木村政彦 3
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柔道家と総合格闘家としての木村政彦スレです、プロレスと力道山の話は禁止
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前スレ
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/budou/1551748349/ そりゃあアマだろ
囲碁は初段からプロだしな(将棋は四段から)
昔はどうだったかは知らんけど >>793
見ればわかるって
普通じゃないですね (;´・ω・)
>>793さまのご家族
陶芸
または彫刻ですか・・・・?
異常ながんりき(眼力)
備わるお仕事らしいんで・・・・
私のばーちゃん
ひーばーちゃんは
服は趣味で
専業主婦だったから
技術面は職人レベルか判りません。
12年前
私が24の時
( ´・ω・) カラー柔道衣ほしい
( ´・ω・) 青じゃ普通だから黄色がいい
一週間後
( -д-) 上衣の上半分と下半分
ズボンの生地と色はこれでいいか
部品のサンプル送ってきた o( ’∀ ’)o
https://pbs.twimg.com/media/EOnmDnMU0AAyFr8.jpg ポケットテッシュと並べると
小さいから
これが完成品じゃないの判ると思います。
あと市販の柔術衣買っても
こんなの付いてこないんで
これが柔術衣じゃない証拠にも (´・ω・`)
二重に織られた完成品
その一週間後
もう届いた o( ’∀ ’)o
(ちなみに柔術衣は一重です)
染め物の設備
趣味でもともとあって
織るのも足踏み式の
江戸時代の (´・ω・`)?って
はたおり機でつくったみたい。
柔道衣は
扱った事ないほど硬いから
出力あげるため
自分で改造までしてた (´・ω・`) ・・・・
完成品
12年つかって
ほつれ色落ちありません。
ざっと
技術のほうはこういう感じ。 ひーばーちゃんのばーちゃんも
同じ能力あったらしいです。
藩主の細君だったから
やっぱり専業主婦 (´・ω・`)?
になるのかな・・・・
一族以外に
似たのやれる人
ひとりお会いした事あります。
工作機メーカーの開発主任で
眼をつむって機械
数十秒〜数分
手に持って撫でたり傾げたり。
そしたら
「どこそこがわるい」
「ここに改善の余地がある」
チリほどの狂いが判っちゃう・・・・
学は無いけど
製品をどんどん発明
特許いっぱい認められ
会社大きくなったの
その人のおかげなんだって。
>>793さまの会った洋服屋さんも
たぶん同類なんでしょうね (´・ω・`) なんで「彫刻ですか?」と
お尋ねしたかと云うと・・・・
ルネサンスイタリアに
ベンヴェヌート・チェッリーニという
彫刻家がいました。
この人が>>793さま同様
異常ながんりきがあり
視ただけでその人がどういう性能か
わかったそうです。
あと武道で云う
「隙」なんかも
わかったと・・・・
ひとりで三十人を相手にし
あっというまに全員斬ったそうです。
みかねて
王宮一の剣士が刺客に送られてきても
それも秒殺。
剣は学んだ事がなく
武器は彫刻のノミだけでした。
そういうのは
隙がわかるから出来たみたい。
きっと>>793さまも
格闘技とかしないで強いでしょうね・・・・
私じゃ無理だ (´・ω・`) アマならまぁそこそこ強いってレベルだろ
金払えば貰えるんだし そんなたいそうなもんじゃないよ
職人以外の才能はさっぱりわからないよ 増田せんせいは木村政彦を講道館殿堂入りさせててないことをぼやいてたけど、
実際殿堂入りしてない人ら並べて考えてみると木村先生の優先順位は少し低くなるかな
木村政彦より優先順位上なのは、前田光世、川石酒造之助、小泉軍治、谷幸雄、松前重義
ここら辺はまず確定
あと考えるのは、
ワシリー・オシェプコフ、モーシェ・フェルデンクライス
富木謙治、望月稔、辺り こういうのは実力だけではなく柔道への貢献度も考慮されるもんだよ >>803
ロシア柔道の祖ワシリーさん
ウラジオストクに
こんな像建ってるみたいです。
http://curiosity-travel.com/wp-content/uploads/2019/10/IMG_3840-1024x768.jpeg
ワシリーさんのご師匠が
苫米地英俊って人で
(「とまべち・ひでとし」)
小樽高商の教授でした。
ウラジオストクでは
嘉納先生
ワシリーさん
苫米地教授が
三先人としてお写真並べられるほど。
https://livedoor.blogimg.jp/tomabechi1/imgs/3/8/38303f6c.jpg
苫米地教授の小樽高商の生徒さんに
村井顕八という人がいて
(「むらい・あきや」)
北米、南米、中国、ヨーロッパを
他流試合で転戦したそうです。
育てた生徒の実力とスケール
教授ご自身のロシアでの評価
(お名前のついた大会が今も残るそうです)
ひょっとして殿堂入りに近いご存在かも
知れないですね ( ’− ’) ロシアへの普及はワシリー氏の活躍で行われたとはいえ
だいぶ遅れたよね
それ以前は敵国だと認識してたから普及活動しなかったのかな
サンボの祖でもあるんでしたっけワシリー氏は
あなたの話興味深いなあ
経歴からすると
他流試合のやり方は知ってはいないだろうけども
柔術は少しは知ってたのかもね 木村は死んでも誰も銅像立ててくれなひw
逆に生きてるうちに銅像が立つ奴は人間のクズ >>808
なるほど、敵国・・・・
苫米地教授が小樽高商柔道部を率い
ウラジオストクに遠征
ワシリー氏らと交流出来た柔かい精神は
小樽がウラジオストクとの交易で栄えたから
てのもあったんでしょうね。
距離的にも
精神的にも近かった ( ’∀ ’)
その時の部員には
栗林海運の御曹司
栗林徳一がいて
(「くりばやし・とくいち」)
同じく部員だった村井顕八と
卒業後
南洋
南米にまで事業を伸ばしたそうです。
部活の顧問だった苫米地教授の
商業外語の指導
柔道精神の継承が
生徒さんを世界に向かわせた気がします。
栗林さま
耳が潰れてますね。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/62/Tokuichi_Kuribayashi.png
柔道衣の背中が破れたという
往時の小樽高商の
厳しい寝技の練習が偲ばれます (´・ω・`) >>809
作像・・・・
>>802さまの出番だ ヽ( ’∀ ’)ノ 講道館殿堂は日本人しかなれない決まりでもあるのかね 女も殿堂入りさせてもらえないからね
差別主義団体ですよ 女性で殿堂入りの可能性があるとしたら、福田敬子とラスティ・カノコギかな 53年7月30日
https://pbs.twimg.com/media/EPIU2NjU0AAnCSP.jpg
巨人がいる (´・ω・`) ・・・・
誰これ (´・ω・`) ・・・・
木村先生が加わったの
ずっと後だけど
この皆さんの普段のスパー
どうだったのかな (´・ω・`) ・・・・ >>815
巨人は卓イ約かと
この写真で遠藤幸吉(元柔道家)が中心になってしまったので
あとで力道山に「テメエ、何エラそうに真ん中にいやがるんだ!」
と怒られたそうですね 講道館殿堂は山下さんですら入ってないのに木村ごときが入れるわけないじゃんw >>816
検索したら
台湾ご出身
もと力士さんなんですね ( ’Д ’)
2メートル3センチ Σ(・ω・`;)
立って取っ組み合ったら
普通は倒せない人でしょう。
遠藤さまと立ちスパー
どうだったのかな ( ’∀ ’)
力道山
村井顕八が「アレ」を観て
「自分なら勝てる」と。
1890年1月20日生まれだから
六十代なかばになってたのに・・・・
やっぱり世界中他流試合でまわった人は
ちがうのかな。
実現してたら
合気道の植芝盛平をくだした一本背負が
再び火を噴いたのか ヽ( ’∀ ’)ノ ついにリネール負けたね、しかも背の低い日本人、影浦心に投げられて
10年負け無し、154連勝ストップだって
リネールは背の低い相手苦手だから全盛期の木村先生には勝てないだろうね 15年不敗は戦争で柔道できなかった期間もカウントしてると何回言えば分かるんだ木村信者は。 >>822
実際負けてないし、戦後も優勝して連勝してるんだから15年不敗で間違ってないんだけど? >>823
世界選手権で日本人が勝ったことがあるんじゃない? リネールの10年不敗(休養1年含む)154連勝は五輪2度、世界選手権5度優勝と
ほとんどが大きい大会だけで積み重ねてる
山下さんの208連勝(引き分け挟む)が7年、ナツラの312連勝が3年なのをみても
いかにリネールがスローペースなのかが分かる ナツラはペース早すぎる
年間100試合って事は小さな大会にも出まくってたのだろうが怪我が怖い 木村政彦の
「正式な柔道競技に於ける」
敗けなかった年は
以下のようになってます。
1937年 日本選士権 優勝
1938年 日本選士権 二連覇
1939年 日本選士権 三連覇
1940年 天覧試合 優勝
1941年 明治神宮柔道競技 優勝
1942年
1943年
1944年
1945年
1946年
1947年 西日本柔道選手権 優勝
1948年 全九州vs全関西 勝利
1949年 全日本選手権 優勝
日本が機能してなかった
空白の五年を除くとすれば
木村先生の記録は
「八年無敗」が答なようです。
山下会長が八年無敗。
リネール選手も八年無敗。
年数としてこの辺が
ヒトの限界なのかも知れません。 戦後殆ど練習しなくても優勝したの
本人の全盛期の貯金がすごかったのはもちろんだけど戦争で若い世代が十分伸びなかったのもあるかもね >>832
おめえごときが人間の限界勝手に決めんなボケ >>833
確かに
戦中に十代を過ごした全日本王者は
醍醐敏郎
曽根康治の
二人しかいませんね。
醍醐先生は26で初優勝
曽根先生は30で初優勝
いずれも遅咲きです。
戦後しばらくは
戦前に実力の完成していた世代が
上位を独占してました。
これはもう
「戦中は後進が育たなかった」と
まともにゆっちゃっていいでしょう。 全日本は優勝者がコロコロ変わる大会じゃないからね
大体は2〜3人の争いになる
全日本の優勝争いする選手が3〜4年出てこないなんて現代でも珍しくないよ >>832
ブランクの間に老化するんだから単純に比較なんてできない 角田夏実選手
オリンピック選ばれなくて残念でした。
続けてれば必ずいい事あります。
エール送りたいです
頑張って (´;ω;`)
・・・・きょねん夏の取材ですけど
足の指すごい動くんですね。
https://youtu.be/wPptXceZ0TY?t=80
これがもっと進むと
足で食事がとれるようになります。
そうなれば
足で上空のハエが落とせる不可視の蹴り
ファントムハイが撃てるし
ブラジリアン柔術の世界王者にも
パスされなくなります。
・・・・はいウソです。
足で食事がとれる人間なんて
いるわけないじゃないですか。
ははは・・・・
大事なのは
どこかにそういう人間がいるかもと
角田選手
夢をみて競技に生甲斐見出してほしいなと・・・・ 角田は階級変えるのが一年早ければ代表なれてたんじゃないかな 知るかボケ
木村と関係無いだろ
いい加減にしろバカ野郎 >>840
NO MORE 悩み無用! あなたの髪きっと生えてくる
信じて喜び抱きしめよう リーブ・イズ・ワンダフル! 木村てチビだけど、力道山やルーテーズとツーショットしてる写真見ると、かなり分厚く感じる。しかもこの時はアル中で練習もあんまりしなかった時期。
対局に柔道と筋トレしか頭に無かった頃の全盛期の写真見たら、足も腕も首も異様に太い。本当に全盛期の木村なら力道山に不意打ちのパンチ喰らっても「約束違うよ!」とか余裕かましながら、リング降りて速やかにリングを退散し、今と違う「木村政彦は何故力道山を・・・」になったと思う。 木村先生は体格差関係なさそう
現代人の知らない立ち技寝技打撃技を持ってる
と期待して夢を膨らませ寝るのであった
おやすみ >>845
バックに893がいるから試合放棄なんてできないし
ガチでやり返すこともできない
893を利用して893に殺された力道山
悪魔と契約したようなもんだ https://pbs.twimg.com/media/BphCvY-CAAAM2Xk?format=jpg&name=medium
真ん中のゴリラの握力が100K台なのに戦前の栄養飢餓状態の体重も半分位の木村政彦の握力が200K超えってやりすぎ都市伝説だろw >>848
木村は実際ものすごく強かったのは疑う余地もないとは思うけど
伝説や武勇伝みたいなのは誇張されてるのも間違い無いと思う 力道山との試合の映像を見ると普通のおっさんにしか見えない
ただ腹が出てないのは流石だというべきなのかも知れないけど >>848
子供の頃から砂利すくいという重労働やってたことを考えると
嘘とも思えない 握力のギネス記録でも200kgはいってない
だいたい戦前にどうやって計測したんだ 握力計を2台繋げればオーケー
体重計だって2台あれば片脚づつ乗っかって
2倍まで測れる 先日、海外で木村先生のトレーニング動画がアップされてたけど
数日で3万人超えしてた。コメント数は200超え。
海外でも人気があるようです
腕立て千回はすごいとか、「木村の前に木村なく〜」
の下りが英訳されてるコメントがありました
https://m.youtube.com/watch?v=0odFYdoCD5A >>854のチャンネルですが、運営者は外国人なのに
結構貴重な日本の柔術や柔道の歴史資料を披露している
多くのBJJの技のルーツが高専や古流、当初の講道館に
あることを解説していて面白い
コメントの文章なのでよくわからないけど読む限りではサンタナvs木村の映像が存在するらしい
信じる信じないはあなた次第です サンタナ戦の映像はわずか数秒だけど昔YouTubeで見たことあるから存在してる可能性は高い 力道山にチョップ食らった後のタックルみるとやっぱり強かったのかなと
ロープなければテイクダウンとれてた
その後のレフェリーへアピールして打撃食らってしまう警戒心の無さはひどい 柔道家であんなタックル出来る人ってほとんどいないんじゃないか?
双手刈じゃなくてレスリングのタックルに見える >>863
プロレスだから
タックルやったから次は力道のターンかなと思ってたんじゃない? 力道はキレたかスイッチを入れたけど木村先生はシュートのスイッチを入れなかった
許せんわな 木村先生のタックル凄いと私も思いました
合理的なタックルですね
印象に残ってます 木村政彦ってプロレスやってたくらいだから柔道でも八百長で勝たせてもらってたのかな 打撃かわして最初胴タックルから行って倒れないと見たら
相撲だと食らう機会がない下半身へのタックルにシフトしたのはさすがだとおもった 力とプロレスやって完全に息が上がってるのは
やっぱプロとして駄目だよね 木村、実は弱かったと思うよ
あの時代、大山とか塩田とかとつるんでたわけだろ
全員インチキだと思うね 柔道関係者の証言も知らんのか
知らないにしてもいい加減なこと言うなよ 少なくとも力道とプロレスやってる動画見ると全然強そうに見えない
エリオと柔道やってる動画だと身体も太くて強そうだが >>877
プロレスは演劇だからな
演技は下手なのさ >>863
ひどいのはどう考えても力道山
キチガイすぎる 橋本はかわいそうだったがブック破りの原罪はあるなプロレス側に
柔道界と抗争にはならなかったが
プロレスの異種格闘技戦は八百長多いが一番危険なのがブック破りな
高田と北尾も
猪木ウィリーは両陣営ブック破りを疑ってたから殺伐として両方のセコンドが入り乱れてた
ブック破り起きたらそのまま乱闘の暴動になってたろう そういえば木村先生の弟子の岩釣さんと拓大が全日本プロレスと契約してブック破りで馬場さんをやるつもりだったらしいが交渉の席で決裂した
やるなら息子の百田や力道に可愛がられた朝鮮人の大木金太郎を狙えば良かったのにと思うが
馬場さんは良心的な人だぞ
元子さんは良くなかったが 馬場は力道山にかわいがられたけど
それでも力道山をよく言ってないな
猪木は犠牲者の一人 あんな虐待されたら猪木さんの人格にも影響出ても仕方ない
でも団体のトップに立って以降は後輩や弟子を理不尽に虐待したりしてないようでよかった
とはいってもスパーリングで猪木にシュートを仕掛けた若手時代の前田やしょっぱい試合した下の者には前田が坂田に入れたヤキよりも凄まじい制裁を加えるのがしきたりだったり船木曰く佐山合宿動画みたいなのが当たり前の日常だったらしいけど
プロレスってプロ野球や相撲よりも幕内デビューできるの少数な厳しい世界だからね 増田俊也の本読んでるけど
木村政彦が米兵4人と喧嘩したときに使ったのは
金的蹴り、一本背負い、頭突き、金玉握りで、
金玉握りは中学時代から喧嘩で使ってる得意技だったらしいな
喧嘩ではやっぱり柔道技だけではダメなんだなって思ったわ >>883
佐山の動画はエンタメだってば
しつこいなぁ カメラが回ってるから普段より力が入っちゃったとは言ってたけど、佐山はあれが日常で普通だよ >>886
金玉蹴りも柔道技だよ
極の形の蹴上にある
頭突きも柔道の当て身技に分類がある
金玉握りはすくい投げとかでの応用だろうな このあいだ平野先生とケンカしたって話の動画があがってたな 以前木村先生に直接教えてもらった初老の方と
話す機会があったけどやっぱり凄かったって
あの方の大外刈りは特殊すぎて
真似できないって言ってみえたなあ
あと昔の柔道家は体格が小さいから
弱いのでは?というのはちょっと違うと思う あと友人はその昔に岩釣さんに
指導受けたことがあるって言っていたなあ https://youtu.be/No1dCHq1bOk
概出かもしれんが思わず見入っちゃった
これで分かったのは木村政彦にとってプロレスはあくまで徹頭徹尾ショーだと信じてた。
力道山はプロレスの中に狂気も秘めてるって事を木村に隠してた。
というよりも木村があまりにお人好し過ぎた。
おそらく木村が力道山とのタッグを解消したいっていう後からの力道山に挑戦っていうブックもあったんだと思う。
「そうか木村さん、だったらシングルやって全国回ろう!そしたら稼げるよ」→これは木村がテレビで発言してる。
試合前の緊張感ってのも全くなかったって証言してる。
そのくらい力道山は安心させてたんだろうな。
木村は金的も本気で入れてないって
入ってたら悶絶してるはずだから
あれも筋書きに入ってたんだろう。
当時は木村は力道山に負けた事実しか残らなかったが、UFCが流行り出してそのグレイシーの始祖ともいうべきエリオを倒した木村政彦は武道家として偉大だったと評価が上がってる。
どっちが勝者だったんだろう? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています