第13部 竹内流備中傅 わいせつ行為
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ようこそ
第13部です
古武道の名流派「竹内流」と「竹内流備中傅」とは
まったくもって関係がない他流である事を明記しておきます。 竹内流は岡山県の建部町に存在する
竹内家の一子相伝により
500年近くに渡って存続している
武術の流派である。
その存在は古武道界のみならず広くに知れ渡り
伝統的な日本文化の継承維持を続ける家柄としても
類い稀なる精神性の高さからも
全国的に文化財保護の声が高まってきている。
近年、竹内流備中傅と称しながら
その「竹内流」の名を名乗り日本文化伝統の破壊を試して辞さない
悪質な金儲け主義武道集団の師範達による
わいせつ行為、セクシャルハラスメント、事実に合わない偽の免状発行
等が表沙汰となり話題に上ってきた。
ここでは内部告発を含む悲痛な叫びにも近い被害者達の
声(声なき者の声)を訴えていく。 そもそも論だがな。
竹内流備中傅って名称でいる限り、少なくとも流祖が竹内久盛ではおかしいことになる。
備中傅の流祖がいるにもかかわらず、竹内流の流祖である竹内久盛を竹内流備中傅が流祖にして京都の老害が流祖祭を山賊焼きさながらのBBQ大会って無茶苦茶な流派じゃないのか?
こんなのを日本全国から海外にまでばらまいて黙って見てる次世代後継者が東京支部だってんだから、やはり問題だろ? 備中伝への反証@ 竹内流の完全相伝について
備中伝が『倉敷の歴史』第23号に寄稿した『 倉敷市域における武術流派竹内流の系譜 』
の中で、備中伝は竹内流の完全相伝だという主張をしていますが、これは現行の
竹内流宗家が正統な家督を継いでないという失礼極まりない誹謗中傷を発表した事になります。
まず、完全相伝とは一般的に弟子が師匠と同じ権利を持ち独立して
自由に活動できる制度を意味しますが、竹内流の場合は
『竹内流は天文元年(1532)、美作国一之瀬城の城主竹内中務大輔久盛が創始し、
二代目常陸介久勝、三代目久吉と親・子・孫三代にわたって大成された捕手・柔術です。
竹内家(藤一郎家・藤十郎家)だけがその流儀と血脈を継承している文化財です。
門弟は掟によって「他人に師を名乗ること」が厳禁されています。
( 出典:平成28年9月18日「第40回岡山県古武道祭」岡山県武道舘/ 配布冊子・竹内藤一郎著の部分より抜粋)』
と、竹内流では武術の家元(流儀)だけでなく、竹内家の家督(血脈)も一子相伝で継ぐ【流儀と血脈が不可分の継承形式】
であり、一方で門弟は掟によって「他人に師を名乗ること」が厳禁されている、つまり一代限りの不完全相伝であったので、
門弟は竹内流を名乗れず新流儀を起こし、日本中に竹内流を祖とする流儀が広まっていったのです。
竹内流の歴史を見ても二代目は次男が継ぎ、血脈のある長男ですら竹内流を名乗れなかった事実からも、
血脈のない備中伝が竹内流の完全相伝に入り込む余地などそもそもあり得ないどころか、備中伝が完全相伝を
主張するという事は、備中伝こそが竹内家の流儀と血脈を継いだ竹内流の本家を主張している事になってしまいます。
備中伝は、自称四代目菊池正次が竹内家から竹内姓を頂き、竹内流を完全相伝して、竹内流を名乗って代々活動してきたと
主張していますが、備中伝の系譜の五代目以降は竹内姓ではないことから【流儀と血脈が不可分の竹内流の完全相伝】になっていないどころか、
むしろ門弟には一代限りの不完全相伝という掟が備中伝が公開している系譜からも証明されてしまい、備中伝の主張と伝系が完全に矛盾しているのです。 備中伝が無視する歴史的事実
『西暦839年、平安京を守護するため平安京を北から一望できる釈迦谷山の鷹ケ峰に妙見菩薩を配置するため、
元々鎮座していた愛宕神が移動させられ、釈迦谷山鷹ケ峰は平安京総鎮守の妙見信仰の聖地となりました』
備中伝の根拠のなき主張
釈迦谷は元愛宕=愛宕神を信仰していた流祖が幼少の頃、今出川から歩いて源氏の剣法を修業しに行ったんやー
妙見信仰の平安京総鎮守の山に、愛宕信仰だからという理由だけで流祖が通ったというのは
当時の歴史的事実と信仰を完全に無視した、無知な現代人の発想にしか過ぎません
HPで ttps://www.geocities.jp/minamoto_hitotsugu/takenouchikeifu.html
【元服前、京都元愛宕山(現、大宮釈迦谷山)に於いて家伝の源氏の剣法を修行】
などと歴史的事実のように書かれてますが
ちゃんと根拠を示してください
妙見様を祀ってる地元民を馬鹿にしないでください >菊池清太夫の時代の備中は「天領」だ
>4代前の森は「児島郡」5代前の高嶋は「児島郡」へ伝承させている
>宗家の言う「備中竹内流」はどの時代を言っているか明らかだ
小島群は備前だね。備中ではない。そして備中伝はHPで連島の系統も備中伝として出してるが
連島wikiより
>戦国時代は毛利氏の配下となる。中世後期頃になると、『吉備の穴海』の西北部で、連島北部から
>高梁川河口までの間に広がる『阿知の海』が、高梁川の沖積作用により浅くなり干潮時には干潟が広がるようになる。
>天正期に宇喜多秀家が命じて行われた干拓を皮切りに、江戸時代にかけて徐々に干拓による新田開発が進行し、陸地が南下していった。
>高梁川が現在の総社市清音古地で東西に分岐した、八幡山山塊を北端とするデルタも南下していき、17世紀前半、
>寛永6年の西阿知沖新田・連島北面新田の干拓により、ついに連島は陸地化。前述の八幡山を北端とするデルタの南端部となり、
>東西高梁川に囲まれた酒津・水江・中島・西阿知・片島などと同じ川中島地帯の一部となった。
>これにより連島北側は漁業地帯から農村地帯へ変化するが、南側は海に面し、また東西両高梁川河口部という地になったので港町としてはまだ機能していた。
>なお、この頃に備前国児島郡から備中国浅口郡に移管された[2](その他に戦国時代に移管されたという説もある[3])。
連島って少なくとも竹内流流祖三代から備中伝が祖とする菊池の時代には備中ではなく備前だったんだね。
それを現代人が、現代の岡山の地理で、歴史を後付けしたものだから
【備中伝ではない地域の伝系を入れるミス】を犯してしまった。
代々伝承している伝系ならあり得ない、後代に現代人が付け足しからこそ起こりえる痛恨のミス。
備中伝も自身のHPで備中伝とは備中地域の伝系の総称だと書いているのが完全に徒となったな。
小島群も連島も備前国、倉敷は天領。備中伝の伝系のほとんどが備中ではなくなってしまう。
後付で歴史と伝系を創作するからこのような歴史的矛盾が露呈してしまう。
代々伝承している伝系ならこのような矛盾は絶対にあり得ないことだ。 【備中伝擁護者への反論 掟編】
前提として、竹内流の分流分派を自称しているのに竹内流の掟を守らない備中伝は、
宗家・相伝家から竹内流を名乗るなと通告されました。
『159 名無しさん@一本勝ち 2018/05/03(木) 16:44:46.94 ID:5EkvPagE0
竹内流も備中伝も別の団体と言うのなら各団体の掟も別扱いになるから上下はない』
と、竹内流と別団体なら備中伝の掟は宗家の掟と上下はない、
つまり宗家の掟と備中伝の掟は対等なんだと備中伝は主張しだしました。
そして備中伝は【道場名の一字を受け継ぐのが備中伝の古流の掟】であるとして、元備中伝の眞風館が
風の字を名乗っていることと、宗家・相伝家が備中伝に竹内流を名乗るなと通告したことを同列に論じ
『121 名無しさん@一本勝ち 2018/04/30(月) 22:27:30.95 ID:i1LTZaR40
その問題で揉めているのに眞風館はその道理を無視する?』
と備中伝の掟を振りかざし元備中伝の眞風館を攻撃するだけでなく
『181 名無しさん@一本勝ち 2018/05/03(木) 22:14:54.34 ID:5EkvPagE0
婿養子だからとかバカボンと言われても仕方なかろうて
眞風館の対応を見逃すのも当代の評判につながると考えれば妥当か』
と、備中伝の掟を守らない眞風館と連携を取ってるからと宗家の人格攻撃まで行いだしました。
しかし備中伝の歴代道場名は
【勇武館】 13代
【日新館】 14代、15代
【聴風館】 16代
と、勇武館から日新館に一字も与えられてなく、日新館から聴風館に一字も与えられてないのは一目瞭然で、
聴風館と日新館が一文字ずつ与えた【新風館は平成5年12月に創立】されたので、備中伝に
【道場名の一字を受け継ぐ掟なかった事を歴代の備中伝の道場名が証明】しています。
こんな備中伝の平成に始まった、現代人が創作した風習を【竹内流の掟と上下がない】と主張するのは道理に合いませんし、
このような古流でもなんでもない嘘の風習を根拠に竹内流宗家や眞風館を口汚く罵るのが備中伝のやり方なのです。
まさに、後から言ったもの勝ち、創作したもの勝ちで、備中伝が竹内流の名で世界中に広めている
創作真髄・四半棒や捏造神伝・青葉の秘伝と全く同じ構造なのです。 備中伝が竹内流の名で竹内流を装って活動していた証拠集@
WEB「秘伝」全国道場ガイド
ttp://webhiden.jp/guide/detail/dojyo584.php
「竹内流古武道 聴風館 2015.10.06 京都 柔術/体術
470年の伝統を守り、伝承の業と精神を伝える。
自然と一体となるために京都市一望の元愛宕山の「山の道場」で
旧暦6月24日に各支部道場の小具足、捕手の奉納演武がある。 」
備中伝には訛伝の小具足が10数本と訛伝の棒術(今の剣棒草型)と
明治編纂の柔術(今の捕手・前中奥)が伝わっていた竹内流系の末流であることは否定しないし、
このままであれば古流武術として、また竹内流の地方伝播としての文化的価値も認められる。
しかし先代中山師範が宗家に習いに行き小具足や棒術を補完して技の大改革を行ったが、
宗家から免許を印可されたわけではなく、むしろ出入り禁止を言い渡されているので
宗家の系譜を引くことはできないため、事の経緯を全て隠して470年の伝統を主張して
元々伝わっていたかのように偽装したのは誰が聞いてもおかしい。
少なくともこの時点で備中伝は【昭和編纂の新古流】となっており古流のカテゴリーから外れている。
さらに備中伝16代が現代人の合理的な発想で創作した四半棒と青葉の口伝をメインに体系を見直した大改変で、
棒の長さを変えたので間合いが変わり、他流の司箭流小太刀を勝手に竹内流前斉手と名付け取り入れたり、
現代護身術として創作したはずの四半棒を流祖は山伏から四半棒で小具足を習った竹内流の神髄だの、
現代人の合理的な発想で宗家の流祖神話を否定した青羽の口伝を竹内流の神伝だのと、もはや現在の備中伝は
現代人による【古流風現代武道】と成り果ててしまったので470年の伝統なんかありません。 A 竹内流の成り立ちについて
竹内流宗家が公式HPで公開している流祖神話(ttp://www.takenouchiryu.com/jp/History/ )
>山伏の姿で現れた「愛宕神(あたごしん)」により、 小具足組打腰之廻…二十五ヶ条、
>ならびに捕手…五ヶ条を授けられたと云われます。
流祖に技を授けた山伏とは愛宕神の化身であると現在まで伝承し愛宕神を祀っているのが一子相伝の竹内流宗家の流祖神話である。
これに対して【備中伝が近年になって創作した青葉の口伝】の内容は現代人の合理的な発想に基づいているもので
神も天狗もこの世に存在しないからと「人間の山伏が流祖に教えたんやー、人間の山伏に刀は折れんから木の枝で教えたんやー」
という解釈を、【備中伝が近年になって開始した独自の流祖祭】の中で、天狗のお面をかぶって再現するという寸劇を始めだした。
しかもこの勝手な解釈による創作劇をHPで堂々と(ttp://www.choufukan.jp/pages/page.html)
>毎年八月の第一土曜日に催される流祖祭には各地から門人が集まり免状授与と神伝青葉の口伝が資格者に伝授される。
【神伝青葉の口伝】等と宣伝している。愛宕神を否定して山伏は人間だったという内容が【神伝】だなんて完全に矛盾をきたしている。
また捕縄は一対一では教えられないという現代人の発想で、その場にもう一人いたはずだと宗家の流祖神話に出てこない人物を勝手に創作している。
竹内流の分流を名乗りながら、宗家の流祖神話に勝手な解釈を加えるだけでなく愛宕神すら否定しているこの内容を備中伝は外国人の門人を通して
470年の竹内流の伝統行事(ttp://www.choufukan.jp/6-24.html)と誤った竹内流を世界中に発信して、竹内流という日本の伝統武術文化を現在進行形で破壊している。 京都の聴風館って何考えてんの?
「私は竹内流の師範です」って言って大嘘だったわけだ
しかも「わいせつ行為」って
わいせつ行為は実刑になりますよ
黄綬褒章の勲章は返納すべきだろ!!! 岡山県倉敷市の竹内流備中傅「日新館」は住所から調べると鶴崎神社の鎮守ですけど何故に阿智神社でしょうか?
これもまた社格などで選んだ武道商売人師範の入れ知恵でしょうか? >>6
後付で歴史と伝系を創作するからこのような歴史的矛盾が露呈してしまう。
代々伝承している伝系ならこのような矛盾は絶対にあり得ないことだ。
なるほどーそうなんだー
だから日新館は阿智神社を利用して歴史を捏造してる最中なわけさ。
東京支部の人継が率いる新風館の問題点は? 人継
竹内久盛が流祖の竹内流の師範だという虚飾
竹内流備中傅だという言い逃れまで準備
その竹内流備中傅の系譜からは、竹内流備中傅という根拠が曖昧
やがて、武内だか竹内睦泰という未登録神主まで
担ぎ出してキタワァ━━━━━━(n'∀')η━━━━━━ !!!!
真人
自分のカミさんの旧姓が竹内だから竹内流の血を引いているなどと妄言
流祖祭を独自で開始しさも本家竹内流の師範ような振る舞いで周囲を誤解させる
流祖祭は金が集まるシステムにしてある
そこに目をつけた近々の弟子は東京と離れているのをいいことにゴマすり調子にのる
京都の真人はついに老害天狗となって独身女性門人に対してわいせつ行為 >>14
>岡山の日新館
ここも師範だらけよ
しかも問題ありな連中ばっか >>15
>兄貴
出てったみたい
莫迦な弟と取り巻きに愛想がついたらしい 武内睦泰
聴風館の小野館のカミさん
この二人については竹内流宗家も相伝家も一切否定したってタマイ氏が過去に書いてる 自分の事を竹内流だって言いふらしてる館長が女門人にキスして京都府警へ飛び込まれたから他の門人も恥ずかしくて聴風館の名を出したくないんじゃね? 元々、なんとか流ってのは、師匠筋をただすための方便でしょう。
習って、免許もらったら、その流儀の人と認められるだけ。 それ、嘘も方便になってまうな
竹内流ってのは、一子相伝の家伝だからな なるほどー
竹内流備中傅は嘘も方便の流派ってことになる
尚更、流祖を変えるべきだろー きっちり習って免許もらってない。
いまどきコンプラも無い流儀だと、ネットで袋にされるだけだ。 ヤジキタさんVSタマイの因縁は小野館のmixiにアリと? 竹内流備中傅の誰か1人でも竹内流へ起請文を出して門弟になったという証明が出来るのか?
竹内流備中傅は残念だが無理だろうな
日本の伝統を破壊する集団
古武道には向かない人達の集団だ おいおい、竹内流備中伝の東京中野道場は
備中竹内流を名乗ってHPを上げているが内部でまとまりの無いのが露呈だよな
自業自得でふりかかる問題を複雑にしてどこまでも黒をグレーにカムフラージュしちゃおって話か
東京も師範同士に確執ありだからな
無茶ぶりのイカサマ流派には騙されないように気をつけて行こうぜ 沈黙は金也り。
だけども、これも名誉毀損を口にしたいのって竹内流のほんまもんの方でしょうな。
門人に対するワイセツ行為ってだけでもう、武道だの流儀だのいう以前の問題。 でもね、女性に対する不適切な扱いの問題と、
この備中伝の流儀のっとり問題の数々は、同じ扱いではないんですよ。
そこを勘違いしてもしょうがない。
問題は流儀を捏造して人騙して本家から略奪しようとしているということなのです。 名称は竹内流の三文字を使っているし、流祖も竹内久盛にしている事。
そして備中伝は独自の流祖祭を竹内久盛の開眼劇で執り行うことなんかは、タブーを犯していて、
流儀の乗っ取りと云われても仕方がない 古武道の常識を語る訳じゃないんだ。
竹内流備中伝はに道徳観念が備わってるのかいないのかだろうな
竹内流備中伝が平然と竹内流を名乗る流儀乗っ取り問題を今一度、被害者側の立場で考えたらどうだろうか。
流儀が無茶苦茶で矛盾だらけなのは後付けだからね
東京支部が問題を大きくしてるし、都合のいいように誘導してるだけ
実際に矛盾を指摘するすべてに対して、ハラスメントの要素は大だね
アカデミックハラスメントだからセクハラもストーカーも有りなんだよ よくわかったでしょ!
笑
嫌味ったらしくねちっこい方が中野担当
しらっとしてイエスマンの方が京都の人を継ぐ人 中野担当のねちっこい方はどっちかって言うと京都の先生よりも岡山の先代の次男坊を応援かな?
先代の長男とは同きゅう生らしくて心理的におもしろくないんだろうな
そういう所もねちっこいわな 備中竹内流を名称として欲しがったのは岡山の日新館だよね
でも、竹内流からは日新館を出たお兄さんの方なら良いですが日新館系統にはダメってことを伝えた経緯がありますよね
過去レスを読んだ
新風館の中野の方は京都の聴風館よりは、日新館との関係が深いからか
それにしたってホームページで騙ることは図々しいというものだが
それもなんとなく、意味がわかった。ありがとー ざっくり見物して来た感想を書く
竹内流備中伝は、あちこちでblogやらホームページを乱立させて「竹内流備中傅」「竹内流 備中伝」「備中竹内流」と書き直し初めているため、今回で新たに微細な改名をしはじめた模様
むしろ統一感を無くすことで今後も変化を示唆するかのようだ
竹内流備中伝からは完全離脱した先代の長男のホームページでのみ竹内流が使用を許可したはずの「備中竹内流」の呼称を使い始めたことが目新しく、また奇異に感じた
ttps://
takenouchiryubicchu.
amebaownd.
com/pages/2534396/page_201707071832)
過去において竹内流は竹内流備中伝へ対して再三のイエローカードが出されていた以下の3点については
まず、竹内流流祖の竹内久盛を「元祖」と書き換えている
次に竹内流から竹内流備中伝へ告げられた2つ目の「流祖から3代引くこと」は無視されて以前変わらず
最後に竹内流から竹内流備中伝へ対して「竹内流の三文字を名称に使用しないこと」という最大の条件は完全に忘れたのか?反故にされたままだった
竹内流備中伝の非道徳的行為はさらに竹内流宗家、竹内流相伝家との距離を開かせてしまっている。この状態に気付いていない竹内流備中伝の面々には武術家としての最低限の道理を破る事に対して羞恥心をもって頂きたい 備中伝さんについては近年
うちの流派とは親密にお付き合いする門人もいたりするのだが
やはり今後の事を考える必要も出でくるため、この際一言付け加えたい
うちの流派で普段やっている事は竹内流の流儀とさほど変わらない稽古なんだが
流祖も元祖も竹内久盛としていない
流派紹介の折も竹内流の名は一切出さないできた
備中伝さんは竹内久盛の流祖祭を独自にやっている事などは如何なものか うわっ、マジでリアルタイムで備中伝の改変が見れたw
>>36の新装されたHPで何の説明もなしに久盛が【流祖】から【元祖】に変ってるよ。
今までやってきた流祖祭はどう説明するの?
今度は元祖祭を創作して500年の伝統を騙るの?
一度嘘をつけばまた嘘で取り繕い次々と矛盾をきたす様がリアルタイムで見れるとはな。
流派名も何の説明もなしに【備中竹内流】になってるし、
2ちゃんで指摘されるたびにちょこちょこ改変されていく古流なんてあり得ないぞw
やはり備中伝は現代人の創作流派と言われても仕方がないな。 備中伝で久盛を元祖と改変したから、備中伝の流祖は菊池正次になるので
今後の流祖祭の祭神は必然と菊池になってしまう。
さあ、この矛盾を備中伝はどう説明するのかな?
今年の流祖祭が楽しみだな。
先代の備中伝が四半棒と青葉の口伝で魔改造されていく備中伝の
流祖久盛が元祖久盛に改変されたのをリアルタイムで見れるとは長生きするもんだなw 備中伝は、竹内流宗家から竹内流相伝家師範代を通して
@備中伝は竹内流でないのだから竹内流を名乗るな
A備中伝は竹内流でないのだから系譜に久盛からの三代を入れるな
B備中伝は竹内流でないのだから勝手に竹内流の免状を発行するな
という三つの条件を履行すれば岡山古武道連盟に残っていいと言われてると
過去ログに書いてあったが
久盛を流祖ではなく元祖に変えるなんて浅知恵で胡麻化したつもりなの?
代々伝わってる系譜ではなく、昭和の時代に伝書を買い漁り、
備中地方の多系統の師範の名前を集めて創作された備中伝の系譜が、
平成の世に流祖が元祖になりましたとさ。めでたしめでたし。 >>38
やはり備中伝は現代人の創作流派と言われても仕方がないな。
備中竹内流を岡山県の日新館系類が名乗る事自体、「自分達は、竹内久盛の竹内流ではありません」と宣言した事になる。
>>38の言う通り竹内流備中傅が改ざんし続ける理由は、大嘘を誤魔化して修正し続けて行く集団だという事に間違いない!
当時は信用していたものの、指導者連中が無責任にも出版した書籍や小股をすくうかのように発行した段位の免状は、今や外国人にまで。
竹内流の技を稽古するのなら先ず
竹内流備中傅は自分らの立場をわきまえろよ! 備中伝の新装HP見たけど、冒頭から500年の伝統を主張していてお茶吹いた(笑)
備中伝に伝わっていた小具足は十数本だけで柔術も棒術も別物で先代が宗家に習いに行った事実はなかったことになってる。
しかも先代は宗家から出入り禁止をくらってるので宗家の技を教える資格なんてないんだよな。
だから500年前から備中伝に伝わっていた、技だという大ウソで正当化しているのが備中伝。
備中伝に伝わっていた小具足は十数本で今の表や裏が混ざった訛伝だった事実は備中伝の指導者連中なら周知の事実なんだがな。
備中伝の柔術なんて講道館柔道に対抗して作られた体系なのに500年の歴史なんですかおめでてーな。
棒術のいわゆる草型や真棒という訛伝と別物の棒術に宗家の表と裏棒を先代が取り入れたのも知ってるくせに何が500年の伝統なんだよ。
昭和大編纂の現代流ではないか。
これらの事実を隠して宗家と対等な500年の歴史を主張するのは誰が聞いてもインチキだぞ! >>42
おーいお茶
吹いたお茶がこっちまで飛んできたじゃん!
草生える 京都の前のHP(キャプチャー済み)で独自の流祖祭を500年の伝統と書いてたのに
流祖を元祖に書き変えたら矛盾しちゃうよね。久盛は流祖ではなく元祖でした。
では500年の伝統の流祖祭という設定はどこへ行っちゃったの?
備中伝の門人たちはおかしいと思わないの? >>42
>備中伝に伝わっていた小具足は十数本だけで柔術も棒術も別物で先代が宗家に習いに行った事実はなかったことになってる。
せめて、その備中伝に伝わっていた体系を先代のまま伝えてくれてれば500年の古流の価値はあったかもしれないが
(もちろんあくまでも宗家の劣化の伝としてに過ぎないが、それでも古武道文化としての価値はある)
それを神伝青葉の口伝だの竹内流の神髄・四半棒だのと現代人の創作をあたかも流祖の時代から伝わってるかのように捏造して
棒の長さを変えて間合いを変えて他流を取り入れて竹内流前斉手と称したりなどなど、
16代師範の魔改造で先代の備中伝とは別物の備中伝に作り替えられた現代人の創作流派だからな。
それでいて500年の歴史を主張して宗家に張り合ってる備中伝は実情を知る者からしたら滑稽であり悪質である。 おい、みんな! 竹内流備中傅の大嘘に騙されるな!
デジタル大辞泉の解説
がん‐そ〔グワン‐〕【元祖】
1 家系の最初の人。始祖。
2 物事を最初に始めた人。鼻祖。創始者。「二刀流の元祖」
3 仏教の一宗の開祖。特に、法然をさす。
竹内久盛は、竹内流備中傅や備中竹内流の流祖でも、元祖でも、開祖でも無いんだよ! 竹内流備中傅の嘘を暴露
第12部
ttp://itest.5ch.net/test/read.cgi/budou/1524183165/l50 失礼いたします。
匿名掲示板に書き込みがあるということで、訪ねてきた者です。
少しばかり、思い考えを書かせてもらえればとお願いしたいものです。 >>46
備中伝は久盛を流祖から元祖に変えたけど、
久盛からの三代を未だに備中伝の系譜に残してる意味がわからないよな。
元祖は竹内久盛、流祖は菊池正次なら備中師範も3代引いて、16代は13代になる。
後から設定を変えて矛盾を起こしてもはや収拾がつかない事になってるぞ備中伝。頭大丈夫か?? 確かに竹内流備中傅はおかしい
>>46の書き込み通り、竹内久盛が元祖なら
竹内流備中傅を最初に始めた人が竹内久盛になり
竹内流宗家が間違っている事になる
そんな莫迦な話しは無いんだよ これは単なる批判にはおさまらないなぁー
海賊版「竹内流」だからだ 海賊版「竹内流」は毎年、京都の山でバーベキューをやる山賊版「流祖祭」も執り行うことなんて笑い話にもならない。
まさか自分達のホームページで「俺たちが竹内流を宣伝してやってる」とか嘯くつもりか。 「竹内流備中傅」が、現在のままで「備中竹内流」としてホームページに書くと竹内流宗家を益々、怒らせることになりますね。 「竹内流備中傅」が、現在のままで 「 備中竹内流 」 としてホームページに書くと竹内流宗家を益々、怒らせることになりますね。
日新館の先代のご長男にのみ 「 備中竹内流 」 を使うことを「竹内流 宗家」が許したわけです。
「 備中竹内流 」という言葉は 「 竹内流 宗家 」 が出版した 「 日本柔術の源流 竹内流 」 中にのみ出てくる言葉ですが、それを使うことには条件を満たさなければならないのです。
今現在の 「 竹内流備中傅 」 では、その条件を満たしているどころか、逆に最低最悪な結末となります。 日新館の某人物からは 「 竹内流 相伝家 」 の 「 師範代 」 を通じて、「 竹内流 宗家 」 へ問い合わせた内容のままだけ、それだけを信じてしまったのでしょう。 >>57さまへ
大丈夫ですよ、勿論、わかっておりますとも。けれども大丈夫です、彼らは墓穴を掘ってしまいました。日新館先代のご長男の傘下になりました。 >>55さまへ
大丈夫ですよ、勿論、わかっておりますとも。けれども大丈夫です、彼らは墓穴を掘ってしまいました。日新館先代のご長男の傘下になりました。 0058 名無しさん@一本勝ち 2019/06/13 23:23:38
削除 申し上げます。
想定内ですからね、これ以上ここでは手の内を明かさないよう願っております!!
ヨロピキ 古武道って何なのよ?
古武道の定義を誰か教えてくれよ。 古武道って何なのよ?
古武道の定義を誰か教えてくれよ。 備中竹内流は竹内流備中伝と同じか別物か?
竹内流と、竹内流(備中伝)とは、どういうご関係なんですか? はたして古武道とは如何に
天地容れざる奸賊になり 𐤔𐤔𐤔𐤔𐤔𐤔𐤔𐤔𐤔𐤔𐤔𐤔 竹内流と竹内流(備中伝)は、赤の他人で無関係(キッパリ)
備中竹内流は、竹内流宗家が出版した「日本柔術の源流」の中に初めて出てきた言葉です
それを最近になってから流名として欲しがった竹内流備中伝に対して、竹内流宗家は許さなかったのさ!
唯一、「備中竹内流」を使っても宜しいと竹内流宗家から名指しされたのが日新館に昔おった「お兄さん」ことマモさん(日新館の先代の長男)だお。
竹内流備中伝がいつまでも竹内流を名乗ること辞めないなら、いっその事「破門 >>65
480年も一子相伝を貫き、徹底的に大義を重んじる竹内流のことかな? 技がキレようが、頭がサエようが、いくら竹内流をマネても竹内流の名は貰えないんだよなー
だから、竹内流備中伝はどこまでも似非と言われる鈍麻な団体でしか無いんだよ。 竹内流宗家が関係ないって言ってるから関係ないんだよ。
迷惑をおかけしちゃダメでしょ竹内流備中伝さん。 しかも、竹内流にない技やって竹内流のハンコなんか勝手に作って押した偽免状を発行して金儲けしてる竹内流備中伝の元門人が悲しいよ。
いや、恥ずかしくないか?
オイラは恥ずかしいっす >>36の新装されたHPで何の説明もなしに久盛が【流祖】から【元祖】に変ってるよ。
今までやってきた流祖祭はどう説明するの?
今度は元祖祭を創作して500年の伝統を騙るの?
一度嘘をつけばまた嘘で取り繕い次々と矛盾をきたす様がリアルタイムで見れるとはな。
流派名も何の説明もなしに【備中竹内流】になってるし、
2ちゃんで指摘されるたびにちょこちょこ改変されていく古流なんてあり得ないぞw
やはり備中伝は現代人の創作流派と言われても仕方がないな。 竹内流備中伝のホームページには事実が書かれてある
しかしながら最大の事実が書かれていないのが残念だ
「倉敷日新館の先代は竹内流宗家先代から事実上、破門された」という事実だ
都合のいい事実は公開しておるが
不都合な事実だけは隠蔽する
これが竹内流備中伝の聴風館、新風館、日新館のやり方だ 今一度
書き示しておく
竹内流備中伝の日新館先代であり、現聴風館の師範である者の先代は、
竹内流宗家から「破門されている」
その理由はきちんとしたものである 竹内流備中傳の本部的存在であるはずの日新館(倉敷)先代館長は
竹内流宗家先代の竹内藤一郎氏から
事実上「破門」を言い渡されている 竹内流備中伝(備中竹内流)は、次の3点を守らないかぎり、宗家相伝家とは現状の対立状態から抜け出せないだろう。おそらく、古武道連盟に復活もできない。
1、流祖を竹内流から分派した者以降の誰かに定めよ。
参考:いまの竹内久盛を元祖などという表記は、宗家への擬態と見なされ、潔くないのではないか?
2、上記1により、現師範の伝承の代の数を3以上引け。
3、分派したというのなら、「竹内流」という3文字を使うな。
参考2:掟の条文により、竹内流の師範は宗家相伝家の代表者が務め、同名での分派分流を認めていない。 対立関係が今後表面化する以上、古武道界の他流からの支援も望めない。
古武道界において、そのような自己中心的な振る舞いが顕在化する以上、今後、地域や公共の支援も得られない。 日新館先代の長男の道場のみが、竹内流宗家の方から「備中竹内流」とホームページに掲載しなさいと直接言われたわけである
理由は簡単だ
「流名には竹内流の三文字を入れない」
「流祖は竹内久盛から三代後とする」
「竹内流の名で免状発行をしない及び竹内流の印鑑を作らない」
上記の提示を自主的に行い竹内流宗家師範と高弟方々からの信頼を得たからだ
さて
竹内流備中傅はどうかな?
アンフェア(unfair)だ
それとも竹内流宗家以外の竹内流関係者の誰かが良しとしたのか?
そうであるならその人物の名を明かしなさい
どうかな?
出来ないであろう
勝手に竹内流の身内になろうとしても無理なんだよ 現在の岡山県にある日新館の館長は先代の長男の弟が建物はついだそうだが四段以降は自分で自分に免状を出したと東京の新風館の中野道場責任者から聞いている
京都の聴風館の館長はいわゆる上級国民となって後に「わいせつ行為」を女性門人へ働いたあと府警から××されたとも聞いた
これは被害者本人から聞いた
しかし
更なに遡ること数十年前に日新館の先代が竹内流宗家から「破門」された理由というのが頗るではないか!
「流名に竹内流の三文字を勝手に使っていた、その流祖を竹内久盛としており、竹内流の名を使い免状を発行し、竹内流の印鑑を作って押印していた」
これが決め手となり破門された訳だが
日新館の先代は聴風館の館長へ免許皆伝竹内流16代とした事を晩年いたく後悔していたわけだ
竹内流備中傅の大勢居る師範と呼ばれる人物達には羞恥心は無いのだろうか
船頭が多過ぎて無責任館長テイノーになってやしないか? それからもう一つ
わいせつ行為を受けた女性門人は東京の新風館の責任者へ謝罪の仲立ちを頼み「断られている事」はなぜか?
是非とも教えてもらいたいものだな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています