大日本拳法というのは、糸東流が当初名乗っていた武道名。
当時はまだ唐手、空手という名称はなかった。
大阪に居を構えた摩文仁賢和は、沖縄色はとらず、日本の拳法として
大日本拳法を唱え、普及をはかった
その後、空手という名称が一般化し、全空連が発足したころ、糸東流空手道に
名称を改めた。糸東流はそれまで防具組手だったが、寸止め式に変更。
しかし、しばらくして以前のように防具組手でやりたいとする学生たちが、
糸東流の大学空手部から分離独立し、大日本拳法部を作った(関大、関学大)。
その際旧称の日本拳法を使ったわけだ。
これが日本拳法の起源。