>>507
俺ならこう答えるわ。大きく以下の4つき分かれると思う。

「1.道場側が会員の試合を自粛させたが、道場側は休館しなかった場合」
→試合と練習における人数の違い、不特定多数制の違いはあるが、一般的には一貫性のない判断。また柔術実践者からも支持されにくい判断。なぜ試合を自粛させたのか、この点については道場側は説明を求められても致し方がない。


「2.道場側が会員の試合を自粛させたが、道場側も休館した場合」
→一貫性のある判断。一般的にも受け入れられやすい常識的な判断。ただし試合思考の一部の柔術実践者からは、自己判断が優先されない点で不満が残る。一般的には常識的であっても、選手が考え方の違いで移籍を申し出ても致し方のない判断。


「3.道場側が会員の試合を自粛させなかったが、道場側も休館しなかった場合」
→世間的に賛否はあれど一貫性のある判断。自粛要請は強制ではない点、コロナの危険性がまだ実質的に証明されてない点において、正当化はされる。ただし有事の際には責められても致し方のない判断でもある。
また、コロナを恐れる柔術実践者からすると、練習に行けないのに会費を徴収される不満は残る。状況を考慮すると、会員自ら休館や退会を申し出にくいからだ。この点を対応しない場合は「危険時にも商売主義」というイメージはどうしても拭えない。


「4.道場側が会員の試合を自粛させなかったが、道場側は休館した場合」
→道場側のリスクより、会員の自由と安全を考慮した対応。試合出場について世間の賛否はあれど、柔術実践者からすると最もバランスの取れた柔軟な対応。しかし全リスクを道場側が負うハイリスクな対応。


こんな感じかな。俺的には1以外は全然アリ。あとは好み。