ってたりするのに、
タックルで倒してそのまま押さえ込むとかあり得ないですからね。。。
王向斎先生が澤井先生のジャブを潰した動きって、
私も太気拳の方から聞いただけなんでイマイチ分かりませんが、
昔「うーしゅー」に載った
承栄先生がボクシングのナショナルチームのコーチのジャブを潰して顔面殴ったのは、
再現していただいたことがあります。
姚先生達の意拳も相手を待たないで先に潰すのが特徴ですね。
自分も初対面の散手の時は「打つ」の「う」で潰されて
壁に叩きつけて脳震盪でした。。。
運良く?キックの人との他流試合を見たこともありますが、
相手が蹴るか蹴らないかで入って潰してボコってました。
自分もそれを目指して奮闘中です。 >>196
>姚先生達の意拳も相手を待たないで先に潰すのが特徴ですね。
自分も初対面の散手の時は「打つ」の「う」で潰されて
壁に叩きつけて脳震盪でした。。。
結局それしか無いですよね、 上の動画も
闘いが始まって2秒以内だから決まる部分もあると
思います。 逆に変に長引いたら使えないし
当然総合の人は長引かせて自分が有利になる様に
試合を運ぶから試合で使えないのも当然かと >>192
そうですよね。
今では中国人の喧嘩動画がネットに結構上がってますが、
彼等の喧嘩を初めて観た時は、あ、日本人と違う、ってビビリました。
胸ぐら掴んだり顔寄せて睨み合うとかしないで、
いきなり殴りますし、その辺のものを凶器にして殴ったり、
ぶん投げたりしますからね。。。
集団で1人に襲い掛かったり、
相手をウインドウグラスにぶつけて血だらけにしてるのも観ました。
自分も今まではあまり真面目にやってませんでしたが、
次に北京に行ったら棍法もしっかり習おうと思います。
身体練るにも良いそうだし。
他の武器の使い方も聞いてみます。 祖父や父親から「地盤、看板、カバン」という「最強の既得権益」を受け継いだ自民党の2世,3世議員たちが、
「岩盤規制の突破」とか「既得権益の打破」などとどの口で言う。君たち自身が「生ける既得権益」そのものじゃねえか。
自民党が情実政治、縁故主義に走るのは、多くの国会議員が2世3世議員であり、自分自身が世襲という既得権益にどっぷりとひたり、その恩恵を受けてきたからだ。
この縁故主義こそが能力ある者の進出を妨げ、社会の停滞と閉塞感をもたらしてきた。森友・加計に露呈した安倍の腐敗は日本社会の腐敗そのもの
この腐敗の隠蔽のために、「日の丸」を掲げ「愛国者」を自称し、歴史の改竄にまい進する。
全国各地の経営者の二代目三代目や、自民党の若手活動家などで構成される日本青年会議所(JC)のツイッター・アカウント「宇予くん」の書き散らしたものを見れば、この腐り切った構造が目の当たりになる。
彼らは口を開けば「能力主義」を叫び、「自己責任」を強調する。しかし彼らに能力などはなく、親から引き継いだ事業と財産があるだけである。
また、彼らは責任など取ったことはなく、様々な不運と不幸あるいは政策的失敗ゆえに困窮状態にある者に対する公助を拒否するためにのみ自己責任を主張する。 安倍晋三が「謝罪の言葉」を口にするのを目にした戦時性暴力被害者は只の一人もいません。正しくは「安倍晋三がお詫びするって言ってたよ」と外務大臣が喋っただけです。よって当然それに納得しない被害者がいたというのが事実です。
その後安倍晋三はいけしゃあしゃあと「性奴隷といった事実はない」「軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述は見当たらなかった」などという発言を繰り返し、
直接の謝罪も手紙も「そんなつもりは毛頭ない」と言い放ちました。当然反発する被害者がいました。それが事実です。
「合意」したのに「平和の像」が設置されたのではなく、それは「合意」前に(というかとうの昔に)設置されていました。日本政府は「合意」交渉の中で難癖をつけてその撤去を要求していました。
なぜそれが「難癖(ウィーン条約違反)」かお分かりですよね。日本は条約にかすりもしない場所に設置されている「像」に関しても「合意」後もひたすら圧力をかけ、撤去させようとしてきました。今回の美術展はその流れの一環に過ぎません。
反発する被害者の存在に対して日本はどのような態度を取るべきだったでしょうか。加害国として「合意を受け入れない被害者は頑なだ」というスタンスは正義に適ったものと言えるでしょうか。
果たして国連は「合意」後も再三再四「被害者中心のアプローチを」と勧告し続けてきたのです。
現政府が鬼の首を取ったように振りかざす「合意は合意」論についても繰り返し述べてきましたが、改めて。日本は合意文書に一言も書いていないことを理由に「ストックホルム合意」を反故にしましたし、
平壌宣言の際の約束を無視したことを自分の手柄と言いふらして総理の座に就いたのが安倍晋三です。
最後に。これも何度も述べてきたことですが、「加害の記憶を後世に伝える」ことは安倍政権が踏襲するとした河野談話の重要な一部です。「平和の像」の展示は論理的に言って日本政府にとって望ましいものでしかありえず、
寧ろ自ら作るべきものである筈です。
まずは自分でした約束を守れという話ですね。 >>192
確かに意拳は素手用に特化させた武術だと思います。
ただ、そこはやはり中国なんで根法以外の武器への応用というか凶器の使い方も伝えられてると思うんですよね、確認したわけじゃないですが。
崔先生も動画で日本刀使ってましたし、姚先生も澤井先生は剣を意拳の功夫で使えて強かったって宗勲先生が言っていたと剣の動作を交えながら話してましたし。 >>201
澤井先生も意拳で今まで修業した武術
(剣道・柔道)が飛躍的にアップデートされた
と思うのですよね、確か兄弟子の先代姚先生にも
剣に関しては澤井先生の方が上だったという話が
あったような。
自分も杖術か短棒がやりたいです 六合大槍とか
身体練る以外でそんなもんどこで使えって言うんだ〜〜
って気がするしww
話は意拳に戻りますが、北京などで先生に付きっ切りで
站椿功とか見てもらう鍛錬とかしましたか?
意念とか細かい要諦を教授されながら行うと聞きましたが
恥ずかしながら意念部分は自分は全く学んでないのでそゆの
興味あります 祖父や父親から「地盤、看板、カバン」という「最強の既得権益」を受け継いだ自民党の2世,3世議員たちが、
「岩盤規制の突破」とか「既得権益の打破」などとどの口で言う。君たち自身が「生ける既得権益」そのものじゃねえか。
自民党が情実政治、縁故主義に走るのは、多くの国会議員が2世3世議員であり、自分自身が世襲という既得権益にどっぷりとひたり、その恩恵を受けてきたからだ。
この縁故主義こそが能力ある者の進出を妨げ、社会の停滞と閉塞感をもたらしてきた。森友・加計に露呈した安倍の腐敗は日本社会の腐敗そのもの
この腐敗の隠蔽のために、「日の丸」を掲げ「愛国者」を自称し、歴史の改竄にまい進する。
全国各地の経営者の二代目三代目や、自民党の若手活動家などで構成される日本青年会議所(JC)のツイッター・アカウント「宇予くん」の書き散らしたものを見れば、この腐り切った構造が目の当たりになる。
彼らは口を開けば「能力主義」を叫び、「自己責任」を強調する。しかし彼らに能力などはなく、親から引き継いだ事業と財産があるだけである。
また、彼らは責任など取ったことはなく、様々な不運と不幸あるいは政策的失敗ゆえに困窮状態にある者に対する公助を拒否するためにのみ自己責任を主張する。 安倍晋三が「謝罪の言葉」を口にするのを目にした戦時性暴力被害者は只の一人もいません。正しくは「安倍晋三がお詫びするって言ってたよ」と外務大臣が喋っただけです。よって当然それに納得しない被害者がいたというのが事実です。
その後安倍晋三はいけしゃあしゃあと「性奴隷といった事実はない」「軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述は見当たらなかった」などという発言を繰り返し、
直接の謝罪も手紙も「そんなつもりは毛頭ない」と言い放ちました。当然反発する被害者がいました。それが事実です。
「合意」したのに「平和の像」が設置されたのではなく、それは「合意」前に(というかとうの昔に)設置されていました。日本政府は「合意」交渉の中で難癖をつけてその撤去を要求していました。
なぜそれが「難癖(ウィーン条約違反)」かお分かりですよね。日本は条約にかすりもしない場所に設置されている「像」に関しても「合意」後もひたすら圧力をかけ、撤去させようとしてきました。今回の美術展はその流れの一環に過ぎません。
反発する被害者の存在に対して日本はどのような態度を取るべきだったでしょうか。加害国として「合意を受け入れない被害者は頑なだ」というスタンスは正義に適ったものと言えるでしょうか。
果たして国連は「合意」後も再三再四「被害者中心のアプローチを」と勧告し続けてきたのです。
現政府が鬼の首を取ったように振りかざす「合意は合意」論についても繰り返し述べてきましたが、改めて。日本は合意文書に一言も書いていないことを理由に「ストックホルム合意」を反故にしましたし、
平壌宣言の際の約束を無視したことを自分の手柄と言いふらして総理の座に就いたのが安倍晋三です。
最後に。これも何度も述べてきたことですが、「加害の記憶を後世に伝える」ことは安倍政権が踏襲するとした河野談話の重要な一部です。「平和の像」の展示は論理的に言って日本政府にとって望ましいものでしかありえず、
寧ろ自ら作るべきものである筈です。
まずは自分でした約束を守れという話ですね。 >>197
おっしゃる通りだと思います。
駆け引きや様子見しないで、とにかく秒殺狙うかダッシュで逃げないと、
相手は凶器手にしたり、仲間呼びに行ったりしますからね。
なんか「素手の喧嘩=実戦」みたいな人、武板には多いですけど。
その辺に得物にできるものがあるのに、
武道や格闘技使って素手でやろうとするのも馬鹿げてますよね。
まあ法律考えると過剰防衛にならないようにとかになるんでしょうけど、
逃げられずに殺されたり障害残されたりするリスクがあるなら、
そんなこと考えてられませんもんね。 安倍晋三が「謝罪の言葉」を口にするのを目にした戦時性暴力被害者は只の一人もいません。正しくは「安倍晋三がお詫びするって言ってたよ」と外務大臣が喋っただけです。よって当然それに納得しない被害者がいたというのが事実です。
その後安倍晋三はいけしゃあしゃあと「性奴隷といった事実はない」「軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述は見当たらなかった」などという発言を繰り返し、
直接の謝罪も手紙も「そんなつもりは毛頭ない」と言い放ちました。当然反発する被害者がいました。それが事実です。
「合意」したのに「平和の像」が設置されたのではなく、それは「合意」前に(というかとうの昔に)設置されていました。日本政府は「合意」交渉の中で難癖をつけてその撤去を要求していました。
なぜそれが「難癖(ウィーン条約違反)」かお分かりですよね。日本は条約にかすりもしない場所に設置されている「像」に関しても「合意」後もひたすら圧力をかけ、撤去させようとしてきました。今回の美術展はその流れの一環に過ぎません。
反発する被害者の存在に対して日本はどのような態度を取るべきだったでしょうか。加害国として「合意を受け入れない被害者は頑なだ」というスタンスは正義に適ったものと言えるでしょうか。
果たして国連は「合意」後も再三再四「被害者中心のアプローチを」と勧告し続けてきたのです。
現政府が鬼の首を取ったように振りかざす「合意は合意」論についても繰り返し述べてきましたが、改めて。日本は合意文書に一言も書いていないことを理由に「ストックホルム合意」を反故にしましたし、
平壌宣言の際の約束を無視したことを自分の手柄と言いふらして総理の座に就いたのが安倍晋三です。
最後に。これも何度も述べてきたことですが、「加害の記憶を後世に伝える」ことは安倍政権が踏襲するとした河野談話の重要な一部です。「平和の像」の展示は論理的に言って日本政府にとって望ましいものでしかありえず、
寧ろ自ら作るべきものである筈です。
まずは自分でした約束を守れという話ですね。 祖父や父親から「地盤、看板、カバン」という「最強の既得権益」を受け継いだ自民党の2世,3世議員たちが、
「岩盤規制の突破」とか「既得権益の打破」などとどの口で言う。君たち自身が「生ける既得権益」そのものじゃねえか。
自民党が情実政治、縁故主義に走るのは、多くの国会議員が2世3世議員であり、自分自身が世襲という既得権益にどっぷりとひたり、その恩恵を受けてきたからだ。
この縁故主義こそが能力ある者の進出を妨げ、社会の停滞と閉塞感をもたらしてきた。森友・加計に露呈した安倍の腐敗は日本社会の腐敗そのもの
この腐敗の隠蔽のために、「日の丸」を掲げ「愛国者」を自称し、歴史の改竄にまい進する。
全国各地の経営者の二代目三代目や、自民党の若手活動家などで構成される日本青年会議所(JC)のツイッター・アカウント「宇予くん」の書き散らしたものを見れば、この腐り切った構造が目の当たりになる。
彼らは口を開けば「能力主義」を叫び、「自己責任」を強調する。しかし彼らに能力などはなく、親から引き継いだ事業と財産があるだけである。
また、彼らは責任など取ったことはなく、様々な不運と不幸あるいは政策的失敗ゆえに困窮状態にある者に対する公助を拒否するためにのみ自己責任を主張する。 「反日」という言葉はとても便利です。この言葉を濫用する人は、敵味方で世界を単純化しがちなこと、
立場の異なる相手について考える想像力に欠けること、批判精神がなく事大主義に陥りやすいこと、つまり知的な誠実さをおよそ欠いていることが一目でわかるからです。
「反日」を濫用する人はしばしば、日本について批判をする人にその言葉を投げかけ、「日本人なら日本を好きなのは当然」などと言います。それが愚かなのは、
日本を心配してより良くしたいという苦言が存在することを想像できないということももちろんありますが、さらに根本的問題があると考えます。
それは、日本を「好き」「嫌い」という、ごく単純化した感情でしか、対象を捉えられていないということです。
「日本」という、空間的にも時間的にも複雑で多様な存在は、「好き」「嫌い」などという感情で簡単に把握できるような安直な対象ではありません。
「好き」「嫌い」で「日本」を語れ、それで「親日」「反日」に世界を分けられるという、あまりにも単純化した認識は、「日本」という対象をきわめて安直に扱い、その深みを考えていないことを意味します。
つまり、これほど「日本」を軽く扱ってバカにしたことはないのです。
ことに日本に生まれ育つという運命を負わされた人間にとって、「日本」という存在は圧倒的なもので、それをどう捉え向き合うのかは極めて大きな問題です。
巨大な存在に打ちのめされないよう自己を保つのは大変です。「好き」「嫌い」なんて言って済ませられるようなことじゃないんです。
捉えきれないほど巨大な存在である「日本」(他の国でも同じですが)を、「好き」「嫌い」と言える立場と思っていること自体が、むしろ自分を何様だと思っているのか、神様のつもりなのかと、私は不思議でなりません。
そのような言葉遣い自体が、「日本」を実は軽んじている証なのです。
だから、「反日」を濫用する人が大事に思っているのは実は「日本」ではないのです。他人に「反日」と投げつけることで自分たちがエライと思おうとしている、好きなのは自分だけなのです。
自分が好きなこと自体はむしろ大事ですから、どうか他の手段でそれを実現してほしいと思うばかりです。 >>197
身の回りのものを凶器として使うのは、
戸隠流なんかの方が巧みですね、徒手武道格闘技オンリーの人より。
自分は2段だか3段だか(忘れました)の人に2週間ぐらい習っただけでしたが。
それとYouTubeの黒帯でよく紹介されてる宮平先生とか。 >>205
>駆け引きや様子見しないで、とにかく秒殺狙うか
それで思い出しましたが 澤井先生は良く
『ワシは王先生の三番弟子だ』と仰ってたそうです
一番は当然宗勲先生で2番弟子がちょっと変な人で
常時機嫌の悪い獣みたいな雰囲気でマトモに会話も出来ず
自分の制空権に入ってきた人は(練習以外でも)自動的に
攻撃してくるので誰も近寄らなかったとか
二番弟子って事は澤井先生でも始末におけなかったのでしょう
修行が完成しすぎて偏差の極みに行っちゃったんでしょうねww >>209
武器は一個使い勝手の良いのを習得したいですね
蘇東成氏はブーメランチャリンコや消火器窒噴出窒息
火災報知器作動という
繁華街で有効な技を持ってるそうだし
自分が杖術て言ってるのもモップなら
建物内ならどこでも手に入りそうかなとw 祖父や父親から「地盤、看板、カバン」という「最強の既得権益」を受け継いだ自民党の2世,3世議員たちが、
「岩盤規制の突破」とか「既得権益の打破」などとどの口で言う。君たち自身が「生ける既得権益」そのものじゃねえか。
自民党が情実政治、縁故主義に走るのは、多くの国会議員が2世3世議員であり、自分自身が世襲という既得権益にどっぷりとひたり、その恩恵を受けてきたからだ。
この縁故主義こそが能力ある者の進出を妨げ、社会の停滞と閉塞感をもたらしてきた。森友・加計に露呈した安倍の腐敗は日本社会の腐敗そのもの
この腐敗の隠蔽のために、「日の丸」を掲げ「愛国者」を自称し、歴史の改竄にまい進する。
全国各地の経営者の二代目三代目や、自民党の若手活動家などで構成される日本青年会議所(JC)のツイッター・アカウント「宇予くん」の書き散らしたものを見れば、この腐り切った構造が目の当たりになる。
彼らは口を開けば「能力主義」を叫び、「自己責任」を強調する。しかし彼らに能力などはなく、親から引き継いだ事業と財産があるだけである。
また、彼らは責任など取ったことはなく、様々な不運と不幸あるいは政策的失敗ゆえに困窮状態にある者に対する公助を拒否するためにのみ自己責任を主張する。 祖父や父親から「地盤、看板、カバン」という「最強の既得権益」を受け継いだ自民党の2世,3世議員たちが、
「岩盤規制の突破」とか「既得権益の打破」などとどの口で言う。君たち自身が「生ける既得権益」そのものじゃねえか。
自民党が情実政治、縁故主義に走るのは、多くの国会議員が2世3世議員であり、自分自身が世襲という既得権益にどっぷりとひたり、その恩恵を受けてきたからだ。
この縁故主義こそが能力ある者の進出を妨げ、社会の停滞と閉塞感をもたらしてきた。森友・加計に露呈した安倍の腐敗は日本社会の腐敗そのもの
この腐敗の隠蔽のために、「日の丸」を掲げ「愛国者」を自称し、歴史の改竄にまい進する。
全国各地の経営者の二代目三代目や、自民党の若手活動家などで構成される日本青年会議所(JC)のツイッター・アカウント「宇予くん」の書き散らしたものを見れば、この腐り切った構造が目の当たりになる。
彼らは口を開けば「能力主義」を叫び、「自己責任」を強調する。しかし彼らに能力などはなく、親から引き継いだ事業と財産があるだけである。
また、彼らは責任など取ったことはなく、様々な不運と不幸あるいは政策的失敗ゆえに困窮状態にある者に対する公助を拒否するためにのみ自己責任を主張する。 パソナへの委託は、厚労省の学校休校関係給付も同じ。公務員は削られて通常業務でギリギリの人員しかいないので、新制度の膨大な事務処理をするには外注か非常勤雇用かになる。
問題は、公務員の少なさとともに、委託先で起こる中抜き・労働者の搾取を規制できず、税金がそれを助長してしまうこと。
公務員が少ないのは自然現象ではない。国や自治体が人手不足でキャパオーバーになるよう、パソナの会長とかが頑張って(「公務員は既得権!非効率!」とか叫んで)削らせてきた「成果」。
今みたいに公務員数と業務量・予算のギャップが最大化すると書き入れ時になる。新自由主義と呼ばれるやつですね
なので問題は何層も重なっている。電通ロンダリングらしき幽霊法人に巨額発注をした公契約としての問題、そもそも受注できるノウハウとキャパを持った民間法人はパソナその他に限られるかもという問題、
国の業務に従事する多重委託先の民間労働者の処遇確保と個人情報管理を担保できるのかという問題… >>202
「剣は宗勲先生より澤井先生の方が上だった」は聞いたことないですね。
もしそうだったとしても、面子を重んじる中国人武術家なら絶対言わないと思いますw
はい、個人指導、少人数指導でかなり詳しく習います。
自分もタントウで覚醒したのは、姚先生のマンツーマン指導の最中ですね。
意念教えただけではなく、大きく模勁して見せたり、ご自身の身体を触らせてくれて。
まあ、それでも「とりあえずスタート地点に立てて良かったね」ぐらいでしたが。泣
ただ、私自身はセンスが無いほうだからというのもあると思いますが、
姚先生に習うこと意外にも自分で他から情報を得て実践していないと難しいと思います。
前にも書いたかと思いますが、
子供の頃から便利な生活をしてきた日本人である私と
文革期の中国で農村に下放されて青春を過ごした姚先生とでは、
スタート時点での身体の使い方、身体意識そのものが大きく違いますので、
姚先生もご自身にとって常識であることはいちいち教授しないです。
例えば、「腰を入れる」とか「肩を落とす」とかは、
いちいち細かくは説明しなかったですね。
架式を矯正したり、リラックスしろ、
それはリラックスし過ぎだとかはかなり細かく言われましたが。 >>202
現代中国人と現代日本人でも、
身体の使い方、身体意識は違いますよね。
同じこと習っても、中国人は上達速かったですよ。
日本人とは身体の使い方が違うので。
武術とは関係なく、北京の学生街を歩いてる若者達を見ていると、
立ち方や歩き方で、日本人か中国人がすぐにに分かりますしw 「反日」という言葉はとても便利です。この言葉を濫用する人は、敵味方で世界を単純化しがちなこと、
立場の異なる相手について考える想像力に欠けること、批判精神がなく事大主義に陥りやすいこと、つまり知的な誠実さをおよそ欠いていることが一目でわかるからです。
「反日」を濫用する人はしばしば、日本について批判をする人にその言葉を投げかけ、「日本人なら日本を好きなのは当然」などと言います。それが愚かなのは、
日本を心配してより良くしたいという苦言が存在することを想像できないということももちろんありますが、さらに根本的問題があると考えます。
それは、日本を「好き」「嫌い」という、ごく単純化した感情でしか、対象を捉えられていないということです。
「日本」という、空間的にも時間的にも複雑で多様な存在は、「好き」「嫌い」などという感情で簡単に把握できるような安直な対象ではありません。
「好き」「嫌い」で「日本」を語れ、それで「親日」「反日」に世界を分けられるという、あまりにも単純化した認識は、「日本」という対象をきわめて安直に扱い、その深みを考えていないことを意味します。
つまり、これほど「日本」を軽く扱ってバカにしたことはないのです。
ことに日本に生まれ育つという運命を負わされた人間にとって、「日本」という存在は圧倒的なもので、それをどう捉え向き合うのかは極めて大きな問題です。
巨大な存在に打ちのめされないよう自己を保つのは大変です。「好き」「嫌い」なんて言って済ませられるようなことじゃないんです。
捉えきれないほど巨大な存在である「日本」(他の国でも同じですが)を、「好き」「嫌い」と言える立場と思っていること自体が、むしろ自分を何様だと思っているのか、神様のつもりなのかと、私は不思議でなりません。
そのような言葉遣い自体が、「日本」を実は軽んじている証なのです。
だから、「反日」を濫用する人が大事に思っているのは実は「日本」ではないのです。他人に「反日」と投げつけることで自分たちがエライと思おうとしている、好きなのは自分だけなのです。
自分が好きなこと自体はむしろ大事ですから、どうか他の手段でそれを実現してほしいと思うばかりです。 安倍晋三が「謝罪の言葉」を口にするのを目にした戦時性暴力被害者は只の一人もいません。正しくは「安倍晋三がお詫びするって言ってたよ」と外務大臣が喋っただけです。よって当然それに納得しない被害者がいたというのが事実です。
その後安倍晋三はいけしゃあしゃあと「性奴隷といった事実はない」「軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述は見当たらなかった」などという発言を繰り返し、
直接の謝罪も手紙も「そんなつもりは毛頭ない」と言い放ちました。当然反発する被害者がいました。それが事実です。
「合意」したのに「平和の像」が設置されたのではなく、それは「合意」前に(というかとうの昔に)設置されていました。日本政府は「合意」交渉の中で難癖をつけてその撤去を要求していました。
なぜそれが「難癖(ウィーン条約違反)」かお分かりですよね。日本は条約にかすりもしない場所に設置されている「像」に関しても「合意」後もひたすら圧力をかけ、撤去させようとしてきました。今回の美術展はその流れの一環に過ぎません。
反発する被害者の存在に対して日本はどのような態度を取るべきだったでしょうか。加害国として「合意を受け入れない被害者は頑なだ」というスタンスは正義に適ったものと言えるでしょうか。
果たして国連は「合意」後も再三再四「被害者中心のアプローチを」と勧告し続けてきたのです。
現政府が鬼の首を取ったように振りかざす「合意は合意」論についても繰り返し述べてきましたが、改めて。日本は合意文書に一言も書いていないことを理由に「ストックホルム合意」を反故にしましたし、
平壌宣言の際の約束を無視したことを自分の手柄と言いふらして総理の座に就いたのが安倍晋三です。
最後に。これも何度も述べてきたことですが、「加害の記憶を後世に伝える」ことは安倍政権が踏襲するとした河野談話の重要な一部です。「平和の像」の展示は論理的に言って日本政府にとって望ましいものでしかありえず、
寧ろ自ら作るべきものである筈です。
まずは自分でした約束を守れという話ですね。 >>210
澤井先生が3番弟子だったという話は聞いたことがないですね。
太気拳の方々と対立する気はないので、とやかく言うつもりはないですが。
その時期に王先生のところにいた
二代目の中では3番目に強かったとかはあるかもしれませんが。
意拳二代目の先生方には何人かお会いしたことがあります。
T先生の本に出ていた方々です。
李見宇先生には、
名刺を頂いて「時間がある時に遊びに来なさい」と誘って頂いたんですが、
そこは姚先生に遠慮して行きませんでした。
李先生ももう亡くなられてしまい、
訪ねなかったことを本当に後悔しています。。。 >>211
自分は、エスクリマに興味がありますね。
確かに大槍は持ち歩けないですもんね。笑
自転車は、
学生時代に知り合いだった喧嘩好きのキチガイが使ってました。汗
サッカーやってる奴でしたが、
格闘技武道経験者も凶器攻撃で不意打ちしてやっちゃってたみたいですw
やはり、刃物、ビール瓶(海外では)、
棍棒系に対抗できるような凶器は使い方覚えたいですよね。
北京の公園で鞭術?の訓練してる団体を見かけましたが、
ベルトとかも使えるんですかね?
刃物相手だとなんか頼りない気がしますが。。。
私が習った戸隠流の方はボールペンを好んで練習してましたが。 >>215
まあ確かに中国文化を知らないと
本当の意味で中国武術修行は難しいですね
自分は太氣の修行始めてから洗顔は手でなく
顔を動かしてこなしてます(中国人式)
食事も本場でそこで作られた中華を食べてると
武術修行中もなぜか疲れが少ないと聞きます
>>219
まあ澤井先生もフカシもあるかもですし
その辺は本人がそう言ってたってだけで僕も
どうでも良いって感じです
(実際は王向斉の弟子でなく姚先生に手取り足取り習った
ハズだとかつまらないツッコミ入れてくる人も実際居たりで
そゆのもどうでもいいし)
会いたい人にはすぐ会うべきですね昨今のコロナ騒ぎで
余計にそう思うし 故佐藤聖二先生にも私も会ってみたかったです。
>>220
エクリスマも良いですね ナイフ術はいざという時
自分に刺す覚悟は無い気がするので短棒が手頃かと
思ってます。
鞭術に関してはつい50年前の武術家たちにも
ベルトのように腰に9節鞭を巻いてるやつも居たそうですし
現在でも武器として使える改造ベルトなんかもあったりで
目などを狙えば馬鹿にならないかと
手に巻き付けて手甲にしてナイフ防いだりも
マス大山は日本刀相手には背広をギンギンに前腕に巻き付けて
盾代わりにせよと教え
真樹久佐夫氏はそんなん役に立つかって思ってたけど
いざその状況になった時に これイケると確信したと
供述してましたね >>202
マンツーマン指導や少人数指導ですが、
頭から指先、爪先までかなり細かくチェックされます。
そこに意が通ってない、そこが動いてないとか。
意を通そうとすると力んで「リラックスしろ(ニュアンス的には正確じゃないですが)」、
それで力を抜きすぎると「意が通ってない」の繰り返しでしたねw
それと姚先生は質問はガンガン受けつけてくれます。
いつも「質問はないか?」
「質問が有ればいつでも言いなさい」とおっしゃってましたね。
だから「教えない」とか「ぼったくる」とか
言う人がいるのはあり得ないと思います。
まあ、DVD買えとか館服買えとかは言ってきますが、
別に買わなくても良いですし。
自分は館服はダサいんで買いませんでしたが、
先生やご家族にプレゼントをしたり、食事に誘ったりは普通にしてましたし、
グローブとかボディープロテクターとかDVD、本なんかは書いましたね。
先生も武館で生計を立てていらっしゃいますし、
あちらでは無理しない程度に師に礼を尽くすのは当然かと思います。
他にも色々とお話したいことも有りますが(ここで話せる範囲で)、
明日も有りますし、また時間がありましたら出没しますね。 >>222
色々貴重な体験と情報をありがとうございました!!
暇な時又来ますので
また良い会話ができるのを楽しみにしております、
おやすみなさい。 パソナへの委託は、厚労省の学校休校関係給付も同じ。公務員は削られて通常業務でギリギリの人員しかいないので、新制度の膨大な事務処理をするには外注か非常勤雇用かになる。
問題は、公務員の少なさとともに、委託先で起こる中抜き・労働者の搾取を規制できず、税金がそれを助長してしまうこと。
公務員が少ないのは自然現象ではない。国や自治体が人手不足でキャパオーバーになるよう、パソナの会長とかが頑張って(「公務員は既得権!非効率!」とか叫んで)削らせてきた「成果」。
今みたいに公務員数と業務量・予算のギャップが最大化すると書き入れ時になる。新自由主義と呼ばれるやつですね
なので問題は何層も重なっている。電通ロンダリングらしき幽霊法人に巨額発注をした公契約としての問題、そもそも受注できるノウハウとキャパを持った民間法人はパソナその他に限られるかもという問題、
国の業務に従事する多重委託先の民間労働者の処遇確保と個人情報管理を担保できるのかという問題… 安倍晋三が「謝罪の言葉」を口にするのを目にした戦時性暴力被害者は只の一人もいません。正しくは「安倍晋三がお詫びするって言ってたよ」と外務大臣が喋っただけです。よって当然それに納得しない被害者がいたというのが事実です。
その後安倍晋三はいけしゃあしゃあと「性奴隷といった事実はない」「軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述は見当たらなかった」などという発言を繰り返し、
直接の謝罪も手紙も「そんなつもりは毛頭ない」と言い放ちました。当然反発する被害者がいました。それが事実です。
「合意」したのに「平和の像」が設置されたのではなく、それは「合意」前に(というかとうの昔に)設置されていました。日本政府は「合意」交渉の中で難癖をつけてその撤去を要求していました。
なぜそれが「難癖(ウィーン条約違反)」かお分かりですよね。日本は条約にかすりもしない場所に設置されている「像」に関しても「合意」後もひたすら圧力をかけ、撤去させようとしてきました。今回の美術展はその流れの一環に過ぎません。
反発する被害者の存在に対して日本はどのような態度を取るべきだったでしょうか。加害国として「合意を受け入れない被害者は頑なだ」というスタンスは正義に適ったものと言えるでしょうか。
果たして国連は「合意」後も再三再四「被害者中心のアプローチを」と勧告し続けてきたのです。
現政府が鬼の首を取ったように振りかざす「合意は合意」論についても繰り返し述べてきましたが、改めて。日本は合意文書に一言も書いていないことを理由に「ストックホルム合意」を反故にしましたし、
平壌宣言の際の約束を無視したことを自分の手柄と言いふらして総理の座に就いたのが安倍晋三です。
最後に。これも何度も述べてきたことですが、「加害の記憶を後世に伝える」ことは安倍政権が踏襲するとした河野談話の重要な一部です。「平和の像」の展示は論理的に言って日本政府にとって望ましいものでしかありえず、
寧ろ自ら作るべきものである筈です。
まずは自分でした約束を守れという話ですね。 ドイツのメルケル首相のスピーチには、暮らしの中で懸命に生きる市井の庶民に対する共感のまなざしがある。政治リーダーと、生活現場の庶民との物理的距離があり、置かれている立場も違う。
それでも、アテンナをのばして情報の断片からもリアルを読み取ろうとする。想像力が離れている心と心をつなぐ。
日本の政治リーダーは、長らくの間、二世・三世の時代が続いている。世襲だからといって、頭ごなしに否定するつもりはない。
けれども、親や祖父が国会議員で自分もまたという環境の人々が群れて集団をなし、舵取りをしようとすると、社会を構成する一日に細やかな想像力を働かす感覚が弱くなる。
政治家は謙虚でなければならない。自らの権力を相対化し、自分が知らない現場の話をしっかりと「聞く力」が必要だ。ひとつを聞いて、背景を描く想像力が、政策決定の優劣を決める。
制度設計をする官僚もしかりだ。日本社会は、90年代より政治も、官僚も明らかに劣化し、退化している。想像力の欠如だ。 3000億円「Go To 利権」にちらつくパソナと竹中平蔵氏
決定的に怪しいのは公募期間の短さだ。
説明会が6月1日、締め切りが6月8日。たった1週間で1兆5000億円規模の事業計画を作成できるのか。仕様書を事前に知り得る立場にある事業者でなければ対応不可能だろう。
あらゆる利権に必ず顔を出してくるのが、逆にすごいよね😫
持続化給付金、
空港民営化、
東京五輪、
移民法、
水道民営化、
かんぽの宿、
改正森林組合法、etc… だいたいテレビに本人を連日出演させて、「吉村さんすごい」「しっかりやってくれてる」と芸人たちに持ち上げさせたり、
もろに関係者の橋下氏に「彼こそ次世代のリーダー」みたいなことを大いに語らせてる時点で、マスメディアの好きな「客観」や「中立」を踏み外してるわけでさ。
「バランス」や「公正中立」を本当に大事にするなら、「…と、称賛の一方で、こんな指摘も」って、上記のようにネガティブな情報も報じるべきだよな。
現職首長の経歴や人物像や考え方を、正しい情報に基づいて報じるのは、「有権者の選択の否定」なんかじゃなく、十二分に公益性のあることですよ。 気分が悪くなってすぐ見るのをやめたけど、竹中平蔵がマイナンバー全てを紐付ければ全てうまくいくようなことを言ってた。この人がそう言うのなら紐付けは絶対にさせてはならないという結論になるな。 アベちゃんが言う「第3次大戦」で、戦略物資であるマスクさえも手配しきれないのだから、いざ戦争になったら燃料や食糧も調達しきれないことは簡単に予想出来るよね。
やはりアベちゃんらに歯止めをかけるためにも、改憲してはいかんのだよ。
( ˘ω˘ ) 日本で公園を常態練習場にしても何十年と使えないでしょうね。
中国のように野外練習の文化風習がないので。
雨が降れば練習出来なくて屋根があるような
公園しかない。
他は大きい橋の下くらいしか野外では日本は練習場所がない。
また橋の下は足場が悪い場所が多い。
あま野さんとこは公園に集まって酒持ち寄って
稽古後にみんなで酒飲んでたが、まだああいう方向で外で練習してんのかね。 安倍晋三が「謝罪の言葉」を口にするのを目にした戦時性暴力被害者は只の一人もいません。正しくは「安倍晋三がお詫びするって言ってたよ」と外務大臣が喋っただけです。よって当然それに納得しない被害者がいたというのが事実です。
その後安倍晋三はいけしゃあしゃあと「性奴隷といった事実はない」「軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述は見当たらなかった」などという発言を繰り返し、
直接の謝罪も手紙も「そんなつもりは毛頭ない」と言い放ちました。当然反発する被害者がいました。それが事実です。
「合意」したのに「平和の像」が設置されたのではなく、それは「合意」前に(というかとうの昔に)設置されていました。日本政府は「合意」交渉の中で難癖をつけてその撤去を要求していました。
なぜそれが「難癖(ウィーン条約違反)」かお分かりですよね。日本は条約にかすりもしない場所に設置されている「像」に関しても「合意」後もひたすら圧力をかけ、撤去させようとしてきました。今回の美術展はその流れの一環に過ぎません。
反発する被害者の存在に対して日本はどのような態度を取るべきだったでしょうか。加害国として「合意を受け入れない被害者は頑なだ」というスタンスは正義に適ったものと言えるでしょうか。
果たして国連は「合意」後も再三再四「被害者中心のアプローチを」と勧告し続けてきたのです。
現政府が鬼の首を取ったように振りかざす「合意は合意」論についても繰り返し述べてきましたが、改めて。日本は合意文書に一言も書いていないことを理由に「ストックホルム合意」を反故にしましたし、
平壌宣言の際の約束を無視したことを自分の手柄と言いふらして総理の座に就いたのが安倍晋三です。
最後に。これも何度も述べてきたことですが、「加害の記憶を後世に伝える」ことは安倍政権が踏襲するとした河野談話の重要な一部です。「平和の像」の展示は論理的に言って日本政府にとって望ましいものでしかありえず、
寧ろ自ら作るべきものである筈です。
まずは自分でした約束を守れという話ですね。 中国人と日本人は股関節の使い方、歩き方、
脚の動かし方が違うので本当に中国武術を
根本から理解するのは無理だと言われています。 安倍晋三が「謝罪の言葉」を口にするのを目にした戦時性暴力被害者は只の一人もいません。正しくは「安倍晋三がお詫びするって言ってたよ」と外務大臣が喋っただけです。よって当然それに納得しない被害者がいたというのが事実です。
その後安倍晋三はいけしゃあしゃあと「性奴隷といった事実はない」「軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述は見当たらなかった」などという発言を繰り返し、
直接の謝罪も手紙も「そんなつもりは毛頭ない」と言い放ちました。当然反発する被害者がいました。それが事実です。
「合意」したのに「平和の像」が設置されたのではなく、それは「合意」前に(というかとうの昔に)設置されていました。日本政府は「合意」交渉の中で難癖をつけてその撤去を要求していました。
なぜそれが「難癖(ウィーン条約違反)」かお分かりですよね。日本は条約にかすりもしない場所に設置されている「像」に関しても「合意」後もひたすら圧力をかけ、撤去させようとしてきました。今回の美術展はその流れの一環に過ぎません。
反発する被害者の存在に対して日本はどのような態度を取るべきだったでしょうか。加害国として「合意を受け入れない被害者は頑なだ」というスタンスは正義に適ったものと言えるでしょうか。
果たして国連は「合意」後も再三再四「被害者中心のアプローチを」と勧告し続けてきたのです。
現政府が鬼の首を取ったように振りかざす「合意は合意」論についても繰り返し述べてきましたが、改めて。日本は合意文書に一言も書いていないことを理由に「ストックホルム合意」を反故にしましたし、
平壌宣言の際の約束を無視したことを自分の手柄と言いふらして総理の座に就いたのが安倍晋三です。
最後に。これも何度も述べてきたことですが、「加害の記憶を後世に伝える」ことは安倍政権が踏襲するとした河野談話の重要な一部です。「平和の像」の展示は論理的に言って日本政府にとって望ましいものでしかありえず、
寧ろ自ら作るべきものである筈です。
まずは自分でした約束を守れという話ですね。 穀蔵院一刀流と太気至誠拳法では、どちらがより強いと言えますか? 「和平の使者 これで相勤まりましょうや」
#花の慶次 #戦国 #前田慶次 #徳川家康 #上杉景勝 #直江兼続 #和平 #使者 >>231
中国でももうかなり前から室内練習多めに切り替えてるぞ。
今の中国の若い奴等は夏の炎天下や冬の極寒の公園で練習したがらない。
崔瑞彬先生の武館
https://youtu.be/u54ozJmmnNs まあアッシも夏は暑いし外は蚊が多いので家でクーラー効かせて立禅やったりだしww 私【今度、太極拳の教室を開きたいんですが・・・】
太気の先生【100年早ぇえ!】
私(このままでは一生、飼い殺しにされる・・・)
とりあえず専門学校合格を期に足掛け三年間(実質一年半)学んだ太気拳を卒業した私は元の太極拳家に戻ろうとしていた。
しかしたまに入門者のふりをして見学に来るのはよその太極拳のスパイばかり・・・。
そんな、ある日珍しく入門しそうな若い男がやってきた。
面接でうちの雷声は新体道系と米極真系と柔道系のチャンポンだから〜とか
説明してもフムフムと素直に聞いてくれる。
(ある程度どこかで私の噂を聞いてから来たようだった)
最後に、【じゃあ来週からこの公園で練習するから。】と言うと冬だったので【外は寒いですよ〜〜】とのたまった。
その瞬間、私の脳裏には新体道杖術の合宿で寒さに負けて勝手に軍手をはめて顰蹙を買ってたやつの姿や
竹田師範のもとで冬の石神井公園で凍えるような寒さの中を修行に励んだ日々が走馬灯のように流れて行った。
私の中で何かが弾けた。
【外は寒いですよ〜】
【寒いよ。
ヒ
サ
ン
だ
よ〜〜〜〜】
【・・・・・】
サディスティックに脅かしながら、ニコッと切り返して
【まぁ!よく考えてから来てよ!】とポン!と肩を叩いたら彼は二度と来なくなってしまった。
こんなクソガキのために教えるために鼻水たらしながら寒さに耐えてきたんじゃない!
私の心には一片の悔いもなかった。 「日本人でよかった」という言葉は、自分が日本生まれの日本人であること以外に誇れる要素、自信を持てる要素が見当たらない人には、魅力的に響く。
孤立や孤独から解放され、立派な集団の一員だという「絆」意識が生まれる。これだけを切り取れば、一見問題がない。「これの何が悪いのか」と居直れる。
国家や民族への帰属意識を過剰に抱くことの危険性は、歴史を段階的な「流れ」と捉える思考習慣がなければ理解できない。
戦後のドイツは、単に「ホロコーストをした」「戦争をした」という結果だけでなく、そこに至るまでの段階的な「流れ」を反省の材料としてきたが、日本はそうした作業を怠ってきた。
「戦争をした」こと、軍国主義が支配したこと、滅私奉公型の「愛国心」が国を暴走させたこと等の「結果」は反省したが、そこに至るまでの段階的な「流れ」、
1930年代の日本国民の思考形態の段階的変化についての批判的な検証を徹底的にしなかった。それでまた同様の思考形態の段階的変化が起きている。 屋内屋外の団体も通ってもいずれ行かなくなります。
遠い外国の武術団体に何十年は通えない。
太気の人たちも大陸通いは止めました。
みんな行かなくなります。 まあもう大陸から学ぶ事もそんなにないって事じゃ無いかなあ
あとは求める部分(年を重ねても衰えない澤井先生のような動きと 姚兄弟の現実の動き
との齟齬)の違いなんかもありそうだし
個人的には太氣単体では不備も多い気がするので他武術・格闘技と交流したり
ジークンドーみたいに色々学べるカリキュラムにしたり 太氣をキーワードに
色んな格闘技武術経験者が集まって研鑽しあえる場に再編成してもいいと思う
まあ今の時代は団体の垣根も低くなり
個人単位で積極的に学び合える状況になってきたから そゆ部分を活用すべきかと >>247
大気でも中国語が出来る方々はちらほら行ってますよ。
太気拳は中国語できる人ってそんなにいませんから、それもありますよ。
中国語ができない大気の方と向こうで一緒になると、
通訳してくれと言われましたが、言葉もできず、通訳もつけず、よく来るなとw
動画観る限りでは、北京に行ったことがある先生方でも
意拳を取り入れたご自身のスタイルでやっていますが、
これ以上意拳を取り入れても噛み合わないというのもあるのでは? まあ太氣拳が古い意拳(大成拳)の動きやニュアンスを残してて
北京(姚氏)意拳が色々改革しちゃった部分もあるし
日本人であり日本で広める前提の太氣とはかみ合わない部分も出てきちゃうでしょうね
意拳自体世界各国で変化してるし むしろこっから先は日本で独自発展させた方がいいのかも
本来の中国武術ってそうゆうものだし それ日本はロシアやフランス、ドイツ等と違って、
「意拳」ではなく「太気拳」ですよね?
日本での意拳の普及という意味では、
意拳の先生方には何のメリットも無いですよ、よく考えれば。
この観点は日本では聞いたことがないですね。
ですので、北京の先生方が太気拳の方々に
誰にでも何でも教えたと考える方が不自然です。
更に中国語でコミニュケーションが取れる先生もそんなにおらず、
中国語ができる方の通訳無しでは学べないわけですし。 >>250
>それ日本はロシアやフランス、ドイツ等と違って、
「意拳」ではなく「太気拳」ですよね?
ちょっとこの辺りの細かい事情というか意味が良く分からないのですが
>日本での意拳の普及という意味では、
意拳の先生方には何のメリットも無いですよ、
その辺は商売的に儲け薄いというか
孫立先生の独占販売的な形が完成しちゃってるって
意味ですか? まあ太気拳の方々も
少なくない学費を払っただろうという言い分もあるとは思いますが、
澤井先生と宗勲先生が仲の良い兄弟弟子だったと言うことで、
意拳の先生方は太気拳の方々に色々教えたのに、
太気の方が「もう学ぶものがなくなったから行かないんだ」は義に反する発言だと思います。 >>251
ヨーロッパでは、
姚兄弟先生や崔先生に習った方々は、
習ったスタイルを変えずに意拳を名乗って活動しています。
もちろん全く変えていないというわけではないですが。
孫立さんは、
宗勲先生ともそのお弟子さん達とも何の関係もありませんよ。 >>252
なるほど その辺がちょっと癇に障ったのなら
申し訳ないです
>>253
>ヨーロッパでは、
姚兄弟先生や崔先生に習った方々は、
習ったスタイルを変えずに意拳を名乗って活動
なるほど 私が言いたかったのは
太氣拳の先生方が北京に行ったとき姚兄弟や
そのお弟子さん筋の動きに澤井先生のニュアンスを
感じなかったそうですが 姚兄弟より古いおじいちゃんたちの
世代(王先生や先代姚先生の頃の人達)の動きが
澤井先生にそっくりだったと仰ってるんですよね
複数人の太氣の先生が言ってる事だから多分そうなのでしょう
なので 太氣には姚兄弟以前のニュアンスが残ってるとも
言えなくもないし
そこを残すもよし、今の時代に合わせて姚兄弟のように変えても良いのでは?
と思ってる次第です。
でもその辺は古式中国武術をやり込んだ先代姚先生や
王先生たちと ボクシングベースの姚兄弟の違いなだけかもですね >>247
私も思うところはありますし、
知っていることもありますが、
太気拳の先生方の名誉を傷つけたり、
他流間や団体間の批判のしあいに発展しないように、
ここではかなり謹んで発言しているつもりです。 >>254
そのような書き方でしたら分かります。
お気遣いありがとうございます。 それとボクシングも研究して今のスタイルにしたのは、
姚兄弟先生ではなく、姚宗勲先生です。
ですから、姚先生達の兄弟弟子の崔先生もあのスタイルです。
崔先生は更に打ち方が独特ですが。 >>258
姚宗勲先生がボクシング取り込まれたのですか
(まあ王先生もムエタイは侮れないと発言されたとかで)
言われてみたら王先生の時代は武術家同士が戦うのも
あるけど仮想敵が外国からの侵略もあっての
ボクシングやレスリング等の格闘技な部分もありましたものね
崔先生は余り存じてませんが先代姚宗勲先生が通背が巧みだったと
聞き及んでるので フリッカージャブ的な変化に
巧みなのでしょうか? ヨウソウクンは弾腿の名手、他の王に弟子入りした人たちは形意、八卦、しゅわいじゃお等の名手なので素人から入門していない。
当然基礎はあるから圧腿、少林の基礎などもやらなかった。
意拳に素人から入門しても圧腿、基本架式の練習はない。
意拳は他の拳術をかなりやりこんだ人向けの門派ですね。
太気拳も同じになります。
千葉のフルコン団体で稽古した人たちが沢井先生に入門して、ばかすか組手やって強かっただけです。
厳密には中国武術の長年練り上げた功力で強かったとは言いがたいですね。 安倍晋三が「謝罪の言葉」を口にするのを目にした戦時性暴力被害者は只の一人もいません。正しくは「安倍晋三がお詫びするって言ってたよ」と外務大臣が喋っただけです。よって当然それに納得しない被害者がいたというのが事実です。
その後安倍晋三はいけしゃあしゃあと「性奴隷といった事実はない」「軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述は見当たらなかった」などという発言を繰り返し、
直接の謝罪も手紙も「そんなつもりは毛頭ない」と言い放ちました。当然反発する被害者がいました。それが事実です。
「合意」したのに「平和の像」が設置されたのではなく、それは「合意」前に(というかとうの昔に)設置されていました。日本政府は「合意」交渉の中で難癖をつけてその撤去を要求していました。
なぜそれが「難癖(ウィーン条約違反)」かお分かりですよね。日本は条約にかすりもしない場所に設置されている「像」に関しても「合意」後もひたすら圧力をかけ、撤去させようとしてきました。今回の美術展はその流れの一環に過ぎません。
反発する被害者の存在に対して日本はどのような態度を取るべきだったでしょうか。加害国として「合意を受け入れない被害者は頑なだ」というスタンスは正義に適ったものと言えるでしょうか。
果たして国連は「合意」後も再三再四「被害者中心のアプローチを」と勧告し続けてきたのです。
現政府が鬼の首を取ったように振りかざす「合意は合意」論についても繰り返し述べてきましたが、改めて。日本は合意文書に一言も書いていないことを理由に「ストックホルム合意」を反故にしましたし、
平壌宣言の際の約束を無視したことを自分の手柄と言いふらして総理の座に就いたのが安倍晋三です。
最後に。これも何度も述べてきたことですが、「加害の記憶を後世に伝える」ことは安倍政権が踏襲するとした河野談話の重要な一部です。「平和の像」の展示は論理的に言って日本政府にとって望ましいものでしかありえず、
寧ろ自ら作るべきものである筈です。
まずは自分でした約束を守れという話ですね。 他には佐藤宗家という方が練習で気が体内に溜まるのはわかるが、発するのは別問題となると発表しているので、発することが出来ないで稽古した空手でやっている人は多いと思われます。
習った全員が気、勁、力を発せないでしょう。
型で腕だけ柔らかく動かしているだけなど。
気と勁を発する方法がなければ才能任せになってバカンバカン殴って強いになりかねない。
ヨーロッパの外人のほうが突き蹴りが強いこともあり得る。
あちらの外人の攻撃がまったく当たらない、
威力が外人より強いなどの優点がなければ、立たせてゆっくり動いたりして
これは強くなる方法なのだで終わりになります。
あまり言いたくはないですが。 太気の中高一本拳、北派の龍頭拳に似たのは元の意拳にはないので空手からです。
意拳には手形の細かい使い分けは無い。
王向斎が伝統の技法を否定したこともあって、
穴所攻撃は必要無く打拳で倒せばよいと
いう結論になっている。
立つだけ意拳で用法は形意八卦でございます、
形意と八卦も練習しましょうという派閥もある。
王樹金は内家拳用法を使わないで交手のときは意拳の使い方だったので、王は世間に広まっている話のように太極形意八卦の名手ではなくて意拳の名手ですね。
目の前で王の交手を見ていた人に聞きましたが、王の技は意拳だったそうです。 祖父や父親から「地盤、看板、カバン」という「最強の既得権益」を受け継いだ自民党の2世,3世議員たちが、
「岩盤規制の突破」とか「既得権益の打破」などとどの口で言う。君たち自身が「生ける既得権益」そのものじゃねえか。
自民党が情実政治、縁故主義に走るのは、多くの国会議員が2世3世議員であり、自分自身が世襲という既得権益にどっぷりとひたり、その恩恵を受けてきたからだ。
この縁故主義こそが能力ある者の進出を妨げ、社会の停滞と閉塞感をもたらしてきた。森友・加計に露呈した安倍の腐敗は日本社会の腐敗そのもの
この腐敗の隠蔽のために、「日の丸」を掲げ「愛国者」を自称し、歴史の改竄にまい進する。
全国各地の経営者の二代目三代目や、自民党の若手活動家などで構成される日本青年会議所(JC)のツイッター・アカウント「宇予くん」の書き散らしたものを見れば、この腐り切った構造が目の当たりになる。
彼らは口を開けば「能力主義」を叫び、「自己責任」を強調する。しかし彼らに能力などはなく、親から引き継いだ事業と財産があるだけである。
また、彼らは責任など取ったことはなく、様々な不運と不幸あるいは政策的失敗ゆえに困窮状態にある者に対する公助を拒否するためにのみ自己責任を主張する。 王樹金の技は意拳か?
ビデオを見ると松田隆智とそっくりな太極拳用法もあり
空手と他流試合をする時は八卦掌だったり
家の柱に発勁して家をゆるがせる時は形意拳だったりするが意拳には背中で発力する技はあるが腹で発勁する技はない。
強いて言うなら王樹金の大成気功は王郷斉の天津時代の功法が多く北京時代には失伝したやりかたが多い。 ネトウヨ7不思議
無知蒙昧なのに上から目線
下級国民なのに上級国民目線
下っ端庶民なのに支配者目線
貧乏なのに富裕層目線
被使用者の方なのに経営者目線
日本人なのに国益は米国目線
ど素人なのに軍事を語るときは参謀目線
なんか一貫して自己の属してない方から目線というか、謎の上から目線よね。 王のエピソードは雑誌書籍からで、ああいう太極拳使ったなどとは違います。
今の意拳技法は王が対人試合で使っていたので、形意で日本武道家を倒した等とは実際は違いますね。 【研究】IQが低い子どもは、大人になるとネトウヨになって人種差別やヘイトスピーチへ向かう
daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1442724728/
■IQの低い子どもは、偏見を持つ大人になる可能性が高い
いうまでもなく人種差別だけではなく宗教、性的指向、性別、
思想、障害、職業などにあらゆる差別的な発言や行動はどの国でもあることで、
それぞれの国の事情は大きく違うため、"国際標準"を語ることは不可能に近い。
しかし、こうした行動に対する「不快感」はこれまたどの国にも存在する。
そうした感情と深く関わる研究もある。
オンタリオのブロック大学の心理学者であるGordon Hodsonを研究リーダーとするチームの研究によると、
知能(IQ)の低い子供は、偏見を持つ大人になる可能性が高いことがわかった。
また、知能の低い大人は、社会的に保守的な価値観に引き寄せられる傾向があり、
そのような価値観は、今度はヒエラルキーストレスや変化への抵抗心を生み、偏見を持つ一因となるという。
Hodsonは 2012年1月26日『Live Science』に寄稿し、
「偏見とは極めて複雑で、多面的なものです。だから先入観をもたらすのが何なのかを明らかにし、
理解することが非常に重要なのです」
偏見が他の政治的信念ではなく、右翼的な考えを持つ人に多く見られるということは、
世論調査と社会学、政治学の研究で示されることがしばしばあるが、知能との関連性に及ぶ研究は珍しい。 大阪維新が苦手なのは、ずばり行政そのものなのではないか。住民がいて、生活をし、必要なものを取りそろえ、健康的で文化的で知的な生活水準を維持し、病気になれば安心して医療を受けられ、年を取れば福祉がある。
そういう住民という実体のあるものを相手にした日常的な行政のことだ。
新型コロナウイルスの感染で、思いのほか、維新のダメなところが露呈してしまった感がある。ウイルスはそんな維新に忖度はしないし、感染して症状が出れば、対処しなければならない。誤魔化しがきかない。
重症化して手遅れになれば死人が出る。そういう実体あるものへの対応が苦手なのだ。
情報を出さないでおこうとしたり、誤魔化そうとしても、出るものは出る(クラスター発生も市民からの情報で判明するし、病院での異常事態も関係者が告発すれば出てしまう)。
こういう実体あるものに向き合って、それらがごく普通に生きていける行政を提供するのはルーティンの安定的な繰り返し。
大阪維新は、これまで「都構想」、カジノ、万博、そういう大きなプロジェクトを掲げて、「成長戦略」と自分たちが一体であることを住民にイメージさせた。
行政を地道に担う公務員を敵に回して既得権保有者扱いにして風穴を開け、そこに民間資本を導入する。改革の旗振りをイメージさせた。
海外からやってきた観光客たちは、大阪の町を「世界最大の娯楽場、こんなに楽しい町は他にはない」と言った(大阪市内で不動産をやっている友人からの話)。
派手好きの大阪人はこんなに楽しい町を作ってくれる維新を褒めないわけがない。しかし、果たして住む町としてはどうなのだろう?
派手な町、楽しい町の住民でも伝染病にかかるし病院も必要だ。食っていけなければ、それらの電飾は何の役にも立たない(科学的根拠のない「大阪モデル」の基準を満たせば、電飾で知らせるという方法を思いついたのは維新らしかった)。
維新の首長が自称行政家ではなく政治家なのは偶然ではないだろう。 家庭や己さえ自衛不可の先生から学ぶ自衛とはなんぞや?? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています