さて、最後に>>130をもう一度ざっと見てください

みなさんに思い浮かべてもらって分かったのは、糸州に限らず
他の多くの唐手家も>>130というあり様だということです。
そして糸州に限らず多くの唐手家が自由組手も掛け試しもやった痕跡が見られないのです。


糸州1人が秘密主義ならそれもありますが、糸州に限らず多くの唐手家がこのような状況です

元々どういう教えだったのか分からない、ではなく元々意味がなかったから答えようがなく、現代でも伝わっていないんですよ。
それは首里手の糸州に限らずどの流派でも一緒。十三、セーサン、セーシャンの思考実験で分かったでしょう。
十三でなく他の型であっても同じことなんですよ。パッサイでもいいしナイハンチでもいいしセイエンチンでもいい

1人の唐手家の話ではなく、多くの唐手家がこんな状態だという不自然な状況が続けば、さすがに分かりますよね?

元から意味がないから答えられなかった。元の意味が分からない、とかいう心の甘えは捨てましょう。元から大した意味はないのです。それが型。

唐手の世界には伝書の類がありません。船越が1922年に初の唐手の書である「琉球拳法唐手」を記しましたが
書かれてる内容は型の順番程度でした。>>145は唐手に伝わる高度な技がどうとか夢見ていますが、高度ではなく
低度な技で「すら」記してません。

型は教えても手は教えるな、で警戒して本土の人間には型の中身を書かなかったのでしょうか?
違いますがな、型の順番くらいしか書ける内容が無かったんだよ。それが当時の沖縄の唐手界のレベル。
船越が型を知らないから書けないじゃなくて、糸州だって書けないよ。書けたらピンアンの第一動作の意味くらい余裕で伝わってるって(笑)