>>393の続き
SSR の訓練(最高クラス)には射撃がある(日本の護身術で射撃までやるところは少ないはず)。
これは相手の武器と同等以上の武器で対応するという理論に基づいているからだ。
そして、その理論を徹底しているため、素手で銃やナイフをディスアームするという考え(技)はない(ほかの素手の技も少ない)。

銃に対してディスアームとか銃で反撃などは日本では現実的ではないが、どちらも論理的には正当な考えだと思う。
しかし、モンド理論では「その技は使えない」という理由で「最終手段としての特定の技」を最初から放棄している。
技が成功するための条件を無視しているし、技を認めることと練習するか否かは別問題だろう。これは理論上の欠陥だと思う。

ツルギが認めているのは護身具術(護身具の有効性)であってモンド理論ではない。そしてツルギが普及させたいのは自分の護身術だ。
モンドは、ツルギの体術も理論も正しいとは思っていない。
お互いが認め合うということは、違いを見て見ぬふりをすることなのだろう。
見ないふりをしたままお互いが利用し合っていても、ツルギが護身具術を吸収した後は、モンドは用済みとなり切り捨てられるのではないかと思う。
自分の理論を否定している者といつまでも共生しているほどツルギはお人好しではないはずだ。