>>324
型が何でもありの技術であるかは関係ない。

なぜなら型の技術は技を身体に染み込ませるツールではあるが、それはその武術特有の威力や速さ、動きを身に付けさせるものであるだけで、戦術は別になる。

例えば沖縄空手であれば相手の腕のイン・アウトに入り、相手の動きを制限しながら突き蹴りなどの打撃、または関節技や投げ技、崩し技を行う技術だけに、それをいかに様々なシチュエーションで有効に機能させるかを考えるわけだ。

ただ、それは型の技が威力など相手に効果的だから活かせる形にするための戦略であり、私が最初に書いた何でもありの戦いの技術は型の技を活かすのとは無関係だ。

つまり試合のようなルールがなく、武器でも何でも使えるし、噛みつきや髪の毛掴むとかの禁じてもない場合は型の技を使わなくてもいい。

街中の喧嘩自慢に対し武術や格闘技の練習してるのが有利な部分はあるが、普段特定のルールに慣れているほど、勝手に思い込んだり縛られたりという不利があるため、油断大敵だろう。

型の技が何でもありか検証とあるが使う人次第だから意味がない。

包丁は料理人からすれば料理材料切るための道具だが、犯罪者からすれば武器だし、主婦が紙を切る際、ハサミがないときはハサミの代わりに紙を切る道具になる。