第16部 備中竹内流を名乗る竹内流備中傅の大嘘3
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古武道で総合武術「竹内流」とは。
日本柔術の源流「竹内流」は岡山県岡山市北区建部町の竹内家(竹内久盛の子孫)に伝わる「一子相伝」の家芸武術を言う。
その竹内家の流儀は竹内流宗家と竹内流相伝家に一人ずつの「 師範 」を置く。
「竹内流」の師範は
宗家竹内藤一郎と相伝家竹内藤十郎のみ存在する。 用語が定義されないまま議論百出して混乱を招いています。
総称して備中竹内流という、そんな表現も政治的で、直接責任あるところが、関係ない道場や責任の範囲外の団体まで巻き込んでいます。
傍系や遠縁の道場に対してこの表現の使用の許しを得ているのではないようです。
勝手に、貴方の道場も備中竹内流のひとつにカウントしてあげる、そんな尊大なくくりですね。 あるいは、己れのふんどしを他人さまに勝手にはかせて、仲間に見せかけているのです。 古典芸能でも宗教法人でも広域○力団でも、子弟関係、や親子関係は厳密で、ご恩と奉公が成り立たないものは流派や系統に入れてもらえない。
例えば、どんな流派でも会社でも、ある時点で当主や社長が他界して、代替りが発生した場合、次の代表が選出され、残りの弟子なり社員と新しい代表とが相互の承認を行わなければ関係性は分断される。
少なくとも、備中竹内流が竹内流に対してそのような関係性を保持した事実は発見されないし、総称して備中伝来竹内流と規程されるグループ内でさえも、そんな相互認証がなされた形跡はない。
わかりやすく言うと、京都の先生が倉敷の先生に再度弟子入りをせずに、自家製で流祖祭を始めた段階で倉敷から分派したと見るべきで、倉敷には京都の先生に対する監督責任はないだろう。
倫理的なものは別として。 >>29
竹内流備中伝の「伝」が「傅」に変わったのもつい最近見た。
竹内流備中伝
竹内流(備中伝)
竹内流備中傅
竹内流(備中傅)
備中竹内流
備中伝来竹内流
こんなに使い盛って似非竹内流道場だと笑われてるのに岡大古武道の部誌には「証明できます」なんて小野流聴風館が書くから恥ずかしいんだ。 そもそも倉敷の日新館が自分のところで責任取れない様な無能だから、聴風館や河野の意見を取り入れて責任逃れに利用してんだよ。
そのくせ、本部は日新館だと主張してる厚かましさだよな
京都や河野におだてらてその気になるほど阿呆かよ
もっと自分を知れよ とりあえず竹内流の呼称はもう使ったらダメだろう。
やりたいなら備中伝か小野流かでいくと。 >>33
オイオイそれはちょと引っかかるな。前半部分の
>>古典芸能でも宗教法人でも広域○力団でも、
子弟関係、や親子関係は厳密で、ご恩と奉公が成
り立たないものは流派や系統に入れてもらえない
。 例えば、どんな流派でも会社でも、ある時点
で当主や社長が他界して、代替りが発生した場合
、次の代表が選出され、残りの弟子なり社員と新
しい代表とが相互の承認を行わなければ関係性は
分断される。 少なくとも、備中竹内流が竹内流
に対してそのような関係性を保持した事実は発見
されないし、総称して備中伝来竹内流と規程され
るグループ内でさえも、そんな相互認証がなされた形跡はない。
ココまでなら理解できる。しかし後半部分だよ。
>わかりやすく言うと、京都の先生が倉敷の先生
に再度弟子入りをせずに、自家製で流祖祭を始め
た段階で倉敷から分派したと見るべきで、倉敷に
は京都の先生に対する監督責任はないだろう。
倫理的なものは別として。
この部分「監督責任は無い」というのは俺は納得出来ないよ。
出稽古とか言って京都が倉敷の備中伝へ来てたし、そこには岡大古武道部の学生達も一緒に稽古したじゃないか。京都が倉敷へ来た時にも四半棒を倉敷の道場でも教えてたろう。
まさか、「監督責任は無い」から勝手に習った者の責任だとか言うつもりか?
京都が出稽古というからには京都の責任だとでも言うのか?
倉敷の備中伝の道場で習った者には、そんな使い分けなど通用しないと俺はおもう。 「竹内流」の三文字を使うからダメなんで
備中伝来小野流なら京都が倉敷から分離した事になるよな。
倉敷が備中伝来綱一流なら問題ない。 どっちみち倉敷が面倒を起こした事に間違いないわけだが、ソレを正さずに平然としてる同グループじゃないか。倉敷も京都も東京も同類です。
被害にあってるのが岡大古武道部と海外道場なんだよ。 え、そうは言ってもやっぱり小野さんの罪過でしょうよ。
捏造とかそういうことは小野さんなんですから。 竹内流の弟子となるには、まずは宣誓書を書いて入門が許され、流祖の竹内久盛が定めた所定の「形」を習得し、最初の「達者」という位に昇格で きる。
更 に所定の 「形」を習得ると「じろう」へ昇格。その上が 「目録」。更にその上が「次萬」「 免許」を経て、やっと辿り着く最高位の 「印可」へと昇れる。
しかし、竹内流では,「 印可」は一子相伝制をとってる。
菊池清太夫が「印可」した記録は無い。
何故ならば、竹内流は竹内久盛の血統「一子相伝」だからであって、菊池清太夫が竹内家の娘の婿養子になったという記録は一切無い。
果たして、菊池清太夫が「免許皆伝」であったとすれば、それも「一代限り」という「掟」がある。
また、「竹内流の師であると自らを言ってはならない」という厳重な「掟」もある。
日新館だか、聴風館だか知らんが、流祖が菊池清太夫ならば「菊池流」であろう! それから、もひとつついでで書いとくが、
竹内久盛筋が京都で道場をいっとき開いたのは南西部であって、北区も釈迦谷の裏山でも無い場所だ!
ましてや岡山大学入口付近に等、今更もって竹内流の道場等を建てても良い等と菊池清太夫の流れの日新館とやらが許可する筋合いも無い。
世が世であれ菊池清太夫が生きていたなら、真っ先に破門だ! 釈迦谷で「竹内流」「柔術」を伺ったら地域の人々はみんな知らなかったよ。
小野さんと聞いても知っている人はいなかった。
そんな地元に開祖久盛が道場起こしたはずがあるわけないだろう。 京都に対する管理責任がないというより、管理能力がない。
ほぼ個人経営の独立武術塾の集合体で、主義信条をそれぞれ本流と異にする有象無象のオバケみたいなもの。
虚像のような伝承説話をまことしやかなホームページで飾り立てているのじゃないか? 備中伝の伝承説話として掲載されているのは系図くらいのものしかなくて、竹内流の流祖伝説ばかりだ。借りものでしかない。
存在意義をうたうなら、分派したときの菊池某氏の意味付けや顕彰が大切だが? >>40
聴風館の派手な捏造を放置し、同調する以上は、日新館も同等だろうね。 竹内流は他の流派と比べて技の数が多い体系だ。全て稽古して修めるだけでも膨大な時間がかかる。
本来なら新しく技を捏造している暇などないし、必要もない。
なぜ技を捏造する必要があったのかと言えば、捏造してカサ増しするためだ。
本に載っていて技の名前だけはかろうじて判っているが、どういう技なのかわからない、だけどちゃんと伝わっている事にしたい、ならどこかから引っ張ってきてこれがそうですよ、という事にする。
備中伝の罪は捏造もさるとこながら、本来からいえばスカスカの中途半端な状態で竹内流の看板を出し、免状も出してきたことだろう。
まして、カサ増しで初めの半分が竹内流でも後の半分が別物なら、もはや同じ流派ではなく、別流派を名乗るべきだ。
それでも備中伝が竹内流の看板に固執してきたのは、500年の伝統とか、十何代目の師範であるとか、内部の人間がそういうロマンみたいなものに萌える傾向があったからだろうな。
まあ、今更全部伝わっていませんでしたというのはメンツに係わるという事もあるだろうが。 長年武道をやってます、人にも教えてます、雑誌にも載ったしテレビの取材も受けました、500年近い伝統のある流派の十何代目の師範です、
そうやって見栄を張りたい気持ちは分からなくもないし、別段法律に違反している訳でもないといえばそうだろうが、そのちっぽけな見栄のために本当に竹内流を教わりたい人たちに誤解を与え、伝統を守っている宗家の方々に迷惑をかけるというのはどうだ?
武道家のする事ではあるまい。 、、、東京の竹内流は、竹内流でなかったと、、
習うか検討してたが、やる気なくなった 備中竹内流で検索したら、動画をたくさん貼りつけているブログを見つけたんで拝見したが、笑ったぞ。
初心者がヘタなのは仕方ないが、師範らしきヤツが全然体ができてないじゃないか。体幹と手足と得物がバラバラで全然使えてない。
稽古不足とかそういう問題じゃなく、伝統やら肩書きやら古武道っぽい所作やら、そういった記号に脳ミソが囚われているから肝心の体が使えていないように見えたな。
中国武術に傾倒していると書かれてる人もいるようだが、一旦頭を切り替えないと何やったってダメだ。 自分が東京に参加したときは、古流の他流派の人もいて、その人は、
技の数が多いのはすぐれた柔術ではないって言ってたな。
竹内流がよくないのは、
時代がはっきりしないことだって言っていて、
時代ごとにやったほうが覚えやすいという意見だった。
その人はの流派も120くらいあるらしく、少なくした方が実用性があると言っていて、
なぜ増やすかといえば、はったりをきかしたいための愚策だって言ってた。
少ないほうが優秀だっていうのはなるほどと思った。 伝統を改造したら、伝統じゃ無くなっていくよね。
末端の部分なら仕方ないかもしれませんが、根幹に関わる部分を変えて、なおかつ竹内流だと主張を曲げないんだから、手におえない。 たしか、京都の先生の教えには「古武道では、礼の仕方は、代々厳密でなければならない」というのがあったはず。
流祖祭を京都の我が道場でやりはじめて、役行者像を拝み、お経まで唱和させるなんて、自分中心の自由魔改造にも程があるだろう。 ここまで暴露されたら竹内流じゃないです。ごめんなさい。としか言い様が無い。
どうしても竹内流の三文字を入れたいなら
「似非竹内流」と言う流名を堂々と使う案も有りだよ。似非って言葉は悪い訳じゃない。
似てて違うって意味だから、堂々バッチリだよ。 日新館が、改名しない限り聴風館も新風館も改名しないよ。
日新館は自分達の似非をわかっていから反論せずに除名を受けたわけだからね。
備中伝問題は、日新館が正さなければならないけど、へっぴり腰だから聴風館に押し通されてるんだよ。面倒な事を処理する能力が無くて他力本願だから。 本部とか、そういう中心となる牽引力や求心力はすでに失われている。
配下の岡大の部活動もテコ入れさえできず、無残に解散させてしまい組織としての弱体化は否めない。
先代の七光りだけじゃどうにもならない。
運営管理能力は無いんだよ。 備中伝の改流名こうほがたくさん出ましたが、東京の新風館に師範が2人いて、そのうち1人は日新館から免状を今でも出してもらってるから、その人物が書いた名称は有力な第一候補だな。
「備中伝来竹内流」
日新館側から見て、おそらく聴風館の事を格下げしたくて作った名称なのかもしれないが、日新館の分家として聴風館が備中伝来竹内流なら、日新館も「備中伝来竹内流」でいきましょう。
流流祖が菊池清太夫から急に竹内清太夫に変えられたんだし、折角だからもう、これしかないよ。
勝手にやってる流祖祭でイノシシ肉の山賊焼を喰ったり、忘年会を道場内でやって、すき焼き宴会したりだから、象徴的な名称提案は他に「竹肉流」ってなかなか洒落たのもあったしな。 東京の新風館の別側の師範は京都の聴風館から免状が発行されてる。
変なの。 >>51
失礼ですが、その方ってデザイナーの方でしょうか? >>51
失礼ですが反論じみた事を書きたくなりました。
>>その人は、技の数が多いのはすぐれた柔術ではないって言ってたな。
竹内流は総合武術なんで、柔術を主軸にした捕手だから、必然的に技の数が多くなるのは間違いないと思うよ。
>>竹内流がよくないのは、
>>時代がはっきりしないことだって言っていて、
竹内流は時代がはっきりしてるから、それだとむしろ備中伝のやってる竹内流と勘違いしてる。備中伝は流祖さえ苗字が昨年になって改名されて、その流祖が何年何月何日にどこで生まれて、何年何月何日にどこで没したかも知らない。
>>時代ごとにやったほうが覚えやすいという意見だった。
意味が今ひとつ、分からんけど?
>>その人はの流派も120くらいあるらしく、少
>>なくした方が実用性があると言っていて、
>>なぜ増やすかといえば、はったりをきかした
>>いための愚策だって言ってた。
ハッタリなら、備中伝の京都聴風館と東京新風館がやってるからやはり、その人は本物の竹内流と似せ竹内流備中伝とを取り違えてるよ。
竹内流宗家も竹内流相伝家も、師範が一人て次世代まで家系で繋ぐだけなら門人を入れる必要が無いわけで、なぜ多くの弟子を取ったかって事だよ。言わずとも分かるだろ?
>>少ないほうが優秀だっていうのはなるほどと思った。
柔術だけなら竹内流は至極シンプルなわけで、相手の得物に対して応用する形の種類が超大になってる事が分からんのかな? 技を急激に増やしたり改変したのは当代の館長でしょうが。
道場の現場でも、改変や再編集に振り回されて、稽古がしばしば混乱した。 館長が推進する再編や新作を受け入れない一部の弟子は疎んじられ、逆に女性などは新作のみの稽古でも昇進が認められて、中央集権的な段位の付与が進められた。
一方で、古典的な稽古にこだわっていた倉敷の道場も、折にふれて師範クラスを派遣して新作の研修を認めていた。
ここにおいて、本部とかいう表現は有名無実化して、岡大や少年部や四国の支部などを支配服従させるためだけの用語だという馬脚が露見していた。 >>61
いや総合武術なんてつもりはなかったんだけどな
代を継いで技を取り入れて増えていったんだからさ
最初なんて短刀術だけだろ 竹内流を良いものと言おうとする思い込みが強すぎて気持ち悪い
第二の小野じゃないだろうな >>64
竹内流は総合武術ですね
竹内久盛の生きた時代において、最初から短刀術だったなんていう時代じゃ無いですよ。
竹内久盛から三代目までにかけて整理成立しているし、「技を足しても、技を減らしてもいけない」という竹内流の掟もある >>65
竹内流を良いと思うとか、良くないとか言う主観的観念の次元の話しではないけど?
竹内家の「一子相伝」という家訓を500年もいまだに続けている個人宅があることについては、文化財的価値が高いから援護してるだけで、京都の小野さん達は逆に竹内流を破壊しようとしている事になるんだよ。 三代目のそう言ったわりには技が雑然としてるな、ほとんど借用じゃないか
聞こえのいいように粉飾して竹内流を語るなよ
そういうのも迷惑になるぞ 竹内流は、タケノウチリュウと読み、タケウチリュウではありません。
では、備中竹内流は、どのように読みますか? ビッチュウタケウチリュウだな。連盟脱退前の公式資料によれば。
このごろは、タケノウチリュウビッチュウデンに修正している 。なんでか知らんが。 ウチは、たけうちりゅうびっちゅうでん、デス、(某師範)
某師範が連盟会長へ聞かれて、正しくは「の」抜きですって言うてたけど。 先代中山師範は頭が良かったから「第〇代」を付けて誤魔化した。
今の師範連中は頭が弱いのか「〇代目」と突然、変更した。
それに諱との間に「源」一文字を入れる事で備中伝は逃げれたのに、先代中山師範がいなくなったらそれさえ消した
自分とこの流儀を踏まえず、他所様のお宅の流儀を真似ても、これはどこまでも「似非」なんですよ
文字通り白痴かと思うよ >>68
>三代目のそう言ったわりには技が雑然としてるな、
現代的なスポーツ武道しか知らない人から見るとそう思う人が一部にいる。
>ほとんど借用じゃないか
借用したかどうか証明出来るの?
>聞こえのいいように粉飾して竹内流を語るなよ
そういうのも迷惑になるぞ
粉飾してないよ。竹内流のホームページに書いてあるから書いたけど。
粉飾してるのは備中伝の方じゃん! そもそも、備中伝の人間が履き違えてるのは一目瞭然なわけね。
竹内流の門人なら目録にある口伝も稽古で知るだろうけど、一子相伝の為の口伝は竹内流の門人さえ知る事は無い。
だから、印可の一子相伝が活きてくるんだよ。 >>68
竹内流の門人しか知りようがない口伝はあるだろう。
たけども
竹内家の一子相伝者にしかわからない事柄が有るから一子相伝なんで、公開されてる事柄は門外不出ではないんだよね。
呑喰商売の家伝だって「秘伝のタレは一子相伝」ってある。
薬種問屋の「萬金丹は家伝の一子相伝」ってのもある。
竹内流が公開してる内容は竹内流のものだし、下手な真似はしないでくださいって竹内家が主張する最低限のマナー(を守ってください)かも。 備中伝が、竹内流の名義で免状発行して、竹内流本家がそれを見て、「ナンジャソリャ?」となったわけよ。
「あんた達、『私たちも竹内流の一つなんですよ。』って主張してるけど、免状まで発行するんなら、宗家や相伝家が流儀の根幹に関わる部分で500年近く頑に守ってきたところが大きく変更されてるのは、いったいどういうわけですか?」
となった。
それは、個人のSNSの発達もあり、ホームページの検証でも大衆の知るところなんですよ。
肝心なことは、全ての口伝が公開されているのではないし、師範という役割が複数存在することが根本思想と違うということ。
備中伝さんが現行やっていることは、全く新しいシステムで、古武道連盟からも退去して、古いことを守る団体とはなじめなくなったという事実。 一子相伝というのは、お家の流儀のことです
竹内流が一子相伝だと言うのなら、それは竹内家の流儀なんです
他人名義の一子相伝なんか存在しません
ゆえに、菊池清太夫または、竹内清太夫なる者の伝系は、別途竹内流でありますから、竹内久盛からの伝系とは言えません
だって、そうでしょう?
竹内久盛の竹内家が責任取れない弟子を同系にしたら
逆に、竹内流一子相伝が偽物となる
備中傅さん達がしてる事は「本物」へ向かって「偽物だ」と言ってる事と同じですよ 「悪貨は良貨を駆逐する」という例えに対しての抗議スレなんですね。 竹内流だと思って入門し、竹内流だと思って免状を授与されて、竹内流の免状だからと金銭を支払ったが、しかし、竹内流宗家、竹内流相伝家の両家からは「ウチとは一切、関係無い団体です」と竹内流備中傅の門人が言われた事実。
これは公益の為に事実を書いてるだけですよ。 京都のおのさんは、「わたしは竹内流の師範です」とはっきり公共の場で言い切っています。
誤解を与えるというレベルでは無いですよ。 三つの要求を受け入れられない時点でファイティングポーズだわな。 連盟辞めた段階でファイティングポーズをさらに固めたわな。
当分は雪解けはないんじゃない? わかってやってるわけで、どうしたらどうなるという経緯を少なくとも代表者は確信しているのです。本意じゃないけど、事務局に言われたのでしかたなく脱退したのではない。このスレは甲と乙、その違いを訴え続けているのですよね。 いろんな書き込み見てると、連盟辞めて得したのは京都と東京だろうね。
発表の場は失ってないし、出場や会費上納の義理もなくなった。
勝手に竹内流だと名乗り続けるだろうし、岡山県内との調整も不要になった。
一部の書き込みによると「私も日新館の弟子だ」と言ったとか、言わなかったとか。
それは、もはや日新館にとっては、聞こえの良いリップサービスでしかない。
金の流れも、免状の系統が分かれているから、それ以前に断ち切られているようだし。
そんな甘いささやきに乗せられて、一方通行の脱退をしてしまった倉敷の先生は、ボンボンのあまちゃんだね。
先代や多くのOBが半世紀以上もかかって築いた岡大の歴史にまで泥を塗っての脱退は、正常な判断じゃない。
京都の先生のほくそ笑みが分かっていないね。 >>88
>>一部の書き込みによると「私も日新館の弟子だ」と言ったとか、言わなかったとか。
いやー違う。
小野師はこう言ったんだ。
「私も日新館の師範でもある」とね。 小野師は更に、
日新館の他の師範については
「兄貴の方よりか、弟の方が他の師範も扱い易かったんだよ。だから兄貴が倉敷へ帰っても兄でなくて弟の側に付いたんだね」とも言ったんだ。 小野師は聴風館の館長であり、
日新館の師範でも有ると自らは言いながらも、
自分が困らない限り、
遠巻きに身を据え、
山の道場から、
高みの見物してるんだ 小野は兄弟のまわりの居心地良い所をこそこそ動いていただけだよ
まぁ今となっては道場にも人はいない
もう終わりさ 兄弟喧嘩をさせといて、自分は甘い汁をすすったんだな。
そんな企みに乗せられた兄弟も馬鹿だねぇ。
分割統治は、古典的な支配法なのにまんまと騙されて気付かないとは。
弟君もよほど良い条件を提示されたんだろうね。
兄を庇護すると言いながらの手のひら返しの技、みごとに決まった。
京都の伝わる古武道の奥の手なんだろうね。 倉敷を内輪揉めの喧嘩させて弱体化に成功した。
次は東京のコウノを孤立させる。
そうしたら関東の利権も手に入れられる。名代のタカギが上手くやるだろう。 あんなの兄の庇護なんてしてねぇーな
だってよう、日新館の総会ってひでぇ思い出ばっかだったもんな
馬鹿市販ばっかでさ 京都の成り上がりのシナリオにゃあ、倉敷の兄弟喧嘩があったのかい?
目の上のタンコブな奴らかい? 滅亡とともに、もうすぐ兄たちが手塩にかけた孫弟子までもタダでてに入れる寸法かもな。
まったく因業な弟子達だな。 いや、おまえらもシナリオ描きすぎだよ。
小野さんもなにもそこまで企んでいるわけじゃない。
付き合いの中でそうなったんだよ、根がそういうひらひらした奴だから。 弟子の横取りくらいは平気でやりそうだ。
陰にまわって前の師匠の悪口をたっぷりふきこんでるフシがある。 古武道って地域性が大きくて、アイキやショウリンジほど組織化されてないから、小規模に分裂したまんまなんだヨ。
関東や関西など人口があって潜在ニーズがあれば、似非でも教えてもらえるとなればホイホイ人が集まるんだ。
良いところに目をつけたね。 そのむかし、備中伝日新館にも岡山支部ってのがあったらしいヨ。 >弟子の横取りくらいは平気でやりそうだ。
陰にまわって前の師匠の悪口をたっぷりふきこんでるフシがある。
あるある
今年、京〇へ受かったら道場の傍の寮に入れてもらえるそうだよ 「竹内流」と言いながらちょっとどころか大いに違ってたところが恥ずかしい
竹内流の宗家から「まったく関係ない」って言われちゃお終い ホームページをもっているなら「うちは竹内流ではありません」と書いておくべきだ 岡大が媚中伝の支部だったらしい。
国立大をも傘下に入れる偉大なる流派。
思い上がりもいい加減にしてくれ! 古武道で総合武術「竹内流」とは。
日本柔術の源流「竹内流」は岡山県岡山市北区建部町の竹内家(竹内久盛の子孫)に伝わる「一子相伝」の家芸武術を言う。
その竹内家の流儀は竹内流宗家と竹内流相伝家に一人ずつの「 師範 」を置く。
「竹内流」の師範は
宗家竹内藤一郎と相伝家竹内藤十郎のみ存在する。
「竹内流と竹内流備中伝はまったく関係ない団体です」と竹内流宗家から言われた竹内流備中伝の弟子にとっては
竹内流備中伝の日新館(倉敷)系列、聴風館(京都)系列の師範がいくら自分達は「竹内流の師範だ」って言ったところで信用出来るわけないだろ。 自宅の敷地内ならともかく京都の小野さんは、あちこちに「竹内流17代」って石碑を置きまくってる。
こんなことして、竹内流宗家もウンザリするとおもう。 商業主義。
擬態しておいて、間違えて寄って来た虫をパクり。
技もパクり。
流祖もパクりだよ。 竹内流備中伝の複数いる師範連中が、竹内久盛を元祖として「〇代目」と代を語るなら、二代目は竹内こと菊池清太夫であるべきだ
また、竹内久盛を流祖としたいならば、「流名変更」するべきだろう
「竹内流」は一子相伝であり、日本柔術の源流であり、竹内流宗家からは「竹内流備中伝は全然無関係な団体」だと言われているのだから、本来ならば、日新館、聴風館の「流祖は菊池清太夫」である! 本家が「あそこは竹内流ではありません」という声はなかなか遠くまで届かないので、
ここで事実を明かにすることはとても大事なことだ。
だまされて門を叩く人々を食い止めることができる。
できれば翻訳したスレッドを外国語圏に貼りつけたいんだけどね。 自分とこの流祖、菊池清太夫のことすらよくわかってないなんて変だろ竹内流備中伝
竹内流備中伝の日新館は道場の「竹内流」看板を下ろすべき
先代中山の時代は終わったんだ
現在の日新館代表が態度を正しく改めて然るべき 日新館にはわるいが、京都や東京にこれほど不正がされている以上、
備中伝もお終いだろう。 外部監査が必要です。
客観性がないところにはコンプラもないでしょうね。 組織のトップたる師範の過ちを修正するのは誰か?
武道においてボトムアップは難しいだろう。 竹内流備中伝は、師範が多すぎて無責任状態。
ここは、やはり日新館が聴風館へ対して物申す立場じゃないのか?
聴風館と中途半端に仲良しこよししてるから、おかしな方向へ進んでるんだ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています