石井館長に興味があるから語ってくれ
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極真の数見や八巻×佐竹、全盛期同士ならやはり佐竹は歯が立たないかな?
ルールにもよるだろうけど…
石井館長は勝つ(倒す)ための技術を徹底的に磨いたけどこういうクレバーな指導者も極真にたまに居たからなぁ。
https://youtu.be/QXkksR8826Y
どうなってたか見たかった。 正直、石井館長って強いと思えないんですよ。
見た目が普通の人だからね。
猛者ぞろいの空手界で大流派築いた武道家の風格がない。
角田さんみたいに筋肉ムキムキの人のほうが格闘家に見える。
よくあの体格、貫禄のなさで多くの門人従えられたなと不思議に思う。 つかみなしの極真ルールなら佐竹といえども八巻、数見、塚本には勝てない。
でも掴みありなら勝つかどうかはともかく佐竹は負けないだろうな。
つかみあるなしじゃ全然違うから >>304
事実のみをかいたものは存在しないといっていいんじゃないか。
小島の本は根本的に信用できないが真樹のほうも枝葉のほうは一切信用できない。
地獄の支部長稽古で真樹は三昧境に遊んだとか嘘つけとしか >>306
そんな人いたかな?
>>307
回りが雑魚だっただけですよ。
>>309
角田は強くない
>>309, 312
どうですかね、一応演武はうまいんですよ。コンビネーションの指導とかね、切れ味あります。
50年くらい指導してるんですからね、下手なわけないです。 >>311
>地獄の支部長稽古で真樹は三昧境に遊んだとか嘘つけとしか
まあそうね その上支部長合宿参加当日のまだ暗いうちに
腕立て1000回こなして1000本突き蹴りと
100段の階段をうさぎ跳び1時間30分程度でこなしたとか
ホラも大概にしろと思った 佐竹師範に三下り半下されたこと考えると、そんなに人情家とは思えない。
あんなに業績残した高弟に去られるのはダメでしょう。
正道会館の大看板がいなくなるから流派の未来にも関わる。
俺だったら他の門弟冷遇しても、佐竹師範だけは特別扱いするね。
後継者育てる意味でも。大山総裁も、同胞の松井さんを後継者として寵愛した。 常勝軍団・正道会館の鍛錬てほかの流派よりどこが優れているんですか?
ユーチューブで見ても利点がよくわからない。
あれだけフルコンの大会で優勝しまくってた割には、目新しさがない。
特別なものでなく普通の稽古に見えるんですよね。 >>314
ロー山師範のインタビューで
ローさんは真樹さん好きらしいが、何かの稽古(その支部長合宿かな)で
移動稽古中息も絶え絶えのヒイヒイ声が聞こえて、
見たら真樹さんだったて笑ってた
真樹さんはほら吹きだけどちゃんと稽古に参加する偉さはあるよな >>316
正道会館というか、極真時代に、本部と四国が二大派閥としてあったのです。
本部がローキックと下突きに終始していたときに、四国はハイキックを駆使した
新しいスタイルを出してきた。東孝vs二宮城光
この芦原氏が出してきたスタイルが斬新だった。といっても四国は過疎の地ですから、
このスタイルをより人口と人材の多い大阪にもってきたら、選手がより多く育ったという
ことだろうと思います。芦原氏は技術的な独創があり、石井館長には経営の才があった。
その後本部もテコンドーの影響を受けた松井が出たり、さらに新極真の塚本などのように
新しい蹴りを駆使する選手が出た。しかし、あのスタイルの元祖は四国だと思います。
しかし、顔面突きのないスタイル、テッキョン・ルールはすでに役割を終えていると思います。
今後はこの蹴りの発達したスタイルをいかに顔面ありルールに統合していくか。
その方向性を明らかにしたのがK-1だった。
極真ルールの超克を、極真系勢力の内部から打ち出せたのがよかった。石井氏の功績。
しかし、道場レベルではグローブルールはあまり普及しなかった。
正道でも極真でも、グローブをやりたがる一般の道場生は少数にとどまり、流行りませんでした。
だから、寸止めに移行したのも必然だと思います。
、 顔面突きをまったくやってなかったような人たちが、いきなりグローブで殴り合うのは無理がある。
そこはやっぱり、マス・スパーリングというか、寸止めの段階をはさむ必要がある。
そして、さらにプロでやりたい人は、全空連であり、極真であっても、グローブやフィストガードで
実際に殴り合ってみせる必要があるのかもしれません。アマチュアだと寸止めか防具まででしょうね。 >>305
たしかに北アルプスの麓にある安曇市というところによく行ってるみたいですね。twitterで見るかぎりは保養と
瞑想修行のためのようですが。 >>317
まあ極真関係では真樹先生は結構バカに
されてるけど
キックとかでは尊敬されてるんですよね
真樹先生は死ぬ1週間くらい前の稽古まで
ちゃんとほぼ毎日3時間近く稽古してたから
そこは本当に尊敬出来ますね >>313
>一応演武はうまいんですよ。コンビネーションの指導とかね、切れ味あります。
20年くらい前に観た映像でも石井館長やたらと
動き良いんですよね
角田師範の空手は正直下手だなと思ったけど
石井館長は空手上手だなと思いました
そのへんは先代芦原先生の影響かなと コンビネーション石井館長に比べるて凄く遅くて鈍重だったな すみだのオッサン > 20年くらい前に観た映像でも石井館長やたらと
> 動き良いんですよね
そこはたしかに芦原氏の動きを彷彿とさせるところがありますね。
芦原氏自身は晩年は空手はまったくやっていなかったようですが。 >>315
私も佐竹と館長がいつか仲直りできるときがくればいいと思います。
今のままだと回りが気をつかいますよね。二人を同席させるわけにはいかないから。 >>324
凄く合理的ですね
最後のローに縦拳+久留巻き(これ多用する
フルコンは当時正道だけ)の打ち方が
中国拳法の形意拳の実用法みたいです
当時ここまで革新的な事やってたのか・・
空他流派の大会で常勝軍団になれたわけだ >>324
このビデオいいですね。なんのビデオなのかな。
佐竹がニールセンに勝って、これから東京でのしていこうとする
1990年ころだから、皆のってますね。かっこいいです。
館長が組み手っぽいことしてるのも珍しい。
うまいでしょ、けっして下手ではないですよね。脱力してて。
やっぱり師弟だから、佐竹の動きとも似た面がありますね。
われわれのころはこんなに進歩してなかったな。
背後のプレートが「正道館」となってるのがなつかしい。 >>316
組手の技術や練習法があったとしても口伝てで各流派、各道場、各支部の縦でしか伝わってなかった空手界で極真以外のフルコン各流派を倒しまくった技術を本で言葉に、ビデオで見える形で解説にしたのが石井
91年当時は正道にしかなかったかあっても空手界に広まってなかった技を正道がオープンにした
接近戦で戦う
レバーを第一に狙いそのために左の突き蹴りを発達させる
効かせるための箇所や当て方
拳や膝から先にプロテクターを着けてライトスパーリングをたくさんこなして組手に慣れる
など >>329
たしかにそれはありましたな。技術を公開して、その技術の高さでアピールするという
プロモーションは当時としては新しかった。今はふつうになったけどね。
あとは言葉使いを改めさせるというのもあったんですよ。当時はどこの流派でも、
おい、おまえが当たり前だった。館長はそれを、ていねい口調に改めさせた。
今はどこもそうですね。
マススパーとかの導入もね。当時は組手はぜんぶガチだった。これについては
いいか悪いかは考え方のちがいによりますが。 館長が導入して、その後空手界で一般的になったことって、たくさんあるんですよね。
当時も、この人は強いのかどうかは知らんが、すごい斬新な先生だなぁとは思いました。
技術革新というか、企業的な観点を空手道場経営に持ち込んだ人です。
K-1でプロモーターとしての活躍が目立ってますが、空手の先生としても革新的だったんです。 だから、最近はなんで石井館長にみながついていったのかわからないという人がいますが、
このビデオを見ればわかるでしょ。若い頃の館長はこんな感じで、動きもよかったし、指導に
説得力あったんですよ。机に座ってるだけじゃなくて、歳も変わらないから、実際に体で指導してた。
今も全国の道場を指導に回ってますが、こんな感じでやってるんでしょうね。
この点は晩年まで稽古を欠かさなかった大山茂師範を手本にしているようです。 佐竹も当時、本部系(関西本部)と正道と両方見学して、実際見てみたらよかったので正道にしたと書いてたけど、
指導内容がより合理的だったんです。 >>332
確かについて行きたくなる感じありますね
芦原先生も武道関係の奴隷的な先生弟子先輩後輩の
関係性を改善してましたがそのいい影響でしょうね
成功してからの狂気の時期にならず
この空手家としての姿勢を維持してれば・・
つくづく惜しまれます。 >>309
館長は実際には強かったみたいよ
かなり近しい人の目撃談を聞いた限りでは、動けるし肝も据わってる
試合の話ではないので詳しく書けない、スマヌ 申し訳ないけど、政治的な話にずれます。なんで脱税したんですか?
暴力団とつながりがあって、上納金渡すから帳簿に残せなかったという説があります。
暴力団からすればマネーロンダリングなんでしょう。
不思議なのはそれが表に記事として出てこなかったこと。
暴力団がらみだから、実刑食らっても歌わなかったということなんでしょう。 石井館長はイメージ的にはガチンコの実力はそこそこくらいだけど
指導に関しては一流、頭の回転や政治力に関しては超一流って感じ
指導を受けた人間はみんな口を揃えて合理的でわかりやすい説明だったと言う
湊谷コーチとかもそのいい影響を受けてる感じがする 自伝本には日本刀持った893をパンツいっちょで制した話があったな。
あれが実話なら十分すぎるぐらい強いんじゃない? 極真の城西や城南が手探りでやっててあまり一般的でなかったことを正道がはっきり文字と映像にした
プロテクター着けてのライトスパーリングね
ボクシングでは当たり前だったけど右脇腹のレバーを狙うことは空手界では広がってなかった 佐竹は石井と戦ってもらったことはないと言ってたけど
田村悦宏や岩崎達也や黒澤浩樹と判定までいける正道戦士を育てたんだから指導者としては一流
極真ウェイト制の前には出場する正道戦士全員とスパーリングして圧倒したと角田が言ってた
当時40前だったからまだ体が動いてたと思うし、選手らは師匠に気後れしてたとしても立派なもの
極真の師範らも40歳前後で40人組手してたしな カス・ダマトもモハメドアリとボクシングの技術論で軽い口論になって
その場で遊ぶ半分に当てっこやって 鋭い動きでアリに一発寸止めして納得させたし
一流のトレーナーは当然一流選手を納得させるだけのモノ持ってるんだな
(逆にそうじゃなきゃ言う事聞かせられないし) ルックス的に弱そうだけど芦原から分支部長として任されたんだから
少なくとも芦原流免許皆伝、なのは間違いないだろう。
ただ競技の人間じゃないから佐竹はもちろんほかのトップクラスとスパーリング
してもそりゃ勝てなかったろう。
角田のいってることはただのヨイショだと思う >>345
おまえ用語わかってないから、シロートばればれ なんで佐竹師範にあそこまで冷遇したの?
廃人寸前まで酷使するのはひどいよ。
後川師範が重量級と対戦させられて、廃人になったっていう噂もあるし。 佐竹以外に使える日本人いないから酷使せざるをえなかったんだろう。
あの本読んでたらわかるけど佐竹は石井に敬意は払ってなかったから自然石井だって
弟子というよりコマとしか思わなくなったの悪循環だったんだろうし。
ま、かわいいと思ってたとしても必要とあらば使いつぶす冷酷さがあったろうし 佐竹がいなかったらK-1はできなかった。それは確かだ。
K-1前夜に全日本キックが似たような路線をやってて、すでに武道館をいっぱいにしてた。
外人同士のヘビー級対決。K-1はそれをぱくったものなんだけど、
全日本キックには佐竹のようなヘビー級で勝負できるような日本人がいなかった。そこがちがい。
佐竹と館長の仲が悪くなったことには、角田が関係してると佐竹は本で書いてるけど、
そこはわからない。角田は今でも館長とよくゴルフしたりして仲がいいんだよな。
佐竹はもともとそんなに顔面ありに向いている選手ではないと思うが、勇気があるので、
玉砕覚悟で前に出て行く。他の日本人選手は相手が強いと逃げて、面白くない。
正道会館は顔面あり対応できる選手が少なかったんですよ。だから佐竹に負担がかかった。
他にも選手を作ろうとしてたが、ぜんぜん物にならなかった。 ああ、中山師範は別格です。誰もかないませんでした。ただ彼はK-1が始まったときにはもう中年で、
売り出しには向きませんでした。だから佐竹をサポートする側に回ったんです。 当時対戦が熱望されたのが佐竹−長田の日本人頂上決戦。あるいはすこし年が上だけど、全空連の内田あたり。 このあたりからもう単なる極真ルールの人は話題にもならなくなってきたんです。 >>347
後川さん当時ジャンプ3冊事件ってのを
キック関係者から聞いたことある
月曜朝練習前にジャンプ買って
昼の休憩時にもう一冊買って
帰りにまた買っちゃったらしい
そこまで弟子をボロボロにしたから
武蔵は壊される前に自ら倒れる戦術を
編み出したし それを見ていた後輩たちは
基本的に続かなかったのだろうな >>349
角田は典型的な上におべっか使って
下は奴隷のように扱うタイプやろうな
石井館長もあの人間性では
側近で付いてくる人も少なかったろうしね
角田も自分に逆らう佐竹が疎ましかったのではないかな
佐竹も石井館長には結構ズバズバモノ言ってたそうだし
佐竹の本では角田への苦情をよく後輩から聞かされてたって
書かれてたな 実戦やセンスで中山のほうがはるか上だったとしても
中山はヘビー級のキックでは勝てなかった。いくら仮に
中山が若かったとしても不可能だ 佐竹もたいがいだと思うけどね
石井が芦原のもとを離れる時中山はじめたくさんの人間がついてきたけど
佐竹が正道を離れる時、後輩はみんな白い目でみて挨拶もしなくなったと
自著で書いてた。「人間の本性はこういうとき現れる」ってお前に人望が
なさすぎるんだろってw ところで中山猛夫の実質的師匠は誰なんだろう
教えられたのは芦原だろうか石井だろうか >>357
中山さんはすぐにはついてこなかったんですよ。
半年か一年して正道がつぶされない、
うまくいくと確認してから移ってきたんです。
あの人はプロだから、そういう点は用心深いです。
ついてきたのは100人ばかしの大学同好会の学生たちと
一人の師範代だけでした。
佐竹の場合は、経営者として未知数だし、
あの気性だから、正道の人を誘ったとは思えないですね。
私もそれほど正道の内情に詳しいわけではないので、
間違ってたらごめんなさい→関係者各位 >>358
その点についてははっきりとは知りませんが、
中山さんは和歌山でやんちゃやってた人だと思うので、
大阪ではないかと。
極真の全日本で準優勝したのが経験1年半ですから、
四国時代があったとすると合わないですから。 空手のテクニックを教えてくれたインストラクターとして石井和義だった、と
いうことかな。芦原とのつながりはほとんどなかったのかな。
石井と中山に精神的師弟関係はあったかどうかはわからないけど
熟慮の末石井のほうについていったということは
やはり芦原とは精神的つながりもなかったかな。
芦原石井、トレーナーとしてどっちも天才的だからどっちでも才能は
伸ばせたと思うけど 私は実際には見ていないんだけど、極真ルールの団体が顔面対応しようとするとふつうは10年くらいかかるんです。
それを正道は1-2年でやろうとしたから、選手にかかった負担は大変なものだったと。だから、試合もあるけど、
練習でもかなりダメージを負ったかと。そういうの見ていて、一般会員は恐がってやらない。内部でグローブルールが
廃った原因です。また大阪の本部はできても、他は支部長含めて顔面の技術ないですから、教えられなかった。
一部の選手を特訓してはできるかもしれないけど、団体として対応するには10年はかかります。 中山さんは石井さんが師匠だよ
最初から強くてそこに倒すためのレバーと上段の打ち分けを研究して多流派と下位回戦を倒しまくった
佐竹さんを売り出したのは体格的にヘビー級外人と伍して戦える体格なのが佐竹さんだったから
正道3連覇で実績もある
石井さんは佐竹さんに夢を見た
スミット、ゴルドー、ウィリー、モーリススミス、リングスとプロセスを経てヘビー級K-1の看板選手に
勝てなかったけど海外勢の人気が出た
K-1に人気に火がついたのは佐竹さんが着火点であり貢献者なのは間違いない
K-1やるまでは月給最初5万で後に良くても十数万だっけ? 石井さんは極真の七戸や八巻や外人を見て自分だったら彼らをスターにできるのにと思ったんじゃないかな
極真の大会は地上波テレビのゴールデンタイムにはなれなかったからね
晩年のマス大山が正道とK-1のショーアップを否定しながらも支部長会議などではその隆盛を悔しがっていたのを松井さんの伝記に書いてある >>364
選手としての強さはともかく、七戸、八巻あたりはサムライ気質というか昭和の武道家オーラを引きずっていた
から大衆受けするスターになってたかは疑問府が付くと思うけどね
佐竹は自身がオタクだったりゲーマーだったりとか、あの当時の格ゲーブームの波に上手く乗れるものを
持っていたから
当時のマス大山が悔しがっていたというエピソードは興味深いね
あの頃は既に昭和の梶原一騎のような泥臭いイメージでは正道には対抗できなかったと思う どこのクロード様かは知りませんか当時の正道では180センチ超えは珍しかったので
素質の問題ですな こちらに転載させて頂いたレスは事実ですか?
767 あ 2020/06/21(日) 22:13:30.07 ID:CIGzgqBo0
香川で最初に極真出した人って芦原さんですか?
そんな芦原さんも少林寺拳士にはペコペコしてたって聞いたよ 当時のことを知っているのは、元大学同好会だった100人程度の元大学生のみです。
私はネットでそれらの人たちに一度も会ったことはないので、私以外の言うことはすべてシロートのウソと思っていいです。 これ、佐竹の本に関するはじめての反論じゃないですか?
石井和義
@ishiikazuyoshi
・
34分
佐竹君が5万で仕事してくれたら嬉しいわ!常識的に考えてみてください
まっすぐに蹴らないで、まっすぐに書いてね。爆笑
彼のファイトマネーは、彼の希望で1000万だったよ。少ないけど。笑
引用ツイート
RyoTime91@変態馬券師組合
@Ryo_Time91
・ 1時間
返信先: @ishiikazuyoshiさん
佐竹雅昭を月給5万円で働かせたってホンマでっか
??
(^ω^) 佐竹はビート武にも嫌がられてたっぽいし立場が高いタイプに
嫌われるのかね まあ石井館長もファイトマネー払わない事で有名なんだけどね
実際は初期は5万って嘘みたいな額で働かせて
随分後にファイトマネー額がUPしたってのが真実なんじゃない? ファイトマネーの遅延や不払いがあったのはプロレス雑誌の編集長が仕切ってたころですね。
館長の時代にはそういうことはなかったと外人選手も口をそろえてますね。 アンディフグが死んだあと残りのファイトマネー支払わなかったんだけどね
遺族の関係者が必死になって石井を問い詰めてやっと支払わせた
そうゆう事実はあるよ 平気でウソを書くような人の二個目のウソを信じてくれといっても無理ですね。 まあファイトマネー1000万でも佐竹はマジで死ぬ危険性のある無理な興行スケジュール押し付けられて後遺症も酷いそうだからな、高いとは言えないよ シロートの人がいろいろ騙りたいのはわかるんですが、はっきり言って邪魔ですね。 今の朝倉と真逆だもんな、毎回毎回自分よりでかい強い怪獣相手とか
1000万でも安いわな そういえば正道の選手でキックボクシングの試合直後に急死した人いたな。
K1の始まった1993年の年末だったかな。
佐竹師範、金師範が救急車に同乗して病院に急行して最後看取った。
俺みたいな凡人ならここで「顔面ありは空手家には無理だ」と興行を断念する。
でもあえて弟子を死地に送り込み続ける非情なところが、野心家の石井館長らしい。
仲間が戦死してもなお、戦場に立ち続けた正道会館勢も勇猛無双としか言いようがない。 1990年代振り返ると格闘技ブームの礎となったのは極真勢でなく正道勢。
他流派のフルコンの大会で優勝。外国人キックボクサー、総合格闘家と他流試合。
あえて危険な死地に挑み続けた。最強ロマンで日本中を熱狂させた。
己の育てた精鋭を次々、異種格闘技戦、重量級外国人と勝負させた石井館長は戦国武将の生まれ変わり。
何といっても弟子が死亡、廃人になっても格闘技界制覇に突き進むのが凄い。凡人には真似できない。 石井和義
@ishiikazuyoshi
・
1時間
5万!?佐竹君が物忘れ激しいかライターの悪意でしょうね。
芦原道場職員時代僕の給料は11万、正道会館の中山、伊藤君の
初任給が25万、そもそも佐竹君が前田選手と戦いたいとの希望して、
彼から頼まれてウチの職員としたんだよ。だから、まっすぐに蹴れるん
だったらまっすぐに書いてねと。笑
引用ツイート
Tシャツジャパン
日本国旗
T-shirts.jp
@tshirtsjapan
・ 1時間
返信先: @ishiikazuyoshiさん
押忍!
ちょっと入らせていただきます。
正道会館の職員としての月給が5万円と書かれていたと思います。
その後、館長が『空手超バカ一代』でアンサーするかのように「俺が芦原先生の下に
いた時はもっとあれだったよ」とやんわりユーモアたっぷりに書かれていて技あり一本でした
ハートのビックリマーク 中山は石井にとってぜひ来てほしい人材だった
中山も物おじするタイプに見えないし
25万支払っていたのはうなずける話だ。
そういう立場なのに25万は少ないくらいだけどな。
そうなると佐竹の5万もあり得ない話じゃないなw 佐竹の5万は正道会館に就職してからの月給
テレビでも本人が言ってるの見た 石井和義
@ishiikazuyoshi
・
1時間
もうこの話はやめませんか。
彼には好きに言わせてあげてください。僕達はもっと大きな夢のある話を語りましょう。
引用ツイート
空手ひで☆愛方実家乙☆マッキーよしお
@Mahha_Kick
・ 35分
返信先: @ishiikazuyoshiさん
マンガ『となりの格闘王』だと、「レジャー産業」だったのに…。佐竹さん、どれが本当なんでしょうか…。 石井和義
@ishiikazuyoshi
・
3時間
テレビ局就職!?聞いたことない。
佐竹君に頼まれて大阪の大手不動産寿観光に就職お願いし決まった。
社長と面会初日に同行する車の中で急に正道に就職したいと懇願された。
僕は1人で謝罪に行き、友を失った。
まっしぐに書いて欲しい。笑
引用ツイート
美篤 Miatsu 海外移住&国際結婚
@kurenaisaikou
・ 5時間
返信先: @ishiikazuyoshiさん
ファイトマネーではなく、佐竹が新卒でテレビ局の就職を蹴って、
正道会館の職員になった初任給が5万じゃないんですか?
空手道場の職員5万なら納得ですが‥ 彼には好きに言わせてあげてください、か。
和解はこれじゃほぼありえないなw 佐竹VS石井 顔面ありルールワンマッチ の誘いがあれば佐竹は
一も二もなく乗るだろうなw 5万の真偽のほどはわからないが間違いないのは
佐竹が石井を恨んでるということ >>393
理不尽なことを本当にされたのか、ただの逆恨みかは分からないってことね。 喉から手が出る人材だった中山の初任給が25万もクッソ安いけどな >>393
館長もファイトマネーに話すり替えてるしwせこいw
やっぱ五万円だったんだろうw 中山さんが移籍してきたのは設立わずかのころで、したがって道場生もまだほとんどいません。
佐竹が採用されたころは、7-8年経ってるし、大会もやってたから道場生は多かったはず。 空手道場に勤めている人の立場はさまざまで、内弟子、指導員、職員、事務員とあります。 極真の内弟子は逆に最初に金納めるとこもあったなあ
世界大会に出てた頃のニコラスペタスでも15万くらいだったはずよ。指導員ね まあお金にがめついのが実業家の性。
建設、解体、塗装、ラーメン屋でなぜ独立が多いのか?
従業員を安くこき使って、経営者一族で利益独占する仕組みだから。
空手団体もそうだろう。他人の何倍も苦労したら、従業員に高い給料払うの馬鹿らしい。
従業員に報いるくらいなら、行きつけの店の美人にマンションや高級車与えるのが自営業者。
そういう欲望がない人は、夜遅くまで頑張らないよ。 みなさんも何かやればいいんじゃないですか、缶拾いとか (爆) 松井章圭の極真本部正指導員時代の月給が10万
講習会や演武に呼ばれた際のギャラはもらってたらしい
後輩の柚井知志は月給15万で破格と言われた
中山さんの25万は当時としては破格すぎるw
石井さんは佐竹さんがいたから正道の興行やK-1をやれたんだしその頃にはギャラ的なものも払ってたと思うけどね
タレントもいっぱいやってたし 空手もやってないようなやつが指導員の給料知ったってしょうかないでしょう ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています