>>591
ありがとう
唐手の歴史を紐解けば、今後の空手界が取るべき道が見えてくるのに
何故だか他の肯定派はそれをしようとしない

例えば剛柔流の宮城長順がセーパイを創作した時、首里手の型なんかと違って歴史なんか全然なく
昨日完成しました状態なわけ。とてもじゃないがセーパイが古伝を名乗るなんておこがましい
歴史が1日しかない型。当時はね。

でも宮城が創作してからざっと100年は経った現代から見れば、一応古伝の型の部類には入れるわけ。
200年くらい経てばもう完璧胸を張って古伝を名乗れるんだけど、まあ100年前に作られた型でもそれなりに古いわけさね。

だから現代の人間はセーパイは古い型ですと言えるし、あるいは古伝の型を練習してるといって差し支えない。

いつぞや書いた、宮城が取り入れた金剛園というレスリングの鍛錬器具も
当時の沖縄唐手の人たちから見れば伝統でも何でもない、変わったもの取り入れて差別化を図りたいのか?っていう
イキった道具に見える訳だけど、セーパイ同様現代の人間にしてみれば古い鍛え方、古伝の鍛錬具になるわけ。一応ね。
これもあと100年も経てば完璧だろうけどね。

セーパイの創作にしろ金剛園の導入にしろ、宮城は新しいことに挑戦した。
別に宮城に限った話じゃなく、黙ってるだけで首里手の唐手家だって似たり寄ったりで
古伝なんかとは到底呼べないものを取り入れたり作ったりして、それを唐手と称してきたわけ。
分解なんてものがほとんど無かったのに、分解があたかも沖縄で古来からやってきた稽古のように
現地の沖縄で導入されて稽古されてるでしょ? 片や本土の人間は約束組手や自由組手など開発しまくってくれたしね。

昔の人がやってきたのに現代の人間が出来ないわけがない。
何が言いたいかというと、ようするに唐手は型も含めて中身がスッカラカンで
技術的にも武術的にもハリボテに等しい稚拙で未熟な存在なんだから
宮城がセーパイを創作したときのように、あるいは金剛園を取り入れた時のように
「型は使えない」と言われるのが嫌であるなら、「使える」技術なりトレーニングなりを
他のスポーツや格闘技からパクって取り入れちゃえ、こじつけちゃえという話よ。宮城のように。