第13部 竹内流備中傅 わいせつ行為
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第13部です
古武道の名流派「竹内流」と「竹内流備中傅」とは
まったくもって関係がない他流である事を明記しておきます。 これは備中伝の内部抗争では無く
元凶の全ては聴風館の大風呂敷にある
備中伝の本部はあくまでも岡山の日新館だ
しかし日新館の先代が亡くなって以降
そのカリスマは京都の聴風館が握る事になった
何故なら聴風館は正に日新館先代の古い直門であり
その実力も現在の日新館とは比べ物にはならないからである
聴風館は岡山古武道部出身であること
道場も私有地内に有る
その指導歴は過去50年という実績がものをいう
実際にはこれは竹内流備中伝の内部事情でしかないのだが
君臨する聴風館に対して少なからずも同調する事だけは避けてきた現在の日新館は数年前までは別の顔を持っていた
この次男率いる日新館が兄の様に竹内流宗家相伝家へ対して日新館先代の過去の誤りをただし正道を選ぶことを一番望まなかった人物は京都の聴風館に他ならない
日新館を防波堤として今まで通り竹内流で名称を通さなければ己が過去に拡げた大風呂敷は全て嘘八百となることを危惧した聴風館
日新館は聴風館に利用されつつも先代からの日新館として対面を保つ安易な道を選んだ
現在の日新館の館長の周囲には先代からの若い直門も存在し彼等は「師範」の名を捨て難く
更に今後も利用価値があると踏んでいる >日新館は聴風館に利用されつつも先代からの日新館として対面を保つ安易な道を選んだ
聴風館の支部数と門人数という数の暴力を利用する道を選んだ 手元に約50年まえの史料がある
竹内流宗家 竹内藤一郎
竹内流相伝家 竹内藤十郎
上記には当時の代が記してある
その横に中山取真の名があるものの「竹内流」「代」等は一切書かれてるいない
その資料の発行は竹内流竹内家である
倉敷から遥々建部まで熱心に通った日新館先代の中山先生を迎え入れていた竹内流竹内家ではあるが
そこには明確に竹内流では無いのだという線引きがされているように
当時の中山先生も理解していたはずである >備中内の権力闘争に負けた勢力が、外部(竹内流)の権威で巻き返しはかってるんだろ
備中伝内部の権力闘争って何?
それは備中伝が創作と捏造で竹内流を名乗ることと関係あるの? このスレッドは1000を超えました。
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