>>246
開祖は合気道の経営や拡大をまったく考えてなかったようですね。ほぼ滅びかけたから塩田剛三が演武会をやりだした。そして養神館が目立ってきたから本部も対抗して大学でサークルとして拡大していったとか。

そうか。藤平氏が技術の統一を図って分裂した過去があったのか。藤平氏は十段。柔道経験者。技量は自他共に開祖にも認められていた方。その方ですら技術の統一はうまくいかないのか。
やはり武道は個性があるんだよなあ
師匠と弟子は他人なんだよ。目的も性格も体格も運動能力も全部違うんだよな。
緩やかに統一か。
でも大東流合気柔術も武田惣角の弟子を緩やかに統一しようとしたが開祖は拒否したそうな。
嘉納治五郎も柔術系を柔道として緩やかに統一しようとしたが空手や合気道は柔術に統一されなかった。
空手は当身の危険性から取り扱いがわからなかったし
合気道は確立されていたから取り込めなかった。
緩やかに統一か。
最低限目的だけは統一させてそれ以外は好きにやれってことかな。
最低限を何と定義するかだよな
岩間や富木流はそんなに追放されるような流派なのか?
試合形式導入は許されない限界なのだろうか。
じゃあ武器術はどうなる。