ゲームじゃなくてこれが打ち込んでる対象が勉強とかスポーツとか武術になると、途端に美化されがちだけど
結局は一緒。面白いから、楽しいから、自己満足できるからやってます、であって
そんな事のために寝る間も惜しんでやったところで、それは努力とはいえない。

どこの世界に寝る間も惜しんでオナニー(自己満足)をし続けたヤツを「努力したね」と褒めるヤツが居るのか。
勉強にしてもスポーツにしても稽古にしてもTVゲームにしても、百歩譲って言うなら「よく追求したね」が
せいぜいであって。それは労力は賞賛されども努力とはいえない。世間一般では勘違いされやすけどね。

好きなことをを好きな時間に好きなだけやる、なんてのは努力とはいえない。そんなのはオナニーと一緒。
努力というのは「自分が近づきたくないものに近づき、理解したくないものを理解する」こと。
そう教えてくれた人がいて、非常に納得した想い出がある。

使えるかどうかを二の次にして、妄想に浸って型に隠されたシルエットクイズや身体操作なんかを夢想するよりも
そんなものは使えないという現実に歩み寄って近づき、mmaの実用的な技術を理解する導入する、それこそが努力だよね。

そういう意味では、貴方のおっしゃる通り型オタは努力していないと思う。
俺は型オタじゃなくて多くの型肯定派もこれにしかりだと思うよ。