しかし、沖縄唐手の先生方がmmaの選手と試合して負けたとしても、悲観することはない
なぜなら、中国拳法と違って唐手には「型」という素晴らしいものがある

中国拳法にも套路があるけど、唐手の型と違って套路には積み重ねてきた技術が詰まっている。
その技術が約束組手の世界でしか通用しなかったり、弟子相手にしか作用しないものであったとしても
それでもこれ技術はれっきとした技術。そしてなまじそういう技術を積み重ねてきた歴史があるからこそ
mmaに負けたからといって、対mma用に套路に詰まっている技術体系をいまさら大幅に変えることは不可能。

馬に乗って矢を射る流鏑馬(やぶさめ)というものがあるが、現代では馬なんか乗らないからバイクで代用しようぜ
今後は50ccの原付に乗りながら射る技術を開発して伝承していきます! なんて出来ないのと一緒。
良くも悪くも、それが伝統芸能というもの。中国拳法の套路も積み重ねてきた技術があるからその制約に縛られてる。

だけど唐手の「型」は違う。なまじ積み重ねてきた技術がなくて中身がスッカラカンだから
mmaに負けても問題ない。負けたら負けたで、mmaの技術を丸ごとパクって型にこじつけちゃうことも可能。

みんな大好きシルエットクイズで「解けた! ナイハンチのこの動作は、タックルからマウントへの攻防を意味しているんだ!」
ってことで、mmaの技術をどんどん型の中から発見したってことで唐手に導入できる。同じ技術を身につければ理論上負けはありえない。
これが套路にはマネできない唐手の強みであり型の強みでもある。

なまじ技術を積み重ねてこなかった歴史が、ことこの局面においては強力なカードとして効果を発揮する。

型に大した意味がないといういことは、大した意味をこじつけれるという事でもあるのです。ありがたやありがたや。