気の世界は潜在意識でつながっていますので、こちらが気を感得していさえすれば共鳴することができる。
とするコンセプトへの疑問点は当然、潜在意識は本当につながっているのか。
その前に潜在意識とは何だろう。
存在するのか、といったファクターに集中するでしょう。

ここについては、なぜ単なる物質に過ぎない肉体に、とつじょ思考が発生しているのか。
とだけ当面、言及しておきたいです。
この感覚に到達したとき、肉体、意識、潜在意識、気・・・多くの真相がドミノ式に(?)氷解します。
・・・という(少なくとも)主観、(少なくとも)結果が発生するとは云えるでしょうか。

>>215
実在しなかったということはないでしょうね。
太子の上位に存在した実力者の事績が、人物像に合成された可能性なら有るでしょう。
あとは実践者の目線からどう見えるかです。

>>219
親魏倭王も実在はしますね。
ただ太子と違って直接的な手蹟が無いので、少なくとも私では気の流れを把握はできません。
宮本武蔵も実在はします。
古木鳴鵙図や布袋見闘鶏図に、武術ならではの気の流れが表現されているとみています。

>>217
竹の揮毫はアートとしてはこの位置がベストなのでしょうね。

武術的にはやはり中心に位置するのがベターなようにも感じます。。

>>218
いわゆる多数派工作のことでしょうか。
無記名の数ある投稿が(結果的に)それとなっているでしょうけれど、そうした方(方々)にはそもそも対手が敵対しているかどうか、非常にベーシックな部分からご自身へ問いかけてみて欲しいと思います。
太子いわくの、和をもって貴しとなす、ですね。