この技法についてベーシックから応用編まで一貫した概論を、(ときどき)補足しますと(管見)。

表層的な技法をこえて、さて実際には非接触で対象をコントロールする形式も起こり得ますね。

ただそれでも個々の技の処理(フォロースルー)は変わってくる場合が多く、個別の技の研究はあくまで必要となるでしょう。

たとえれば衣服は自律抵抗をしませんが、複雑な衣服ほど各自に応じた着脱が必要なわけでして、そんな具体性を無視しては無力な衣服とていつまでも体にまとわりついたままです。

同じく武術も(イメージ上で)瞬時に無効化しつつあればさえこと足りるのではなく、そこからの表現(探究)が状況に応じて千差万別、とは云えると思います。

>>891
公平なご意見有りがとうございます。

ゼロ年代前半に測定された、ほぼ同時代に暗算の世界5位だった方の脳の使用部位と、10年代前半に測定された一流のサッカープレイヤーの脳の使用部位が、同じく頭頂連合野とオーバーラップしていたそうです。

この部位自体が意味深長でしょうけれど、とかく云えるのは深く考え、判断する作業は、実地の体動に比べても脳の局在的作用に留まらず、触覚、視聴覚、嗅覚、味覚、平衡感覚、音感、音色感、感情など多彩な感覚の総合的産物なのでないか、ということです。